季節外れの転校生
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かごの鳥 夜に鳴く お外が暗いと 今日も鳴く
かごの鳥 朝に鳴く お父が怖いと 今日も鳴く
かごの鳥 昼に鳴く お家が恋しと 今日も鳴く
かごの鳥 宵に鳴く お空が赤いと 今日も鳴く
かごの鳥 声も無く おみずみ様へ 行きました
K県S田村 わらべ歌 『まいご籠』より
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肌に触れる空気は、心地良い春の陽気から、じっとりと湿った粘りつくようなものへと変わっている。
散った桜の花の代わりと言わんばかりに紫陽花が咲き誇り、その葉の上を蝸牛がノロノロと這い回る……これはそんな六月半ば。梅雨の真っ只中の事であった。
S市D町南部に在る、公立四ツ辻高等学校。
少子高齢化に伴う競争率の低さから、地元に住んでいる学生の何割かがそのままスライド進学するという、良い意味でも悪い意味でも地域密着型の高校である。
これといった特色もなく、平凡を絵に描いたような鉄筋三階建ての校舎の、其の一角。一階南側にある一年C組の教室では、朝から生徒達の賑やかな声が響いていた。
「よっす! おはよ!」
「あ! おはよう、みっちー! ねぇねぇ! 昨日のテレビ見たー!?」
「おはざーっす!」
「やっほー! タロ君!」
登校してきた生徒達が織りなす、青く爽やかで活力に満ちた挨拶の重奏。
四月の入学式。初めての顔合わせから二ヶ月という時が経った事で、緊張も解け、生徒同士の気心が知れ始めている事も影響しているのだろう。
不和など欠片も見えず、ただ穏やかで何の変哲も無い、ありきたりで、だからこそ尊いその日常の情景は、梅雨の湿気を吹き飛ばすほどに眩しく輝いていた。
けれど……ほんの僅かに、違和感。
どういう訳かこの日は、繰り返されてきた何時もの朝よりも、少しだけ生徒達の騒ぎ声が大きい。賑やかさの中に、何時もよりも少しだけ浮ついた空気が混じっていた。
「あ! そうだ、みっちーは聞いた? 今日、このクラスに転校生が来るんだって!」
「へ? そうなの? 初耳なんだけど……ちな、男子? 女子?」
「男子らしいよ! ささやんが職員室に入ってくの見たって!」
「へー、そうなんだ。こんな時期に珍しいよねぇ。イケメンだったら嬉しいんだけどなー」
その浮ついた空気の原因とは────季節外れの転校生の噂。
クラスメイトの一人が、担任と一緒に職員室に入っていく見知らぬ男子生徒を目撃した。
そんな話題に端を発した噂話が、クラスの生徒達の間で、格好の娯楽として流れ、消化されていたのである。
当然の事ながら、暇潰しを目的とした噂話には、尾びれも背びれも何なら羽まで遠慮なく付いて行き……結果として、やれ転校生はイケメンだ。超能力者だ。凶悪な不良かもしれない。石油王だ。いいや宇宙人だ。等と、好き勝手な妄想が、男子女子問わず、朝の教室内で野放図に蔓延ってしまい、生徒達を何時もよりも騒がせる事になっているのであった。
最も、楽しげに妄想や空想を語っている生徒達ではあるが、その内の誰一人とて、その愉快な噂話の中に真実がある等とは思っていない。
家庭の事情。健康の事情。両親の仕事の事情。
転校をしてくる理由こそ様々あれど、それが人間で、同じ年代の学生である以上、その生徒が物語のように特別な存在であるなどという事はあり得ないと……そんな当たり前を理解出来てしまう程度には、彼等は現実と常識を知っている年頃であるからだ。
故に、転校生の実際の素性さえ割れてしまえば、この浮ついた空気も収まり、雑談の一つとして、あっという間にこの話題は消費され尽くす事だろう。
「おーい、お前ら静かにしろー。ホームルーム始めるぞー」
そうして、時計の針が八時半を回った頃。
教室の前方のドアが開き、Ⅽ組の担任教師である笹島教諭(二十七歳独身)が、雑に切り揃えたミディアムヘアを揺らしながら、気だるげな雰囲気を纏って姿を現した。
やや猫背気味ではあるものの、高身長且つメリハリが有るモデルのような体型に、一部の男子生徒は鼻の下を伸ばし、一部の女子生徒は羨望の視線を向ける。
だが、そんな学生達の視線など全くと言っていい程意に介する事無く、教卓の前に立った笹島教諭は、普段通りの眠たげな眼で……実際に一度欠伸をしてから改めて口を開いた。
「あー……授業を始める前にだなー、今日はお前達に連絡事項がある。実は──」
「はいはい! 笹島先生! 転校生っしょ!?」
「どんな人なんですか! イケメンですか!?」
「先生、好きです! 幸せにしてみせます!」
「転校生は伝説の不良で実はアイドルで石油王の息子って本当!?」
