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便利屋ハンドマン-HandMan-  作者: 椎名ユシカ
第2章 失楽の母胎と黄金の檻編

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03「黄金の檻に咲く殺意」


 格式のある黄金の回廊を歩くたび、足音がやけに響いた。


 ここは王宮の中でも最も奥深く――選ばれた者しか足を踏み入れられない場所。だが、今の私にとってこの場所は、ただの気が触れそうな"異質な空間"でしかなかった。


 未だ寝惚け眼な視線の先には、王宮の中心に位置する壮大な中庭が広がっている。青黒い石畳が敷かれた広大な広場には、幾何学模様が彫り込まれた噴水がいくつも配置され、澄んだ水が静かに流れ続けている。周囲には高くそびえる柱廊が巡らされ、その影の下には王宮の貴族たちがゆったりと談笑し、獣人族の従者が控えていた。


 遠くへ目を凝らすと、白い帷幕が風に揺れる開放的な建物が並んでいる。そこはきっと王宮の迎賓館か、上級貴族のための宴席だろう。豪奢な装飾が施された建物の内側では、淡い光を放つランプが灯され、幾人もの影が静かに行き交っていた。


 そして、回廊の奥から歩み寄る青白い肌と窪んだ目の下の影。生気のない瞳をチラつかせながら、通路の奥から白い衣を纏った侍従がゆっくりと歩いてくる。

 

「……まるで"この世に成らざる者"ね」


 侍女が私を一瞥し、何も言わずにすれ違う。

 その様子は、私という存在が"視界の塵"でしかないと言わんばかりだった。


 空を仰げば夜の帳が王宮全体を包み込み、塔の上部に取り付けられた灯火が星のように煌めいている。王宮の高台からは遠くの都市の明かりが霞み、低く響く楽器の音がかすかに届いた。


 静寂の中に孕む、微かなざわめきと優雅な調べ。

 ここは――まるで、この世界に住む者たちだけが享受できる、閉ざされた楽園のようだった。


 さらに歩みを進めると、黄金の装飾を施した首輪をつける獣人族の上位種、王族の血を引く者たちだろう――が、欄干の向こうから私を見下ろしている。


「……」


 その視線は冷ややかだった。

 まるで"場違いなものがいる"とでも言いたげに。


 そして、通路の端に控える侍女たち。

 彼女たちもまた、私を見て一瞬だけ目を見開いたが、次の瞬間には何事もなかったかのように無表情に戻り、軽く頭を下げるだけだった。


「この王宮において、私は"何者でもない者"なのね」


 それでも、足を進めなければならない。

 産声をあげるためだけに私の子宮を引き裂き、血に塗れて無理やりこの世に押し出された存在――この私と同じように愛し愛される運命を拒絶し、肉親からも忌み嫌われる愚かな血を継いだ存在を見届けるために。


「……哀れね」



 通路を進むたびに、空気が変わっていくのを感じた。砂の香りに混じり、花々の甘い芳香と、静かに揺れる水の匂いが微かに漂っている。壁際には高さのある燭台が等間隔に並び、その青い炎が砂岩のレリーフに陰影を落としていた。そこに刻まれた神々の姿は、まるで生者を監視するかのように重々しく、歩を進めるたびに圧迫感を増していく。


 やがて、巨大な扉の前に辿り着く。装飾された黄金の取っ手に触れれば、僅かにひんやりとした感触が指先に伝わる。先を歩くララがそれを押し開くと、甘く優雅な青蓮華(ブルーロータス)の香りと共に幻想的な光景が目に飛び込んできた。

 

 天井が遥かに高く、柱には神々の姿を描いた黄金の装飾が施されている。壁一面に広がるレリーフは、ナイル川の恵みを司る神々の祝福を描いたものだろう。扉の奥に広がるのは、格式高く、それでいて神との繋がりを肌で感じる神聖な空間だった。


