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便利屋ハンドマン-HandMan-  作者: 椎名ユシカ
第三部 第1章 鏡界幻想郷編

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07「幻肢痛」


 薄暗い路地裏を抜け、通りの先で灯るネオンに足を運ぶたび、小龍(シャオロン)は五番街の空気がいかに自分の生きる二番街と違うかを痛感する。


 鉱山のざらついた埃や、何処からともなく響く金属の擦れる音。二番街には、労働者の嘆きと叱責の声が絶えない。それに比べて五番街の繁華街は、甘い酒の香りと高笑いに包まれた別世界だ。


 メイン通りに差し掛かると、いっそう賑やかな音楽と笑い声が響いてきた。酒場の外には陽気な客たちが溢れ、路地には食べ物を売る屋台が立ち並ぶ。


 煌びやかなネオンが明滅を繰り返すたび、鉱山で煤けた彼の衣類を虹色に照らした。

 

「……まったく、掌握者ってのも楽じゃあないよな」


 小龍(シャオロン)は歩きながら愚痴を溢し始める。


「それで、どうするんだよ。九龍城砦の連中はまだ大人しくしてるが、いつまた暴れ出すか分からない。掌握者なんて役、押し付けられたのがそもそもの間違いだ。俺は――」

「ねえ、小龍(シャオロン)。聞いてあげても構わないけど、それって立ち話で済ませられる内容なの?」


 セラは足を止め、振り返った。小龍(シャオロン)は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに不満げな顔を作る。


「お前が話を聞いてくれるって言ったんだろ」

「歩きながら話すより、何処かで腰据えて聞いてくれたほうがいいとは思わないの?」


 セラは薄く笑い、近くの通りを指差す。そこには、小さな木製の看板が吊り下がる古びた建物が見えた。


「どうせなら、私が知ってる場所でゆっくり話を聞くわ。古い顔なじみの店主が近くで店を構えているの」

「……はあ? お前が飲み屋なんて知ってるのかよ。まともに酒だって飲めねえくせに、人生損してるとは思わねえの?」


「別に酒を飲まないからといって、人生の幸福度が下がるとは限らないわ。それに、私は飲めないんじゃなくて――」

「ハイハイ、つまんねえ言い訳ばかり言ってないで店まで連れてけよ」


 小龍(シャオロン)が遮るように言葉を切った途端、彼女は視線を逸らして顔を手で覆う。そこから漏れる苛立ちの声は、微かな声量であったがために彼には届かなかった。


「……そういうことじゃないのよ」


 彼女は自分に言い聞かせるように呟いたが、すぐに手を下ろし、平静を装った表情で続ける。


「哀れね。知性や品性も欠片ほど持ち得ない貴方のような生き物に嘲られるなんて、自分が情けなく思える。自分の言葉がどれほど軽薄で醜いかすらの判断力も残ってないなんて、本当に滑稽だわ。そんな頭で私を測ろうなんて、愚かとしか言いようがないほどに……」

 

 セラはふと目を細め、彼をじっと見つめた。そこには冷徹で容赦のない光が宿り、彼女の口元には微かな嘲笑が浮かんでいる。


 蔑むようなその視線は、相手の存在を小さく押し潰すかのようだった。しかし、酒に酔って判断の鈍った彼はそんな視線に気づくこともなく、苛立たしげに肩を(すく)める。


「おい尻デカ女。さっきから何言ってんのか聞こえねえんだよ!」


 呆れたように吐き捨てる小龍(シャオロン)


 その瞬間、セラの表情が変わった。冷たい視線は瞬く間に柔らかい笑みに変わり、まるで何事もなかったかのように偽りの笑顔を浮かべる。


「ちょっと飲み過ぎたんじゃないの? 何でもないし、ただの独り言よ。ほら、体を支えてあげるから行くわよ」


 そう言って彼女は再び腕を絡めて軽やかに歩き出すが、その背中には微かな棘が隠れているようだった。


 店内に足を踏み入れると、五番街の喧騒が嘘のように消え去り、空間全体が静けさに包まれている。カウンターの端には、眼鏡をかけた金髪の女性が立っていた。


 彼女はまるで、二人が来るのを予期していたかのように微笑みながらこちらを見ている。


「随分と綺麗なオバさんが相手をしてくれるんだな。信用していい相手なんだろ?」


 警戒を隠さない声で問いかける小龍(シャオロン)。彼は酷く酔いながらも禹歩を行い、咄嗟に呪術や霊術が発動できるように指印を崩さない。


「ただの知り合いよ。そんなに身構えなくていいわ」


 セラは穏やかな笑みを浮かべながら答えるが、その瞳にはどこか計算された光が宿っていた。奥の隅に空いている席を見つけた彼女は、迷うことなくそこに腰を下ろして荷物を放り投げる。


