幼き頃の記憶
それからは、あの日のことが嘘のようにいつも通りの日常に戻った。お客さんと喋って、新人の教育、買い物、と目まぐるしい毎日を送った。人が倒れたころの記憶がおぼろけになった頃、再び事件がおきた。幼ない記憶を彷彿とさせる事件が・・・
その事件は、私が幼いころにおきた。事件の詳細は詳しく知らないが、目を閉じれば昨日のことのように記憶が蘇る。
私達家族・月夜家は初の海外旅行のハワイに行く定だった。両親が忙しく、なかなか会えなかった頃の旅行なので、私は胸を踊らしていた。だが、ハワイに着く直前で飛行機同士の衝突事故がおこった。飛行機は大破し、私を除いた乗客は死亡した。私も、片腕と片目を失った。
両親は目の前で失った。そのショックで5年間近く引きこもり、学校もろくに行かず人との関わりを絶っていた。
そんな私を救い出してくれたのは、島田だ。島田とは、中学の同級生だ。私が不登校になっていると、毎日のように課題や手紙を届けてくれた。
一度、お礼を伝えたくて取りに行った。彼は意外にも喋りやすく、趣味が同じ読書で仲良くなった。放課後は2・3時間私の部屋で喋べるようになっていた。ある日彼が私にこう言ったのだ。「学校来てみないか。」初めは拒否したが、諦める様子がなかったので、一度仕方なく行った。
意外にも楽しくそれからは毎日のように行った。高校は、成績が悪くどこも受からず今の「ハリス」で働くことにした。そもからは、目まじるしい毎日がはじまった。今まで、お世話になっていた祖父母の家を出て、1人暮らしを始めた。そして、今の仕事になった。
島田は私のことを妹のように可愛がってくれていた。私のことが心配になってか、大学を卒業した後私と同じ、「ハリス」に就職した。彼は優秀な為、数か月一緒に働くと本社への転勤になった。彼が転勤して数か月経つと支店にまで彼の噂はとどいた。
そして、今私と島田は地元に戻ってきている。店から長期休暇をもらったからだ。長期休暇の間は、町から出ることを許された。だが、荷物検査に身体チェックをされ、挙げ句の果てには、この町で起きたことを一切話さないと契約書を書かされた。
そのため、町を出るのに半日かかり、地元につくころには夜になっていた。私と島田は、実家に着く頃には疲れ果てていた。