05「迷宮の兆候」
ロータスさんの冷静な指示が場の空気を引き締めた。
「このままここに留まるのは危険だ。敵が戻ってくる可能性もあるし、この空間自体も崩落の恐れがある。全員、安全な場所へ移動するわよ」
彼女の言葉に、一同が即座に行動を開始する。ジャックオー師匠が義手を動かし、周囲を警戒しながら先導する一方で、僕は後方を固める位置についた。
「アンナ、シャルロッテのことを頼むぞ」
エドワードが言うと、アンナは頷きながらシャルロッテを支え直す。
「任せて、エディ。アンタは自分の役割を果たしてきなさいよ」
そんなやり取りを聞きながら、僕はエドワードの背中に視線を移した。彼の握る巨大な鉄槌には、うっすらと熱が帯びており魔力の輝きが宿っている。
移動を始めてしばらくした頃、狭い通路から異様な音が響いた。湿った地面を這いずり回るような音と甲高い唸り声。
「魔物だ……警戒しろ!」
先頭にいた師匠の声が水道内に響き渡る。全員が武器を構えた瞬間、通路の奥から異形の昆虫型魔物が現れた。鋭い牙を持ち、脚部には岩をも切り裂きそうな鉤爪がついている。
「俺が行く!」
我先にと鉄槌を構えたエドワード。魔術の術式と思われる力が鉄槌全体に輝きを纏わせた瞬間、魔物が咆哮を上げて突進してきた。
――ズガァン――。
エドワードの鉄槌が魔物の前脚を捉える。一撃で粉砕された脚部の残骸が宙を舞った。しかし、魔物は怯むことなく第二の脚でエドワードに襲い掛かった。
「猛ろ……蒸気槌!」
鉄槌が振り下ろされた水面から蒸気が沸き上がる。それは魔力を帯びて周囲に衝撃波を生み、押し退けるように広がると魔物の体を弾き飛ばした。そのまま壁に叩きつけられ、魔物は甲高い悲鳴を上げて動きを止める。
「……すごい腕前だな」
僕が思わず呟くと、エドワードは肩越しに振り返り、軽く笑った。
「あんな戦闘を見せられた後なんだぞ……これくらいじゃあまだ序の口だ。さっさと先を急ぐぞ」
「流石だね、亜人喫茶……いや、エドワードさんの力か」
「俺たちだって死に物狂いさ。ここは危険な場所だ――気を抜くなよ、アクセル」
その言葉には、どこか重みを帯びているような気がした。
移動を再開した僕たちは、ようやく広めの空間に到着した。周囲を確認して安全を確保すると、全員が短い休息を取る。
そのとき、ジャックオー師匠がふとエドワードに声をかけた。
「エドワード、キミたちのリーダーだった男……名前は思い出せないだが、そいつともう一人の治癒魔術師……その二人はどうした?」
その問いに、一瞬エドワードの表情が曇った。
「……原因不明の崩落があってな。俺たちはそのせいでバラバラになった。姉さんとアンナは運良く俺と一緒だったが、ガルムとクレアは……」
彼の握る鉄槌が微かに震えた。
「二人が無事だと信じてる。でも、今は……俺たちだけで進むしかない」
エドワードの言葉に場の空気が重くなった。ロータスさんが静かに視線を落としながら、深く息を吐いた。
「……いつでも戻れるわけじゃない。けど、もし何か痕跡が見つかったら、情報を共有しましょう」
その言葉にエドワードは一瞬だけ目を細め、真剣な表情を見せる。
◆◆◆
広めの空間に到着した僕たちは、それぞれの位置で一息つく。壁に背を預ける者、武器を整備する者、周囲を警戒する者――全員が僅かな安堵の中でも、それぞれの役割を果たしていた。
「エディ、さっきの魔物を一撃で仕留めるなんて……アンタもなかなかやるようになったわね」
アンナがシャルロッテを支えながら微笑む。彼女の言葉には軽口のようでいて、弟を労う暖かさが滲んでいた。
「姉貴たちが無事でいてくれるだけで十分さ。俺はただ、目の前の仕事をするだけだ」
エドワードは鉄槌を肩にかけたまま、魔力の残滓を消すように軽く振る。彼の言葉にはどこか気負いが感じられたが、その横顔は静かだった。
僕はそんな彼の姿を横目で見つめながら、自分の手の中にある武器へ視線を落とす。さっきの戦闘で何ができただろうか――いや、できなかった。
無意識に僕の脳裏には、エイダさんが微笑みながら言った言葉が浮かんでいた。
