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120年分の、まよけの塩




 時刻は丑の刻をとうに過ぎている。

『腐れ月』が赤く輝く夜空の下、街中を一人の老人が歩いていた。

 ふらふらと、頻繁に左右に揺れる頼りない足取り。

 オールバックに纏めた頭髪は総白髪で、皮膚に水分は無く、腕も、顔も。見える肌には深い皺が刻まれている。

 右目は失明しているのであろう。瞳が白く濁っており、眼の下には深い隈が刻まれている。また、喉からは呼吸する度に苦しそうな……まるで笛の様な音が聞こえてくる。 

 着ている衣装も、無残なものである。黒をベースとした服であるが、そもそもサイズが合っておらず、それどころか相当の部位が破れ、挙句に黒い色の染みがべったりと付いて、鉄錆の様な臭いを放っている。


 外見から見て取れるその年齢は、恐らく百は超えているだろう。

 施設から脱走した行方不明者、もしくは浮浪者……そんな冷たい言い方が、しかし、この老人を現すのに相応しい言葉であった。


「ぎゃははは! でさー……うおっと!?」


 そんな老人の前方から、三人組の若者が、ゲラゲラと笑いながら歩道を横並びに歩いてきた。

 胸元を空けたシャツを着込み、傷んだ金髪とピアスが特徴的な少年。

 浅黒く日焼けしている、剃りこみを入れた坊主頭の少年。

 ジャラジャラと金色のアクセサリーを付けた、肥満気味の少年。

 会話に夢中で、彼らは眼前すらも見てすらいない。

 その結果。案の定、その内の一人の肩が、緩慢な動きで避けようとしていた老人とぶつかり、その勢いで、老人は何の抵抗も出来ずに道路脇に積み重ねられていたゴミ袋の山へと倒れ込んでしまった。


「……チッ、おい! 前向いて歩けや糞ジジイ! ……あーあ、服に汚れが付いちまってるじゃねぇか。なあ、コレどう落とし前付けて」

「……!? おい、やめろよ五所川原」


 五所川原と呼ばれた肥満気味の少年は、倒れた老人の襟首を掴もうとした。だが、そこで日焼けをした少年が、何かに気付いた様子でその肩を掴み、急いで制止する。


「あ? なんだよ鈴木……こんなジジイでもタバコ代くらいは持ってんだろ。ひょっとして敬老意識にでも目覚めたのかぁ?」

「ばっか、そうじゃねぇよ! 見てみろ、そのジジイが首に掛けてるアクセサリー! ほら三日月の!」

「アクセサリー? それがどう────」

「…………ジジイの付けてるそれ、間宮と同じアクセサリーじゃねぇか?」


 二人の様子を横で見ていた三人目の金髪の少年が、少し声を震わせながら呟くと、五所川原少年の下卑た笑みが固まり、顔色が一瞬で蒼白になる。


「こんなモン売ってんの見たことねぇし、まさかこのジジイ、あいつの親戚とか……?」


 金髪の少年がそう言葉を続けると、その場に暫しの沈黙が流れた。

 やがて、三人はお互いに目配せすると、言葉を交わす事無く同時に頷き合う。


「き……気ぃつけろよ! 今回は見逃してやっかんな!」

「おう! 感謝しろよジジイ!」

「くれぐれも! くれぐれも! 特に家族とかには俺達の事を言いふらすんじゃねぇぞ!?」


 そうして、裏返った声でそう言った三人の少年は、心なしか内股になりながら走り去っていき……それから暫くすると、老人はゆっくりとゴミ袋の山から立ち上がった。

 そうして纏わりついたゴミを掃うことすらせず、何も言わずに再び夜の街をふらふらと歩き出した。

 その胸元に、年齢にそぐわない三日月型のアクセサリーを揺らしながら。





 ──────────────────────






 長い長い時間を掛けて夜道を歩き、老人はようやく其処に辿り着いた。


 公立 四ツ辻中学校。


 間宮二郷。東雲四乃。彼らの通っている学舎。

 そして、ほんの数時間前には【モリガミサマ】という強大な化物との、命懸けの退魔払魔の決戦の火蓋が切られた場所でもある。


 そう。此処は始まりの場所であり────そして、終わりの場所だ。


 そんな学舎の敷地を、老人は、先程よりも更に重くなった足を引き擦りながら進むと、辿り着いた校舎の入口の引き戸に手を掛け、ドアを開こうとする。だが……


「…………はは。もう、ドア開ける力も……残っちゃいねぇのか」


 自身に鍵の掛かっていない扉を開ける腕力すらも無い事に気付き、皺枯れた苦笑を漏らした。

 その声には若干の落胆の感情が籠っていたが、しかしある程度の予測もしていたのだろう。

 ドアを開けるのを諦めた老人は、その前から離れると、校舎の入口の横。雨除けの天井を支える柱へと背を預けた。そうして、大きく息を吐き……そのまま重力に引き摺られるようにして、石畳の床に腰を付ける。


