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蠢いて居たから



 知っているなら──教えて欲しい。助けて欲しい。


 男子トイレで三馬鹿をねじ伏せた後。廊下にて邂逅した担任教師の笹島三那が、間宮二郷に対して告げた言葉。

 それは一見して、二郷の事情を見透かした上での尋問のようであったが……しかし冷静に考えてみれば、その実、二郷とっては何の脅威もない状況の羅列でしかなかった。

 何故ならば、彼女が二郷に掛けた言葉は、結局のところ全てが只の推論であったからだ。例え三那が『何か』に気が付いていて、その事によって、どれだけ追い詰められていて、そして、どれほど二郷が持つ情報を求めていようと。


 ──知らない。勘違いだ。


 そう言い切ってしまえば、二郷は追及を逃れ、この場を収める事が出来てしまう。その程度の重みしかない言葉だったからである。

 不審な教師の不審な問いに答える理由は、二郷にはない。親しくもない相手に、無暗に自身の特殊性を晒す意味もない。事実を教える義務も、願いを叶える必要性も存在しておらず、更には得られるメリットすらも無く──しかし、デメリットだけは明確に存在する。

 つまり、助けるに足る材料が無いのだ。だからこそ、二郷は眼前の三那から視線を逸らしつつ口を開く。


「あの……先生。距離が近いんで、ちっとばかし離れてくれませんかんね? 俺、これから授業なんですよ。転校初日の最初の授業から遅刻ってのは、流石に障りがあるんで……」

「っ……ぁ……で、でも……」


 その二郷の、苦虫を噛み潰した様な表情。困ったような声──拒絶の色。

 それを受けた三那は……やはり、予想通り何も返事を返す事が出来なかった。

 二郷の考えた通り、彼女は、状況証拠以外に何の物的証拠も持っていなかったからだ。

 だから、何度か口を開閉し、そして言葉を詰まらせ……俯いてしまう事しか出来ないのである。


『はあ? 生徒が居ない? 君は何を言っているんだ?』

『そんな事実はないよ。精神科に行ったらどうかね』

『嘘付いてまで、注目浴びたいんですか?』

『変な事言えば可哀相に思われると思ってるんでしょ? ったく、これだから女は……』

『あのね、わけのわからない妄言吐かないでくれる? 嫌なら辞めなさいよ』


 そして、二郷による拒絶の意思表示を受けた三那が連鎖的に思い出してしまうのは、職員室で他の教師達が彼女に向けている、忌避と拒絶の言葉。侮蔑の視線。

 幾度も受けた冷徹な言葉による痛みの記憶が、眼前の二郷の姿と重なり、三那をよろめくようにして一歩後ろへと下がらせる。

 自身が何とか解決しようと、必死に足搔いている『問題』。その解決の糸口になるかもしれないと考えていたのに……鍵を握ると思わしき二郷自身の口から、希望の糸を断ち切るような言葉を吐かれてしまった。その事実が、三那に残っていた僅かな気力をも奪い、意思と関係なく脱力した彼女の体は、膝から崩れ落ちそうになる。

 それでも、教師としての意地なのだろう。一度深呼吸をして、今にも叫び出してしまいそうな感情を何とか押さえ付けながら、三那は、二郷に向けて無理矢理に作った笑みで返事を返す。


「……おー、そうか。そうだな。ははは、いきなり変な事聞いて悪かったなー、間宮。私の……勘違いだったみたいだ。今の話は、聞かなかった事にしておいてくれ。ははは……」


 心の中を這い上るってくるような絶望の感情を堪えながら、引き攣った笑みを浮かべてそう言った三那。

 そんな三那の姿に対して、それでも暫くの間、二郷は沈黙を貫こうとしていたのだが……。


「……っ……あー、いや、その……ぐ……ぐぅ……」


 やがて、耐えきれなくなったかの様に、天を仰ぎ。次いで、呻くような声を出し始め。ついには、頭を掻きむしるようにしてから──そうして、最後に諦めたかのように大きく息を吐いた。


「その……いや。違ぇ。違います。そうじゃなくて、ですね……えーと……つまり、ですよ? 嫌な訳じゃなくて……逆です。放課後で良けりゃあ、話を聞けるって事です。俺の知ってる事を教えます。助けになれるかは、まあ……分からねぇですけど」


