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便利屋ハンドマン-HandMan-  作者: 椎名ユシカ
第2章 青少年期 非正規雇用編

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16「迫りくる蒼白の三翼」


 広場を埋め尽くしていた祈りの声が、空気を震わせるように響いていた。その中心で、疑似天使マガツカミが巨大な翡翠(ひすい)色の翼を広げ、ゆっくりと動き出す。その一振りが風を裂き、衝撃波が瓦礫を跳ね上げると、周囲に熱気が満ちた。


「これ以上は好きにはさせない!」


 アクセルの叫びが静寂を引き裂く。同時に、彼の防護マスクに装着された機甲手首(ハンズマン)が鋭い駆動音を上げた。装置の中で酸素が供給されるたび、彼の体は軽くなり、視界が研ぎ澄まされていく。

 マガツカミの動きがスローモーションのように見えた。


 巨大な手が振り下ろされる前に、アクセルは瞬時に距離を詰める。蒸気機関の備わったブーツが甲高い音を立てて噴射し、彼の右足が火花を散らしながら蹴り上げられた。その速度は目にも留まらぬほどで、マガツカミの翡翠色の鱗を鋭く捉える。

 火花が閃き、金属のような硬質な音が広がる。


「やっぱり、硬いな……!」


 蹴りの反動を利用して後方に飛び退きながら、アクセルは荒い息を整えた。広場の奥にある球体装置が不気味に回転を続けている。その周囲には複雑な祈祷文様が描かれ、近くの石柱では教徒たちが檻の防衛に躍起になっている。


(彼らを助けなきゃあ、この状況は打開できない――)


 決意が胸に宿るが、同時にその防御の厚さに歯噛みする。アクセルは素早くポーチに手を伸ばし、折りたたまれたナックルガードを取り出した。


「これで勝負するしかないか……!」


 スイッチを押すと小型の蒸気機関が唸りを上げ、ガントレットが展開された。形を成すために歯車が噛み合う低い音は、アクセルの決意を後押しする。


「邪魔だ!」


 蒸気ブーツを駆動させたアクセルが地面を蹴る。その瞬間、蒸気の噴射が爆発的な推進力を生み出し、彼の拳が鋭く閃いた。

 青白い光をまとったガントレットが、マガツカミの胸部に叩きつけられる。轟音と共に火花が散るが、翡翠色の鱗がその衝撃を吸収するように弾く。


「……化け物め!」


 悔しげに呟きながら、アクセルは攻撃をかわすべく跳び退いた。だが、マガツカミの広げた翼が周囲に重圧を放ち、教徒たちがその隙を狙うかのように迫ってくる。


「邪魔をするな!」


 声を荒げたアクセルは蒸気ブーツで回し蹴りを放つ。蒸気の爆発力を帯びた一撃が、教徒たちの武器ごと彼らを吹き飛ばす。その隙に、アクセルは視線を石柱へと向けた。

 檻に囚われた人々――彼らが無気力に崩れ落ちているのが目に入る。


(檻の中の囚人たちを……あいつら、また召喚のために、彼らを素材にするつもりなのか?)


 心が激しくざわつく。その中に見た、かつてユキが囚われていた時の光景が脳裏を過ぎる。懇願するように差し伸べられた手。それを思い出した瞬間、アクセルは拳を強く握り締めた。


「そんなこと、絶対に許さない!」


 檻の周囲では、教徒たちが次々と祈りの声を高めていた。その異様な響きが空気を振動させ、儀式装置が不気味な輝きを放つ。

 アクセルは歯を食いしばり、蒸気ブーツを駆動させた。彼は石柱を目指して突進するが、祈りに応じるように空間が裂け目を生み出し始めた。


「待て――やめろ!」


 叫び声が虚しく広場に響く。その時、教徒たちの一人が振り返り、冷たい笑みを浮かべた。


「無駄だ。第二、第三の天使よ、降臨せよ――!」


 その宣言が終わるや否や、2つ檻から眩い光が溢れ出した。檻の中に囚われていた素材たちは、光に包まれると同時に苦悶の叫びを上げる。

 囚われていた者たちの背中が裂け、肉体が弾け飛ぶように羽化していく。光の中から現れたのは、見る者の心を掴んで離さない異形の姿だった。


(またか……こんなこと、二度も……!)


