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便利屋ハンドマン-HandMan-  作者: 椎名ユシカ
第2章 青少年期 非正規雇用編

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18「災厄の装置とパンケーキの報酬」


「……二人とも、よく耐えたわね」


 イザベラは一度目を閉じ、痛む体をかばうように胸の装甲に埋め込まれたコアへ手を当てた。その手は震え、戦いの激しさを物語っている。静かに息を整え、薄く開いた瞳が儀式装置を捉える。そこに宿る光は、疲労を押し殺した強い意志を映し出していた。


 装置の表面では歯車が不気味に回転し、光る紋様が生物のように脈動している。放たれる冷たい光は広場の暗がりを照らし、その中でイザベラの影が不規則に揺れていた。


 遠くから、重々しい音が近づいてくる。足音、そして重機の轟音。それらは次第に大きくなり、広場全体に圧力をかけるようだった。


「やっと追いついた……」


 その声にイザベラが顔を上げると、治安維持部隊を従えたエイダとエドワード・ゴールドマンが姿を現した。彼らの歩みはどこか急き立てられているようで、息を切らし、緊張が肌に伝わってくる。


「ジャックオー先生‼︎ 状況は⁉︎」


 エイダは駆け寄り、辺りを見渡す。その目に映ったのは焦げた地面、倒れ伏す疑似天使の残骸、そして儀式装置から放たれる光の威圧感だった。彼女の呼吸が乱れるたび、空気が微かに震えた。


「疑似天使の脅威は一時的に排除したけれど、球体装置がまだ動いている。あれを止めないと、また何かが起きるかもしれない」


 イザベラは言葉を紡ぎながらも、目を逸らさず装置を睨み続ける。どこか冷静さを保とうとする声の奥には、焦燥が隠しきれていなかった。エドワードはその言葉を噛み締め、皺の深く刻まれた顔で頷く。


「それより、君たちは今まで何をしていたんだ? この間、戦線を放り出して消えていたわけではないだろう?」


 イザベラの声には、僅かな苛立ちが混じっていた。鋭い眼差しを向けられたエドワードは、苦々しい表情で唇を引き結ぶ。


「当然だ。俺らは地下水道を通って、後方の敵を片付けていた。それに……ガルムとクレアを見つけた」


 その言葉に、イザベラの眉がわずかに動いた。空気が一瞬、凍りつくようだった。


「……見つけた?」

「そうだ。彼らは……もうこの世にいない。教徒に襲われた形跡があった。だが、単なる殺害ではない。おそらく、儀式の素材として利用されたのだろう」


 エドワードの声は低く、静かに響いた。だが、その静けさがかえって言葉の重さを際立たせる。イザベラは一瞬だけ目を伏せ、深く息を吐いた。その吐息には、微かな震えが混じっている。


「そうか……それがフェンリル教のやり口だ。残念だな」


 彼女の言葉は冷たく、広場に漂う冷気と溶け合うようだった。だが、その目には確かな怒りが宿っている。胸の奥に押し込めた感情が、微かに顔を覗かせていた。


 治安維持部隊の中から響いた声が、場の緊張をさらに高めた。


「お疲れ様。だが、ここから先は我々が引き継ぐ」


 鋭く、そして冷徹な声だった。振り向くと、そこには白髪の女性が立っている。彼女の周囲には軍の精鋭部隊アルカナが護衛として並び、その存在感が彼女をさらに威圧的に見せていた。


 イザベラはその冷たい視線に応じるように、まっすぐに立ち向かった――。


 白髪の女性――ウォルター・ヴァイオレット・インヴィオレイトに向き直り、彼女はその視線を鋭く投げつけた。装甲に覆われた腕が微かに震えているのは、怒りか、それとも疲労のせいなのか。


