流儀に則って
ホームルームで転校生──間宮二郷の紹介を終え、担任である笹島教諭は、欠伸をしながら猫背で教室を後にした。
笹島教諭がいなくなり、騒々しさを注意される可能性が無くなった事で、一年C組の面々は、これから学校生活を共にする新たな学友に対して、和気藹々とした質問責めをして──いなかった。
「……」
教室の中央最後尾。間宮二郷の席の周りには、まるで見えない壁でも存在するかのように、クラスメイトの誰一人として近づいてこようとしない。
……当たり前である。霊能グッズをこれでもかと身に着け、更に、コミュニケーション能力に難の在り過ぎる自己紹介を果たしたのだ。
二郷の存在は、新しい学友ではなく、触れてはいけないヤバい奴としてすっかり認知されており……更には、その間にも二郷自身が、時折教室の何もない箇所へ急に視線を向けたりという奇行を行っているものだから、救いようもない。
もし、そんな異様な人物に語り掛けるような人物がいるとすれば、それは余程のお人好しか、或いは……
「いよーぅ! 転校生、イカレタ格好してるじゃーん!」
「高校デビューかなぁ? いいねー! 応援するぜ! 祝! 今日から俺らの財布デビュー!!」
「へいへーい! アホそうな霊感グッズ? 買うくらい金あるんだしさ、寄付しようぜ寄付! 恵まれない俺らにさぁ!」
救いようのない阿呆のどちらかである。
物怖じもせずに二郷に声を掛けて来たのは──二郷にとっては見覚えのある、もはや懐かしい顔ぶれ。中学の時に『間宮二郷少年』を不登校に追い込んだ、三人の不良達。
近藤、鈴木、五所川原。
成長期がまだ終わっていなかったのか、中学の頃から幾ばくか体を大きくした彼らは、頭が悪いにも関わらず、少子化の恩恵を一身に受けることで、この高校へと入学出来ていたようだ。
そんな彼等は、ひとしきり二郷を嘲笑した後……当たり前のように、その腕を乱暴に掴んだ。そうして、周囲の視線など気にも留めずに、廊下へと連れて行こうとする。
「あ……お、おい! やめ──」
「ば、ばか! やめとけって委員長! お前があいつらに目付けられるぞ!」
教室内の幾人かの生徒はそれを止めようとしたが、友人である他の生徒達に危ないからと制止されてしまい……結局、二郷は彼らに唯々諾々と従うようにして教室を後にする事となったのである。
────────────
校舎の一階。廊下奥に在る男子トイレ。
二郷を其処へと連れ込んだ彼らは、ヤニの臭いを纏いながら、全員が薄ら笑いを浮かべている。
愉しいおもちゃが手に入った。丁度よさそうな財布が手に入った。イキった転校生に焼きを入れてやろう。
三者三様に浅い考えだが、二郷を甚振る事で日々のストレスを発散したい──という点については、思考が共通しているらしい。彼等は、二郷をトイレの奥の壁際に追い詰めると。
「そんじゃまずは、景気づけといきますかあ──オラアッ!!」
三人の内の一人。鈴木が、いきなり二郷の腹部に拳を叩き込んだ。
「ヒューッ! 飛ばすねぇ鈴木クン!」
「ははは! ゲロ吐くなよぉ転校生、吐いたら舐めて掃除させっからな!!」
「ほら次いくぞ! 休んでんじゃねぇ! オラもう一発ぅ!!」
くの時に腰を折り曲げ、トイレの壁へとしたたかに背中を打ち付けた二郷に、鈴木は追撃の拳を振るう。
気分良く、何の加減もない苛烈な暴力を誇示し、或いは友人がそんな暴力を振るう様を娯楽作品のように観ながら、本当に愉しそうにゲラゲラと嗤っている不良達。
半グレじみた先輩達とのコネクション。そして、周囲に彼らの増長を止めてくれる様な人間が居なかった事。それによって、中学の時よりも更に人間性が腐ってしまったのであろう。
彼等は今、腐った蜜を啜るような人生を謳歌している。強者が弱者を甚振る快楽を存分に味わっている。
……筈で、あったのだが。
「うはははは……は……なあ、何かここ、寒くねぇか?」
「はぁ? おいおい今梅雨だぞ? 寒い訳が……あれ? 何だコレ、何で鳥肌立ってんだ……?」
突如。鈴木の暴行を眺めていた近藤と五所川原が、奇妙な事を言い出した。
