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便利屋ハンドマン-HandMan-  作者: 椎名ユシカ
第2章 青少年期 非正規雇用編

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07「中継基地局防衛戦―①」


 湿った空気が肺を焼き、逃げる足音が水音と混じり合う。シャルロッテに肩を貸すアンナの姿を追いながら、僕たちは混乱した空間を駆け抜けていた。


「走れ! ここで立ち止まったら、全滅するぞ!」


 ジャックオー師匠の冷たい声が背後から響く。僕は振り返り、暗闇の奥を見つめた。次々と現れる影――それはまるで地獄から這い出てきたかのような魔物たちだった。骨のような四肢を持つ巨大な甲殻類、歪な形状をした肉塊の群れ。その数も力も圧倒的だ。


「アクセル!」


 エドワードが叫ぶ声に振り向くと、彼が立ち止まり、背後から迫る魔物に向かって身構えていた。大きな鉄槌を片手に、もう片方の手には魔力の光が揺れている。


「時間を稼ぎたい! シャルロッテとアンナを頼む!」

「冗談だろ……一人でやるつもりか?」

「いや、お前にも協力してもらう」


 短く言い切ると、彼の手に宿った光が明滅を繰り返す。僕は答える代わりに隣に並び、アームウォーマーを起動させた。


「来るぞ!」


 エドワードが鉄槌を振りかぶり、目の前の魔物に叩き込む。地面が大きく揺れ、衝撃で複数の敵が崩れ落ちる。その隙に僕は、アームウォーマーのホログラムで敵の位置を確認しながら正確な射撃を繰り返した。


「そっちは任せた! 俺はこっちを抑える!」


 エドワードが魔力を高めた光の障壁を展開し、敵の動きを封じる。その間に僕は素早く動き、手早く敵の急所を狙う。


「ただの人族なのにやるじゃねえか。だけど……お前には、変な違和感がある」


 彼が冷静な口調で言う。僕は咄嗟に振り返った。


「何が言いたいんですか?」

「魔術や霊術が使えないだろう? それなのに、こんな動きができるなんて……お前、何者なんだ?」


 その問いに、僕は答えられなかった。何を言えばいいのか分からない。エドワードの視線が一瞬だけ僕を貫いた気がする。


「そこまでだ! 全員、後退しろ!」


 ジャックオー師匠の声が響き渡り、僕たちは即座に動いた。エドワードが最後の力を振り絞り、再び魔術の障壁を作る。それが敵の進行を一時的に阻止する。


「あなたこそ獣人族なのに、魔族よりも魔術が得意なんですね……エドワードさん」

「……気にするな。それより、早く行け!」


 僕たちは無言で走り出した。振り返ることなく、ただ前へ進む。目的地の中継基地局にたどり着ける保証はない。だけど、今はそれを確かめる時間すらなかった。



◆◆◆



 腐敗した空気が頬を掠める中で、僕たちは足音を響かせながら暗闇を駆け抜けていた。

 シャルロッテはまだ意識を保っているものの、彼女を支えるアンナの動きは次第に鈍くなっている。彼女の肩にかかる重みが、どれほどの負担になっているのかが見て取れた。


「少しペースを落とそう!」


 エドワードが最後尾から声をあげて呼び止める。彼の鉄槌が肩で揺れ、彼自身も疲れを隠しきれていない。それでも、その青い瞳には未だ鋭い光が宿っていた。


「駄目だ。ペースを落とせば追いつかれてしまう」


 ジャックオー師匠が鋭く言い放つ。その義手が僅かに動き、周囲の気配を探るような仕草を見せた。


「アクセル、後方を確認しろ。何か追ってきていないか?」

「了解!」


 アームウォーマーのホログラムを起動させ、後方の状況を確認する。機甲手首(ハンズマン)がリアルタイムで送信する映像には、まだ遠くに魔物の影が見えるが、ここまで追いつかれる様子はない。


「まだ大丈夫です。でも時間の問題かもしれない……」


 そう言いながら、僕はちらりとエドワードの顔を見た。彼は冷静な表情を保ちながらも、アンナとシャルロッテを気遣う視線を隠していない。


「このまま進むのは得策じゃないな」


 エドワードが前を走りながら呟く。僕は彼の横に並びながら声をかけた。


「どういう意味だ?」

「シャルロッテの怪我を治療する時間が必要だ。それに、このまま無計画に進むのは危険すぎる。一度中継基地局に戻るべきだ」


 その提案に、ジャックオー師匠が短く息をついた。


「中継基地局か……戻れる保証はあるのか?」

「分からない。でも、ここで全滅するよりはマシだ」


 エドワードの言葉に全員が黙り込む。その中で、ロータスさんが静かに口を開いた。


「私も戻るのが最善だと思うわ。これ以上シャルロッテの怪我が悪化すれば、戦力を削ぐどころじゃ済まない」


 師匠はしばらく考えた末に、ようやく頷いた。


「これだから足手まといは嫌いなんだ……戻る選択肢しかなさそうだな。ただし、追跡を振り切れるとは限らない。全員、気を抜くな」


 しかし、中継基地局を目指して進む途中、またもや奇妙な現象が発生した。暗い水道の中、進むたびに景色が歪み、いつの間にか同じ場所を何度も回っているような感覚に陥る。


「これ……どういうことだ?」


 アンナが困惑した声を漏らす。僕もアームウォーマーで地図を確認するが、映像が乱れ、正確な現在地が分からなくなっていた。


「何かがおかしい……」


 僕が呟いたその時、師匠が立ち止まり、周囲を見渡した。


「やられたな……これは『定義』と『秩序』だ」

「師匠……それってまさか――」


 僕が問いかけると、師匠は険しい表情で答えた。


「術師が術式を展開する際、その空間を歪めて特殊な制約を設ける力だ。フェンリル教がこんなことを仕掛ける理由は分からないが、この現象はおそらく彼らの儀式と関係がある」


