閑話「テイクオーバー×ライフ」
総支配人の案内の下、僕とダストのとっつぁんは人魚の涙に足を運ぶ。シガーラウンジの奥から聴こえるミッドナイトジャズの心地よい調音に心を躍らせていると、店舗内に入って数秒も経たないうちにセキュリティの男が目の前に現れた。
何事かと思って男の横を通り過ぎようとしたが、それでも人魚の涙のセキュリティは僕のことを睨みながら立ちはだかる。それから暫くの間、彼の瞳をジッと睨み付けていると、ダストのとっつぁんよりもガタイの良い男は、僕の首根っこを掴んで、シガーラウンジの外へと運び始めた。
その後、店舗前で待機していたガルガンチュアの総支配人の前に僕を突き出すと、彼は人差し指を立てて徐ろに揺らし続ける。セキュリティの男の隣に佇むホテルの総支配人は、舐め回すようなイヤらしい眼差しで僕の体を見ていた。
「アク……いえ、五番街の掌握者ジャックオー・ダルク・ハンドマン御婦人。ここから先はドレスコードが必須な空間となっております。申し訳ございませんが、貴女が着ている御召し物では入店を許可できません……」
少しだけ小太りで口元や顎に髭を蓄えたドワーフ族の総支配人。彼は僕の突き出た両乳房を見上げると、頬を赤らめながらもイチモツをおっ勃てて『僕の服装』を指摘してくる。
ほんの数分ほど前に僕とダストのとっつぁんが濃厚接触を想起させる淫らな馴れ合いを繰り広げていたというのに、総支配人の見解によると清楚ビッチの風貌をした女学生の姿では入店を許可できないとのこと。
大体、ドレスコードなんてルールは廃れるべき古き悪習でしかない。それに、壱番街という街は他の番街と違って『多様性に配慮した街』であったはずだ――。
「この壱番街は僕が掌握する五番街と違って多様性に配慮した街だと聞きました。それなのに、僕がドレスを着てないだけで入店を断るんですか?」
これまで多様性に配慮することに懐疑的な意見を抱いておきながらも、僕はプライドなんて吐き捨ててゴネてみる。そして、腱鞘炎になってしまうような熱い手のひら返しドリルをお見舞いしてやった。が、生憎その手の謳い文句を語る迷惑な客の対応には慣れていたようで、ガルガンチュアの総支配人は悠然とした態度と穏やかな声色で入店を拒み続ける。
自身が五番街の新たな掌握者ジャックオー・ダルク・ハンドマンだと名乗ってみせても、セキュリティ係の男は「ここから先は紳士と淑女が煙と酒を嗜む空間です。今の貴女の姿では入店を許可できません」と言葉を並べ、頑なに通してくれなかった。
それから僕は悪態をつきながら、ダストのとっつぁんに助けを求める。が、やはり彼も他の人物と同意見であったらしい。
「アクセル、ここまで来ておきながら戯言をぬかすな。ドレスの件は総支配人伝てに女店主へ報告済みだ。流石に学生服姿ではシガーラウンジの雰囲気を壊しかねない。ここは我輩の顔を立てて妥協してもらえないか?」
「はいはい、ダストのとっつぁん。何食わぬ顔で入店しようとした僕が悪うございました。そんじゃあ、どうしましょうか? 人魚の涙の女店主とやらがドレスを用意してくださるんですか?」
店舗前で迷惑客を装って臍を曲げながらドレスの行方を尋ねた。すると、ダストのとっつぁんは一枚のカードキーを差し出してきて、「そのカードキーを持って同じフロアにある店まで行ってこい。その店の場所は人魚の涙のセキュリティが知っているだろう――」と語り始める。
「このガルガンチュア帝国ホテルには、相応しい準備を怠たり入店を断られる紳士や淑女の為に設けられた専用の仕立て屋が各フロアに存在する。そこに行けば貴様に似合ったドレスを用意してもらえるだろう……」