 拳を震わせるアクセルの姿に、降臨の光が重なり、広場の運命が再び揺れ動こうとしていた。


 一体目の疑似天使は、光り輝く白銀の甲殻に覆われていた。その体躯は細身ながらも異様な長さを持つ四肢を備え、背中には羽虫を思わせる(はね)が複雑な模様を描いている。翅が羽ばたくたびに、空気が鋭い音を立てて震え、振動がアクセルの体を刺すようだった。


「第二の天使、カラグモ……!」


 教徒たちが声を合わせてその名を唱えると、カラグモの翅が一気に広がり、その輝きが周囲を覆い尽くした。巨大な翅の先端から伸びる触手状の付属肢が、地面を叩きながら不気味にうねる。


 二体目の疑似天使は、全身が黒い煙に覆われ、実体が定まらない。時折、煙の中から鋭利な骨のような構造物が覗き、内側に煌めく赤い光が脈打つように点滅している。その頭部には仮面のような顔が浮かび、表情のない冷たい瞳が周囲を見下ろしていた。


「第三の天使、エンラ……!」


 エンラが現れると同時に、煙の一部が触手のように形を変え、地面を這うようにしてアクセルへと向かってくる。その触手が瓦礫に触れるたび、それは炎を灯して跡形もなく崩れ落ちていった。


「くそ……!」


 アクセルは唾を飲み込みながら後方に飛び退いた。蒸気ブーツが甲高い音を立てて駆動し、熱気が周囲に漏れる。だが、その後退にもかかわらず、二体の疑似天使は距離を詰めるように迫ってくる。


 カラグモが翅を一振りすると、音の壁のような衝撃波が広場を走り抜けた。それは瓦礫を巻き上げ、アクセルの視界を一瞬で奪った。


(まずい、これじゃあ動きが――!)


 その隙を突くように、エンラの煙状の触手がアクセルの足元に絡みつく。触手の冷たさが蒸気ブーツ越しにも伝わり、彼の動きを封じようとする力が加わった。


「これ以上好きにはさせない!」


 アクセルは蒸気ブーツを全力で駆動させ、煙を振りほどく。その反動で勢いよく後方に飛び退き、ガントレットを構えた。


「これじゃあ、まるで4Pだな……全員まとめて相手してやんよ!」


 マガツカミが翡翠の巨体を揺らしながらゆっくりと動き出し、三体の疑似天使が揃った。その姿は圧倒的な威圧感を放ち、広場全体を支配していた。教徒たちの祈りは止むことなく、三体の疑似天使がアクセルを囲むように動き始める。


「どんなに数が増えたって……当たらなきゃあ意味がないんだよ!」


 アクセルは拳を振り上げ、蒸気ブーツの力で一気にカラグモへと飛び込む。その瞬間、彼の全身が熱気を帯び、青白い光が拳を包み込んだ。


 だが、背後からエンラの煙状の触手が迫り、彼の動きを妨害しようとする。三体の疑似天使が連携して動き、アクセルの隙を突こうとするその様は、あたかも意志を持っているかのようだった。


(くそ……このままじゃ、埒が明かない!)

 

 蒸気ブーツが唸りを上げ、アクセルの体が鋭く跳び回る。三体の疑似天使に囲まれながら、彼は歯を食いしばり、異能とガジェットを駆使して攻撃をかわし続けた。

 カラグモの翅が振るう音波、エンラの煙状の触手、そしてマガツカミの巨体が振り下ろす破壊の一撃。それらすべてを、一瞬の隙を見つけては飛び退くことで避けている。


 アクセルは蒸気ブーツを駆動させ、青白い光を纏う拳でカラグモの翅を叩きつけた。振動が翅全体を伝い、空気が震える。だが、カラグモはその場で翅を広げ直すと、何事もなかったかのように飛び上がった。


(時間を稼げばいい……師匠が戻ってくるまで、こいつらをここに引き留めれば!)


