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便利屋ハンドマン-HandMan-  作者: 椎名ユシカ
第3章 青少年期 専属運転手編

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05「挑発の代償は高くつくぞ」


 授業が終わり、教室から学生たちのざわめきが溢れ出してくる。廊下に立つ僕は、壁にもたれかかりながら人の波を眺めていたが、内心は落ち着かない。


(ベネディクトさん……なんで、こんな場所に?)


 数年前、五番街で過ごした日々が頭をよぎる。いつも飄々とした態度で僕をからかいながらも、その背中で多くを教えてくれた兄弟子。だが、今の彼は学院の一員として学生たちの中に混じっている。その光景は、まるで現実感がなかった。


 授業の終了を告げる鐘が鳴ると、教室の扉が一斉に開き、生徒たちがあふれ出す。まるでダムの放水のようだ。談笑しながら流れる彼らの中に、ベネディクトの姿を探す。


「くそ、見つけにくいな……」


 彼の淡いピンクゴールドの髪を頼りに目を凝らすが、群衆に紛れ、気配すら感じ取れない。焦りが募る中、背後から冷たい声が響いた。


「何やってるんだ?」


 振り返ると、腕を組んだレオンが不機嫌そうに僕を見ている。人の流れの中で彼だけが孤立しているように見えた。その青い瞳には、相変わらずの自信と苛立ちが入り混じっている。


「ちょっと、気になる人を探してただけさ」


 曖昧に答える僕を、レオンは値踏みするようにじっと見つめる。


「くだらない。さっさと帰るぞ。護衛を雇った覚えはあるが、遊び相手を頼んだ覚えはないからな」


 そう吐き捨てると、彼は踵を返し、廊下の奥へと進んでいった。僕は小さく溜め息をつき、もう一度人混みを探るが、やはりベネディクトさんの姿は見当たらない。


(今は坊ちゃんを優先、か……)


 諦めてレオンの後を追う。彼の背筋は相変わらずピンと伸びていて、先ほどまでの授業の疲れを微塵も見せない。その様子に、思わず苦笑がこぼれた。


 石畳の床に張り巡らされた蒸気パイプが規則正しく脈打ち、廊下に並ぶ壁掛け時計の針が静かに動いている。目に映るすべてが整然としていて、計算し尽くされた美しさを持っていた。それでも、そこにいる人間たちの瞳は、どこか冷ややかだ。


 貴族たちは優雅に振る舞っているが、互いを値踏みする視線は鋭く、張り詰めた空気が漂う。


「何をキョロキョロしてるんだ? 迷子だけにはなるなよ」


 レオンが振り返りもせずに言う。


「いや、坊ちゃんがどこへ行くかくらい分かるさ。ただ……ちょっと観察してただけだ」


 僕の軽口に、彼は鼻を鳴らして歩みを早める。その肩越しに数人の生徒がこちらを見ていた。彼らの間から囁き声が漏れる。


『また貴族の護衛か……』

『平民風情が学院にいるなんて、場違いだな』


 そんな言葉が聞こえても、僕は気にしない。五番街に比べれば、こんなのはただの雑音だ。


 講義室に入ると、既に生徒たちが着席していた。円形の教室の中央には強化ガラス製の錬成台があり、淡い青い蒸気がゆっくりと立ち上っている。


 部外者の僕は見学席に座り、周囲を観察した。レオンは自信たっぷりに前列へ座り、筆記具を整えている。彼の周囲には貴族の子息が集まり、平民出身の生徒は遠巻きに距離を取っていた。


「やあ、レオン坊ちゃん。特等席の居心地はどうだい?」


 皮肉交じりの声が聞こえ、振り返るとトーマスが嫌味な笑みを浮かべていた。レオンは相手にしない素振りだったが、トーマスは意地悪く続ける。


「後ろに座った方が身の丈に合ってるんじゃないか? テスラ家の栄光も今や過去の遺産だしな」


 一瞬、教室の空気が凍りつく。レオンは静かに笑い、余裕を装って答えた。


「へえ、僕の家柄にそんなに興味があるなんて嬉しいね。そんなに気になるのなら、実力で証明してやってもいいんだぞ?」


 そう言って、彼は錬成の準備を始めた。その手元に錬金術の刻印が淡く光る。


「おいおい、坊ちゃん。先生の話くらい聞いてからにしろよ」

「レオン君、やめなさい!」


 僕が呟くも、彼は言葉に耳を貸さなかった。トーマスのニヤリとした笑いが決定打になったのだろう。


「見せてやるよ、ボクの実力を」


 僕の忠告も、彼の耳には届かないようだった。挑発に乗ったレオンの手から、錬成陣にエネルギーが流れ込む。瞬間、激しい蒸気の放出音が響き渡り、青白い光が教室全体を包む。それは爆発ではなく、思った以上に小さな爆ぜる音で収束した。錬成は半ば成功していたが、いくつかの素材が過熱し、ヒビが入っている。


