04「地下に刻まれた狂信の紋章―③」
暗闇の中から現れたのは、亜人喫茶のメンバーだった。
シャルロッテ、アンナ、そしてエドワード――彼らの姿に、僕は安堵と警戒が入り混じった感情を抱く。だが、その感情を振り切るように、ジャックオー師匠が変形機構式機械鞄を機匣銃へと変え、銃口を向けた。
「動くな! 正体を名乗れ」
師匠の冷えた声が暗闇に響く。銃身が熱を帯びるのが、こちらからでも分かった。隣ではエイダさんがどこで覚えたのか分からない奇妙なファイティングポーズを取り、ロータスさんも銃を構えて影を見据えている。
「落ち着け、撃たないでくれ! 俺は亜人喫茶のエドワード……こっちには怪我人がいる!」
声が明瞭になった瞬間、緊張が少しだけ緩む。それでも誰も武器を下ろそうとはしない。しかし、ジャックオー師匠は相変わらず銃口を向けたまま、微妙に首を傾げながら呟いた。
「亜人喫茶デン……?」
その言葉に、亜人喫茶のメンバーたち――特にエドワードが明らかに動揺を見せる。彼の肩越しに見えるシャルロッテとアンナも、明らかに表情を曇らせていた。
「アクセル……なんだそれ。キミが知ってる便利屋か?」
まるで他人事のように尋ねる師匠。彼女の相変わらずな態度に、僕は深い溜め息をついた。
「師匠、中継基地局で会った三番街の便利屋ですよ。ガルムさんって男性と話してたの、覚えてませんか?」
言いながら、半分諦めたように彼女を見上げる。案の定、師匠は銃身でカボチャ型の防護マスクを突いて、記憶を探る素振りを見せた。
「知らんな……まあ、そんな名前の男がいたかもしれないな」
ようやく思い出したかのような口調で言うと、師匠は機匣銃を少しだけ下げた。けれども、彼らに対する鋭い視線は一切緩めていない。
「申し訳ないが、正直どうでもいいな。そもそも亜人喫茶なんて覚える価値があるのか?」
その冷淡な一言に、僕は再び深い溜め息をつく。
「そういうところが師匠の悪い癖なんですよ……まあいいです。彼らは信頼できる相手です。少なくとも敵じゃありません」
「……ふん、弟子のキミがそう言うのなら合ってるのだろう」
師匠がようやく銃口を下ろしたのを見て、エドワードは肩をすくめながら小さく笑った。
「これだから掌握者ってのは……俺らなんか眼中にないんだな。まったく興味を持たれないのは、こっちも悪い気がしない」
その軽口に、僕は微かに苦笑しつつも、ひどく疲れる会話だと内心で呟いていた。
声の主――エドワードが前に出てきて、両手を挙げて見せる。彼の背後ではアンナが怪我をしたシャルロッテに肩を貸しながら、慎重な表情でこちらを見ていた。
「こんな場所で会うなんてな。敵か味方か判断がつくまで、こちらも警戒を解くわけにはいかない」
師匠が低い声で告げる。その目は鋭く、わずかな動きも見逃さない。
「疑われるのも当然だ。この地下じゃ誰も信用できないからな」
エドワードは歪んだ笑みを浮かべると、ポケットから血塗れの腕章を取り出した。それは、亜人喫茶デンの紋章が刻まれた血塗れの腕章だった。
「これで信じてもらえるか?」
「この距離じゃ確認できないな……アクセ――」
師匠の声が僕を呼び起こす。その瞬間、体が熱を帯びるような感覚が全身を駆け巡った。
アドレナリンとノルアドレナリンが沸き上がり、灰色だった世界が一気に極彩色へと塗り替えられる。時間がねじ曲がり、空間が歪む感覚――僕は目にも留まらぬ速さでエドワードの前に移動し、腕章を奪い取った。
その直後、彼の顕在意識が覚醒して姿を捉えるコンマ数秒前に、僕は元の位置に戻り、腕章を師匠に差し出す。
「ほう……」
師匠が腕章を興味深げに見つめながら呟く。その目は、僕の異能にも一瞬だけ向けられた。
「師匠、間違いありませんよ。血で汚れていますが、この腕章は確かに亜人喫茶のものです」
僕の言葉を聞いた部隊員たちも、慎重にシャルロッテたちを観察しつつ、次第に武器を下ろしていく。緊張がようやく緩んだ。
「そうか。キミたちが亜人喫茶の者だという証拠は見せてもらった。だが、ここで会う理由を説明してもらおう」
師匠がエドワードに鋭い視線を送ると、彼は背後の仲間たちをちらりと見てから口を開いた。
「俺たちは地下で活動するフェンリル教の痕跡を追っているんだ。そして、どうやらアンタたちも似た目的で動いているみたいだな」
その言葉に、僕は壁に刻まれた紋様を見つめる。亜人喫茶デンの活動が本当に偶然なのか――それとももっと深い意図があるのか、まだ分からない。
「ここで立ち話をするのは得策じゃないわね。安全な場所を探して休息を取りながら話をすべきよ」
ロータスさんが冷静に提案する。その言葉にエドワードは頷き、僕たちは慎重に移動を始めた。
◆◆◆
緊張がほぐれる間もなく、背後から微かな音が響いてきた。金属を引きずるような不快な音が、壁に反響して空間にじわりと広がる。
「……待て」
ジャックオー師匠が突然声を低くし、義手を鳴らして警戒の態勢を取る。僕たちもそれに倣い、周囲を見渡した。
音は徐々に近づいてきていた。壁の向こうから、何かが――いや、誰かが、こちらへ向かってきている。
「敵の気配ね……それも一人や二人って数じゃないわ」
ロータスさんが銃口を構えながら、鋭い声を発する。その瞬間、エドワードも傷だらけのシャルロッテを後ろへと引き寄せ、アンナと共に身構えた。
