08「汚れた仕事の美学」
カボチャ型の防護マスクを被った師匠――ジャックオー・イザベラ・ハンドマン。彼はアンクルシティ五番街で『便利屋ハンドマン』を経営するオーナーであり、僕の命の恩人でもある。
この五番街は「スラム街」と揶揄される場所で、頼る者も行き場もない人々が最後に辿り着く場所だ。年端もいかない子どもから老婆まで、あらゆる人々が暮らしている。
そんな五番街で『便利屋ハンドマン』は、まるでオアシスのように存在している。店内には独立式ボイラーやガス灯スタンドランプが置かれ、いつでも温かみを感じられる空間だ。
「アクセル。今日の依頼は解決できたのかい?」
そう言いながら、師匠は部屋の中央で軽快なステップを踏み、腕を振り回して踊っている。明日のことなど何も考えていないように見えるが、彼はその見た目に反して非常に思慮深い。
まあ、たまにそのギャップに振り回されることもあるけど。
「あのー、ジャックオー師匠。ダストさんから新しい依頼を頼まれました」
「ああ、例の依頼のことね。話は聞いてるよ」
「金貨三枚をポンっと渡されました」
「そっか。それなら色々と準備が必要だね」
「半年以内に処理してほしいってことらしいです」
「半年か。相手は誰なんだい?」
僕は麻袋から金貨十枚を摘まみ取り、差し出す。師匠はそれを受け取ろうとして作業台へと向かった――が、床に転がっていた蒸気機関義手に足を取られて派手に転倒した。
「わあっ!」
師匠が蹴り上げた真っ黒なオイルが空中を舞い、僕に向かって飛んでくる。慌てて身を引いたものの、オイルは床に滴り、僕も滑って転倒した。
「痛ッ……」
「落ち着くんだ、アクセル。こういう時、一斉に立ち上がると余計に危ないぞ」
「師匠。僕の服が汚れるんで、手を放してください」
「なんだねキミは! 服の心配をするなんて、大切な師匠への思いやりが欠けているぞ!」
師匠が手を差し伸べてくるので、それを掴もうとすると、彼は僕の手のひらをデコピンで弾いた。
「違いますよ。僕が心配してるのは、師匠の下敷きになった蒸気機関義手のほうです」
「キミは良心の呵責というものを感じないのか!」
彼は大げさに溜息を吐きつつも、結局僕の腕を掴んで引き起こしてくれた。
「ありがとうございます」
「礼には及ばん。さて、床掃除は任せたよ」
「はーい」
「それと、『アンクル青年団』には携帯食料を渡せたのかい?」
「はい。ダストさんの依頼ですし、ちゃんとサインも貰いましたよ」
「そうか。良くやったな」
師匠は真っ黒なオイルで汚れた手で僕の頭を撫でてきた。
前言撤回。やっぱり彼は良い人だ。
いや、手を掴んでもらっただけで掌を返す僕も僕だが。
彼は階段を降り、一階のリビングへと向かっていった。僕は割れたゴーグルを首から外して作業台に置き、防護マスクや蒸気機関装置も下ろす。そして腰に巻いていたベルトのポーチから、依頼書を取り出した。
「良くやったね、アクセル。先の見えない依頼だけど、やる価値はある。他の同業者には任せられない仕事だ」
五番街に他の同業者が店を構えない理由。それは収益が見込めない貧困層が主な依頼人だからだ。だが、それだけではない。
「この高機能栄養食は改良の余地がある。アクセルもそう思うだろ?」
「はい。あまりにも不味いと食べてくれませんからね」
「それだけじゃない。『錆びた歯車』が無料で配るレーションには覚醒効果をもたらす物質が含まれている」
「じゃあ、師匠からダストさんに直接言ってください。僕は『暗殺依頼』の準備で忙しいので」
「その反政府組織を解体できるなら、タダでもやってやるのに」
「師匠、そういう発言は人間性を疑われますよ」
ジャックオー師匠は再びカボチャ型の防護マスクを被り、頬を手で叩いた。
彼が落ち込むのも無理はない。
彼は僕以上に「汚れた仕事」に携わってきたからだ。そしてその仕事の一部が、この五番街を支える「独占」の仕組みに繋がっている。
反政府組織『錆びた歯車』は、師匠が築いてきたアンクル青年団との信頼関係を破壊しようとしている。それが覚醒効果を持つ高機能栄養食の無償配布だ。
「このままイタチごっこを続けるのも馬鹿らしいですね」
「うん、その通りだ。まあ、休むのも仕事のうちさ」
廃オイルで汚れた床をそのままにして、僕は作業椅子に体を預けた。デコボコのレザー調ソファだが、眠るには十分な心地よさだった。