「あざーっす! じゃあ、セキュリティのお兄さん。その仕立て屋まで案内よろしくー!」
長々と説明を続けるダストのとっつぁんからカードキーを奪い取り、同じフロアに存在する仕立て屋へ案内してくれるセキュリティの腕に抱き着く。しかし、僕が調子づいたまま腕を絡めて胸を押し付けた途端、セキュリティの男は緊張していたのか大きな体をビクつかせた。
「あ、えっと。ジャックオー様……貴女の胸が私の腕に――」
どうやら体格の良い死霊族の男は女性経験に乏しいようだ。というより胸を押し付けた時の彼の過敏な反応からすると、もしかしたらセキュリティの男は童貞を卒業してないのかもしれない。
僕が自然と腕を絡めて胸を押し付けて以降、彼は照れ臭そうに頬を赤らめているし、こっちを見てくれるどころか視線を彷徨わせている。しかし、死霊族の男は時折り伏せ見がちになりながらも、腕が埋もれた胸の谷間をチラチラと見ていた。
コイツはチョロそうな奴だし、確実に童貞なんだろう。どうにか彼にイイ思いをさせてやりたいが、行きずりの相手とタダでヤルほど僕は馬鹿じゃあない。
「……はぁ。どいつもこいつも面倒臭えな。セキュリティのお兄さん、お前まで何か文句でもあんのか? それともアレか? あの五番街の掌握者ジャックオー・ダルク・ハンドマンの実態が、実は目も当てられないような『頭のネジが緩んだイカレ女モドキ』だと知って幻滅してるのか? もしそう思ってるのなら安心していいぞ。こうやって『イカレた馬鹿な女』を装っていると、今まで過ごした人生の全部を忘れられそうで気が楽なんだ。それに、仕立て屋まではそんなに遠くないんだろ? だったらそれまでの間、僕がお前にイイ思いをさせてやる。ちょっとぐらい仕事をサボったところで罰なんか当たらねえよ」
右眼に宿った傲慢の魔眼が相手に齎す『魅了』の効果を増加させて尋ねると、セキュリティの男は僕に抱いていた警戒心を解いてくれた。
何食わぬ顔で仕立て屋へ向かおうとした直後、ダストのとっつぁんから注意深く『アクセル、あまり彼を揶揄うな。彼は人魚の涙で働く優秀なセキュリティだ。それに、彼は妻帯者でもある。下手にちょっかいを出せば、彼の妻がハンドマンに怒鳴り込んでくるぞ?』と叱られたが、僕は気の抜けた返事をして仕立て屋へと向かう。
それから暫くの間、値が張りそうな赤いカーペットを厚底スニーカーで力強く踏み込み、何処かの名匠が描いた絵画が掲げられる薄暗い廊下を歩き続けた。が、機嫌を損ねて僕が沈黙でいたことに耐えきれなかったのか、セキュリティの男はブツブツと呟き始める。
「……ジャックオー・ダルク・ハンドマン様。九龍城砦の闘技場で見せた活躍は見事なものでした。貴女のような何者にも臆することなく、強敵と立ち向かう心強い掌握者が居なければ、今頃このアンクルシティは魔導王幹部の手によって陥落していたかもしれません」
腕に胸を押し付けられた屈強な体格を誇る死霊族の男。どうやら彼も又、二週間前の『小さな戦争』で発生した流体型機甲骸の暴走で、何かしらの被害を受けた人物であったらしい。
死霊族の中でも一際注目を浴びるような、アヌビス神を彷彿とさせるジャッカル種に属するセキュリティの話によると、流体型機甲骸の暴走はガルガンチュア帝国ホテル内でも起きていたとのこと。しかし、ホテル内でも暴走を繰り広げていた彼女たちは、ガルガンチュアに配備されていた新型の蒸気機甲骸によって制圧されたそうだ。
「耳にタコができるほど色んな人から言われてるけど、僕は英雄でなければ称えられるべき掌握者でもないよ。むしろ本当に褒め称えられるべき存在は、常日頃から街を守っている各番街に配属された治安維持部隊と蒸気機甲骸だ。街の治安を維持する彼らが居なければ、ガルガンチュア帝国ホテルも甚大な被害を受けていたかもしれないんだよ?」