 静寂が訪れた教室内で、トーマスの嘲笑が響く。


「やっぱりな……テスラ家もこの程度か」


 レオンの拳が震えているのが分かった。僕はそっと彼の肩を叩く。


「まあまあ、次があるさ」

「……黙っててくれ」


 授業が終わると、彼は無言で教室を出た。その背中は、普段の誇り高き姿とは違って見える。廊下を歩くレオンの肩は僅かに落ちていた。すれ違う生徒たちの囁きが聞こえる。


『さすがに無様だったな』

『あんなのが後継者じゃあ、テスラ家も終わりだな』


 彼の拳は白くなるほど握り締められている。


「坊ちゃん、焦りすぎだ」


 僕が軽く声をかけると、彼は振り返り、鋭い瞳で睨みつけた。


 レオンはぴたりと足を止め、鋭い目つきで振り返った。その青い瞳には怒りと悔しさが入り混じり、どこか不安定に揺れている。


「慎重に? そんなこと言ってる暇はないんだよ!」


 彼の声が廊下に響き渡る。周囲の生徒たちが一瞬足を止め、僕たちを興味深げに見つめているのを感じる。


「ボクは……ボクは、父の期待に応えないといけないんだ! 中途半端な結果なんて絶対に許されない。テスラ家の名に傷をつけるわけにはいかないんだよ!」


 レオンの言葉には、数時間前まで感じた高慢な態度ではなく、焦燥感と必死さが滲んでいた。彼の言葉を聞いて、僕は一瞬、五番街の裏路地にいた頃の自分を思い出した。


 誰にも頼れず何にでも噛みつき、何かを成し遂げるために無我夢中で駆け抜けていたあの頃の自分が。


(……こいつも、プレッシャーに押し潰されそうになってるってわけか)


 僕は軽く溜め息をつき、ポケットに手を突っ込んだ。


「確かに坊ちゃんの言う通りかもしれないな。余計なお世話だったよ。だけどな、力を誇示するだけじゃあ意味がないと思うんだ」


 レオンは何かを言おうとしたが、その時、後ろからトーマスが再び現れた。彼の周りには数人の生徒が取り巻いており、まるで取り巻きと共に狩りを楽しむ狼のような顔を向けている。


「どうした、テスラ? 護衛に愚痴でも聞いてもらってるのか?」


 レオンの表情がさっと険しくなる。今度こそ彼が何か言い返す前に、僕はさっと彼の肩に手を置いて前に出た。


「おいおい、坊ちゃんはそんな安っぽい挑発には乗らないさ。なあ、トーマス君。そろそろ自分の勉強に戻ったらどうだ?」


 僕の軽口にトーマスは僅かに眉を上げたが、すぐに余裕たっぷりの笑みを浮かべた。


「そうか? 僕はただ、テスラ家の御曹司に励ましの言葉をかけたかっただけなんだけどな」


 彼の言葉に、生徒たちの間からくすくすと笑い声が漏れる。レオンの拳が再び強く握られるのを見て、僕は少しだけ声のトーンを落とした。


「レオン、行くぞ」


 一拍の沈黙の後、彼は何も言わず、僕の後について歩き出した。トーマスたちの嘲笑を背中で受け流しながら、僕たちはその場を立ち去る。


 学院の中庭に出ると、ようやくレオンは足を止めた。手をポケットに突っ込み、深々と溜め息をつく。


「……チクショウ、ムカつくな」


 彼の言葉に僕は小さく笑った。


「素直でよろしい。でもな、レオン坊ちゃん。ああいう奴らに振り回されてると、身が持たないぞ?」

「分かってるよ……でも、ボクはテスラ家の後継者として、もっと力を証明しなきゃならないんだ」


 彼は悔しげに唇を噛みながら、遠くにある学院の錬成塔を眺めた。その横顔には、焦りと責任が重くのしかかっているのがはっきりと見て取れる。


 僕はしばらく黙って彼の隣に立ち、そよ風に吹かれる中庭の芝生を眺めた。


「……レオン、焦るなよ。五番街の流儀だけど、急ぎすぎると転ぶだけだぞ」

「お前なんかと一緒にするな、ボクは五番街の人間じゃない!」


 レオンは即座に言い返すが、その声には力がなかった。それでも彼なりのプライドはまだ折れていないようだ。


 その時、中庭の奥から誰かがこちらをじっと見つめているのに気づいた。視線の主は、学院の制服を着た影の薄い少年だった。彼の目は鋭く、何かを探るようにこちらを見ている。


(……レオンの友達か? 何か裏がありそうだな)


 僕が視線を向けると、その少年はすっと姿を消した。学院の中にはレオンの敵だけじゃなく、別の思惑を持った人間がいる。どうやら、坊ちゃんの送迎はこれからもっと骨が折れそうだ。


「よし、授業が終わったなら帰るとするか。僕も仕事があるしな」


 僕がそう言うと、レオンは少し不機嫌そうに言った。


「まったく……お前の仕事、ラクそうだよな」


 憎まれ口を叩きながらも、彼の姿は以前よりほんの少しだけ肩の力を抜いているように見えた。


(まあ、少しはこいつとも距離が縮まったってことかな)


 僕は小さく笑いながら、学院の門へと向かう。レオンの背中にはまだ多くの期待とプレッシャーがのしかかっているが、少なくとも今日のところは何とか無事に終えられそうだ。

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