それから半年後
「スミレ。表を箒で掃いといとくれ」
「はーい」
菫がアデリオールに来て半年が過ぎていた。
最初は文化や習慣の違いに戸惑うばかりの菫であったが、近頃では少しずつ他国での暮らしに慣れ始めていた。
菫は今、アパートメント・ポワンフルに住みながら魔法省の準職員として勤めている。
菫の異能スキルならば正規職員でなくとも魔法省で働けるのではないかとミス・ポワンフルが提案して、菫もダメ元で臨時準職員採用試験を受けてみたのだ。
結果見事合格し、
現在は魔法省特務課で事務兼雑用係として勤めている。
毎日がバタバタと過ぎてゆく。
祖国を離れ若君から離れ、寄る辺ない自分の身の上に不安を感じながらも、菫は懸命に生きている。
だけど今でも時々身の内から聞こえてくる彼の声。
ーースミレ、スミレ……
彼の魔力の残滓が、菫の中で燻りつづけている。
まるで熾火のようにいつまでも消えずに、菫の身の内を焦がす。
どれだけ想っても、決して結ばれる事など出来ない相手。
もう忘れたいと願いつつも、
菫の内側から聞こえるその声だけが大切な彼の生存を知らせる唯一の結び付きでもあった。
先日新聞で偶然目に止まった東和の跡目相続の記事。
州主、李亥家の嫡男である一の若君が廃嫡され、三の若君が後継に決まったと聞いた。
と、同時に北の豪族の令嬢との婚儀も結ばれたという。
一体どういう事なのだろう。
北の豪族の令嬢は、若君との婚姻が決まっていたのではないのか。
加えて一の若君の廃嫡とは……。
今は遠く離れた祖国で一体何が起きているのか、
若君は無事なのか、
それを確かめる術は菫にはない。
残滓を通して名を呼ばれ続けている間は安心していられるのだろうか。
ーー若君、どうかご無事で……。
菫はそんな不安を抱えながらも毎日懸命に生きていた。
そして今は懸命にアパートの玄関ポーチを掃き清めている。
身寄りのない菫を無条件で置いてくれたミス・ポワンフルの手伝いを出来るだけしたいのだ。
魔法省勤めとなり今では家賃を納める事が出来るようになったが、
それまでは無料で部屋を貸して貰っていた。
六畳二間、お台所と小さくてもお風呂と厠付き。
菫の大切な小さなお城。
ハルジオが何処からか畳を譲り受けて来て、菫の部屋に敷いてくれた。
ベッドに慣れず困っていたが、そのおかげで畳の上に布団を敷いて眠る事が出来るようになった。
お給金が入る度に少しずつ買い求めて来た部屋を彩る小物たち。
カーテンもクッションも小さな絨毯も。
コップもお皿もお茶碗も。
ベランダに置いた小さな鉢植えも全て、菫が働いたお金で買った物だ。
没落前は父に、その後は若君の庇護下で彼らに与えられる物の中で生きてきた。
その頃の自分には想像もつかなかった。
自分の足で立ち、歩き続ける日が来る事を。
掃除も洗濯も料理も、ミス・ポワンフルに少しずつ教えて貰っている。
まだ全然ダメダメだけど、それでも自分の手を動かして生活を整える。
その行為がとても好きだと思った。
そしてこの箒で辺りを掃き清めるのも好きだ。
箒は東方も西方も共通なのだなと、そんな事がおかしく思いながら夢中で掃いていた。
そんな菫の様子を、アパートの窓から眺めるミス・ポワンフルとハルジオの姿があった。
「蝶よ花よと育てられた良家のお嬢様だと聞いていたけど、なかなかどうしてガッツがある子じゃないか。それに結構な美人だしねぇ。どうだいアンタ、いっその事あの子嫁にしちゃあ?」
ミス・ポワンフルの言葉に、ハルジオは慌てて首を横に振る。
「冗談でもそんな軽口を叩かないで下さいよっ、そんな事がアイツに知れたら面倒くさい事になるんですから」
「あははは、違いない。それより魔法省から採用通知が届いたんだって?」
「はい。なんとか内定を貰えましたよ。これで後は卒業式を待つのみです」
「じゃあアンタもアイツも、スミレの後輩になるんだね」
「……そうなりますか?一応こちらは正規職員なんですが」
「何言ってんだい!早くから社会に出て働いているスミレの方が先輩に決まってるだろさ」
「確かに……」
自分の知らないうちにそんな話をされているとは思いもよらない菫。
そろそろ登省する時間だ。
「今日も一日、頑張らなくちゃ……!」
菫は掃除道具を片付けて、支度の為に部屋へと戻って行った。