自分が成し遂げた功績よりも蒸気機甲骸や治安維持部隊の活躍に感嘆の声を上げた。が、彼を含めた街の住人は、二週間前に発生したテロを最小限の被害に抑えた事実を知って以降、入れ込んだように僕を英雄と持て囃している。そして、闘技場で戦う姿を実際に目の当たりにした人物は、僕のことを『臨界操術師アクセル』や『最強の掌握者』だと謳い始めていた。
「『英雄』だなんて本当に迷惑な呼び名だよ。確かに僕は二週間前に九龍城砦で発生したテロの被害を最小限に抑え込んだ。けれども、それは僕だけの功績じゃあない。部下の死や他番街の掌握者の助けがあったからだ」
等と後悔の念を抱きながら文句を垂れていると、セキュリティの男はスーツの胸ポケットから一枚のハンカチを取り出す。男はしどろもどろになりながらも、ボソボソとした聞き取りにくい小さな声で喋り出した。
「ジャックオー様。あのですね……一生のお願いがあります。良ければ……このハンカチにサインを書いて頂けませんか? 私、貴女のファンなんです……」
「あーサインね。サインか。別に構わないけど何か書けるようなペンは持ってない?」
「あっ! も、申し訳ございません! 今すぐ店に戻ってペンを――」
「心配すんなよ、ペンなら僕も持ってる。だけど直筆のサインなんかよりも良い奴をプレゼントしてやるよ。ちょっとだけ待ってな……」
死霊族の男は随分と不器用な奴だった。自分からサインを求めておきながらも、ペンの一つや二つも持ち歩いていないとは情けない。
ダストのとっつぁんは彼が『妻帯者』だと言っていたが、はたしてそれは事実なのだろうか? もしそうだとしても僕の見立てが正しいのなら、恐らく彼は僕と同じように嫉妬深き最愛の相手に、常日頃から浮気をしないようシバかれているのかもしれない。それなら、彼が最愛の相手を想うがあまり女性の扱いに慣れていないのにも納得がいく。
そんな生真面目で可愛気な彼を哀れんで考えに至った末、僕はブラのホックを外して豊満な乳房を包み込んでいた生地の薄い紫色のランジェリーをスルリと引き抜く。その後、直筆のサインを書いて贈る代わりに下着をプレゼントした。
「実は胸を抑え込んだブラが窮屈過ぎて困ってたところなんだ。まあ、流石にパンツは渡してやれないけど、サインを書いてもらうよりはプレゼントを受け取った方が気分が良いだろ?」
等と自惚れながら小さく微笑んだ後、何処で買ったのか覚えていない安物のブラジャーを差し出す。すると、セキュリティの男は目を見開きながら両膝を崩して下着を受け取ってくれた。が、涙ぐんだ今の彼が、『僕を慈悲深き女神』を前にした信徒のように振る舞い祈りを捧げる姿を見せた途端、自分の中の何かが彼の存在を拒絶し始めて気持ち悪く感じた。
「アクセル義兄さん。私は実は――」
分厚い絨毯の上で膝を着いて感涙にむせび泣くセキュリティの男。彼は徐ろに立ち上がると周囲に視線を彷徨わせる。廊下に僕たち以外の人物が居ない事を確認すると、下着を丁寧に折りたたんでスーツの内ポケットに仕舞いながら語り始めた。が、彼の言葉に耳を傾けようと振り返った瞬間、胸を覆っていたシャツが乳頭を擦って身悶えるような疼きと痺れが全身に駆け巡る。
『はぁ……その下着は私が作った物ですよ、ジャックオー様』
左眼に住み着くパンプキンさんの言葉に耳を傾けつつも、僕は腹の奥底から感じる強烈な疼きと痺れに体をよじらせた。
