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便利屋ハンドマン-HandMan-  作者: 椎名ユシカ
第2章 青少年期 非正規雇用編

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15「揺れる心の先にある決断」


 静寂が支配する古代都市の石畳を、ロータスは一人歩き続けていた。鉄と石が交錯する冷たく不気味な空間には、重苦しい静けさが満ちている。足音が響くたび、背後の闇が蠢き、誰かに見つめられているような感覚が肌を刺した。


「……母さん」


 小さく漏れた声に、彼女は立ち止まる。言葉が空気に溶ける瞬間、心の奥底から何かが揺り動かされたのを感じた。自分でも意識していなかった切なる思いが、自然と口をついて出たのだ。


 目の前には、どこまでも続く無機質な路地が広がっている。壁面のランプは古び、鈍い光でかろうじて道を照らしていた。その光の先に広がる暗がりへと足を進めるたび、幼い頃の記憶が浮かび上がる。


「ここで見つかるなんて……」


 自分に言い聞かせるように呟いたその声は、まるで石壁に吸い込まれるようだった。不安と期待がせめぎ合う中、ロータスの足は自然と速まる。


 扉が目の前に現れた瞬間、彼女は息を飲む。鉄の冷たい輝きに包まれた扉の隙間から漏れる柔らかな光。そして、微かに聞こえる声。その音色は――聞き覚えのあるものだった。


「母さん……!」


 声を上げかけた瞬間、胸が強く締め付けられた。扉の隙間から中を覗くと、拘束された女性の姿が目に入る。痩せ細ったその顔。けれど、間違いなく母、リンドウだった。


「……どういうこと?」


 混乱する心が、言葉を追い越すように問いを投げかける。その問いに答えるように、部屋の奥で男が呟いた。


「儀式の最終段階だ。この者の力を利用し、あの忌々しい装置を破壊する……」


 その言葉を耳にした瞬間、ロータスの全身が震えた。母を見つめる瞳には、苦しみと怒りが混在している。


「誰だ!」


 振り返った教徒の鋭い声が、ロータスの思考を現実に引き戻した。しかし、その声は彼女の耳に届いていない。彼女の視線は、ただ一人、母に向けられていた。


「母さん……」


 掠れた声に反応したのか、リンドウがゆっくりと顔を上げる。その目は焦点を失い、声をかけるロータスを見ているはずなのに、どこか遠くを彷徨っているようだった。


「……あなた、誰?」


 無情な一言が、彼女の胸を突き刺す。


「洗脳か……!」


 その一言は、怒りに満ちていた。だが、すぐに押し寄せたのは言い知れない無力感だった。ロータスは腰の銃に手を伸ばしながら、震える声で叫んだ。


「母さんを解放しなさい! さもないと――」


 銃口を向けるその手は震えていた。母を前にして、戦わざるを得ないという現実が、彼女の中で激しい葛藤を巻き起こしていた。


「彼女は既にフェンリル教の一員だ。この者がいなければ儀式は完成しない。お前などに何ができる?」


 嘲笑混じりの声に、ロータスは歯を食いしばった。銃を握る手が震え、視界がかすかに揺らぐ。引き金に指をかけたまま、心の奥底で湧き上がる葛藤が彼女を引き裂く。


(本当に……母さんを救えないの……?)


 目の前の光景が、胸の中に深い影を落とす。その影を振り払うように、かつて母の語った言葉が脳裏をよぎった。


『強く生きなさい。何があっても、自分を見失わないで』


 それは数年前、最も絶望的な瞬間に聞いた言葉だった。瓦礫の向こう側から母が最後に伝えた声。その声が、今の彼女に力を与える。


「……私の母を、私の母を勝手に道具扱いするな!」


 ロータスの叫びと共に、引き金が引かれる。銃声が空気を引き裂き、一瞬の静寂が訪れた後、教徒たちが一斉に動き出す。


「捕らえろ!」


 鋭い声と共に教徒たちが迫る。その一体感には、訓練された兵士のような冷徹な動きがあった。しかし、ロータスは一歩も引かない。母を救うという一心で、彼女の瞳には炎のような輝きが宿っていた。


「……来い!」


 迫りくる教徒たちを前に、ロータスは銃口を構え直した。その目に迷いはない。最初の教徒が刃を振り上げた瞬間、乾いた銃声が広場に響く。相手の頬を弾丸が掠め、男は叫びながら崩れ落ちた。