 その言葉に全員が息を呑む。確かに、この異常な現象は自然のものではない。それどころか、意図的に仕組まれた罠のように感じられた。


 しばらく進むと、異常な現象が次第に収まり、代わりに重々しい空気が辺りを包み始めた。そして、目の前に広がったのは巨大な空間だった。

 そこには、奇妙な装置や魔導具が無造作に散らばっており、周囲には無数の魔物が蠢いている。そして空間の中心には、フェンリル教の祭壇で目にした核を模したかのような物体が鎮座していた。


「……ここが奴らの儀式の準備場所か」


 師匠が低く呟く。その声には、これまでにないほどの緊張が滲んでいた。


「戦うべきなのか……それとも後退するべきか」


 全員がその言葉に耳を傾ける中、僕は複雑な感情を抱きながら、目の前の光景を見つめていた。


「あれだけの数を相手に戦うのはリスクが高すぎる」


 ジャックオー師匠が断言するように言い放つ。その声には冷静な判断力と僅かな苛立ちが混ざっていた。


「戦闘を挑むべきじゃないわね……数も多すぎるし、負傷者もいる。無理をすれば全滅する危険があるわ」


 ロータスさんが慎重に口を挟む。彼女の視線は、シャルロッテを支えるアンナに注がれていた。


「……ひとまず中継基地局に戻るべきだ。ここでの情報を報告して、作戦を練り直そう」


 エドワードもアンナの意見に頷く。彼はしっかりと鉄槌を握りしめ、状況を見極めようとするかのように辺りを警戒していた。


「俺も戻るのが賢明だと思う。シャルロッテの治療が必要だし、これ以上深入りするのは愚策だ」


 全員の意見が一致し、ひとまず後退することが決定された。しかし、誰もこの場所の異様な気配を忘れることはできなかった。フェンリル教の儀式が進行しているという確信が、全員の胸を重くしていた。


「アクセル、さっきの装置を見たか?」


 移動を再開した直後、師匠が僕に問いかけた。その声色からは、冷静さの中に微かな疑念が滲んでいるように感じ取れる。


「ええ、見ました。あの核みたいな物体……あれは一体何なんでしょう?」


 僕が答えると、師匠は視線を前に戻しながら低く呟いた。


「おそらく、フェンリル教が聖なる存在の核として使おうとしているもので間違いない。奴らの技術と魔術を駆使した産物だ。だが、完成には至っていないはずだ」

「完成していない……?」

「既に完成していたのならば、あの場所にはもっと凄まじい力の気配があったはずだ。だが今の段階では、まだ準備が整っていないように思える」


 その言葉に、僕は思わず胸を撫で下ろした。だが同時に、完成すればどうなるのかという恐怖が頭をよぎる。


 どれほどの時間が経っただろうか。僕たちはついに中継基地局の入口にたどり着いた。無数の配線や機器が設置されたその空間は、相変わらず錆びついた鉄の匂いと湿気に満ちている。


「まずは負傷者を治療する準備を整えるわ」


 ロータスさんが手際よくシャルロッテの治療を指示する。アンナも彼女を支えながら施設内の簡易ベッドへと運んでいった。

 その間、師匠は何も言わずに指揮所のモニターに向かい、何かを確認している。


「エドワード、今回のことを報告してもらえるか? 私たちが見たこと、得た情報を上層部に伝えておきたい」

「分かった。すぐに手配する」


 エドワードが頷き、通信機器へ向かう。その背中には、冷静さを装いながらも緊張が張り詰めているように見えた。


「この基地局を拠点に作戦を立て直す。他に設営中の基地局があるのなら連絡を取ってもらいたいのだが……」


 ジャックオー師匠が低く落ち着いた声で言い放つ。その言葉に、ロータスさんが反応するよりも先に、近くの部隊員の一人が手を挙げた。


「現在、設営中の基地局は四番街に向かうルート沿いにいくつか配置されています。ただ状況が複雑で、通信が正常に届く保証はありませんが試してみます」


 若い部隊員が言葉を添え、通信機器へ駆け寄る。その背中には焦燥感が滲んでいた。

 部隊員が操作盤に向かい、基地局間通信のスイッチを押すと、金属音のようなノイズが一瞬響いた。静かな空間にその音が広がり、全員が息を呑む。


「こちら第二中継基地局――応答願いま――現在、五番街基地局にいる部隊より連絡が――」


 声が途切れる。ノイズの中に微かな声が混じり、不気味な雰囲気が漂った。

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