どうやら脳内に直接語り掛けてきた彼女の話によると、僕が死霊族の男に渡してしまった下着は女装用に買い込んだ仕事用の下着ではなく、パンプキンさんが僕の全身の感度を抑え込む為に作ってくれた霊具であったらしい。
『ジャックオー様、どうしますか? 私の霊力の粒子を結合させて下着を作っても構いませんが……』
『い、いや。これぐらいの感度なら大丈夫。それに、どうせ仕立て屋でドレスに着替えなきゃいけないんだ。パンツを脱ぐことはないだろうけど、ブラジャーを着たままドレスを着ていたら店の客から注目を浴びるだろうからね……』
あークソッ垂れ。息を吸い込むだけで疼きと痺れが全身を刺激しやがる。今さら下着を返せと言うのも情けない話だ。ここはいつも以上に腹筋に力を入れて性欲を抑え込む必要がありそうだな――。
「ジャックオー様! 体調が悪そうですが、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫。何も問題はないよ。何日も寝てなくて少しだけ疲れてるだけだから。それより、早く仕立て屋まで案内してくれ……」
セキュリティの男が不安そうに見つめてきたが、腹筋に力をギュッと込めて頭を廊下の壁に何度も打ち付けた。すると、激しい痛みが頭に走ったお陰なのか、煮えたぎるように熱くなった下腹部の奥から自然と熱が引き始める。
それから、淡色の照明が照らす薄暗い廊下を歩きながら仕立て屋へ向かう道中、シガーラウンジへ向かう紳士や淑女に無様な姿を不審がられたが、その都度ガンギマリながらも不敵な笑みを溢して彼らにガンを飛ばしてやった。
「あーヤバいわ。マジで一瞬でも気を緩めれば絶対に意識が吹っ飛ぶ。下着を一枚脱いで胸にシャツが触れただけだぞ? それなのに、こんなにも腹の底が熱くなるとは思わなかった……」
等と独り言を呟きながら腹を擦って歩いていると、漸くダストのとっつぁんが言っていた仕立て屋へと到着した。しかし、そこでホッと息をついて気を緩めた瞬間、乾き始めたショーツに気味の悪い体液がジンワリと滲み出す。
顔を赤らめながらゆっくりと目を伏せて床を見つめたが、何かが滴り落ちた形跡はみられない。
「本当に面倒な体だな。失禁……じゃないとすると、例の穴から何かが垂れたんだろう。気にするのも面倒だし確かめるのも嫌だな。今は取り敢えず、仕立て屋でドレスに着替えるか……」
人魚の涙のセキュリティに別れと感謝を述べた後、僕は『テイクオーバー×ライフ』という名の仕立て屋の玄関前に立つ。その後、店舗の扉に備えられた装置にカードキーを差し込んだ。すると、無事に装置がカードキーを認識したらしく、機械音が鳴ると共に店内へと続く扉の鍵が解除された。
店舗内には様々なドレスや紳士服を着ていた蒸気機甲骸や、従業員と思われるエルフ族の女性が佇んでいる。
煌びやかなシャンデリアが設置された天井やガラス製の工芸品が並べられた華やかな店内を見渡していると、臀部から龍尾を下げた龍人族と思われる女性がやって来た。
黒い長髪に深い藍色の毛髪が入り混じった、青色のサングラスを掛けるストライプスーツを着た女性。徐々に近づいてくる彼女の姿を目にした途端、僕の脳裏に彼女と過ごした『別の人生の記憶』が浮かび始める。
「ジャックオー・ダルク・ハンドマン様ですね? 本日は『テイクオーバー×ライフ』の貸し出しサービスをご利用いただきありがとうございます。私はジャックオー様の担当を務めさせていただく『ブルーム・インヴィオレイト』です。シャンパンをお持ちしましたが、お飲み物はこちらでよろしかったでしょうか?」
脳裏を過ぎり続ける深い森で彼女と過ごした光景を思い返していると、ブルーム・インヴィオレイトさんはシャンパン入りのグラスを差し出してきた。
