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便利屋ハンドマン-HandMan-  作者: 椎名ユシカ
第3章 青少年期 専属運転手編

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09「焦りの果てに見えるもの」


 学院の広場に響いた最後の錬成音が消え、静寂が訪れた。空気には焦げた金属と蒸気の匂いがまだ漂い、さっきまでの火花と怒号が嘘だと感じてしまうほど、冷たい緊張が広がっている。


 さっきの模擬錬成対決で、レオンは技術派のエレーナ・ジョリオと正面からぶつかった。互いに高度な錬成陣を展開し、力を最大限に引き出す応酬は、傍から見ても緊迫したものだった。だが結果は――引き分け。


 目の前には、蒸気を吐き出しながら崩れたゴーレムの残骸が転がっている。レオンの生成した氷晶錬成はエレーナの機構装甲ゴーレムを一時的に止めたが、決定打にはならなかった。彼は拳を握りしめたまま、肩で息をしている。


(引き分け、ってところか……)


 僕はポケットに手を突っ込みながら、レオンの様子を窺う。あいつのプライドを考えれば、勝ちをもぎ取れなかったことがどれほど悔しいか、火を見るよりも明らかだった。


「……ふん、少しはやるじゃない」


 エレーナ・ジョリオが鼻を鳴らし、腕を組んだままレオンを見下ろしている。彼女の後ろには、青と銀の制服を纏った技術派の学生たちが並び、勝ち誇ったような視線をこちらに投げかけてきた。


「この程度じゃあ、ダメなんだ」


 レオンは低く呟きながら、悔しさを飲み込むように背筋を伸ばす。その目には、さっきまでの苛立ちではなく、次への意欲が宿っているように見えた。


 僕は苦笑しながら、ゆっくりと近づく。


「坊ちゃん、言うのは簡単だが、さっきの錬成展開、少し焦りすぎたんじゃないか?」


 軽く肩をすくめると、レオンは僕を睨みつけた。だが、すぐに目を逸らし、口を引き結ぶ。


「試験に向けて、あらゆる可能性を試さなければならないんだ」


 その言葉を聞いた瞬間、僕の中に違和感が芽生えた。レオンの背負っているものが、ただの学院内の競争以上のものだと、改めて思い知らされる。


 しばらくして学院の鐘が静かに鳴り響いた。遠くの掲示板に、学生たちが集まってざわめいている。試験の詳細が発表されたのだろう。


「そろそろ移動するか?」


 僕が促すと、レオンは深く息を吐き、無言のまま広場を後にした。学院内の緊張が徐々に高まっているのを、肌で感じる。


 すれ違う学生たちは、どこか落ち着かない表情を浮かべ、ちらりと僕たちを見ながら、ひそひそと囁き合っていた。


『テスラ家の御曹司が技術派に引き分けたって?』

『あれが次の実技試験でどう影響するか……』


 僕は眉をひそめ、ポケットの中で指を鳴らす。レオンの様子を伺いながら、学院がこれから迎える試験の波に、彼がどう立ち向かうのかを見届ける必要がありそうだ。


 学院の広場を後にし、レオンと共に学院のメインホールへと向かった。途中、掲示板の前では学生たちが群がり、そこに貼り出された紙を真剣な表情で見つめている。


「いよいよ発表か……」


 僕はポケットに手を突っ込み、様子を伺った。ざわめく学生たちの会話が次々と耳に入る。


『今年の試験はかなり難しいらしいぞ……』

『指定された素材を使って独自の錬成を完成させるって聞いたけど、本当なのか?』

『貴族派の連中に負けるわけにはいかない!』


 その言葉に、レオンが掲示板へと視線を向けた。ホールの中央に立つ錬金術の象徴である双頭の蛇のシンボルが、柔らかな魔導光を浴びて鈍く輝いている。


 レオンは人混みを掻き分け、貼り出された試験概要を確認すると、小さく息を呑んだ。


「……やっぱり、実技試験か」

「坊ちゃん、詳しく教えてくれよ」


 僕が軽く肩を叩くと、レオンは眉をひそめたまま内容を読み上げる。


「『指定素材を用いた独自錬成の試み』……試験内容は、学院側が用意した素材を使い、独自の創意工夫で完成品を作ること。評価基準は、錬成精度、実用性、そして創造性……か」