「どういうつもりだ? あの装置がこの惨状の原因だとわかっているだろう」


 唸るように声は低く、その内に秘められた感情は爆発寸前だった。しかし、ウォルターは一歩も引かない。冷たい微笑を浮かべたまま、彼女は飄々(ひょうひょう)と応じる。


「それでもだ。この装置にはまだ未知の価値がある。破壊は許可できない」


 その言葉が、静まり返った広場に鋭く響き渡る。アルカナ部隊が緊張した面持ちで身構える中、イザベラは一歩前に踏み出した。その動きに応じるように、彼女の幽冥鎧(エニグマ)がわずかに光を増す。


「未知の価値だと……? ふざけるのも大概にしろ‼︎」


 イザベラの叫びは鋭い刃のようだった。周囲の空気が震え、彼女の足元の瓦礫が音を立てて崩れる。だが、ウォルターは怯えるどころか、その微笑をさらに深める。


「ふざけているのはそちらだ、五番街の掌握者ジャックオー・イザベラ・ハンドマン。君が感情で動けば、ここに集った犠牲がさらに無駄になる。今は冷静になるべき時だ」


「弟子を殺されかけた私に冷静になれだと? この広場に転がる死者たちの顔を見ても、そんな言葉を吐けるとはな……」


 イザベラは拳を握りしめた。その力強さが、まるで彼女の全ての怒りと無念を具現化しているかのようだ。しかし、その拳が振り下ろされることはない。

 その場にエイダが進み出て、イザベラの前に立ちはだかった。


「ジャックオー先生……今は彼女の指示に従いましょう」


 その声は落ち着いているが、どこか痛みを伴っている。エイダの表情には、何かを隠しているような陰りが見えた。その様子を見逃すイザベラではない。


「エイダ……お前、何か知っているな?」


 鋭い問いかけに、エイダは一瞬だけ目を伏せる。しかし、すぐに顔を上げ、毅然とした表情で答えた。


「これ以上は私からは言えません。でも、ここで無理を通しても、全てを失うことになります」


 イザベラはエイダの言葉を受け、しばらくの間沈黙した。緊張感がさらに広場を包み込む中、彼女は深い溜め息をつき、渋々剣を下ろした。だが、その瞳には怒りの火が消えることはない。


「……いいだろう。だが、ウォルター補佐官、次に犠牲が出た時、お前はどう責任を取るつもりだ?」


 イザベラは剣を下ろしながらも、目の奥には深い怒りを宿していた。ウォルターはその視線を受け流すように微笑み、冷たく言葉を投げる。


「責任は常に取るものだ。だが、それを決めるのも私たちだ。感情で動く君にあれこれ言われる筋合いはない」


 その一言に、イザベラの肩がピクリと震えた。言葉に含まれる冷酷さと優越感が、彼女の中の怒りをさらに煽る。しかし、エイダが素早く間に入り、その場の緊張を和らげようと努めた。


「ジャックオー先生、ここは退きましょう。これ以上の衝突は得策ではありません」


 エイダの声は静かで抑えられていたが、その中には不思議な力強さがあった。イザベラはその言葉を受けて一歩引き、深く息を吐く。


「……わかった。だが、覚えておけウォルター補佐官、私は何も納得していない。あの装置がどれだけの犠牲を生むか、貴様に理解できるとは思えないからな」


 ウォルターは微笑を崩さず、わずかに肩をすくめた。


「犠牲を理解するのが私たちの役割だ。そして、それを受け入れるのもな……」


 彼女の冷ややかな声が広場に響き、精鋭部隊アルカナが一斉に動き出す。球体装置を囲むようにして広場の中心に集結した彼らは、ウォルターの指示を待つばかりだった。


 イザベラはその光景を見つめながら、無言で踵を返した。その背中には、未練と怒りが交錯しているように見える。


 広場を離れる隊列の中で、エイダがイザベラの隣に歩み寄った。彼女はちらりとイザベラの顔を見やるが、その表情から何を考えているのかを読み取ることはできない。


「……ジャックオー先生」


 エイダが呼びかけると、イザベラは足を止め、深い溜め息をつく。その動きには、彼女の中で渦巻く複雑な感情が凝縮されているようだった。


「さあ、空から降ってきた謎の美少女ホムンクルスさん。君は何を知っていて、何を知っていないのかな?」


 イザベラの問いかけには、冷たい皮肉が混じっていた。エイダは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに表情を引き締め、静かに答える。