「えーっと。そうですね、僕がジャックオー・ダルク・ハンドマンです。最近は臨界操術師アクセルだったり最強の掌握者、親しい人物からは魔性の黒髪乙女っていう馬鹿馬鹿しい名前で呼ばれていますが、好きな風に呼んでくれて構いませんよ」
右眼に宿った傲慢の魔眼がブルーム・インヴィオレイトという母性さえ感じさせるお穏やかな女性を、『注意すべき敵』だと警告し続けていたが、僕は本能に抗いながら魔眼が発する強力な『服従』の異能を封じ込める。その後、彼女からシャンパン入りのグラスを受け取った僕は、どうして右眼に宿った傲慢の魔眼が『服従』の効果を急に高めたのか訝しんだ。
『ねえ、タマちゃん。ブルームさんは敵じゃないと思うんだけど、どうして魔眼の効果を高めたの?』
魔眼に住み着く妖狐の怪異に向けて語りかける。しかし、玉藻前さんは恐怖に包まれたように心急くまま起こった出来事を話し始めた。
『あ、アクセル! 変だとは思うだろうが真面目に聞いてほしい! 魔眼が彼女に与えた『服従』の効果のことだが、吾輩は何も関与していない! 主は吾輩が強制的に魔眼の効果を高めたと思うだろうが、本当に何もしていないのじゃ!』
『大丈夫だよ。ブルームさんには効いてないっぽいし。それに、僕はタマちゃんを信じてる。キミが右眼に宿っているお陰で魔眼の副作用も感じないからね。多分、魔眼が服従の効果を強制的に高めたのは、もしかしたら僕が知らない傲慢の魔眼の効果の一つが彼女を敵だと認識したんだと思う。だから、何も心配しなくていいよ』
九龍城砦で玉藻前さんが傲慢の魔眼に住み着いて以降、彼女のお陰で傲慢の魔眼が僕の体に齎す副作用は全く感じなくなった。彼女自身も居心地が良いのか魔眼に住み着いているし、自分自身の肉体を具現化するのに必要な呪力を集め続けている。
タマちゃんの話によると、蘆屋道満との調伏の儀で負けてしまった彼女は、衰弱してしまった力を取り戻す為に魔眼が齎す悪影響を呪力に変化させて肉体に還元しているらしい。右眼に宿っているだけで呪力を集められるのだから、わざわざタマちゃんが暴走する理由なんてない。
だとしたら、やっぱり――。
等と顔を顰めながら店内の姿見鏡に映る右眼を凝視していると、大統領の第一補佐官ヴァイオレット・インヴィオレイトさんと同じ姓を名乗るブルームさんがドレスを幾つも持ってきた。それから、ブルームさんは何の前触れもなく相好を崩すと、僕からグラスを奪い取るや否や耳を疑うような言葉を並べる。
「分かったわ。じゃあ、私のことは『ブルームママ』って呼んでね? 貴女のことは『セラちゃん』って呼ぶわ!」
距離を縮めるつもりで『好きに呼んでくれて構いませんよ』と告げたつもりだったが、ブルームさんは堰を切ったように眦を下げて声を弾ませた。
「えーっと。あの……ブルームさん。貴女の姓もヴァイオレット補佐官と同じ『インヴィオレイト』なので予想はしてましたが、この場にいる今の僕は貴女たちが知ってる『セラ』って女性じゃあないです」
「あらあら。本当に詰めが甘い可愛い子ね。私は『セラ』って人物が女性とは言ってないわよ? それなのに、どうして『セラ』が女性だと思ったのかしら?」
「うっ……そ、それは――」
「確かに今の貴女はアクセル・ダルク・ハンドマンで間違いないわ。だけどセラちゃん。貴女は過去に過ごした全ての人生の記憶を保ったまま転生を繰り返しているはず。正直に言ってちょうだい? 私たちインヴィオレイト一族の家族として過ごした記憶も残っているのよね?」
首を傾げて僕の顔を覗き込んできたブルームさん。無害でふわふわとした穏やかな口調からは想像できないほど、サングラスの奥に潜んだ彼女の瞳からはハイライトが消えていた。
