ガラスの靴が合う女性は彼女しかいません。
「彼女はまだ見つからないのか!!」
王宮の広間にスヌーカ王子のけたたましい声が響き渡った。
「ガラスの靴が合う女性を探すだけなのに、なぜこんなに時間がかかるのか……」
王子の端正な顔立ちに影が差した。
憔悴しきった様子で唇を噛みしめるその表情には、王子の心情がはっきりとあらわれている。
「いま懸命に探しておりますので、もう少しお待ちを……」
「わかっている。わかってはいるが……彼女のことを思うと夜も眠れないのだ……」
王子の心をつかんだ女。
それは、王宮で開催された舞踏会に突然あらわれた女だ。
その姿は周囲のものを圧倒するような威厳に満ち、凛とした姿はよほどの血筋のものであると噂されたほどだ。
王子はその女が気になり、その場で即座に踊りを申し込んだ。
「貴方のような包容力のある方は初めてです」
王子のその言葉に女は顔を赤らめながら小さな声でお礼を述べた。
その奥ゆかしさがまた王子の琴線に触れたのか、王子は女に何度も名前を聞いた。けれど、女はついに最後まで名前を明かすことはなかった。
「もう、帰らないと……」
時計の針が12時を指すころ、女は王子の手を振り切って王宮を飛び出した。
「待って!!」
王子の呼びかけに一度は立ち止まったものの、女は思いつめた表情で再び走り出し、そして、後にはガラスの靴だけが残されたのだ。
そして、その日から、王子の心は名前も知らないその女で埋め尽くされた。
毎晩毎晩、夢に見るのはその女のことばかり。
そのあまりの憔悴しきった様子に、まわりの家臣たちはその女を探してくると王子に告げた。
だが、王都はおろか、そのまわりの街をしらみつぶしに探しても、女の痕跡は見つからない。
ガラスの靴が合う女。
当初はすぐに見つかると思われたが、その手がかりさえ掴めずに時が過ぎるばかりだった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「ガラスの靴を履いていた女がこんなに見つからないなんて」
ガラスの靴を前にして二人の騎士がため息をついた。
王子が探しているガラスの靴がピッタリ合う女。
その女を探す命を受けたのがこの二人だ。
「こんな特徴的な靴を履く女性など、ほとんどいないだろうに。なぜ見つからないんだ」
「この靴のサイズが23.5センチとかだったら、ピッタリ合う女性なんてごまんといただろうにな」
「もしそうだったら今頃は、『ガラスの靴を履いていたのはわたくしです!!』とか言って王宮に女が列をなしていたんじゃないか?」
「それはそれで困ったことになる。なんならガラスの靴を履きたい一心で足の指を切り落とすような馬鹿な女があらわれたかもしれん。その点、この靴ならその心配はない。俺はかつてこんな靴を履いていた女性を見たことがないからな」
「それはわたしもだ。こんな特徴的な靴。見たことも聞いたこともない」
二人は険しい表情でテーブルの上のガラスの靴を見つめた。
「でかいな……」
「ああ、でかい」
「どうみても30センチ以上はある」
「差別などするつもりはないが、騎士の中でも屈強と言われている我々でも足のサイズは28センチだ。だとすると……」
「その女性はよほど屈強な身体の持ち主だといえる」
「たぶんな。我々は実際には見ていないが、舞踏会の警備に参加した者によると、その女性は王子よりもはるかに大きかったと」
「そうだろうな。王都中の靴屋に聞きこみをおこなっても、こんなサイズの靴を作ったことはないそうだ」
「たしかに包容力はありそうだが……」
「王子のことだけじゃなく、わたしがこの女性に会ってみたくなった」
「俺もだ。まだ見ぬ強豪なんて、ずいぶんと騎士心をざわつかせてくれる」
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「その靴が合う女となると……アンドレじゃないかな」
国中を聞き込みまわり、ふたりはようやくガラスの靴の持ち主の情報を得た。
それは辺境にある小さな村。
そこで、大きな靴を履いている女性がいると聞いたのだ。
「アンドレ?」
