06「祭壇に座する彼女の核」
湿った空気に漂う微かな臭い。それは腐敗した金属のようでもあり、血のようでもある不快な匂いだった。僕たちは崩れかけた壁を背に、次の行動を決めるために意見を出し合う。
「……で、アクセル。何を見つけたって?」
ジャックオー師匠が鋭い視線をこちらに向ける。アームウォーマーのホログラムを操作しながら、僕は何度も記録を再確認した。
「おかしいんです。機甲手首の記録した地図が、途中で歪んでるんです」
ホログラムに映る地図の映像は、絶えず雑音と共に揺れている。しかも、先ほどまでの進行ルートが全く別の場所に変わっていた。
「地図が狂うってどういうことだ? お前の機械が壊れたんじゃないのか?」
エドワード――いや、エディが眉をひそめながら尋ねる。
「違う。これは『機械のエラー』じゃなくて、『環境そのものが歪んでいる』としか思えないんだ」
僕の言葉に、ロータスさんが静かに頷く。
「空間の定義が歪んでいる……確かに、ここ数年の地下水道での異常事態は、どれも説明がつかないことばかりだった」
その言葉に、師匠も口を挟む。
「これはフェンリル教の“仕業”だろうな。地下で妙な儀式でもしてるんじゃないか? 前にも似たような話を聞いたことがある」
「それが事実なら、今は戻るべきかもしれません」
エディが慎重に提案する。怪我を負ったシャルロッテと、彼女を支えるアンナを見つめながら言葉を続けた。
「このままだと危険だ。俺たちは中継基地局に戻って、ガルムとクレアの捜索依頼も含めて改めて策を練るべきだろう」
合理的な意見だと思う。だけど、ロータスさんは短く息を吐き、冷静に答えた。
「それができるなら、とっくにやっている」
「ロータスさん……?」
「この地下水道には何かが作用している。あなたたちが来た道を辿って戻れるとは限らないわ」
全員が一瞬言葉を失う中、僕は地図を再び確認する。ホログラムに映る景色がまたもや揺らぎ、気味の悪い映像に変わっていく。明らかにおかしい。
「……進むしかない、ってことか?」
エディが歯切れ悪く呟く。
「その通りだ」
◆◆◆
師匠が義手を軽く鳴らし、先頭に立つ。彼女のその後ろに続くように、僕たちは進むべき方向へと足を踏み出した。
不気味な沈黙が続く中、足音だけが地下水道に反響していた。まるで僕たちを誘い込むように、道が続いている。
「ここは……?」
僕たちの目の前に現れたのは、異様な空間だった。壁や床には奇怪な紋様が刻まれ、そこかしこに魔道具らしき奇妙な装置が散らばっている。どれも使われた痕跡が新しい。
「……“儀式の場所”ね」
ロータスさんの言葉に誰も反論できなかった。
その中心に、僕の視線が釘付けになる。円形の台座の上には、巨大な水晶のような物体が鎮座している。それは何かの「核」を思わせる威圧感を放っていた。
『よく目に焼き付けておきなさい……これが彼女の核よ』
誰かが呟いたが、その答えは誰も持っていない。
「とにかく調査だ。アクセル、エイダ、エドワード。急いでこの場所を調べるぞ」
師匠の指示で僕たちは動き始めた。けれど、どこかで不安が胸を締め付ける。何かが――この空間そのものが「見ている」ような気がしてならなかった。
「ここは異様すぎる……」
僕はアームウォーマーのホログラムを操作し、記録を続ける。水晶状の「核」から放たれる奇妙な輝きが、薄暗い祭壇全体を冷たい光で照らしていた。
「アクセルさん、これを見てください」
エイダさんが指差したのは、床に散らばる文書の山だった。それはフェンリル教が使っている教典のようで、ページを捲ると細かい文字でびっしりと埋め尽くされている。
「……なるほど、魔物を集める方法、聖なる存在の創造工程、そして核の活性化手順……かなり具体的な情報だな」
エドワードが厳しい表情で文書を拾い上げる。
「これは明らかにヤバい連中だ。放置すれば、どれほどの犠牲が出るか想像もつかない」
「これだけの準備をしているとなると、連中の目的はただの宗教的儀式じゃないわね」
ロータスさんの言葉には明確な危機感が滲んでいた。
他の部隊員の調査が進む中、僕はどうしても「核」に目を向けずにはいられなかった。その表面に浮かび上がる模様が、どこか僕の頭の中に直接語りかけてくるような錯覚を覚えさせた。
「……師匠」
気づけば僕の声が震えていた。
「なんだ、アクセル?」
「この核……ただの装置じゃあありません。何かが“生きている”感じがします」
その言葉に、周囲の空気が凍りつく。エドワードが手にしていた文書を落とし、全員の視線が「核」に集中する。
「おいおい、まさか“動く”とか言うんじゃねえよな?」
エドワードが冗談めかして言うが、その声には明らかに不安が滲んでいた。
「……とにかく、この場所を放置するわけにはいかない」
「破壊するか?」
彼女が冷静な声で言い放つ。鉄槌を構えたエドワードが尋ねるが、師匠は首を振った。
「いや、今の戦力では無理だ。周囲に魔物が集まりつつあるのを感じないか?」
その言葉に、僕たちは一斉に周囲を見回す。いつの間にか暗闇の中に無数の赤い光が点滅し始めていた。それは、飢えた魔物の目――こちらを監視している無数の瞳だった。
「後退だ!」
ロータスさんが鋭く指示を出す。僕たちは調査した資料を急いで回収し、祭壇から離れるために動き出した。
撤退の最中、僕はちらりと後ろを振り返る。核の輝きが、まるで意思を持って僕たちを嘲笑っているように見えた。
「アクセル、行くぞ!」
師匠の声で我に返り、僕は地下水道を駆け抜ける。だが、頭の中には未だにその声が響いていた。
――「儀式は、完了する……」
それは、あの信徒の死に際に放った最後の言葉。そして、それが意味するところは、まだ何も分かっていなかった。