「……」


 老人の視線の先に広がる光景は、夜闇に覆われた無人のグラウンド。

 前日の夕方頃まで、生徒達が元気に部活動に励んでいた場所。そして今は誰も居ない其処を、霞む目を細め、噛みしめるようにして眺め見てから、彼は呟く。


「……間宮二郷が体から出せる、どんな怪異でも、化物でも妖怪でも祓える『塩』……か」


 枯れ木の様になったその掌を、老人が一度握り、そして開くと……其処には、ほんの数粒だけ。『淡く光る塩』が現れていた。

 その塩は、少しの間蛍のように光っていたが……けれど直ぐに、その光は消えてしまった。

 再び暗闇に戻った自身の掌を眺め見ながら、老人────間宮二郷は苦笑を浮かべる。


「鬼の手も、獣の槍だってリスクがあんだから……一話限りの代役主人公の俺の力なんざ、リスクがあって当たり前。ああ……分かってたさ。分かってたから、だから。出来るだけ使わねぇようにしてたんだけどなあ……」


 ────間宮二郷少年は、その体から塩を出す不思議な力を持っていた。

 ────それが発覚した事でいじめに遭い、最期は『星山羊』に潰されその命を終えた。

 ────そして実は、彼が出す塩には、どんな怪異妖物も祓う強力な魔除けの効果があった。


 ……では、そもそもの問題として。

 間宮二郷が出す塩とは何なのか? 

 何故、塩を出す事が出来るのか? 

 何故、《《たかが》》塩如きがそこまでの力を持っていたのか? 


 様々な宗教体系で用いられる塩という物質に、魔除けの力があるというのは事実だ。

 神社や神殿で丹念に清められた塩は、劇物が如き効果を持つ事もある。

 しかし……其れが、どんな怪異でも問答無用に祓う程の強力な魔除けの力を持つという事は、決してあり得ない。


 広い宗教・神話体系で用いられてきたからこそ。

 そのうえで、強力な魔を滅ぼしたという記録が無い『塩』という物質が持てる力の程度は、決まっている──限界が示されているのである。

 現に、『青年』であった頃の間宮二郷の経験上でも、塩は除霊の補助にはなるが、切り札には決してなり得なかった。


 だというのに、間宮二郷の塩には比類なき退魔の力がある。

 儀式も何もしていないというのに、そんな塩を、その体から易々と生み出す事が出来ている。


 その矛盾。不可思議について説明をするのであれば……一つの誤解を解かねばならない。

 結論から述べると────そもそも、間宮二郷の持っている力は『塩を生み出す力』などではないのだ。

 彼の持っている力。塩を生み出す力。その真実は




 ────己の寿命を、塩に変える能力である。




「十字教……旧約の……悪徳の……何だったか。……はは、とうとう脳にもガタがきやがった。記憶が霞んで名前も出てこねぇや」


 自嘲する二郷。衰弱した彼の脳が忘れてしまった話。

 それは、とある有名な聖典に記された一つの逸話である。


 昔、悪徳にまみれた都市があり、神は嘆きその都市を滅ぼした。

 都市は神の火で焼かれ、全てが一夜にして滅び……その都市で唯一の善人であった一家だけが、神の許しを得て逃げる事を許された。

 しかし、逃げる途中に決して街を振り返ってはいけないという神との約束を破った妻だけは、断罪により『塩の柱』に変えられてしまったという。

 神との約束と、裏切りへの断罪。そんな訓戒が描かれた逸話であり、


 そして間宮二郷の能力は、その『塩の柱』の逸話を再現しているのだ。


 生物としての物理的時間制限。細胞の分裂限界。テロメアという、人が生きられる最大年数が記された命の時計。

 人間に許された、およそ120年という限界寿命────それを、神の罰を意図的に受ける事で、削り、塩に変える。

 そうして生み出されていたのが、神の奇蹟の力を色濃く残す、二郷の命の残滓である『塩』なのである。

 断罪を目的として履行された、神話の奇蹟。その直接の具現であるからこそ、二郷の『塩』はどんな神殿に祀られた塩よりも強い魔除けの力を持つ。どんな穢れをも浄化する事が出来る。