 僕はそれを聞いて、ふと苦笑した。


「坊ちゃんらしいテーマだな。お前、創造性ってやつには自信あるんじゃないのか?」


 だがレオンは珍しく言葉を濁し、拳をぎゅっと握った。


「……創造性か……ボクは父さんの理想を形にしなければならない。そのための知識を試されるなら、手を抜くわけにはいかないんだ」


 彼の声には、いつも以上に責任感と焦燥が滲んでいる。すると、背後から軽薄な声が割って入った。


「へぇ、相変わらずお高くとまってるね、テスラ坊ちゃん」


 振り向くと、そこに立っていたのは貴族派のトーマスだ。彼の隣には、数人の貴族派の学生たちが肩を並べ、揃いの赤と金の制服を誇示している。


「独自の創造性だって? そんなの、お前の家の威光で誤魔化せると思ってるんじゃないのか?」


 レオンはその挑発に一瞬だけ表情を強張らせる。だが、すぐに冷静さを取り戻し、ゆっくりと口を開いた。


「……ボクは家の威光を借りるつもりはない。結果で証明するだけだよ」


 だがトーマスはニヤリと笑い、さらに畳みかける。


「ふーん、口では何とでも言えるよな。でも、前の模擬錬成ではエレーナと引き分けだったって聞いたぜ? やっぱり、所詮あの程度の実力ってことだろ?」


 周囲から小さな笑いが漏れる。僕はそっとレオンの肩に手を置いた。


「坊ちゃん、誘いに乗るなよ。こいつらの言葉に価値なんてないんだ」


 レオンの拳が僅かに震えたが、彼は深く息を吐き、無言でトーマスの視線を切り捨てるように踵を返した。


「……ボクにはやるべきことがある。こんなところで無駄な口論をしている暇はない」


 僕は少し意外そうに彼の背中を見つめた。こんな喧嘩っ早い坊ちゃんでも、意外と成長しているようだ。


 トーマスはつまらなそうに肩をすくめるが、その目には次の機会を狙っているような嫌らしさが浮かんでいた。


「へぇ……まあ、精々試験で面白いものを見せてくれよ。楽しみにしてるぜ」


 そう吐き捨て、彼は取り巻きを引き連れて去っていった。


 レオンは静かに立ち止まり、振り返らないまま告げる。


「……行くぞ、アクセル」


 僕はポケットに手を突っ込みながら、彼の後について歩き出した。学院の研究棟に着くと、そこは薄暗く、静寂に包まれている。並ぶ蒸気管が時折低く唸りを上げ、棚には魔導書や素材が整然と並べられている。


 レオンは無言で錬成の準備を進め、細かな金属片を慎重に並べながら、チョークで緻密な錬成陣を描いていく。


(……この坊ちゃん、本当に真剣なんだな)


 僕は距離を置いて、静かにその様子を見守る。だが、ふと背後に何かの気配を感じた。


 振り向くと、書棚の影からベネディクトさんが静かに現れた。


「……相変わらず、付きっきりのようだな、アクセル」


 低く囁く彼の声に、僕は警戒心を抱きながらも淡々と応じる。


「そりゃあ、仕事ですからね」


 ベネディクトさんは軽く笑い、書棚に手をかけながら言った。


「……あの坊ちゃんの未来、お前が握ってるかもな。だが、あのガキに深入りしすぎるなよ」


 彼の言葉は妙に重く、意味深長だった。


「どういう意味ですか?」


 僕が問い詰めようとすると、ベネディクトさんは肩をすくめ、ふっと立ち去ろうとした。


「深く考えるな。ただの忠告さ……いずれ分かる。もし気になるなら、九龍城砦の『無頼屋ディアボロ』跡地にあるスナックまで来い。俺がここにいる理由を教えてやる」


 そう言い残し、彼は静かに研究棟の奥へと消えていく。僕はまだその余韻を振り払えずに、しばらく立ち尽くしていた。ベネディクトさんの言葉が頭の中で反芻する。


(僕の役割は……単なる護衛か。それとも――)



