魔法省でのお仕事
ミス・ポワンフルから譲られた姿見の前で、菫は服装をチェックした。
生まれて十九年。
東和の着物しか着てこなかった菫はどうしてもワンピースやドレスなどの西方の服装に馴染めなかった。
ふわふわと足がスースーするのが落ち着かない。
それが主な理由だ。
なのでアデリオールに移り住み、魔法省勤務となっても持参した小袖と半幅帯、時には裾が窄まった膝下丈の短袴を着ている。
その上から魔法省職員の証であるローブを羽織っているのだ。
よく職場の人から着物で動き辛くはないのかと訊かれるが、
慣れている者にとっては着物の方がよっぽど楽なのだ。
小袖だから邪魔にはならないし、作業によっては襷掛けもしている。
なので煩わしさは一切ない。
それでも東方の着物が珍しいのか職員たちからは色々と注目を浴びているようだ。
好意的なものからちょっと悪意を感じるものまで。
菫本人は分かっていないが、菫の美しい顔立ちも妬みや嫉みを買っている要因でもある。
もし魔法省の人間がかつて菫が東和一の妓楼の遊君であった事を知ったら、腰を抜かすほど驚くのかもしれない。
とにかく良くも悪くも大なり小なり、事ある毎に絡まれる菫であった。
この日も課長のお使いで経理に領収書を届けに行った際に、偶然部屋に居合わせた法務の女性職員に不躾な視線をぶつけられ嫌味を言われた。
菫より一年ほど早く入省した深緑の髪色の女性職員だった。
「……あぁ、あなたが最近準職員として採用されたっていう東方人?ふーん……なんか色々と騒がれているようだけど大した事はないのね」
「?」
毎晩アデリオール語を勉強しているおかげでだいぶ話せるようにはなったが、
早口で捲し立てられるとまだ理解し辛い。
菫の反応が鈍い事が更に気に食わないのだろう、
女性職員は更に辛辣な嫌味を並べ立てた。
「何よ、言葉が分からないの?これ見よがしに着物姿で媚び売って目立とうとして。なんなの?わざわざ他国に男漁りに来てるわけ?東方の男ってそんなにしょぼいのばっかりなの?確かに大した事なさそうよね」
「媚び……?男漁り……?」
この二つの単語とキツイ口調で、漸く菫は自分が謗られている事が分かった。
たどたどしいアデリオール語なら話さない方が良いと思い、菫は大陸公用語のハイラント語でしっかりと言い返す。
「私は自国の着物を着ているだけです。場に相応しくない服装をしているのであれば非難されても致し方ありませんが、ただ普通の格好をしているだけで媚びを売っていると思われるのは心外です」
「は?な、何?ハイラント語っ?」
流暢なハイラント語で返されるとは思ってもみなかったのだろう、深緑の髪の女性職員はたじろいでいる。
そこに「ぶっ……」と吹き出して笑う声が間に割って入った。
経理の女性職員だ。
「東方の彼女の言う事が正しいわね。どうせ言い返せないと思って謗ったんでしょうけど残念だったわね。逆に貴女、ハイラント語をちゃんと理解してないんじゃないの?初等学校から習う公用語なのに恥ずかしいわよ?顔を洗って出直して来なさいな」
他の女性職員が外国人である菫を擁護した事が意外で腹立たしかったのか、深緑の髪の女性職員は
「何よっ!ここはアデリオールなんだからアデリオール語を話しなさいよね!もうっやってらんないわっ!」と、ヒステリックに文句を言って去って行った。
それをポカンと呆気に取られて見る菫に、経理の女性職員が言った。
「災難だったわね。あなた美人さんだから妬まれやすいのね。ま、気にする事はないわよ」
「ありがとうございます、間に入って頂き助かりました。妬み……ですか……やっぱりこの格好が目立つから要らぬトラブルを招くのでしょうか……?」
服装を改めた方が良いのだろうかと考える菫に、その経理の女性は答えてくれた。
「いいえ?あの手の類の人間は幾らでも居るし、そんな奴らはどんな格好をしても何をしても難癖付けてくるものよ。だからあんなの相手にせず、貴女は貴女らしくしていればいいのよ」
「私は私らしく……なるほどありがとうございます、勉強になりました。私、特務課で事務その他をさせて頂いているスミレ=ユゲと申します」
「シンディ=ロミスよ。シンディでいいわ。スミレと呼んでもいいわよね?」
「ええ是非」
「よろしくね、スミレ。それでさっそくで悪いんだだけど、今提出された領収書、日付が書いてないから受理出来ないと、何回言っても忘れちゃうお宅の課長さんに伝えてくれる?」
シンディは領収書をピラピラしながら菫にそう言った。
菫は受け取った領収書を見た。
「あらまぁ、ホントだわ」
「お宅の課長さん、イケオジだけどなんか抜けてるのよねーー」
「確かに……」
菫は自身の直属の上官である特務課長の顔を思い浮かべた。
いつも飄々として部下と上官の壁を感じさせない掴みどころのない人物だ。
特務課長ウォーレン=アバウト(37)。
菫は主に、この人物のお守りを押し付けられているようなものであった。