 だからこそ、堕天使たる『星山羊』はこの塩に惹かれ、間宮二郷を狙ったのだ。


 その塩の交換比率は、二郷の寿命1年につき10kg。

 使えば使う程に、二郷は老化し衰弱する。

 怪我でも病気でもない以上、変換された寿命が回復する事は決してない。


「……120年分の、まよけの塩……随分と早く、使い切っちまったなぁ……」


【モリガミサマ】という強大な怪異。それを完全に祓う為に、二郷は捕食されたその体内で、大量の塩を作り出した。

 更に、東雲四乃の失われた右眼に砕いた『禍石』を入れる際、【モリガミサマ】の残滓と穢れを浄化する為、多くの塩を生み出し使用した。


 少女を助ける為に、間宮二郷は、文字通り己の全てを使い切ったのである。


 だからもう、二郷に寿命が残っていない。

 呟く間にも、呼吸をする間にも。今この瞬間にも、二郷の老化は加速していく。


 骨はもろくなり、筋力は削げ落ち、内臓は、終わりへと向けその機能を段階的に停止していく。

 故に、この後の二郷に待ち受けるのは────死という結末のみ。


「……けどまあ、後悔はねぇさ。こんな俺が、あの子を助けられたんだから」


 意識に霞がかかり始めた事を認識しながらも、二郷は小さく笑みを作る。

 こんな状態になった今でさえも覚えている、病院に運んでいく途中……自身の背中に感じた、東雲四乃の体温。

 彼女が確かに無事で、生きていて、これからも生きていくであろうという、命の証明。


 死にたくないとは思う。死ぬのは怖いとも思う。もっと生きていたかったと、そう強く思っている。


 けれど。頑張ったお陰で、四乃の命の暖かさを守る事が出来たから。

 主人公にはなれないと思っていた自分が────まるで主人公の様に、東雲四乃という少女を助ける事が出来たから。

 憧憬の中に居る主人公達に恥じない生き方を貫けたと、そう思えたから。

 それだけでも、訳も分からずこの『さかさネジ』の世界に堕とされ、『間宮二郷少年』の役を担わされた意味はあったと、そう思えたから。


 そして……前世の自身が救われた気がしたから。

 だから、死の間際でも二郷に後悔だけはなかった。


「……【モリガミサマ】はもういねぇ。だから、安心だ。あの子なら……もう俺が居なくても、大丈夫。突然だから、ちっとばかし寂しい思いはするだろうけど……あの優しい家族が……支えてくれるさ。……良い子だから、友達だって……きっと直ぐに、沢山──笑顔で────」


 ……悲しい程の見当違いだ。間宮二郷は、東雲四乃という少女が彼に抱いている感情を理解していない。

 四乃にとって、間宮二郷の代わりなど、この世界の何処にも居ないというのに。

 この男は頬を叩かれ、歪んだ認識を矯正されるべきだ。抱き締められ、真っすぐに感情に向き合うべきだ。


 だというのに────この愚か者は、そんな大切な事も間違えたまま、微笑んで死んでいく。

 冷たく暗い夜空の下。誰も居ない校舎の入り口で。たった一人で。


「……」


 少しずつ、視界の霞みが強くなってきた。時折、意識が断絶する。

 冷たく固い石の感触さえも虚ろになっていくのを感じながら、二郷は弱々しく首を動かし、校舎の上の大時計を見上げ……そこで、ふと思い出す。

 後悔ではない。それは、やり残し。たった一つの『未練』。

 自身が死の間際に、この学校を訪れようと思ったその理由が、掠れた声として口から漏れ出る。


「……ああ、そうだ。遺体……ちゃんと供養してやりたかったけど……ごめんな……」


 二郷のそのあまりに小さな未練の言葉は、吹き抜けた風に容易く流され……


















「────はてさて。二郷君は、どなたの遺体を供養なさるつもりなのですか?」






 そして、白檀の香りと共に。

 涼し気な……どこか人を食ったような少女の声が、響いた。




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― 新着の感想 ―
だよなあ!生存戦略の為の個体がそう易々と死ぬ仕組みなわけないよなあ!
すいがらちゃん…!よかった! そろそろクライマックスでしょうか… 続きが気になる!!
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