 中央には静かに水を湛えた泉があり、そこから涼やかな音が響く。天井から吊るされた白と金の薄布が、風に揺れてゆったりと舞っていた。


 そして、その最奥に座していたのは――黄金の玉座に身を預けるセト女王の姿だ。

 その傍らで、ゆらゆらと宙に浮かぶ小さな影――生後半年の寄生虫(リアン)をあやすのは、空間魔術を操るリュミエルだった。甘く優雅な青蓮華(ブルーロータス)の香りが満ちる中、私は無意識に拳を握りしめる。


 何も感じていないように。

 そして何も考えていないように。


 けれど、胸の奥は妙にざわついていた。


「ほら、こっちを見て……そう、いい子ね」


 蜂蜜のように甘く、それでいて落ち着いた声が響く。

 私は無意識に足を止め、息を詰まらせた。


 見たくない。

 そして認めたくない。


 視界の端に映る深緑色の産毛と小さな指が宙を彷徨い、誰かの温もりを求めるように動くのが見えた。


 あれが私の"娘"?

 絶対に違う。

 それに、あの子は"私のもの"なんかじゃない。

 

 リュミエルが片手を掲げ、彼女の空間魔術によって浮かびながら、セト女王が彼女をあやしている。


 セト女王の腕がふわりと動き、害虫の小さな手を優しく包み込んだ。それはまるで、どこにでもいる普通の母親が、生まれたばかりの我が子に触れるような温かみのある仕草だった。


「ふふ……リアン、少し重くなったわね」

「ええ。黄金染料の影響でしょうか、成長が早いようですね」


 リュミエルは寄生虫の頬をそっと撫でながら、柔らかく微笑む。その笑顔からは迷いの欠片すら感じず、純粋な愛情だけが浮かんでいた。まるで、二人とも"本物の母"のように振る舞っている。


 私の代わりに。

 そして、私が拒絶した役割を当たり前のように。


 それが、それがとても――とても堪え難いほど、気に食わない。


「……気持ち悪い」

 

 温かくて、それでいて幸福に満ちた光景が視界に飛び込む。母が娘に無償の愛を注ぐような――そんな穏やかな空気に酷い吐き気を催し、私は視線を逸らした。


 私に人の心を理解する配慮が残っているのならば、自分の子宮を引き裂いて産み落としたのがどれほど醜悪な存在であったとしても、血を分けた"肉親"として接する覚悟くらいは持てたのかもしれない。錬金術における等価交換の対価や見返りといった概念など度外視し、何の疑いもなく、幾らでも無条件に無償の愛を注ぎ込むことができただろう。


 あの寄生虫を無限に慈しみ、ただひたすらにその小さな命を守ることが"正しい母親"の姿や在り方だとしたら――。


「……そんなもの、反吐が出る」


 温もりに満ちた空気が喉を塞ぐようで、私は視線を逸らした。

 

 まるで本物の"母と子"そのもののような関係に見える。

 けれど、それは私にとって――見るに堪えないほど不快な光景だった。


 セト女王の背に控えていた侍女が、深刻な面持ちで一歩前に出る。彼女は静かに膝をつき、頭を垂れると慎重に言葉を選ぶような口調で報告を始めた。


「女王陛下――ホルス軍の先鋒が、国境沿いのオアシスに進軍したとの報告が入りました」


 その言葉に、部屋の空気が僅かに張り詰める。


「……あらら。思ったよりも早いわね」


 黄金の装飾が施された椅子に腰掛けていたセト女王は、軽く顎に手を添えながら瞳を細めた。その横では、空間に浮かぶ寄生虫(リアン)が痩せこけた頬で精一杯の笑顔を振りまき、無邪気に手足を動かしている。