「……今は言えません。でも、その時が来たら、必ず話します」


 その言葉にイザベラは苦笑を浮かべたが、深く追及することはしなかった。ただその目には、エイダへの不信感とわずかな期待が入り混じっていた。

 遠ざかる儀式装置を振り返ると、その回転する歯車が闇の中で不気味に光り続けている。その姿が、イザベラの心に重い影を落とした。


「……未知の価値か。あんなもの、ただの災厄の元だろう」


 呟きながら、彼女は再び前を向き、足を進める。その背中には、決して折れることのない信念が静かに燃え続けていた。


 儀式の広場を後にして、イザベラとエイダは中継基地局へ続く地下水道を歩いていた。冷たく湿った空気が肌にまとわりつき、壁面を伝う水滴が時折ぽたりと音を立てる。その音が足音と微かに混ざり合い、静寂を埋めていた。


 沈黙が続く中、ふとイザベラが歩みを止め、エイダを振り返った。


「ところでエイダ、お前には聞きたいことが山ほどあるんだが……その前に、ちょっとした契約内容の話をしておこうか」


 イザベラがにやりと笑う。その表情は戦場では見せなかった種類のものだ。エイダは一瞬怯むが、冷静さを保とうと努める。


「……契約内容ですか?」

「私は君の雇用主だぞ、何を驚いているんだい? ホムンクルスって一説によると、基本的に例の三原則を守り、人間の命令に従う義務があるんだろう? だったら、これからは私の便利屋ハンドマンでちょっとした雑用係をしてもらうからな。報酬は……そうだな、一日一枚のパンケーキでどうだ?」

「パ、パンケーキですか⁉」


 エイダの声が思わず裏返る。その反応を楽しむように、イザベラは肩をすくめた。


「おいおい、贅沢言うなよ。パンケーキなんて高級な代物だぞ。それに、アクセルから聞いた話によると、君は病的な甘党らしいじゃないか」

「ジャックオー先生、それはさすがに雇用条件として不適切では……⁉︎」


 必死に抗議するエイダを横目に、彼女はどこまでも気楽な態度を崩さない。そのやり取りに、少し離れて先を歩いていたエドワードが苦笑を浮かべた。


「おいおい、ジャックオー。そんな条件じゃあ労基法に引っかかるぞ」


 突然の介入に、イザベラが片眉を上げて振り返る。


「ほう、エドワード・ゴールドマン。お前、いつから雇用に口を挟む立場になったんだ?」

「いや……まあ、こっちも上司が地下水道で倒れちまったから、次の雇い主を探してるんだよ。それに……俺の姉さん二人も、この先の中継基地局で待ってる。どうだ、三人まとめて雇わないか?」


 エドワードはどこか悪びれない様子で肩をすくめる。イザベラは腕を組み、じっと彼を見つめた。


「三人まとめて……? 確かに悪くない話だな。だが、賃金はどうする?」

「それはもちろん、俺たちの活躍に見合った金額を――」


 その言葉を聞いた瞬間、エイダが血相を変えて口を挟んだ。


「待ってください! 先生、彼ら三人に支払う賃金をどこから捻出するおつもりですか⁉」

「ふむ、確かに……じゃあこうしよう。お前のパンケーキを四等分にすれば――」

「そんなことさせません! 私はすでに最低賃金すれすれで働いているんですよ!」


 三人のやり取りに、担架で運ばれたアクセルが思わず笑みを漏らす。彼の視界には、薄暗い水道の壁がぼんやりと映り、その隙間から微かに月明かりが差し込んでいた。


(……こんな場所でも、誰かが笑ってる。やっぱり、最後まで頑張ってよかったな)


『頑張ったわね、あなたにはこのまま幸せになって欲しいな』


 痛みで体を動かすことすら難しい中、彼は静かに目を閉じた。重く湿った空気と仲間たちの声が、彼に安らぎを与えていた。冷たく寂しい地下水道が、どこか温かく感じられる――そんな瞬間だった。

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