【モリガミサマ】
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『さかさネジ』2巻 巻末おまけコーナー 異形博覧より
【モリガミサマ】
東雲家に憑いている怪異。本編においては、東雲家の家業の影響で禍神を封じていた村から人口が流出し、廃村になった事で暴れ出した神そのものと言われている。
だが、実際のところ、この化物はその禍神とは別の存在だ。確かに大きな力を持つ禍神は存在していたが、その神はいつの間にかこの【モリガミサマ】に存在を食われていた。
村が廃村になったのも、人口流出が原因ではなく、村人達がこの【モリガミサマ】に喰われた結果である。
【モリガミサマ】が村人を喰らった際に、偶然に親に守られた子供がいた為、守った親から順番に喰らってみたところ、希望から絶望に転じた子供が美味かったことから、周辺で一番財力を持ち幸福そうであった東雲家に憑いて、それを再現してより上手く力が高まる『味付け』を始めた。
代を重ねる毎に、その『味付け』は拘りを増していき、東雲四乃の事はこれまでで一番の料理だと思っていたため、喰らった際は満足し、大きく力を増した。
その種族は妖怪でも幽霊でも悪魔でもUMAでもない。本当の意味での正体不明。
目に見える顔のようなものは、この世界に映った影のようなものであり、その本体は別の世界に在ると思われる。そのため、実質的に口腔のみが実像と言えるだろう。
本編中では語られていないが、東雲四乃や歴代の『花嫁』に三日の猶予を与えたのは、彼女達の希望を熟成させる為である。経験則で、人間が絶望の日々から日常に戻った場合、およそ三日頃に生きる希望を取り戻すと知っているのだ。故に、基本的に三日間は手を出さない。
・偽の森の神様。
・憑りついた者の命だけを守りし神様。
・『花嫁』を護り希望を与えようとする者が、自分に嚙み殺される様を愉しむ怪物。
森神、守神、護噛。
それらを総じて【モリガミサマ】と作者は名付けた。
図解解説は次ページにて────
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翌日。初日とは打って変わり、化物との邂逅は発生しなかった。
二郷は四乃の作った朝食を食べ、前日と同様に手を繋ぎ登校をし、誰からの干渉も受けないままに教室で授業を受けた。
合間合間の休み時間では、学校内に仕掛けた【モリガミサマ】対策を補強し、それ以外の時間は四乃と雑談をして過ごした。
全く以て語るべき事のない日常で、代り映えのない通常。
しかし、本来の意味で言うのであれば、これこそが正しき日々なのだろう。
実際の所、間宮二郷とて【モリガミサマ】という眼前に迫る死へのカウントダウンさえなければ、この日常を謳歌していたに違いない。
(……だからこそ、なんだよなあ)
黒板にチョークで書き示されていく数式を見ながら、二郷はその内心で、何も起きない平穏な時間に対して、言い表しようがない不安を抱く。
全ては順調な筈だ。計画通り物事は進んでいる筈である。
……だというのに、まるで喉に小魚の骨が引っかかったか時の様な不快感が拭い去れない。
そして、それが具体的に何に起因した物であるのかが分からないのが、尚の事気味が悪い。
こういう時には、大体良くない事が起きる。
二郷は、経験的でその事を知っている。
故に、目を瞑り考え込むのだが────
(……だあっ!! 全然原因が思い付かねぇ! ヤメだヤメ! ここまで考えても分かんねぇ事なら、延々と考え続けても時間の無駄だ!!)
