09「機匣銃アビス」
湿り気のある空気と鉄臭い匂いが、地下水道の奥へ進むたびに濃くなる。
暗闇を切り裂くのは、僕が放った偵察用の機甲手首が壁や天井を這いながら発する微かな光だけだった。
「……ここ、本当にヤバいですね」
エイダさんが小声で呟く。
ホログラムには、まるで蜘蛛の巣のように入り組んだ迷路が浮かび上がっていた。
「ここまで入り組んでるとはな……」
僕も苦笑いしながらアームウォーマーの画面を操作する。
その時だった――ホログラムに映る手首型ボットの1つが、突如として動きを止めた。
「止まった? どうしたんですか?」
エイダさんが不安げに覗き込む。
「……信号が帰ってこない。もしかしたら破壊されたのかも」
僕が静かに呟くと、背後からジャックオー師匠の声が響いた。
「何かいるな」
彼女の目はホログラムに映る異常を捉えている。
「アクセル、エイダ。ここからは私が先頭に立つ。私の武器を寄越せ」
師匠は冷静そのものだったが、防護マスクには水面に反射した光のような鋭い輝きが宿っていた。
僕は背負っていた棺桶型の変形機構式機械鞄を差し出す。彼女はそれを受け取ると、棺桶に備わったボタンを押し込み、変形機構を起動させた。
棺桶の表面に張り付いていた金属パーツが滑らかに展開し、内部の機構が次々と可動する。音を立てて変形を続けるその光景は、あたかも鏡を砕きながら新たな形を組み上げていくようだった。
やがて姿を現したのは、彼女専用の大口径機関銃――機匣銃。
銃身は黒光りし、まるで深海に潜む闇をそのまま具現化したかのようだ。蒸気を噴き上げ、圧縮されたエネルギーが解放される音が響く。師匠はその重厚な銃を片手で軽々と構え、冷ややかに笑った。
「……誰が相手であろうと、鏡に映る現実の姿を見せてやるだけだ」
彼女の言葉が風に溶けた瞬間、空気が張り詰め、辺り一面に薄い水膜のような光が揺らめく。それはまるで、これから始まる戦いを暗示する鏡面の幕のように見えた。
「師匠、一人で先行するんですか?」
「部下を守るのが上司だからな、当たり前だろう。キミたちを危険な目に遭わせるわけにはいかない」
その言葉に、僕は言葉を失った。ジャックオー師匠の背中が、この地下水道の暗闇の中でどこか頼もしく見える。
水音だけが響く中、ジャックオー師匠が一歩、また一歩と進む。
僕たちは数メートル後方で慎重にその背中を見守っていたが突然、空気が一変した。
「出てくるぞ!」
師匠の声と同時に、何か巨大なものが水面から飛び出した。
「な、何だあれ!?」
暗闇から現れたそれは、体毛のない巨大な犬のような形をしていた。だが、目は無く、歯が異様に長い。
口からは腐った水が滴り、体全体から異臭が漂う。
「魔物だな」
師匠は淡々と呟くと、瞬時に機匣銃を構えた。
轟音とともにエネルギー弾が発射され、魔物の頭部が吹き飛んだ。
続けざまにもう一発、今度は胴体を撃ち抜く。
体液を撒き散らしながら崩れ落ちる魔物。その師匠の動きはもう止まることはなかった。
「……一発で仕留めるなんて」
僕は思わず息を呑む。
「こっちにも来ています!」
エイダさんの声に振り向くと、別の魔物が音もなく壁を這ってこちらに迫ってきていた。
だが――。
ズガァン!
僕が敵の位置の把握に手間取っていた次の瞬間、師匠の機匣銃が魔物の胸部を撃ち抜いていた。
「ちゃんと両目を開けておけ。少しばかり数が多いぞ……」
彼女の言葉通り、次々と現れる魔物たち。
その危機的状況に陥っているのにもかかわらず師匠は怯まない。
彼女の意思に応えるようにエネルギー弾を放つ機匣銃。絶え間なく現れる魔物は光に捉えられた瞬間、薄暗い空間にその姿を露わにするよりも早く肉片に姿を変え、跡形もなく消し飛んでいく。
その精密な射撃は驚異的だった。狙った部位を確実に撃ち抜き、魔物を瞬時に無力化していく。
「すごい……」
僕もエイダさんも、ただその戦いぶりに目を奪われていた。
◆◆◆
気づけば、辺りには魔物の死骸だけが転がっていた。
師匠は機匣銃の排気口から熱気を吐き出し、冷却を始めている。
「これで、ひとまず安全だな」
そう言って彼女は僕たちの方を振り返った。
「さすが、師匠……」
僕が思わず呟くと、師匠は少しだけ照れたように笑った。
「当たり前だ。私はこれでも五番街の掌握者を任されているからね」
その言葉には、確かな自信と誇りが込められていた。
「でも……なんだかおかしいですね」
エイダさんが不安げに呟く。
「おかしい?」
僕が聞き返すと、彼女は魔物の死骸を指さした。
「この魔物たち、どこか“作られた”ような感じがします……」
エイダさんのその言葉に、師匠の声色が一変した。
「詳しく聞かせてくれ」
「この体の構造、普通の動物が突然変異でこうなるとは思えません。誰かが……錬金術や他の方法で意図的に作り出した可能性が高いです」
その分析に僕も息を飲んだ。さらに、彼女は続ける。
「肉塊を調べたところ、魔物の“魔力核”が複数確認されました。本来、核は1つしか存在しないはずです。これが自然発生の魔物でない証拠かと……」
まさか、人の手で生み出された魔物……?
思わず師匠を見たが、その表情は読めなかった。
「……もしそれが本当なら、この地下水道はただの魔物の巣窟じゃないってことか」
師匠が低い声で呟く。
その時、僕たちの耳に、遠くから誰かの叫び声と共に不気味な鳴き声が響いた。
「まだ来る……!」
師匠が機匣銃を再び構えた。
「アクセル、機匣銃の冷却が済むまで時間が掛かりそうだ。私のサポートをしなさい」
「バックアップですね……分かりました!」
呼吸を整えてアームウォーマーを再起動すると、彼女が再び銃を構える。その姿に続きながら、僕はこの先に待ち受ける“本当の敵”の存在を確信していた。




