09「中継基地局防衛戦―③」
基地局での防衛戦が終わり、その場は一時的な静寂に包まれた。しかし、その静けさにはどこか不穏なものが混じり込んでいる。
瓦礫の隙間から滴り落ちる不快な水音――それが耳を打ち、血と鉄の匂いが鼻を刺す。その中で、誰もが息を潜めるように次の動きを見極めていた。
「……終わったのか?」
エドワードが鉄槌を肩に担ぎながら呟く。その声には安堵の色が滲んでいたが、彼の目は周囲を警戒する鋭さを失ってはいなかった。
「一時的なものだろうな。魔物の数が尋常じゃない。このままでは同じことが繰り返される」
ジャックオー師匠が義手を軽く鳴らしながら低く呟く。彼女の視線は、暗がりの奥にある何かを見通しているようだった。
その時だった。僕はアームウォーマーのホログラムを閉じ、改めて地図を確認していたが、視界の端で微かな動きを捉える。
「……あれは?」
小さく呟くと、ロータスさんが即座に銃を構える。その鋭い動きに全員の視線が一点に集中した。暗闇の奥から、異形の影がゆっくりと姿を現した。
「……儀式は……進行している……お前たちに……止められるものか……」
低く濁った声――人間のようで、しかし違う。魔物が人語を喋るという光景に、全員が一瞬言葉を失った。
「……喋った……?」
エイダさんが息を呑む。その異様な魔物は、人間の体を基にしたような特徴を持っていた。肌の一部には鱗が浮き出し、手足は肥大化している。まるで人間の形を保とうともがいた末に、異形へと堕ちたような――。
「まさか……魔獣化した人間?」
ロータスさんの声は驚きと嫌悪が入り混じっていた。その言葉が全員の耳に届いた瞬間、魔物は不気味な笑い声を上げ、暗闇の中へと再び姿を消した。
「アクセル……さっきの動き、あれは一体何なんだ?」
エドワードが半ば呆然とした様子で尋ねてきた。その質問に、エイダさんとロータスさんも視線を向ける。全員が僕を見つめる中、師匠が一歩前に出て口を開いた。
「彼らに話してもいいか?」
その問いに、僕は肩をすくめて軽く笑った。
「別に減るもんじゃありませんし、構いませんよ」
師匠は頷くと、冷静な口調で説明を始めた。
「アクセルの異能は特殊だ。魔術や錬金術、霊術や呪術は一切使えない。だが、その代わりに“時間”と“空間”を極限まで引き伸ばしたような感覚を操ることができる。だから、動きが異常に速く見えるんだ」
「時間を……操る?」
エイダさんが目を丸くする。けれど師匠は首を振った。
「いや、時間そのものを操るわけじゃない。彼自身の感覚が拡張されているだけだ。周囲から見れば速く動いているように見えるが、その代償として体に大きな負荷がかかる」
「だから、あんなに戦闘後は疲れ果てているんですね……」
エイダさんが納得したように呟いたが、ロータスさんの表情はどこか複雑だった。
「それって物凄い負担じゃないの……」
静かに口を開いたロータスさん。その声には冷静さと躊躇が入り混じっていた。
「さっきの魔物……あれは人間が魔獣化したものに間違いありません。そして、それを作り出したのがフェンリル教である可能性が極めて高い」
「奴らが意図的にあんなものを……?」
エドワードが険しい表情で尋ねると、彼女は静かに頷いた。
「ええ。あの魔物が他の魔物を操っていると考えれば、これほどの数が集まる理由も説明がつく」
「つまり儀式の一環だと言いたいんですか?」
エイダさんが眉をひそめる。
「おそらくね」
ロータスさんは一度視線を落とし、何かを思い詰めるような顔をした。しかし、すぐに顔を上げる。
「……ただ、今はまだ確信が持てません。でも、あの魔物化した人間が“誰か”である可能性は確かよ」
その言葉に、一同が息を呑む。
「誰かって……?」
エイダさんが首を傾げたが、ロータスさんは何かを言いかけて飲み込んだ。
「とにかく、今の状況では一歩一歩進むしかないな」
師匠が場を引き締めるように声を上げた。
「次の目標は、儀式の詳細を突き止めることだ。そして、あの人語を話す魔獣がどう関わっているのか……」
