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出会い



「……っれ、菫……名を、俺の名を呼べっ……昔みたいにっ……」



私を愛しながら、あの時彼がそう言った。



「っ……ど、……さまっ……」



私が彼の名を口にしたのは、あの夜が最後だった。



その後すぐに彼の紫檀楼への訪いは途絶えた。









自分の異能を消し、菫の中に存在するかもしれない若君の異能を隠し、菫は西方大陸に移住する為に港へと向かっていた。


西方大陸には身分証さえ提示すれば、移民を受け入れる国が三つある。


ハイラムとオリオル、そしてアデリオールだ。


どの国に行くか、菫はまだ決めかねていた。



ーー異能を活かす仕事をするならアデリオールかしら……。



そんな事を考えながら脇目も振らずに港を目指す。



転移の術で移動すればすぐに港へ着くが今の菫は薬により異能が使えない。


それに異能の力を使うと残滓が残り、もし若君が追手を放っていれば簡単に辿られてしまう。


なので菫は徒歩と馬車を使い、港を目指していた。



ーー二年間の妓楼暮らしで、足が鈍ってしまっているわ……。


今の菫の足では少し歩けば疲れてしまい、へとへとになってしまう。


それでも歩くしかないのだ。

足が痛かろうが苦しかろうが、この二本の足を動かして前に進むしかないのだ。


ーー歩ける。大丈夫歩けるわ。



そうやって懸命に歩き続け、そして馬車も乗り継ぎ、菫はようやく港へと辿り着いた。



「着いたわ……ようやく……着いた……!」



菫は目の前に広がる広大な海を眺め、大きく息を吸い込んだ。


肺が大きく膨らむほどに潮風を思う存分取り込む。


そしてそれを思いっきり吐き出したと同時に、今まで澱のように溜まっていた重たい感情も全部放出できたような気がした。



ーー海って……なんて大きいんだろう。



大きな海を目の前にして自分が酷くちっぽけな存在に感じるし、でも限りなく自由でここから何処へでも行けそうな気がした。



ここからが再出発だ。

たった一人。自分から若君の庇護下を飛び出した。

どうなるかはわからないけど、とにかくがむしゃらに生きてみよう。

菫はそう思った。



その時、後ろで「ふぎゃっ!!」というなんとも奇妙な声が聞こえた。


何事かと振り返ると、そこに小柄な老婦人が一人、荷物をぶち撒けて転倒していた。


菫は慌ててその老婦人に駆け寄る。


「おばあさん、大丈夫ですか?」


老婦人は腰をさすりながら菫に言った。


「アイタタタ……だ、大丈夫なもんかいっ、腰を強かに打っちまったよっ……」


「まぁ大変……」


菫はその老婦人の荷物を拾い集め、転がっていた杖を渡して告げた。


「ご家族の方はどちらに?その場所までお連れしますよ」


老婦人は西方の国の民であった。


たわわな白髪に白い肌。

菫も色白と称されるが、老婦人は東方人とはまた違う類の肌の白さだった。


老婦人は菫に答えた。


「アタシに家族なんざ居ないよ。アタシはこれまで、女の身一人で下宿屋を切り盛りして生きてきたのだからね」


女の身一人で生きてきた……

今の菫にはその老婦人の生き方が羨望でしかない。


「素敵です……!私もそうでなりたいです」


「なんだいお前さんも独り身かい?……港にいるという事はもしかして移民希望者なのかね?」


「お察しの通りです。他国で生きてゆこうと決めたばかりなのです」


「……ふーん……」


老婦人はまじまじと菫を見た。

そして少し思案した様子になり、そして言った。


「希望する国はあるのかい?」


「いいえ。とくにはありません。でも移民を受け入れてくれる三国の内で、ここから一番早く出港する船の国にしようかと……」


「それなら丁度いい。アンタ、アデリオールにおいでな。アタシの母国さ。治安はいいし国は豊かだ。移民にも寛容で移住するならアデリオールがバッチリだよ」


「アデリオールですか……」



なんという奇縁か。


アデリオールには若君が留学していた魔術学園がある。



「今の転倒で腰を傷めちまったようだ……道中一緒に付き添ってくれるなら、ウチの下宿に格安で住まわせてあげるよ」


「み、魅力的ですね……」


菫は手持ちの金子(きんす)に限りがある身。

その魅力的な提案に、抗えそうにはなかった。


それにここでない所へ行けるならどこでもいいのだ。


アデリオールでもハイラムでもオリオルでも。


菫は心決めた。



「わかりました。ご一緒します!私、アデリオールへ参ります!」


「よく言ったね。女はくよくよしてちゃいけないのさ」


「勉強になります!」




少し前までの自分なら信じられない安直な行動だ。



だけど今の菫は自由なのだ。



家にも人にも縛られない、何者かに(おもね)る必要のない、身軽な独り身。


その独り身という言葉に今はまだ胸が締め付けられるが、

それもいずれ消えてゆくのだろう。



とにかくアデリオールへ行ってみよう。

そこで頑張ってみよう。



菫はそう思った。



こうして菫は奇妙な出会いで知り合った老婦人と共にアデリオールへと出国した。



大きな魔力汽船に乗り、


遠退いてゆく祖国に別れを告げる。



どんどんと引き離されてゆく彼に、別れを告げる。




さようなら。



さよなら、どうか幸せに。幸せになって………。




目の前の陸地に全てを置いてきた。



菫が大切にしてきたもの、全てを。


 


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― 新着の感想 ―
[一言] なんだか、辛い話ですね。そして、ヒーローは粘着質ですか?
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