「フェンリル教か……いや、もしかしたら別の何かかもな」
低くつぶやくエドワード。僕はその言葉に目を細める。これまでの異様な痕跡を考えれば、その可能性は高い。
次の瞬間――壁が何かによって突き破られ、向こう側から十数人の人影が現れた。全身に奇妙な布を巻き付け、顔をベールで隠した者たちだ。その修道士にも似た姿は、ただの人間とは思えない異様な雰囲気を漂わせている。
「貴様ら……ここで何をしている!」
一人が叫び声を上げると同時に、彼らは一斉にこちらへ向かって突進してきた。その動きは、人間離れした速さと狂気を感じさせるもので、僕の背筋が凍る。
「散れ!」
師匠が叫び、僕たちは各自の武器を構えて応戦した。
敵は奇妙な戦い方をする。動きがまるで乱数のように不規則で、予測がつかない。エイダさんが背後を狙った敵の蹴りをかわすと同時に、後頭部に目掛けて上段蹴りを放つ。
「くっ、動きが早すぎる……!」
彼女の攻撃は、かろうじて一人の肩を掠める程度だった。しかし、相手はまるでその痛みすら感じていないように、再び間合いを詰めてくる。
僕も変形機構式デリンジャーを構え、修道女に一発放った。弾丸は相手の胸元に当たったが、狂信的な笑みを浮かべたまま突進してくる。
「コイツ――ヤクでもキメてんのか……!?」
混戦の中、僕の左眼に不思議な感覚が走った。目の前の敵の動きが極端に遅く見える。まるで時間が歪んだかのように――否、これは彼女の異能だ。
『まったく……力の使い方がなってないわよ。手伝ってあげるわ――』
次の瞬間、無意識に体が動いた。敵が振り下ろした刃をかわし、その腕を掴んで捻り上げる。あまりに滑らかな動作に、自分でも驚いた。
だが、その間にも他の信徒が迫ってきていた。目の端で、エドワードとアンナが互いに背中を預け合いながら戦っているのが見える。
「ここで止める……!」
意識する間もなく、異能の感覚に身を任せた僕は、次々と敵を無力化していった。動きが極端に鈍く見える彼らの隙を突き、武器を弾き飛ばし、膝をへし折る。
気が付けば、敵の全員が地面に転がっていた。その中の一人が最後の力を振り絞って呟く。
「……儀式は……もうすぐ完了する……絶対に邪魔はさせない」
そう言い残すと、その男は動かなくなった。その言葉の意味を考える間もなく、周囲には再び静寂が訪れる。
僕は荒い息を吐きながら、無意識のうちに発動した異能の余韻に、震える手を握りしめた。
倒れた信徒たちを見下ろしながら、僕は心臓の高鳴りを押さえることができなかった。異能を発動した際の感覚――時間が歪んだような、極彩色の中を駆け抜けたような感覚が、まだ頭の片隅に残っている。
「おい、馬鹿弟子……」
師匠の声が僕の意識を引き戻す。彼女は義手を軽く鳴らしながら、倒れた信徒の一人に視線を向けていた。
「キミ、また勝手に異能を使ったな?」
「い、いや……僕は……」
言い訳を考えるよりも早く、エドワードが口を挟んだ。
「何なんだよ、さっきの動き……お前、普通じゃないな」
彼の言葉に、アンナが続ける。
「そうよ、アクセル。さっきの戦い、どんな風に見えてたの?」
僕は答えに詰まりながらも、どうにかして動揺を隠そうとした。
「何が……起きてたのか、僕にもよく分からない。とにかく、声が聞こえてきて、目の前に敵が来たから、体が勝手に動いて……」
言葉を紡ぐうちに、異能を発動した瞬間の映像が頭に浮かんだ。だが、それを口にできなかった。
ロータスさんが倒れた信徒たちの間を慎重に歩きながら、彼らの服装や持ち物を調べている。その目は鋭く、何かを見逃すまいとしているようだった。
「この連中……フェンリル教に間違いないわ。信徒が持っている装飾品や、肌に刻まれた印がその証拠よ」
彼女が拾い上げた小さなメダルには、先ほど壁に描かれていた紋章と同じ模様が彫られている。それを見た師匠が短く息を吐いた。
「……儀式か。何を意味しているのかは分からないが、これは本気で厄介な連中のようだな」
その言葉に僕たち全員が頷く。フェンリル教――その名だけで嫌な予感がする。何か大きな陰謀の片鱗を見せられているような気がしてならなかった。
「ねえ、アクセル……」
ロータスさんが不意に僕に声をかける。その表情は普段の冷静さとは少し違う、どこか迷いを含んだものだった。
「あなた……神の存在を信じてないんでしょ?」
突然の質問に、僕は彼女の真意を測りかねた。
「どうして急にそんなことを?」
「ただ……気になっただけ。さっきの戦いぶりを見て、あなたが何を信じてるのか知りたくなったのよ」
彼女の言葉には、微かな揺らぎを感じる。それが彼女の過去に触れるための入り口なのかもしれないと、直感的に感じた。
だが、今はそれに答える時ではない気がしてならない。
「信じてませんよ、少なくとも“神”なんて漠然とした存在は。でも、その話をするのは……また今度にしませんか?」
僕がそう言うと、ロータスさんは短く頷き、信徒たちの遺体を見つめる。
彼女の目には、消えた信仰の残滓と新たな決意が入り混じっているように見えた。
戦いの余韻を引きずりながら、僕たちは次の行動を決めるための準備に取り掛かる。そして、この地下水道で何が起きているのか、その真相に少しずつ迫っていくのだった。