『アクセルさん、私には頼りになるパートナーだと思ってますから!』
その一言が胸を温める一方で、僕自身の無力さを突きつけるようでもあった。
エドワードのように、自分の力で仲間を守ることができるだろうか――そんな疑問が胸を締め付ける。
「おい、アクセル。そんな辛気臭い顔をするな。キミはすでに十分働いている」
ジャックオー師匠が不意に声をかけてくる。彼女は義手を軽く鳴らしながら、にやりと笑った。
「キミがいなければ、さっきの腕章も確認できなかったし、エイダもあの魔物相手にあれだけの動きを見せられなかっただろう?」
「それは……」
僕が言葉を詰まらせると、師匠は肩をすくめて続ける。
「いいか、アクセル。誰もが全てをこなせるわけじゃない。得意分野で輝けばそれでいいんだよ」
ふと視線を感じて顔を上げると、ロータスさんが僕を見つめていた。
「どうしてんですか?」
「ううん……なんでもないわ。ただ、あなたが彼女にそんなことを言われるのは珍しいと思っただけ」
彼女はそう言い残し、再び周囲の警戒に視線を戻す。その横顔には何かを言いたげな気配が漂っていた。
「……ふう、少し休めたわね」
怪我を負った獣人族のシャルロッテがようやく口を開く。彼女の声には弱さが滲んでいたが、その目にはまだ戦意が宿っていた。
「エディ、私の代わりにしっかりやるのよ」
「分かってるさ。姉貴は俺が守る。それに――お前たちが無事に戻れるように、何があっても俺が道を切り開く」
エドワードが鉄槌を肩に担ぎ直し、その視線を前方へ向けた。その姿は、これからの道がどんなに険しくても進む覚悟を決めているように見えた。
全員が束の間の休息を取りながら、それぞれの準備を進めている中、僕はアームウォーマーのホログラムを操作して、絶えずマップの構築を続ける機甲手首の動きを確認していた。地図上の青い線が彼らの探索したルートを示している。
だが――。
「……おかしいな」
眉をひそめ、僕は地図を何度も見返した。青い線がリアルタイムで描かれる途中、突然映像が乱れ、まるで別の場所に飛ばされたかのように不連続な軌跡を描いている。
「どうした、アクセル」
ジャックオー師匠が義手の整備をしながら、僕の動きを気にした様子で声をかける。
「これ……少し変なんです。ハンズマンが記録している地図が、途中から全然別の場所に移動しているみたいで。映像も乱れてますし、ここが本当に今いる場所なのか怪しい」
師匠が目を細めてアームウォーマーのホログラムを覗き込む。カボチャ型の防護マスクを展開して見せた視線は鋭く、ただ事ではないことをすぐに察したようだった。
「ほう……考えたくもないが、フェンリル教の仕業かもしれないな」
「フェンリル教……?」
思わず問い返すと、師匠は冷たい目で呟いた。
「やつらは常軌を逸した技術や魔術を駆使している。こんな地下にまで異常を持ち込むとは考えにくいが、もしこれまで目にした軌跡が連中の“実験”だとしたら、話は別だ」
その言葉には確信めいた響きがあった。師匠の頭の中には、既にフェンリル教がこの状況の背後にいるという前提が成り立っているのだろう。
「けど、もしこれがフェンリル教じゃなかったら?」
僕がそう尋ねると、師匠は鼻で笑った。
「なら、もっと厄介な相手がいるということだ。それだけの話さ」
師匠の言葉に場の空気がさらに重くなる。僕たち全員が、この地下水道に潜む未知の脅威を実感していた。
ハンズマンの記録が示す先――その不連続な軌跡の末には、一体何が待ち受けているのだろうか。胸の奥に広がる不安と共に、僕は地図の先に映る揺れる映像を見つめていた。
そしてその時、ジャックオー師匠が義手を鳴らしながら口を開く。
「どんな相手だろうと、ここでの目的は変わらない。準備が整い次第、前進するぞ」
師匠の声が地下空間に響く。その背中に続くように、僕たちは再び進み始めた。どこかで儀式が進行し、何かが“完成”しようとしている――その漠然とした恐怖が、足音に重くのしかかっていた。