「了解です」
◆◆◆
基地局内は緊張が緩むことはなかったが、それでも僅かに漂う安堵の空気が、疲弊した心に小さな休息をもたらしていた。僕は休む間もなく機甲手首のデータを確認し、睡魔に襲われないよう気を紛らわせる。
「おい、アクセルだっけ?」
不意に声をかけてきたのはエドワードだった。鉄槌を持った手を軽く振りながら、腕を組んで僕をじっと見つめている。
「そうですけど、何か?」
「……お前の動き、ちょっと尋常じゃなかったな。あれ、どうやってやったんだ?」
その問いに僕は一瞬戸惑った。異能のことをどう説明すべきか迷ったが、師匠が視線を送ってきたのを感じたので、仕方なく答える。
「まあ、生まれつきの体質みたいなもんですよ。それ以外に言いようがないです」
「へえ……でも、魔術や霊術も使えないんだろ? 不思議な体質だな」
エドワードの声には疑問と興味が混ざっていたが、どこか挑発的な響きもあった。少しばかり相手を見下しているような態度が、自分と似ていて気分が悪くなる。
「エディ、その辺にしておきなさい」
アンナがたしなめるように声をかける。彼女はシャルロッテの隣で包帯を巻き直しながら、微笑を浮かべていた。
「あなたたち、すごく強いのね。こうして一緒に戦えて良かったわ」
「強いって……僕はまだまだですよ」
思わず照れ隠しに笑いながら答えると、アンナは微笑んで首を振った。
「……私たちも自己紹介をしておきましょう」
アンナの提案に、エドワードが頷く。
「そうだな。俺からいくぜ」
彼は胸を張り、少し得意げに話し始めた。
「俺の名前はエドワード・ゴールドマン。獣人族で亜人喫茶デンの主力担当ってとこだ。魔術と蒸気槌を合わせて戦うのが俺のスタイルさ」
「ふむ、実際に見せてもらったが、なかなかの腕前だったな」
師匠が軽く頷く。彼女に褒められるのは珍しいことだ。僕にさえ滅多にないのだから、エドワードの実力は確かなものなのだろう。
「そう言ってもらえると光栄だよ。ま、姉貴たちには敵わねえけどな」
その言葉に、アンナが静かに微笑んだ。
「私はアンナ・ゴールドマン。サポートを得意としているの。魔術や錬金術で仲間を助けるのが私の役目ってところね」
「私はシャルロッテ・ゴールドマン」
疲れた声で続けたのはシャルロッテだった。彼女はアンナに支えられながら、それでも視線を鋭くこちらに向けてきた。
「怪我のせいで今は戦えないけど、本来は前線で戦うのが私の役目だ。アンナとは違ってサポートは苦手だけど……こういう状況じゃ仕方ないわね」
「シャルロッテさん、無理をする必要はありませんよ」
僕が言うと、彼女は小さく鼻で笑った。
「それでも、できる限りのことはしたいと思ってる。戦いの中で立ち止まるなんて性に合わないから」
その言葉に胸を熱くしながら、僕は彼女を見つめる。
「いいぞ、ゴールドマン一家のやる気は伝わった!」
シャルロッテの意気込みのある宣言に、師匠がカボチャ型の防護マスクを展開して彼女たちの元へと歩み寄る。
「だが、五番街の掌握者として1つ忠告をしておこう――頼むから、私たちの足手まといだけにはならないでくれ。刹那の驕りが命取りになるからな」
師匠の冷静な声に、ゴールドマン一家も思わず押し黙る。張り詰めた空気の中で、師匠はさらに言葉を続けた。
「この地下では、強さよりも冷静さが求められる。自分を過信せず、常に両眼を開けて周囲を観察し、仲間のために動くことだけを考えろ。それができなければ、生き残ることすら叶わないぞ」
その言葉は、誰の心にも重く響いた。僕も、彼女の言葉の意味を噛み締めるように頷いた。
「さて――次の目的地を確認するぞ。この基地局に残る者を決め、私たちは異常の正体を突き止めに向かう。ゴールドマン一家も協力してくれるな?」
「もちろんだ……足手まといじゃないってことを教えてやるよ」
エドワードの力強い声が応えた。静寂の中に、次の戦いの予感が確かに漂っていた。