 ふと彼の方向を振り返り、上目遣いな眼差しを向けて穏やかに言った。


「私の奢りだから、酒は勝手に頼んでいいわよ。挨拶だけ済ませてくるから、少しだけ待ってなさい」


 制御の効かない魔眼の力を用いて小龍(シャオロン)を見つめると、眼の力に対抗手段を持たない彼は頬を赤く染めて小さく頷く。


 彼は一瞬だけ眉をひそめたが、酒の勢いで「ああ」と短く答えるだけで、それ以上追求する様子はなかった。


 他の客からは死角で見えない席から静かに離れ、彼女はクラウディアの姿を見つけると柔らかな笑みを浮かべて駆け寄る。


「久し振りね、クラウディア。元気にしてた?」

「本当に久し振りじゃない、セラちゃん」


 クラウディアは胸を支えるように腕を組むと軽く頷き、カウンターに背中を預けながら「元気にしてた?」と挨拶を返した。


「どうかしら。貴女は? 何か面白いことでもあった?」

「面白いことなんてとんとご無沙汰よ。この街って私たちが暮らしていた場所とは違って、地下にあるから太陽が全く届かないのよ? 貴女が何を考えてアンクルシティに潜伏し続けるのか理解できないわ」


 セラは軽く微笑みながらカウンターに目を向ける。


「とりあえず、彼にはロックのウイスキーを一杯。それと、私にはいつもの特製カクテルをお願い」


 カウンターのスタッフが注文を確認しながら頷くと、彼女は軽く礼を言ってクラウディアの方へ向き直る。


「ごめんね、クラウディア。私が街を離れたくない理由は物凄く込み入った事情なの。でも、貴女は私とは違って自由に地上と街を行き来できるんだから、無理をして側にいなくてもいいのよ?」


 カウンターに置かれたカクテルに手を伸ばすセラ。


 バーテンダーが差し出したのは、ネオンの光に反射して色鮮やかに輝く二層に分かれたカクテル。液体は深い青と琥珀色のグラデーションを帯び、縁には黒い砂糖が煌めいていた。


 その名も「D.Mカクテル」――重たい名前だが、飲み口は爽やかさと苦みが同居しているという評判の逸品。


 彼女は右手でグラスを持ち上げるが、無意識に左手を覆う袖を引き直した。その動きは一瞬ぎこちなく、まるで誰かの視線を避けるようなもの。


 袖の下には、滑らかな黒いメタル装甲が隠されている。彼女はちらりと自分の手元を見た後、視線を再びクラウディアへ戻した。


「もしかして、その左腕って――」

「ごめんね、お姉ちゃん。王黒蠍の猛毒は流石に私の異能でも分解しきれなかった。だから……」


 案ずるように彼女の左隣に座り、引き直された袖の内側を確認するクラウディア。彼女は小さく溜息をつくと、「間に合わなかったのね」と呟き、セラを抱き寄せる。


 セラを抱き寄せるクラウディアの仕草は、どこかは母親のような優しさを帯びていた。彼女の細く長い指がセラの義手をそっと撫でると、メタル装甲の冷たい質感がほんの一瞬、クラウディアの瞳に影を落とす。


「本当に無茶ばかりする義妹ね。私にして欲しいことがあるなら何でも言いなさい?」


 その言葉には、インヴィオレイト家の過酷な運命を生き抜いてきた者だけが持つ、確固たる信念が込められていた。セラは思わず目を伏せ、クラウディアの腕の中で小さく息をつく。


 その時、ふと彼女の意識が別の方向へ引き寄せられた。死角にいるはずの小龍(シャオロン)の気配が、あまりにも静か過ぎたからだ。


 セラは微かに首を傾げ、視線だけを死角の方向へ向ける。

 だが、そこには動きはない。ただ、無言の空間が彼女の注意を引き続けていた。


 気配を探るように、セラは息を潜めながら一瞬だけ視線をその場から外した。そしてすぐに立ち上がり、クラウディアに小さく手を振る。


「ごめん、もう戻らないと」

「それもそうね。地上に行った時のことを詳しく教えて欲しいけど、貴女の気持ちに整理がつくまでは我慢するわ」


 彼女は心配そうに眉を寄せたが、セラは軽く首を横に振り、口元に笑みを浮かべて見せた。


「うん。ヴァイオレットやブルームママ、他の義姉さんには話したけど、クラウディアは街に残っていたから仕方ないよね」


 セラがグラスを持って歩き出すと、重いブーツの音がカウンターの静けさを破り、店内に金属音を響かせた。その足音は、まるで彼女の決意そのもののように響き渡る。

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