 リュミエルは特に驚いた様子もなく、ただセト女王の横顔を見つめていた。侍女の告げた言葉が、重要なものだと明白だったからなのだろう。


「では、外の空気でも吸いましょうか」


 女王は侍女に向けて穏やかに微笑み、静かに立ち上がる。ゆったりとした動作でローブの裾を整えると、足元の黄金の装飾が施された床に映る自らの姿を一瞥した。


「ねえ、リュミエル」

「どうしたの?」

「あなたも来る? もしかしたら、あなたの旦那さんの話もあるかもだし……」


 セト女王が軽く問いかけると、リュミエルは目を伏せ、一拍の間を置いてから首を振った。


「……大丈夫だよ。私はもう少しだけ、()()()()と遊んでいたい」


 その答えに、女王は満足そうに微笑み、優雅な足取りで侍女を伴いながら部屋を後にする。そして、扉へと向かう女王の後ろ姿を見送りながら、リュミエルは何気ない動作で視線を横へ流した。その先にいたのは、未だ無言のまま控えている彼女の守護者ララ=オルリア・オルロットの姿だ。


「ララちゃん、あなたも行ってあげて」


 彼女の言葉は、柔らかい響きながらも有無を言わせない確固たるものだった。ララは一瞬だけ私の方へ視線を向けたが、すぐに小さく息を吐く。


「……女王の護衛に回れってことですね?」

「うん。セトのこと、よろしくね」


 それだけの短いやり取りだったが、ララはもはや逆らうつもりもないのか、「はいはい」と気の抜けた返事をして、女王の後を追うように歩き出した。


 そして、ゆっくりと閉ざされる扉の音が響く。


 その瞬間、部屋の空気が一変した。

 残されたのは――この私と、元魔導王の一人娘リュミエル、そして宙に浮かぶ寄生虫(リアン)だけだ。


「……おはよう、セラさん」

「何言ってんのよ……"さようなら"の間違いじゃなくて?」


 張り詰めた沈黙が降りる。


 微かに唇を噛んだ。

 この黄金に満ちた空間を寄生虫(リアン)と共に過ごすことすら堪え難い。


 リュミエルが無言で笑みを浮かべ、寄生虫(リアン)を宙に浮かべたまま穏やかな瞳でこちらを見つめている。宙に浮かぶ害虫の周囲では、揺らめく淡い光の粒が静かに空間を彩っていた。


 害虫の深緑な産毛が、燭台の揺らめく光を受けて僅かに煌めく。小さな手は宙を彷徨い、まるで欠けた何かを埋めるように、誰かの温もりを求めるかのように、探し求めるように動いた。


「…………」


 その光景を見て、私は再び唇を噛み締める。

 堪え難い嫌悪感が胸の奥から溢れ出た。


 あれが私の“娘”だって?

 絶対にあり得ない。

 あの寄生虫は“私の子宮で勝手に育った”だけだ。


 握り締めた拳が、じわりと震えた。


「…………」


 違う、違う、違う――絶対に違う。


 心臓の奥で何かが軋み、燃え上がるような感情が沸き上がる。吐き気がするほどの拒絶感と、どうしようもないほどの苛立ちだ。


「……クソが」


 静かに呟く。

 あの寄生虫の存在が、あまりにも「正しく」そこにありすぎる。


 まるで私が否定しても、拒絶しても、彼女はそこに「在るべき者」として存在している。


 その事実が堪え難かった。

 だから――。


「『顕在意識の限界』『自己防衛の臨界点』『補綴の悠久』――その寄生虫を寄越せ。今からソイツに、産まれてきたことを後悔させてやる」


 詠唱が空間を震わせると同時に、首に掛けていたロケットペンダントが砕け散る。それは燃えるような赤に染まり、瞬く間に薔薇の彫刻が火無菊(ヒナギク)の形を成した。


 バチッ――バチバチッ――と空気が弾ける。静かだった部屋の温度が一瞬で歪み、まるで空間そのものが悲鳴をあげるかのように軋んだ。


 鼓膜を擘く無音。

 だが、その無音がかえって恐ろしく感じる。


 次の瞬間――私の足元を中心に、凶悪な怪電波が環状に放射される。それらは波紋のように広がりを魅せて衝撃波が壁を叩き、この部屋の装飾品を軋ませ、空間に存在する固有の振動数と同調を開始した。


 殺せばいい。

 ここで消し去ればいい。


 この世から"無かったこと"にすればいい。

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