◇◆◇



 研究棟の時計が深夜を回り、院内は静寂に包まれていた。蒸気灯のぼんやりとした光が廊下を照らし、遠くから微かに錬成炉の低い唸りが聞こえる。錬成の余熱が僅かに残る空気の中、僕はレオンの方へと視線を移した。


 レオンは無言のまま、実験室の机に向かっていた。彼の手元には、先ほどまで熱心に読み込んでいた書物が無造作に広げられている。その表紙には、古びた文字で『大気中エネルギーの流動と再生成』と書かれていた。


 僕は静かに歩み寄り、レオンの後ろに立った。


「坊ちゃん、調子はどうだ?」


 軽く声をかけると、彼は僅かに肩を跳ねさせたが、顔は上げない。


「……あまり芳しくない。どの文献を見ても、理論は複雑なままだ」


 レオンの声には、いつもの冷静さの中に焦りが混じっていた。僕はちらりと本のページを覗き込む。


 昼間の騒動の影響か、それとも試験のプレッシャーに押し潰されそうになっているのか……どちらにせよ、レオンが背負っているものの重さは尋常じゃない。


 ふと、研究室の奥から鈍い爆発音が響いた。ボンッという音に続き、ガラスが割れる音と短い悲鳴が漏れる。


「またやらかしたか」


 周囲には薬品の焦げた匂いが漂い、白い煙がゆっくりと天井へと広がっている。錬成炉には、散らばった素材と焦げた羊皮紙が無造作に落ちていた。その中心には、膝をついて呆然とするレオンの姿がある。


 机の上にはひび割れた魔導結晶、足元には粉々になった素材の残骸。


「……やっちまったな」


 僕が声をかけると、レオンは悔しそうに拳を握りしめ、俯いたまま動かない。肩が小刻みに震えていた。


「……なんでだ。どうしてこんなに、うまくいかないんだ……」


 搾り出すような声。その奥にある焦りと苛立ちを、僕は痛いほど感じ取った。溜め息をつきながら、彼の背中を軽く叩く。


「ちょっと休んだらどうだ? 坊ちゃん、そろそろ頭もショート寸前だろ」


 けれど、レオンは顔を上げずに震える声で言った。


「休んでる暇なんてない……ボクは父上の期待に応えなきゃならないんだ。こんなところで失敗してる場合じゃない……!」


 僕は眉をひそめる。こいつは、ずっとこんな風に自分を追い詰めてきたのか。


「……お前さ、プレッシャーばかり気にしてるけどな、期待ってのはそういうもんじゃないだろ」


 レオンがピクリと肩を揺らし、ゆっくりと顔を上げる。


「……どういう意味だ?」


 僕はポケットに手を突っ込み、肩をすくめた。


「親父さんが坊ちゃんに期待してるのは、できるか、できないかじゃなくて、やるか、やらないかだろ?」


 レオンの目が大きく見開かれる。言い返そうとしたが、言葉を探しているように口を開いたまま、何も言わなかった。


「期待ってのは、プレッシャーじゃなくて可能性だ。結果を焦るんじゃなくて、自分が持ってるものを信じてやれよ」


 その言葉に、レオンの拳の力が少しだけ緩んだ。


「……可能性、か」

「そうさ。父上のことばかり考えて、自分を追い詰めてもしょうがないだろ」


 レオンは深く息を吐き、微かに自嘲気味な笑みを浮かべた。

 