今は六月、気温も湿度も決して低くはない。だというのに、気が付けば彼らの肌には、真冬の屋外に居るかのように鳥肌が立ち……全身は震え、歯の根が合わない。
体の変調に気が付いた二人は、自分達が何かとんでもない間違いを犯しているような……全身の細胞が、何かを訴えているかのような、そんな気がして、転校生を殴り続けている鈴木に声を掛けようとした。
しかし──その判断は、余りにも遅かった。
「──へぶぴっ!!!?」
鈍い打撃音がしたと同時に、二人の間を人間が──鈴木が等速直線運動で吹き飛んでいき、掃除用具入れに、頭から激突した。
「は?」
「え?」
一泊遅れて通り抜けた風に、思わず間抜けな声を出した二人。
何が起きたか判らず呆然としている、そんな彼等の前で……ゆっくりと立ち上がる人影が一つ。
「オエっ……クソが、思いっきり腹ぶん殴りやがって。急所外しても、普通に痛ぇモンは痛ェんだぞ……?」
転校生。間宮二郷。
首を鳴らし、服に付いた埃を払うその姿……そんな態度を見れば、普段の彼等なら逆上し、罵詈雑言を吐きながら襲い掛かった事だろう。
なのに──動かない。いや、動けない。
それは、例え記憶は無くとも、過去が消え去っていたとしても。
「さぁて……これだけ理不尽に殴られたんだから、こっから先は正当防衛で通るよなぁ? 俺の事を忘れてたんだ許してくれ……なんて戯言を吐いても、耳を貸さなくても良いよなぁ?」
体に刻まれた暴力の痛みを、全身の細胞が覚えているから。
「そんじゃあ、俺が尊敬する花岡隊長の暴の流儀に則って──今から、テメェらのキンタマを、潰す」
二郷の浮かべた表情。それは、教室で見せていた、何かに怯えているような表情とは異なる、見る者を震え上がらせる凄絶な笑み。
覚えていないのに、確かに覚えている痛みと恐怖に、二人の顔から血の気が引いていく。
彼等の罪は、自身が嬲られる弱者の側に立つ事を、微塵も想像していなかった事。
彼等の不運は、ホラー漫画の主人公を基準に鍛え上げた、間宮二郷という異常者が発揮する暴力──怪異以外に対する戦闘性能を、忘却してしまっていた事。
数秒後。男子トイレの中に女子のような甲高い悲鳴が響いた。
────────────
暫くの後。男子トイレのドアが開き、その中から人影……間宮二郷が出て来た。
来た時とは異なり、一人きりで。
トイレの奥からは、か細く情けないすすり泣きが聞こえていたが、扉が閉じると同時に、それも聞こえなくなる。
「……ったく。潰さねぇでやったのに、漏らしてんじゃねぇよ。これだから不良ってのは……無駄にトイレなんてホラースポットに連れ込みやがって」
服に残っていた埃を祓いながら不満げに呟くその姿には、つい先程、学年でも上位に入る悪辣な不良達に絡まれたという事に対する恐怖や緊張などの痕跡は、微塵も見えない。
本格的に、物理的に対処可能な現象に対しては抵抗力の強い少年である。
そうして二郷は、自身の教室へ戻る為に、来た道を逆に辿り──
「おー、間宮。連れションは終わったかー?」
「うひいっ!?」
廊下の脇──掃除用具入れの横。柱との間に有る隙間。物理的に死角となっている其の場所から突然声を掛けられた事で、思わず奇妙な声を出し、ビクリと身体を震わせる事となった。
反射的に懐に仕舞っていた経文を取り出しかけた二郷であったが……視線が声の主の正体を捉えると、大きく安堵の息を吐く。
「な……お、驚かせねぇでくださいよ──笹島先生。ンな所で何してんですか」
「いやー、大事な生徒達が揉めてそうな気配を察知してなー。そうしたらまあ、聖職者としては、何か起きる前に止めないといかんと思って、ここで待機してたんだ」
二郷が視線を向けた先。其処に居たのは、一人の女性。
やや赤みがかったミディアムヘアに、モデルのような体躯と、それを帳消しにする猫背。眠たげな眼をした──二郷が転入したクラスの担任教師。笹島であった。
笹島は、二郷の問いに対して、努めて作った真面目くさった表情を浮かべながら回答したものの、二郷はその表情を暫くの間見つめてから、目を細めつつ口を開く。
「いやいや……あれだけデケェ音と悲鳴が鳴ってたんだぜ? この場所なら、何か起きてるのか丸聞こえだったでしょうが。そのうえで止めに入って来なかったんだから、止める気なんてなかったっすよね、先生?」