顔を曇らせて咄嗟に口を濁したが、それでも彼女は僕が『セラ』という無知で愚かだった少女だと確信していた。
「黙ってる……ってことは間違いなさそうね。色々と話したいことが沢山あるけど、セラちゃんも忙しそうだし今日はこれぐらいにしてあげるわ」
「……ありがとうございます。ブルームママ――」
「あっそうそう。ねえセラちゃん。この仕立て屋を訪ねた目的ってドレスを借りたいからなのよね? 相手はアンクルシティの大統領なのよ? ママが今のセラちゃんの体型に似合ったドレスを選んであげるわ! だけどその前に――」
「な、何ですか!? そのテープは!」
僕をセラちゃんと呼び続けるブルームママ。入店した時よりも明らかにテンションが高い彼女は、巻取り式のテープメジャーをポケットから取り出して不敵な笑みを浮かべた。
ブルームママは僕の腕を引っ張り店の奥へと向かうと、ノアの身長を上回る高さの三面姿見鏡の前で立ち止まった。が、彼女は僕を姿見鏡の前まで連れて行った直後、追い剥ぎのように僕の学生服を剥ぎ取り始める。
「ちょっ……ちょっと――」
「大丈夫、大丈夫! 全部ブルームママに任せてちょうだい! まずは今のセラちゃんの体に合ったドレスを選ばなくちゃね。あっ! そういえばセラちゃん、セラちゃん。貴女って解離者に戻ってから自分のスリーサイズを測ったことはあるのかしら?」
「えーっと。ここ最近は五番街の復興支援に時間を取られていたり、壱番街の魔術学校に通ったりしてるので、今のスリーサイズなんて測ったことはないです。下着とかは霊具パンプキンさんに作ってもらったりしてます」
「あらあら。そんなに素敵な体に成長したんだから、ちゃんと測らないとダメよ? じゃあ、そのまま立った状態で腕を上げてもらえるかしら?」
彼女に学生服を剥ぎ取られて紫色のパンツ一枚の姿で佇んでいると、彼女は腕を上げて晒された僕の両胸に巻取り式のテープメジャーを押し当てた。
「あのーブルームママ。僕のスリーサイズって――」
「あら、ビックリ。胸もお尻も本当に大きくなったわね。テープメジャーで測ったんだけど、セラちゃんのバストは119のМでウエストは66、ヒップのサイズは98ってところね」
嘘だろ。待て待て、落ち着くんだアクセル。予想していたよりもバストのサイズが大きすぎるな。パンプキンさんが作ってくれた下着も窮屈に感じたし、もしかすると二週間前よりも大きくなってるのかもしれない。
「リベットよりも確実に大きいな。これじゃあ、下着もオーダーメイドじゃないと駄目なのかもしれない……」
等と男の体から女の体に変化し続ける自分の姿に思い煩っていると、ブルームママさんが信じられないようなドレスを持ってきて唖然とした。
熟成ワインを彷彿とさせる深紅色のドレス。彼女が持ってきたパーティードレスは、突き出た両胸を覆うには布の面積が圧倒的に足りなく、足の側面や背中には大胆なスリットが施されている。
「ブルームママさん。このドレスって物凄く卑猥ですし、圧倒的に布の面積が足りないんですけど。背中なんて丸裸じゃないですか。それに、少しでも風が吹けば確実におっぱいがポロリしちゃいそうなんですけど……」
「大丈夫よ、セラちゃん。ママのセンスを信頼して? 貴女の魅力的なスタイルを引き立てるドレスってなると、このパーティードレスがピッタリだと思ったの。それに、食事の相手はアンクルシティの大統領なのよね? 彼の顔を立てるのなら少しぐらいサービスしちゃっても良いんじゃないんかしら?」
確かにブルームママさんの主張は一理ある。