 だが、次の瞬間には別の敵が迫ってくる。ロータスは銃を捨て、軍刀を抜き放った。鈍い光を帯びた刃は、鋭く輝き、敵の武器を確実に受け流す。


 二人目が接近した瞬間、彼女は膝を沈め、低い姿勢で相手の刃を避けた。踏み込むように踵を突き上げ、男の膝を崩す。さらに、軍刀の柄を振り上げて相手の顎を打ち据えた。


「甘い!」


 背後から殺気が迫る。気配を感じたロータスは即座に振り返り、手をかざした。その手のひらに込められた青白い光が瞬く間に広がり、粉末状の錬成鉱石を散布する。


焦土の簡易烙印(クイック・スティグマ)!」


 轟音と共に起きた爆発が教徒を吹き飛ばす。その衝撃を利用して、ロータスが素早く距離を取った。息を整える間もなく、彼女は教徒たちの配置を一瞬で分析する。


(母さん、待ってて。すぐに洗脳を解いてあげるから……)


 彼女の心の奥底に燃え上がる決意が、再び体に力を宿らせた。


「……ロータス、立てるか?」


 戦闘の最中、不意に響いた声が彼女の動きを止める。その声の方向を振り向くと、広場の奥にイザベラの姿が見えた。幽玄箒(ファントム)を構えた彼女は、冷たくもどこか優しい眼差しを向けていた。


「イザベラ……」


 その名を呟くロータスの声は掠れている。戦いの緊張感がわずかに緩んだことで、彼女の中に蓄積されていた疲労が一気に押し寄せた。


「……何をしているんですか? 母さんがそこにいるのに!」


 震える声で訴えるロータス。だが、イザベラはその言葉に動じることなく、冷静な声で告げた。


「彼女は洗脳なんかされていない」


 その言葉は、まるで剣のように鋭く彼女の心に突き刺さる。息を詰めたロータスが問い返す。


「どういうことですか……?」


 ロータスはイザベラの言葉に震える声を絞り出す。その問いには、戸惑いと信じたくない気持ちが滲んでいた。イザベラは静かに視線を返しながら、どこか哀しみを帯びた声で答えた。


「私の霊具パンプキンが教えてくれた。リンドウには歪みがない。彼女の魂は純粋だ。それはつまり、彼女が自分の意志でここにいるということだ」


 その言葉を聞いた瞬間、ロータスの中に冷たいものが走った。


「そんなわけ……ない!」


 声を荒げたものの、その叫びには迷いが混じっていた。彼女は拳を握りしめ、母がいる方向に目を向ける。椅子に縛られたリンドウの姿は、遠く冷たく、まるで別人のようだった。


「母さんが……自分でこんなことを……」


 言葉を継ぐたび、心が引き裂かれる。だが、リンドウの姿を見つめ続けるたびに、彼女の中で湧き上がるのは、愛する母を取り戻したいという切実な願いだった。


 ロータスの心の奥で、かつての記憶が静かに蘇る。四番街の狭い家で、母が彼女の髪を梳かしてくれた夜。あの手の温かさ。優しさ。けれど、それらの記憶が次第に遠ざかり、目の前の現実が無情に突きつけられる。


「リンドウはおそらく……教団と取引をしたんだろう」


 イザベラの声が、痛みを伴う真実を語る。


「それでも、母がこんな状況にいることを受け入れられるのか? 私なら無理だ……!」


 ロータスの涙が一筋、頬を伝う。それでも彼女は歯を食いしばり、震える声で言葉を紡いだ。


「母さんを……助けたい。それでも、助けたい!」


 その叫びは、もはや誰に向けたものか分からなかった。ただ、彼女の心の底にある諦めない意志だけが、言葉を突き動かしていた。


「信じたくない気持ちはわかる。でも、ロータス……」


 イザベラが一歩前に進み、彼女の肩に手を置く。その手の感触は冷たくも、どこか静かな力強さがあった。


「あなたの母はここで終わらない。そのためにも、今は儀式を止めるんだ」


 イザベラの言葉に、ロータスはぎゅっと目を閉じた。心の中では、信じたくない現実が嵐のように渦巻いている。それでも、彼女は軍刀を握る手に力を込めた。


「……母さんが選んだ道なら、私も……私も戦うよ。でも、諦めたわけじゃない。絶対に母さんを――」


 目を開いた彼女の瞳には、確かな光が宿っていた。涙を拭うことなく、彼女は顔を上げた。その姿に、イザベラは微かに頷く。


「よし、それでいい」


 ロータスは、母を救うために前へ進むことを選んだ。絶望に押しつぶされそうになりながらも、彼女は自分を奮い立たせ、力強く歩みを進める。

 敵の包囲網を抜け、異形の影が蠢く奥へと向かうその背には、強い決意が漂っていた。


 その瞬間、儀式場の奥から奇怪な音が響く。闇の中に潜む敵、そして母を取り戻すための戦いが再び幕を開けた――。

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