 額から滴る汗を拭う間もなく、エンラの煙状の触手が再び襲いかかる。その動きはまるで生き物のようにアクセルを絡め取ろうとする。彼は素早くブーツの蒸気機構で側面に飛び退いたが、翡翠色の腕が地面を叩きつけた。


 瓦礫と化した石畳が飛び散り、視界が遮られる中、アクセルはガントレットを操作し、防護マスクと一体化したハンズマンから蒸気を放出した。


蒸気迷彩(スチーム・カム)!」


 熱を帯びた白い爆煙が広場を覆い、アクセルの姿を霞ませる。しかし、三体の疑似天使はその煙に惑わされることなく、正確に彼の位置を追跡していた。カラグモの翅が衝撃波を放ち、その場の蒸気を切り裂くように消し去る。


(まさか、この焦土石の爆煙まで一気に消されるなんて――)


 次第に動きが乱れるアクセル。その隙を見逃す三体ではなかった。マガツカミの巨体がアクセルの背後に迫り、エンラの触手が彼の腕を絡め取る。


「しまっ……」


 アクセルの叫びが終わる前に、カラグモが高速で突進し、その鋭い翅が彼の腹部を貫いた。衝撃でアクセルの体が宙を舞い、広場の中央に目掛けて叩きつけられる。


 石畳を幾度か跳ねた末、彼は瓦礫にまみれた球体装置へ背中を打ちつける。必死に体を起こそうとしたが、三体の疑似天使がアクセルを取り囲み、その視線が彼の動きを封じるように冷たく光る。


「……まだだ。まだ……ジャックオー師匠が僕を――」


 歯を食いしばり、ガントレットを再び構えるアクセル。だが、無情にもマガツカミの巨腕が振り下ろされ、彼を容赦なく地面に叩きつけた。広場には重い音と共に砂埃が何度も舞い、その度にアクセルの姿は陥没した地面に埋もれていく。



◇◇◇



 儀式の広場の奥から、イザベラとロータスが駆け込んできた。二人は目の前の光景に息を飲む。三体の疑似天使が広場を支配し、その中心には瓦礫が散らばり、静寂が広がっている。

 イザベラの鋭い瞳が一瞬で状況を把握した。


「……三体に……いや、五体だと⁉︎」


 驚きの色がその表情に浮かぶが、すぐに冷静さを取り戻した。視線を辺りに巡らせる中で、明らかになんらかの手によって異常に陥没した石畳に目を止める。


 その傍らで、ロータスも立ち尽くしていた。目の前の光景に言葉を失い、ただ震える手に胸を当てていた。


(……アクセル?)


 異様に陥没した石畳の中心地には、赤黒い血溜まりの中で動かない少年の姿があった。


「嘘……嘘、嘘、嘘……そんな――」


 ロータスは駆け寄り、その細い腕でアクセルを起き上げようとする。しかし、少年の体はあまりに軽く、酷く傷ついて原型をわずかにしか留めていなかった。その顔は血に塗れ、荒い息すら聞き取れない。


「どうして……起きてよ、起きなさいよ!」


 彼女の声が震え、後悔が胸を締め付けた。アクセルの顔を見下ろし、彼がまだ息をしていることを確認した瞬間、涙が頬を伝って零れ落ちる。


「アクセ――」


 その瞬間、疑似天使の一体、マガツカミが彼女に気づき、巨腕を振り上げた。次の瞬間、その腕が振り払われると、ロータスの体は吹き飛ばされ、幾度か床を跳ねて壁に叩きつけられる。


「――ぐっ」


 激痛が背中を襲い、彼女は崩れるように倒れ込む。視界が揺れる中で、イザベラの姿が目に入った。


 彼女が無言で広場の中心へと歩み出る。その背中には、静かだが確かな怒りが宿っていた。イザベラの瞳は鋭く赤く濁り、その手には幽玄箒(ファントム)が力強く握られていた。


「……私の唯一の弟子に手を出したのか」


 その声は低く、静かでありながら、空気を震わるほどの力を帯びていた。広場を覆う圧力が変わり、球体装置の破壊に意識を向けていた他の疑似天使が一瞬、動きを止める。


 イザベラの周囲に青白い光が立ち上り、彼女の髪が風に逆立つように大きく揺れた。ファントムに展開された機械鞄の内蔵機関が駆動音を上げ、彼女の体を覆う装甲が一瞬で展開される。


「お前たちに……私が怪異からどれほど恐れられているのか教えてやる」


 その言葉と共に、イザベラが手を翳した瞬間、広場全体が青白い閃光に包まれた。

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