食事の相手はアンクルシティの大統領を担う最高指導者ダスト・アンクルだ。
ガルガンチュア帝国ホテルという場を突発的に用意してくれたのだから、彼が下心を抱いたとしてもダストさんの期待に応えるべきなのだろう。
等と考えながら茫然自失としていた。しかし、顔を上げて三面鏡の姿見鏡に目を凝らすと、鏡には下着姿からブランジネックオープンバックと呼ばれる時代錯誤な深紅のドレスに身を包んだ僕の姿が映されていた。
「あ、ありがとうございます、ブルームママさん。こんなに素敵で魅力的な深紅のドレスは初めて着ました」
「うん! 私はセラちゃんの本当のママじゃあないけど、何度も新たな世界を創り続けた貴女の為なら何だってしてあげるわ!」
「『何度も世界を創り続けた?』それってどういう意味ですか?」
「あれ? 前世の記憶を保ったまま転生したんだと思ったけど、私たちインヴィオレイト一家と過ごした記憶は思い出せても、自分が『彼という存在』と戦う為に世界を創り続けた過去は思い出せないのね」
僕が世界を創り続けた。それってどういう事なんだ?
確かに僕は何度も転生を繰り返した。そして、この世界を見捨てようとした誰かと戦った前世の記憶が残っている。しかし、その人物が誰であるのかも思い出せないし、ブルームママさんやヴァイオレット姉さん以外のインヴィオレイト家とダウンビレッジの禁足地で過ごした記憶だって、今さっき思い出せたぐらいだ。
今の自分がアクセル・ダルク・ハンドマンという人物でありながらも、テイクオーバー×ライフと呼ばれる仕立て屋に着いてブルームママさんと出会った以降、僕の脳内に何度も転生を繰り返して何かを救い出そうと必死に足掻いた記憶が朧気に蘇る。
「セラちゃん。その深紅のドレスには、解離者に戻った貴女が難儀している超高感度を抑え込む効果が施されているのよ。凄いと思わない? 私や私の娘たちも貴女のお陰で解離者という存在に昇華できたわ。『彼という存在と戦った記憶』が転生しても引き継がれていないのは、もしかしたら貴女の右眼に宿った傲慢の魔眼が齎す悪影響のせいなんだと思うわ」
背後から抱き着いて感慨に耽ったブルームママさん。彼女の言葉から『ブルームママさんも解離者という存在』だと知れたが、それと同時に右眼に宿る『傲慢の魔眼』が僕の前世の記憶に干渉して悪影響を及ぼしているとも知れた。
それから、ブルームママさんは僕の正面に立つと、ブランド物の小さな小箱を差し出す。僕が小箱の蓋を開けて中身を見てみると、そこには薔薇の模様が彫刻された金のロケットペンダントが置かれていた。
「そのロケットペンダントは私からの贈り物よ。何があっても肌身離さず首からぶら下げていること。いいわね?」
「ありがとうございます、ブルームママさん。物凄く素敵なロケットです。これも借りて良いんですか?」
「借りるも何も……そのロケットペンダントは元から貴女の物なのよ? ロケットを開けるとホログラムが浮かび上がるから、疑うのなら自分の目で確かめなさい」
「このホログラムって、まさか――」
薔薇の彫刻が刻印されたロケットペンダント。彼女に着けてもらった僕の首元に掛かったロケットを開けてみると、九龍城砦で身に付けていた指輪の呪具よりも最新鋭な機械が内蔵されていた。が、暫く経つとロケットの中に組み込まれた機械が動き出し、機械の中央部に留められた水晶が輝き始める。
機械が動くと共に青く輝き始めた水晶は、今の僕と似た姿の女性やブルームママさん、そしてヴァイオレット大統領補佐官の私服姿を映し出すと、映像を切り替えてヴァイオレット姉さんの妹たちと禁足地で過ごす僕の姿を浮かべ続けた。