「ああ、村のはずれで木こりをやっているアンドレという女です。女なんですが、怪力で一日で10人分の木を切り倒しちまう」
「そんな女性がいるのか……」
二人の騎士は村人の話を聞いてすぐに森に入った。
広い森だったが、アンドレという女性がいる場所はすぐにわかった。
遠くから見ても、次々に切り倒されていく木がアンドレの居場所を知らせてくれたのだ。
「彼女はいったい……」
アンドレを見てふたりの騎士は呆然とした。
大きな斧を無造作に振り下ろす屈強な身体。
そんなことができるのは騎士はおろか、冒険者の中にも数えるほどしかいないだろう。
もし彼女が冒険者ギルドに所属すれば、間違いなくSランクに相当するような実力があると想像できる。
それなのに、その屈強な身体の上に乗っているのは、信じられないくらいの美しい顔。
そのギャップに……ふたりは一瞬で心を奪われた。
「お願いです!! この靴を履いていただけないでしょうか!!」
アンドレの前に膝をついて首を垂れる騎士。
もちろん平民であるアンドレにとっては信じられない光景でもある。
「あ、あ、あの……なぜ、わたしなんか……」
「貴方はあの日、王宮で開催された舞踏会に参加されていましたよね?」
「あうっ! ご、ごめんなさい!! あ、あの、わたし……こんな身体だから、一度でいいから舞踏会というものに参加したくて……まさか、罪になるなんて」
「罪だなんてとんでもない!!」
「そうですよ! その逆です! 貴方は王子に見初められたんです!」
「へっ?」
騎士のふたりに即されるまま、アンドレはガラスの靴に足を入れた。
その靴はまるで主人を待ちかねていたように、ピッタリとアンドレの足を包んでみせた。
「やっぱり……」
「これでようやく王子も眠ることができる」
「あ、あの……わたしなんかが」
「なにを言うんです! そのギャップに心を奪われない男なんていませんよ!!」
「そうですよ! なんなら王子から婚約破棄されたら、いの一番に僕が立候補しますから!!」
戸惑うアンドレを馬車に乗せ、ふたりは洋々と王宮に戻った。
もちろんアンドレを見た王子の喜びようといったら、婚約破棄の心配などどこにもない。
それどころか、さっそく婚儀の準備に取り掛かり、一刻でも早くアンドレを自分のものにしようと焦る始末。
「あ、あの、スヌーカ王子……もう少し、考えてみられては」
「君以外に僕の伴侶はいないと思っている。もちろん君の意思は尊重するつもりだから、もし嫌なら断ってくれてもいいんだが」
「断るなんてそんな……夢のような話です」
「だったら、すぐにでも婚約しよう」
王子とアンドレの会話を聞いたふたりの騎士が舌打ちをした。
だが、浮かれる王子の耳にそんな音は入ってはこない。
もっとも、ふたりとて本気で王子からアンドレを奪いたいとは思ってはいない。
このままいけば、ふたりはアンドレに忠誠を誓うことができるのだから。
「お仕えできるだけで幸せだ」
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
王子とアンドレの婚約が大々的に発表され、国中は歓喜に満ち溢れた。
だが、その歓喜も束の間、隣国からの侵略に国はパニックになる。
元々が大国に囲まれた小国であり、大国に反撃できるような武力も持ち併せていない。
「スヌーカ様。戦場には私も連れて行ってくださいませ」
アンドレの言葉に当初は反対した王子だったが、国の存亡をかけた戦いにはどんな助けでも欲しかったのか、傍らにアンドレを連れて戦場へと赴いた。
そこからはもうただの英雄伝だ。
アンドレは大国の並みいる豪傑を次々に打ち負かし、その姿は戦神と恐れられたという。
そしてアンドレの支えもあり、小国だったスヌーカの国は大陸を平定し、スヌーカは覇王として君臨することとなった。
国民はスヌーカとアンドレに熱狂し、こぞってふたりを褒めたたえた。
いつしか国民にあいだでは夫より背の高い妻をもらうことがステータスとなり、結婚式では夫をお姫様だっこするのが妻の儀式となった。
そのため今では結婚式が近くなると、妻になる女性たちはこぞって身体を鍛え始めるのがこの国の流儀となっている。