04「煤煙と焔の記憶」
爆煙を放ち続ける焦土石に手拭いを被せ、火を消したそれを一斗缶に放り投げる。その後、レーションの食べ残しを胸ポケットに押し込み、浮遊型蒸気自動車へと向かった。
「あー、寒い。早く中に入ろう」
浮遊する蒸気自動車の運転席に乗り込み、助手席に一斗缶を置く。交差するようにシートベルトを締め、背もたれに寄りかかりながら左手でハンドルを掴む。
手首に巻き付けていた機械式腕時計のリューズを回すと、アームウォーマーが軽快な音を立てて起動した。排気口から蒸気が漏れ、少しずつ腕全体を暖めていく。
「こういうの、本当に便利だよな。さすが異世界」
呟きながら窓の外を見やる。アンクルシティの技術は、どれも僕がいた世界には無かったものばかりだ。薄型テレビは無いが、蒸気で動く投影機がある。スマホは無いけれど、代わりに持ち運びできるラジオが普及している。ここ数年では水力発電も少しずつ始まり、街の照明も明るくなった。
だが、街全体を覆う煤煙や汚水、貧困層の拡大――そんな暗い問題も山積みだ。
僕みたいなただの転生者に解決できることじゃない。それこそ、もっと偉い学者とかが転生してくれたほうが良かったんじゃないかと思う。
窓を曇らせながら息を吐く。祖母から聞いた話では、この世界がこうなった原因は「魔術師」という存在らしい。百年以上前、文明が発達するたびに魔術師の集団がそれを破壊し、多くの人々が犠牲になったそうだ。僕の両親もその被害に巻き込まれたのだという。
それでも人類は負けなかった。
亜人族や魔人族と協力しながら錬金術を発展させ、何度も文明を復活させた。現在のアンクルシティには、そうして築かれた文化と、それを支える三つの種族――亜人族、純人族、魔人族が共存している。
この街の成り立ちは、いくら聞いても飽きないけど……。
「それでもなぁ……結局、童貞は卒業できないままかよ」
転生して十五年。夢に見た異世界のムフフな展開は一度も訪れなかった。ワンチャンあると思ってたんだけどなぁ。
「ま、いいか。師匠が待ってるし、店に帰ろう」
ハンドルを握り、蒸気自動車を操作する。車体はフワリと浮き上がり、僕はダム施設を後にした。
◆◆◆
街外れから五番街の中心へ戻ると、普段ならあり得ないほど道が混雑していた。空路に浮遊自動車が何台も並び、遠くからサイレンの音が聞こえる。
「なんだ、やけに物々しいな……?」
耳を澄ますと、どこからか機械的なアナウンスが響いてくる。
『ダスト治安維持部隊デス。コノ区画一帯ハ、治安維持ノ対象ニナッテオリマス。御協力オネガイシマス』
「アクセルくん! ねえ、アクセルくん!」
名前を呼ぶ声に振り向くと、高層集合住宅の窓から女性が身を乗り出して手を振っていた。タワーブリッジのような建物の一室、鎧戸を全開にして大声を上げているのは、ナオミさんだった。
「ナオミさん、どうしたんですか?」
僕が問いかけると、ナオミさんは焦った表情で言い放つ。
「どうしてそんなに落ち着いてるのよ! ダストの治安維持部隊がいるのよ? 早く逃げなさい!」
「あら、ナオミさん。アクセル様がいらっしゃるの?」
窓から顔を覗かせたもう一人の女性――彼女はルミエル・セレッサ・アデライン。五番街の華族のお嬢様で、ナオミさんが仕える主だ。
「こんにちは、ルミエルさん。あまり窓に近づかないほうがいいですよ。煤煙が酷いですから」
「ごきげんよう、アクセル様。貴方様のお顔を拝見できるのであれば、この程度の煤煙など気に障りませんわ」
彼女は透けるようなシュミーズドレスに身を包んでいる。普段から気位が高いが、僕にだけは妙に親しげだった。
「……褒めても何も出ませんよ」
「当然のことを言ったまでですわ。それより、『ご婚約』の話、忘れていませんよね?」
「ああ、そんな約束したっけ?」
「またとぼけるのですね。私は絶対に忘れませんから!」
ルミエルさんのしつこい念押しに、僕は溜め息をつきたくなる。あれはただの口約束だったのに、どうしてこんなに本気にされているのやら。
「さて、そろそろ行きますか」
ナオミさんに軽く手を振り、蒸気自動車を操作する。
黄色い車体に描かれた「便利屋ハンドマンにお任せください」の文字をよそに、車は蒸気を放ちながら空路を滑るように走り出した。