「そういえば、親父さんの研究について、何かが掴めそうなのか?」


 彼はしばらく黙ったまま、ページを指でなぞる。やがて、ぽつりと呟いた。


「……父上は、魔力や呪力、霊力を統合して再生可能なエネルギーに変換できると確信していたらしい。大気中には、それらの力が植物の根のように巡っていて……もし、それが正しく利用できれば、星全体のエネルギー問題を解決できるはずなんだ」


 レオンの横顔には、いつもより真剣な光が宿っている。けれど、僕には彼の背負うプレッシャーの重さも伝わってきた。


「でも……その過程で、アンクルシティのある区画で異常な力の集中が確認された。人体に影響を及ぼすレベルの濃度だそうだ」


 彼の指先が書類の一部を示す。そこには、膨大なデータとともに、都市の特定区域が赤くマークされていた。


「もしこの理論が正しければ、ボクは父上の理想を証明できる。けれど……」


 言葉を詰まらせるレオン。彼の手が僅かに震えているのが見えた。僕は軽く肩をすくめる。


「焦るなよ、レオン。何かを証明するってのは、一歩ずつ積み上げるもんだ」


 レオンは口を開きかけたが、その時、研究棟の入り口から大きな声が響いた。


「おやおや、テスラ家の坊ちゃんがこんな夜遅くまでお勉強とは……余裕のないことだな」


 声の主は、貴族派のリーダー格、トーマスだった。彼の後ろには同じ赤と金の制服を纏った生徒たちが金魚の糞のように数人並び、揃いの冷笑を浮かべている。


 レオンは眉をひそめ、静かに立ち上がった。


「……キミたちに関係のないことだ」


 しかし、トーマスはその言葉を受け流し、わざとらしく部屋を見渡した。


「へぇ、これが未来の後継者様の勉強内容か? 随分と難しそうだな。でも……テスラ家はもう過去の遺産じゃなかったか?」


 その挑発的な口調に、レオンの指が僅かに震えるのを僕は見逃さなかった。けれど、彼は奥歯を噛みしめ、じっと耐えている。


(……坊ちゃん、少しは成長したな。僕だったら一、二発はぶん殴ってただろうな)


 僕は口元を緩めると、間に入るように一歩前へ出た。


「坊ちゃんが何をしようが、君たちにゃあ関係ないだろ? それとも、見学でもしに来たのか?」


 トーマスは目を細め、僕の顔をじっと見つめる。挑発に乗せようとする意図が丸見えだったが、ここで余計な騒ぎを起こすわけにはいかない。


「ふん……興味本位ってところさ。でも、焦るなよテスラ。せいぜい、試験までにはいい成果を見せてくれよな?」


 そう言い残し、トーマスたちは笑いながら研究棟を後にした。レオンはじっと彼の背中を見送りながら、拳を強く握りしめる。


「……なんであいつらは、こうもボクを見下すんだ」


 彼の呟きに、僕は静かに言った。


「そりゃあな、ああいう連中は誰かの失敗を待ってるんだよ。ちょっとでも埃が立てば、それを理由にして叩きまくる。そんな性根の腐った奴らさ。でもな、レオン……お前は違うだろ?」


 レオンは僕の言葉に戸惑いながらも、黙ってこちらを見つめた。


「お前は、あいつらみたいに他人の失敗を笑うんじゃなくて、自分でなんとかしようとする。自分の足で立とうとしてる。それがどれだけ大変なことか……お前だって分かってるはずだろ」


 少し間を置いて、僕は肩をすくめた。


「だからさ、見下されるのはしょうがない。けど、お前は誰かを見下したりはしないだろ? それだけで、あいつらよりずっと偉いさ」


 レオンはしばらく考え込み、やがて小さく頷いた。その目には、どこか迷いが晴れたような光が宿っている。


「……そうだね」


 僕はそんな彼の肩を軽く叩き、研究棟を後にする。背後で微かに聞こえるトーマスの声を無視しながら、ふと空を見上げた。


(この先、もっと面倒なことになりそうだな)

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