 ……それは、ある意味ではとても卑怯な言葉の使い方だった。一度、明確に希望を摘み取ってしまった。だからこそ。

 間宮二郷が心底困った顔で、本当に嫌そうに、歯切れ悪く言い放ったその言葉。力になるという確かな意思の籠ったその言葉を聞いてしまえば、笹島三那の感情が逆方向に振り切れてしまうのは、全く以て仕方ない事であると言えるだろう。


「あと、これは俺の都合も考えての事で別に──ぐえっ!? ちょ、先生! 何で抱き着──息、苦し──」

「ありがとうなー……本当に、本当に、嘘じゃないって信じてくれて……」


 羞恥と酸欠で顔を赤く染めながらもがく二郷。そんな彼の頭を、感極まって抱き締めている三那の表情には、確かに安堵の色が浮かんでいた。



 ────────────



 そして、放課後。

 梅雨の晴れ間の、茜色に染まった空の下。国道沿いの道には、長い人影が伸びていた。


 ゆっくりと歩道を進むその影の数は、二つ。

 一つは、学生服を来た少年。

 そして、もう一つは、猫背気味の女性。


「いやー。こうして、家族以外の誰かと帰るのは新鮮だなー。一体、何時ぶりだったか……うん……幼稚園、以来か……?」

「なんで次から次へと悲しいエピソードが出てくんだよ、この人……」


 笹島三那。そして、間宮二郷。

 朝の問答から、然したる事件も無く──精々が、三馬鹿不良が濡れた犬の様に大人しくなった程度の出来事しかなく、一日を無事に終える事が出来た二人。

 教師と生徒の関係にあるその二人は、現在、交わした約束を果たす為に帰路を共にしていた。


「しかしなー。間宮が本当に『そっち』に詳しい人だった事が判って、私は嬉しいぞ。手詰まりでどうしようも無かったからなー」

「……先に言っときますけど、俺は漫画の主人公(ヒーロー)じゃねぇんです。朝にも言った通り、笹島先生の悩みが全部解決できるとは思わねぇでくださいよ?」

「当たり前だろー。生徒が全部解決してくれるなんて考えるようになったら、もう教師失格だ。ただそれでも、頼もしくは思ってるけどなー」

「……」


 どこか嬉し気にそう語る三那。そんな彼女に対して、二郷は小さく息を吐く。

 それは、三那から向けられている期待の大きさに対してのものであり……そして、自分自身のふがいなさに対してのものでもあった。


(はぁ……ったく。俺って奴はどうして何時も何時も、考えが足りねぇんだ)


 歩を進めながら、二郷が抱く感情は後悔。

 思い返すのは朝の──三那の切実な、助けを求める声。そして、それを無視し、拒絶する事が出来なかった、二郷自身の姿。


 二郷は、あの時……自身が間違った選択をしたと、そう思っている。


 本当に三那の事を考えるのであれば、二郷は彼女の問いに対して、理解を示すべきではなかった。誤魔化しの言葉を語るべきだった。

 嘘をつき、欺く事。それこそが正しい選択だったと、こうして三那の横を歩いている今も尚、そう考えている。


 何故ならば、二郷が三那に【釣喰い】の事を教えてしまえば、三那はそれを解決しようと試みて……その果てに、危険な目に遭う事になるからだ。それは、余りに容易に予想出来る未来である。


 だというのに──それを理解していたにも関わらず。

 二郷は三那の願いに対して、首を縦に振ってしまった。

 不審に思いつつも、危険性を予想しつつも……泣きそうな顔をしていた彼女の頼みを、断り切る事が出来なかった。


(ああ、糞がっ! ウンコがっ! テメェのその場の感情に流されて、余計に女を危険に晒すとか、どこまで馬鹿を極めてんだ俺は!? 本当に、無能が過ぎんだろ……!)


 故に、間違い。敬愛する漫画の主人公(ヒーロー)達であれば、状況を悪化させるだけのそんな無様な真似はしない。する筈がない。

 今なお残っている『青年』であった頃の人格の骨子が……ある意味、呪いのようである其れが、叫ぶようにそう訴え、罪悪感が自身の良心を苛むのを感じつつ。それでも何とか良い方向に事態を進めるべく、二郷はこの後の方針を考えながら夕闇の中で更に歩みを進めていき──。