自身の言葉を遮って元気に一斉に騒ぎ出した生徒達に対して、笹島教諭は一度面倒くさそうに溜息をつくと、懐からノソノソと円錐上の小さな物体を取り出し……その先端部分に付いた紐を、躊躇いなく引いた。
直後。──パン! と、教室内に炸裂音が鳴り響き、先ほどまで騒いでいた生徒達は驚きから口を閉じ、水を打ったような静寂が室内に広がった。
それを確認した笹島教諭は、今しがた自身が使った道具──パーティー用のクラッカーをポケットに仕舞ってから、何事も無かったかのように再度口を開く。
「うい、静かになったな。何時も言ってるが、このクラッカーはお祝い道具なので暴力的指導には当たりません……だから保護者に面倒くさい事を言わない様に。それじゃあ話を続けるぞー」
「せ、先生。僕はそんなエキセントリックな所も好きです、恋人になって……」
「下枝ー。お前は後で反省文10枚提出しろよー。あと保護者には今の気持ち悪い言動しっかり伝えるからしっかり後悔しろなー。さあて……どっから漏れたのか知らんけど、まあ、大体お前達の噂してた通りだ。今日からこのクラスに新しい生徒が増える」
再度ざわめきかけた教室を、今度は手を翳す事で制した笹島教諭。
彼女は、黒いバインダーを団扇代わりにしながら、心底面倒臭そうに教室の外──廊下で待っているであろう、その人物に向けて声を掛ける。
「おーい。もういいぞー、入ってこーい。面倒だからそのまま自己紹介もしとけー」
直後。笹島教諭の気だるげな声に応えて、教室前方のドアが開かれた。
「……うひっ!? ……し、失礼しゃっす」
ドアを潜り、入って来る人影。
真新しい上履きが木製の床との間で鳴らす、規則正しい足音。
少し低めの、けれど聞き取り易く良く通る声。
清潔感のある、皺一つ無くアイロン掛けがされた学生服。
真っ直ぐに背筋の伸びた姿勢。
綺麗に纏められられたオールバックの黒髪。
一瞬、クラスの女子が期待に沸きかけたが……しかし、彼女達の期待が砕けるまでには、その後五秒と掛からなかった。
問題は、現れた転校生の服装と容姿。
両手首にジャラジャラと撒かれた数珠。首から下げられた三日月型のペンダントと、十字のペンダント、更に五芒星のペンダントという、計三つもの過剰なアクセサリー。
胸ポケットには、何かの経文のようなものが差し込まれており、挙句に左手には水晶。右手には除菌消臭スプレーを持っている。そうして、傍目に見て鍛えられている事が判る肉体と、それに反して、目の下にくっきりと刻まれた不健康そうな深い隈。
更に、無理に笑みを作っているのであろう。その口端は引き攣り、眉間には皺も寄っており、よく見れば手は小さく震えている。
控えめに言って……その転校生は、ヤバいタイプの不良とヤバいタイプの宗教家の間を全力で反復横跳びしている様な、そんな異常な外見だった。
「えーと……あ、あー……その、だな。初めまして。今日からこのクラスで世話になる、間宮二郷だ。趣味はホラー少年漫画鑑賞で……色々あって入学が遅れたんだが、良ければ仲良くしてくれると助かる。ちなみに、押切作品と藤田作品、あと高橋葉介作品について好きな奴は、是非友達になってくれよな。語ろうぜ。半日くら……ひっ!」
そして、発言内容も含めて言えば、中身もヤバそうなタイプの奴だった。
要するに、間宮二郷だった。
「よーし。それじゃあ、間宮に何か質問が有る奴はいるかー」
そんな異様な転校生……間宮二郷の登場に教室の空気は凍り付いているのだが、生徒達の動揺など意に介するも事無く、笹島教諭はやる気の無い態度で義務的に生徒達に尋ねる。
しかし当然の事ながら、これ程までに見え易い地雷を気軽に突く様な蛮勇の有る生徒など居る訳が無い。
むしろ笹島教諭に対し、マジでこいつが転校生なのか? この服装はいいのか? 校則とかどうなってんですか? といった具合に目で訴えているのだが……悲しい事に、笹島教諭はその視線を汲み取るつもりはまるで無い様で、呑気にまた欠伸をしている始末。
満ち満ちた緊張と動揺が齎す、健全な学び舎に相応しくない沈黙と静寂。
しかし……実の所。この場において、混沌とした空気の原因である間宮二郷……彼こそが最も切迫した精神状態にある事を、笹島教諭と生徒達は知る由も無かった。
(ああ……くそ! くそっ! 畜生がっ! 来たくなかった! 本当に、心の底からこんな場所に来たくなかったっ!)
生徒達の畏怖と警戒の視線に晒され、引き攣った笑みを作ったまま……震える膝、そして流れる冷や汗を背中に感じつつ、二郷は内心で悲鳴を上げる。
(マジで勘弁してくれ……! この中に、生徒を四人も食い殺しやがったバケモンが……『さかさネジ』に描かれてた【釣喰い】が居るかもしれねぇとかさぁ!? 一体全体、この世界の怪奇事情はどうなってやがんだよおおおお!!!?)
無論。その心の悲鳴は、当然の事のように誰にも届く事はなかった。