二郷の言葉を受けた笹島は、それでも暫くの間は真面目な顔を作っていたが……しかしやがて、諦めたかのように息を吐き、眠たげな表情に戻る。
「なんだよ間宮ー。お前名探偵かー?」
「霊界探偵に憧れた事もありましたねぇ。んで……実際は何してたんすか?」
「あー……」
二郷の警戒を込めた視線を受けた笹島は、視線を逸らしながら少しだけ考え込む様子を見せ、やがて頬を指で掻きながら答えを返す。
「……いやー。実は私、同僚の先生達に嫌われてるから、職員室に居場所が無くてなー。いつも通り時間潰しに校内を徘徊してたら、たまたまお前らがトイレに入っていったのが見えて……けどまあ、高校生の男子同士の喧嘩に割って入る勇気もなくて、隙間に隠れてどうすれば良いのか悩んでたって訳だ」
「……え。ああ、そ……そうだったっすか。え、と……なんつーか、すんません」
「おー、気にすんなって」
問いかけたは良いものの、返って来た笹島の答えが余りに哀れなものであったため、何とはなしに謝ってしまう二郷。
対する笹島は、たいして気にする様子も無く、大欠伸をしてからひらひらと手を振る。
(……なんつーか、なぁ。転校の顔合わせの時から思ってたけど、どうにも掴み所がなくてやり辛ぇ先生だな……。教師ってのはこう、生徒の為に命を張る! くらいの覚悟があるモンだろ。ちっとばかし緩すぎやしねぇか……?)
比較対象の教師が漫画に出てくる教師達である辺り、やはり本当におかしいのは二郷の方でなのはないか……等という疑問はさておき。笹島のその余りのやる気の無さに、すっかり毒気を抜かれてしまった二郷は、困ったように頭を掻く。
「あー……そんじゃあまあ、連れションは終わったんで、俺は教室に戻ります。先生も、その……色々と、頑張ってください」
そうして、差し当たりこれ以上聞くべき事もないと判断した二郷は、教室に向けて踵を返す。本来であれば、彼女の人生相談にでも乗るべきなのかもしれないが……今の間宮二郷にはやるべきことが有る。教室に戻り、急いでそれを果たさなければならないのだ。
待ち受けているであろう未来に、恐怖と疲労感を感じながらも、二郷は一歩足を踏み出し。
「あー。そうだ間宮……一つだけ聞きたい事があるんだが良いかー?」
「……へ? はあ、何すか?」
しかし、その足を笹島の言葉が止めた。
眠たげな眼に、へらへらとした笑みを浮かべた笹島は、振り返った二郷の肯定の言葉を確認した後、一呼吸置いてから尋ねる。
「────人攫いの犯人は、見つかりそうかー?」
「……っ!?」
突然の言葉。二郷がこの学校に転入してきた目的。その本質に踏み込んだ内容に、二郷の表情が固まる。
そんな二郷の様子を観察しながら、笹島は言葉を続ける。
「おいおい、そんなに驚くなよー」
一歩、笹島は距離を詰める。
「どうにも奇妙な時期に、事前の通達もなく、理事長の鶴の一声で転校してきた学生」
更に、もう一歩。
「その学生がなー、奇妙なファッション……宗教で除霊に使う道具を全身に付けて、ビクビクと何かに怯えてるんだ」
そしてついに、二郷まであと一歩の距離。
「おまけに、住所を調べてみればー……この辺りの学校関係者の間では、色んな意味で有名な、東雲家の『触れても見ても話してもいけないご令嬢』と、全く同じときたもんだ……関係ないって思う方が難しいよなー?」
最期に、二郷の瞳をのぞき込むような形で、笹島はその眠たげな目を……その奥の、冷静な眼を二郷の視線と重ねる。
「なー、間宮。お前、何か関係あるんだろー? 何か知ってるよなー? 『私のクラスの生徒が、四人もいなくなってるのに、生徒が誰もその事に気付いていない』事の理由とかさー。そんなクラスを選んで転校してきたお前なら、知ってるんじゃないかー?」
眠たげなその声の中には、しかし半ば確信の色が含まれてる。
「もしお前が何か知ってるなら、それを教えてくれないか? なあ、頼むよ……本当に、助けて欲しいんだ」
縋るようなその言葉と願い。
笹島──笹島三那の眼の下には、二郷と同じ程に深い隈。
焦燥と不眠により刻まれた、不眠の痕跡が現れていた。