考え抜いた先に、最終的には思考を放棄した。
違和感を追及する事は大事かもしれないが、不快感に思い悩んで、その為に本来の計画が疎かになってしまえば、それはあまりに本末転倒だ。
幸い、【モリガミサマ】の対策を打つ為の時間はあと一日有る。それまでに……寝る前にでも考えて答えを出せばいい。そう考え、気持ちを切り替える。
そうして机に突っ伏すと、次々に書かれては消されていく黒板の数字を視線で追いながら、小さく呟く。
「そうだ。考えすぎだ。冷静になりゃあ、そもそも、今までが思い通りに物事が進まな過ぎただけなんだよ……」
二郷が記憶を想起し考えてみれば、思い浮かぶのは初日から続いた数多の化物との邂逅。
【腐れ月】【星山羊】【モリガミサマ】【アナログジャック】【スイガラ】【蟲男】【風船頭】【黒板の侍】【バケツの怪異】【りんどう君】【黒達磨】
数日。わずか数日の話である。だというのに、これ程の怪異に次ぐ怪異、妖怪に次ぐ妖怪、化物に次ぐ化物。
不意の襲撃。不測の遭遇。二郷の思い通りに物事が進んだ事など、唯の一度も無かった。
故に……今日の怪異に遭遇しない状態の方がむしろ正常なのだと、二郷はそう考える事にした。
(そう考えると、【スイガラ】には……癪な話だが、感謝しねぇとならねぇな。多分、あいつが居なかったら、学校内での準備にもっと時間食っちまってた筈だ)
現在もそうである。二郷がまともに授業を聞かず【モリガミサマ】対策を練っている事を、担任の三塚女史が指摘しないのは、五辻レイが学校の人間を操り、二郷と四乃に意識を向けないようにしてくれているからである。
二郷は、恐らくどこかから様子を伺っているであろう五辻レイの事を考え、小さく息を吐き苦笑の様な笑みを浮かべた。
(無事に【モリガミサマ】の奴を撃破できて、その上で敵対して来ねェようなら……ラーメンでも奢ってやるかね)
そうして、変わらず、何事もないまま時は過ぎ────放課後を迎える。
すっかり日は傾き、窓の外からは夕日が差し込んでいる。
それは、以前に間宮二郷と東雲四乃が夕方の教室で邂逅した、あの日を再現したかの様な情景であった。
クラスメイト達は、二郷達の事を意識に捉える事すらなく既に下校を終えており、現在、教室には二郷と四乃だけが残っている。
五限目の授業を終えてから今まで、教室の床に何処かの漫画に描かれていた結界の模様を、効果が有ってくれと願いながら油性ペンで描いていた二郷であったが、ようやく書き終えたのだろう。
腰を上げて背伸びをすると、椅子に座ったまま二郷の方を見ていた四乃に声を掛ける。
「うし! 効いてくれよ禹歩の結界! ……悪ぃ、待たせちまったな東雲四乃ちゃん。そろそろ帰ろうぜ」
「……」
「? どうかしたか?」
「……あ。……大丈夫。どうも、してない」
二郷に声を掛けられた四乃は、呆けていたかの様であったが、直ぐに我に返り返事を返す。
そんな四乃の額に、不意打ち気味に二郷の掌が当てられる。
「熱……は無いみてぇだな。体調不良か? それとも何か心配毎か? 何かあれば話してくれ、必ず何とかするからよ」
「……っ。違う。少し……考え事をしていただけ」
「考え事?」
二郷からの不意の接触に一瞬体を固くしつつも、直ぐにそれを受け入れた四乃は……そのままじっと二郷の目を見続ける。
そうして、十数秒が経ってから、やがて、何かを決心したかのように相も変わらずの無表情で淡々とその胸中を口にし始めた。
「……今、この時間がとても幸せだって。貴方を見て、そう思っていた」
「へ?」
突然の四乃の言葉が理解できず、首を傾げる二郷。
四乃は二郷が自身の額に当てていた右手を自分の両手で掴み、誘うと、その胸の前で祈るようにして包み込む。
「……私は、小さい頃からずっと。こうして話して、触れて、一緒に食事をして……普通に学校で過ごす事に、憧れてた。……本の中の登場人物みたいに、大切な人と過ごす事が、夢だった……叶わないと思ってた、大切な夢」
四乃は、二郷の手を包む自身の両手に額を付けるようにして、俯く。
「……だけど貴方は、叶えてくれた……叶わないと思ってた私の夢を、全部」
