06「魔獣と人の境界線」
五番街の中心を抜け、スラムへと続く荒廃した道を浮遊型蒸気自動車――通称「イエローキャブ」が滑るように走っていた。運転席には僕、助手席には拳を膝に置いたエイダさん、そして後部座席では足を組んだジャックオー師匠が窓の外を眺めている。
自動運転に切り替えると、僕は師匠から渡された依頼書に目を通した。
『アンクルシティ地下水道都市に現れる魔物の討伐』
――依頼主はダスト・アンクル。
「ここ最近、行方不明者が増えているだろ?」
師匠が何気なく言葉を投げてくる。
「はい。それって『住民の失踪事件』のことですよね?」
「アクセル。質問を質問で返す癖、直せと言っただろう」
「それは僕のアイデンティティですから。諦めてください」
ふざけた軽口を返しつつ、依頼書を読み進めると、報酬欄に目が留まった。
『魔物一体の討伐につき金貨一枚』
僕は思わず硬直する。
「金貨一枚……? 師匠、これ報酬が高すぎませんか? 僕の給料一ヶ月分ですよ!」
「なんだ、アクセル。随分と深刻な顔じゃないか」
「いや、だって魔物一体で金貨一枚……僕の給料と釣り合ってませんよ! なんで師匠ばっかりこんな美味しい話を……」
ジャックオー師匠は後部座席から僕をじろりと睨んだ。
「アクセル君、借金を抱えた身分で文句を言う資格があると思うのかい?」
「え、アクセルさんって借金あるんですか?」
エイダさんが純粋な顔でこちらを見てくる。
「ま、まあちょっとだけ……」
「『ちょっと』? 残りの額、正確に言ってやろうか」
師匠の義手が伸びてきて、僕の頭をわし掴みにする。軽く痛い。
「残り金貨九百枚。君の人生、もう墓場行きコースだな」
「イエッサー!……って、笑えないんですけど」
僕は苦笑いを浮かべつつ、エイダさんへと視線を向ける。
「アクセルさん、頑張ってください。私、陰ながら応援してます!」
「その笑顔、完全に他人事だよな……」
――金貨千枚の借金。それは僕が便利屋として技術を学ぶために師匠から借りた授業料だ。九百枚、つまり残り九千万円が僕の肩にのしかかっている。やれやれ、僕の人生、先が思いやられる。
その後、しばらく沈黙が続いた後、師匠が静かに口を開く。
「住民失踪事件だがな……あれは本当に“失踪”なのか?」
「どういう意味です?」
ルームミラー越しに師匠が僕をじっと見つめる。その目はどこか冷たい光を帯びていた。
「アクセル君。住民は“消えた”んじゃない。“連れ去られた”んだよ」
「連れ去られた……? どうしてそんなことが――」
エイダさんがぽつりと呟く。
「まさか、魔獣化の実験……とか?」
師匠が小さく息を吐いた。
「その通りだ。自然発生する魔獣なんて、ほんの一握りだ。誰かが意図的に人間を“魔獣”に変えていると考えるべきだろうな」
「……そんなことが……」
僕は握りしめた依頼書に力を込める。
エイダさんが不安げに呟いた。
「……もしかして、魔獣化させられている……とか?」
師匠が小さく息をついた。
「君の新しい荷物持ちは随分と頭の回転が早いな。魔獣化が自然に起こるものじゃないことは知っているだろう? 誰かが意図的に実験していると考えれば辻褄が合う」
「実験……」
僕は依頼書を握り締める手に力が入った。
「お前が向き合う敵は、ただの魔物じゃないかもしれない。心しておけ」
師匠の声にはいつになく重みがある。車内には静かな緊張感が広がった。
気まずい空気を払うように、僕は意識的に咳払いをし、助手席のエイダさんに話を振った。
「……ところで、ソフィアさんに奢ってもらったご飯、美味しかった?」
「ああ、あの“マ▓コ”に似た料理ですよね?」
「ぶっ!?」
突然の爆弾発言に、僕は思わず吹き出しそうになった。エイダさんは真顔で続ける。
「アクセルさん、あの時ニヤニヤしてましたよね?」
「お前、気づいてたのか!」
「ええ。アクセルさんは本当に救いようがないですね」
サラリと毒を吐かれ、僕の心に深いダメージが走る。
後部座席から師匠が咳払いをしながら口を挟んだ。
「なあ、アクセル。今度、私が女性への接し方を一から叩き込んでやろうか?」
「余計なお世話です!」
その瞬間、師匠の義手が肩に伸びてきた。反射的にビクッとなる僕。
「……すみません、黙って運転します」
険悪とも言える空気の中、目的地の地下水道が近づいてきた。スラムの外れにある錆びついたゲートを通り抜け、僕はイエローキャブを停める。
「さて、ここからが本番だな」
師匠がカボチャ型の防護マスクを装着し直し、不気味な低い声で呟く。
エイダさんも真剣な表情になり、防護マスクを口元に当てた。
「……行きましょう、アクセルさん」
「ああ、準備はいいな」
車外に降り立った瞬間、湿った冷気が肌を刺す。
その先にあるのは、闇に沈む地下水道――。