「……おい。おーい、間宮ー?」

「うえっ!? お、おう。何っすか?」


 そこで不意に掛けられた三那の声により、二郷は我に返った。

 慌てて足を止め、顔を上げれば、三那が首を傾げつつながら、覗き込むようにして二郷の顔を見ていた。


「どうしたんだー、そんなにぼーっとして。ほら、もう目的地に着いたぞ?」

「へ? 目的地……?」

「おいおい、大丈夫かー? 話をするなら、クラスの生徒達に絶対話を聞かれない場所が良いって、そう言ったのはお前だろー?」

「あ、ああ……そうだった。悪ぃな……いや、すんませんでした」


 そこまで言われて、二郷はようやく自身が三那と一緒に帰っていた理由を思い返す。

 思い出し、そして顔を上げ。そして辿り着いたその『目的地』を見て──その表情が固まった。


 二郷の視界。其処に映ったのは、聳え立つ無数の建物の群れだった。

 型に嵌めたように全てが同じ形をした建物群は、沈みつつある夕陽の逆光により黒く染まっており、経年劣化による汚れも相まって、ひどく不気味な雰囲気を漂わせている。

 また、建物と建物の間に置かれた、扉に番号付けがされた物置小屋の周りには、手入れをされていないのだろう。背の高い雑草が生い茂っており、住人達の景観に関する無関心を感じさせる。

 建物の縁ではカラスの群れがしきりに鳴き声を響かせており、水はけの悪い側溝の傍には、腐乱したドブネズミの死骸に、蠅と蟻が群がっている。


「ひっ……!?」


 けれども……二郷の表情を引き攣らせたのは、雰囲気の不気味さなどといった、抽象的なものに対してではない。

 二郷が表情を引き攣らせたのは。恐怖に硬直したのは──


 建物と建物の間に広がる濃い夕闇。

 その夕闇の中に──蠢いて居たから。


 人影が。人間ではない、文字通りの、人の形をした影が。

 絵の具で塗りつぶしたかのように、両眼だけが存在しないモノクロの人間達が居て……そして、その全員が二郷達の方を向いているのを、目撃してしまったからである。


「ひっ、ぎ──」

「……そうかー。やっぱり、『視える』んだな? ……よしよし、大丈夫だぞ間宮。こいつ等はな、変に騒がなければ何もしてこないから、安心していいぞ」


 恐怖による硬直の果てに、思わず絶叫しそうになった二郷。三那はその口を、自身の右手で覆う事で黙らせる。

 二郷の耳元で、大丈夫だと囁き……小さく頷いたのを確認してから、三那はその手を取って、更に歩を進めていく。

 そうして二人は敷地の中を暫く歩き──やがて『D13』とコンクリの外壁面に書かれた建物の前で、立ち止まった。


「さて、ここだぞー」


 そう言うと、三那は建物の一階。その最奥に在る一室……『一三三号室』と数字が書かれた扉を指し示した。

 何も気負った様子無くそう告げた三那に、二郷は声の震えを隠せぬまま、それでも一縷の希望に縋るようにして問いかける。


「……お、おい。あの……十中八九予想は出来ちまってるんですけどよ、一応教えてくれねぇかな? 先生、ここは一体、何処なんですかね……?」

「うん? おー、そうか。思春期だもんなー、間宮の年齢だとドキドキするよな」


 三那は二郷の方へと振り向くと、猫背を少し伸ばし、その眠た気な視線を緩ませて──自慢気に問いへの答えを口にする。


「ここはなー、『市営四ツ辻団地』。私の住居だ。ここなら生徒は絶対に来ないから、お前の要望通りだぞー……ちなみに、家族以外の男性が入るのは初めてだ。嬉しいだろー?」

「はい、全然嬉しくねぇです……!」


 社交辞令を語る余裕も無く、即座にそう回答する二郷。

 廊下の外から今なお向けられている、灰色の人影達の視線。それを感じて、今すぐにでも全力疾走で帰りたいと、そう思っているが故の言葉であったのだが……そんな二郷の言葉を、ただの照れ隠しだと思ったのだろう。鍵を開けドアノブを捻った三那は、二郷の手を引きながら、微笑みを浮かべて言う。


「さあ、ようこそ我が家へ。歓迎するぞー……今日は存分に語り合おうな。私が体験してる出来事、そして、間宮が知っている『人攫い』の事を」


 開かれた扉の奥から最初に届いたのは、三那の服と同じ柚子の爽やかな柚子の香り。そして、それに混じって漂う、古い建物特有のカビの臭い。

 カーテンが閉め切られ、電気が点けられる前の室内は、まるで古びたモノクロの写真の様な。或いは古いホラー映画のワンシーンのような不気味さを漂わせており……そこに踏み込まなければならない二郷は、心の中で必死になって、様々な宗教の経や祝詞を唱えるのであった──。



2025.10.21 本文修正しました。

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