少し震えた声でそう言った四乃は、一度大きく息を吸うと、顔を上げて二郷の目を見つめる。
「……だから、今の内に。【モリガミサマ】と戦うより前に、伝えさせて」
「────ありがとう、二郷くん」
笑顔、だった。作り慣れていない、動かし慣れていない表情筋。それを一生懸命に動かした、お世辞にも自然ではない……けれどそれは、間宮二郷が初めて見た、東雲四乃という少女の笑顔であった。
「え、あ……?」
夕日の中で見るその表情に、思わず二郷は阿呆みたいな面を晒して固まってしまう。
二郷にとって、自身が東雲四乃を助けるのは当然で、当たり前の事で、成さなければならない責務である。そう考えていたからこそ、改めて真正面から告げられた感謝の言葉に、思考が真っ白になってしまったのだ。
だが、それも数瞬の事。我に返った二郷は、夕日よりも少し赤い気がする頬を誤魔化すように咳をすると、四乃に笑顔を返す。
「あー……そうかい。そういう事なら、俺の方こそありがとうって言わせてくれ。アンタがこうして諦めないで、一緒に戦ってくれてる事に」
そこまで言って照れくさくなったのか、二郷は四乃へと指を突き付けると、今度は不敵な笑みを浮かべるて告げる。
「────だけど、まだまだこれからだぜ。もっと欲張ってくれ。アンタは失った日々なんか目じゃねぇくらいにこれからも幸せになれるんだ。だから、あともう少しだけ、一緒に頑張ろうじゃねぇか」
そう言うと、指差した手を開いて四乃の頭を撫でてから、やがて掴まれていた手を優しく引き抜き、その手で四乃の手を掴む。
「さ、帰るとしようぜ。東雲四乃ちゃん。こんな時間だ。俺も流石に、腹減っちまったよ」
そうして、二郷は教室の後ろのドアを開き────―
「……は?」
少女が居た。
二郷の眼前。開いたドアの先に。
廊下の壁に寄りかかるようにして、一人の少女が座っていた。
身長は140センチ後半といった所だろうか。
服装は学校指定の黒いセーラー服で、スカート丈は校則通りの膝下。
髪を肩口で切り揃えている少女。
笑顔を模した仮面、その大半がひび割れてしまっている少女。
真っ赤な血の池に沈んでいる少女。
左腕と左の腹。左足が、まるで巨大な何かに食い千切られたかのように、存在していない少女。
俯き、何の反応も示さない少女……五辻レイが、そこに居た。
「────っ、【スイガラ】っ!!!?」
とっさに叫び駆け寄ろうとする二郷────だが、
「うっ、う……あ、あ、あああああああああっ!!!!!!」
「ッ!!?」
今度は、その背後で東雲四乃の苦悶の声が響いた。
振り返れば……四乃は眼帯を嵌めた右目を、抑えるようにして蹲っている。
漏れ出る声と、体の痙攣から、恐らく激痛が奔っているのだろう。
(何だ!? 何が起きてる!! 一体何がどうなってやがる!!!!)
あまりに突然の事態に、二郷の思考が麻痺する。
協力者と守るべき対象の危機的状況に、焦りで汗は滝の様に流れ、呼吸は乱れ、心臓が激しく動く。
それでも、腐っても彼は間宮二郷。
『青年』であった頃には多くの死地を生き抜いた経験値の持ち主。
兎に角この場から逃れるべきだという、その直感が発する警告信号に殉じて、苦痛に暴れる四乃の体を引き寄せ抱きかかえ、次いで五辻レイの首元に指を当て、脈を計り────その表情を苦渋に変える。
脈が無い。
命を刻んでいない。
それを知った二郷は、それでも彼女に救命措置を取ろうとして
「は、え……? ……な、んでだよ?」
気付いた。
気付いてしまった。
「なんで、どうして……」
声が、体が、震える。
指先が痙攣し、呂律すらも回らなくなり始める。
「どうして」
二郷が向けた視線の端。廊下の奥。夕闇の中……その中に不自然に存在する、光を通さない暗闇。
そこに。廊下の夕闇の中に【顔】が浮かんでいた。
人間のような目と、人間のような鼻と、人間のような口。
けれど、肌が無い。
闇こそが肌であるというかの様に、一つ一つが二郷の背丈と同じくらい巨大な顔の部位『だけ』が────
『 る ぁ ヴぉ い ヴ お り 』
「どうして……なんで今、テメェが復活してやがんだよ【モリガミサマ】ッッ!!!!?」
【モリガミサマ】が、其処に居た。