10「無頼屋ディアボロ」
それから数ヶ月が経ち、ベネディクトは便利屋ハンドマンのエース『無頼漢ベネディクト・ディアボロ・ハンドマン』として、五番街以外の街にも『最強の漢』として名を轟かせていた。しかし、名を轟かせていたのはいいものの、ベネディクトは『とある二つの問題』を抱えて懊悩を繰り返す日々を送る。
ベネディクトが抱えていた問題とは、彼の妻『カトリーナ・ディアボロ・ハンドマンの五度目の妊娠』と『五番街のスラムから少年少女が何処かに消えている』という二つの煩悶だった。
彼はカトリーナの母体に負担がかからないよう、イザベラやカトリーナと同居していた五番街のとあるマンションから壱番街に存在する医療センターの付近へと引っ越す。この時、カトリーナは四度目の流産を繰り返してしまい、本人も精神的なダメージを受けていると見せかけている。が、ベネディクトはカトリーナの思惑に気づかず、カトリーナの四度目の流産に動揺を隠せず衝撃を受けていた。
ベネディクトはカトリーナの四度目の流産が便利屋ハンドマンでの彼女の過酷な業務や、自分自身の『魔族至上主義な思考』が彼女の母体に負荷を掛けているのではないかと胡乱していた。
彼は『五番街のスラムの異変』に気づきながらも、五度目の妊娠をしたカトリーナに最適な場所で安静に過ごすよう願っていた。その後、ベネディクトは赤子の母体に負担をかけないよう彼女を安静に過ごさせ、便利屋ハンドマンへと出勤してイザベラから斡旋された依頼を請け負う日々を送る。
ベネディクトが五番街から壱番街へと引っ越してから一年が経った頃、四度目の流産を乗り越えたカトリーナ・ディアボロ・ハンドマンは、ベネディクト・ディアボロ・ハンドマンとの間に『イスカ・ディアボロ・ハンドマン』という女の子の赤子を授かった。
その間、ベネディクトはイザベラから斡旋される過酷な依頼を全て請け負いながらも、二番街の次期掌握者となる劉翔と密会を続ける。そしてその頃、『五番街のスラムに住む少年少女が減ってきている原因』を突き止めた翔は、五番街の高級ラウンジでベネディクトと密会をして、九龍城砦や五番街で何が起こっているのか告白した。
「ベネディクト。今日も来てくれてありがとう。お前もカトリーナがイスカを出産したばかりで忙しいだろう。本当に申し訳ないな」
「俺は魔人族だぞ? 聖人族よりは体が頑丈なんだ。どれだけ仕事が忙しくなろうと『イスカちゃん』の顔を見ると疲れが吹っ飛ぶよ。それに、やっとカトリーナは俺の子供を産んでくれたんだ。アイツは獣人族だけど体が虚弱体質だったからな。俺のために頑張ってくれて本当に嬉しいよ」
翔らは気品のある女性たちと暫く飲み合った後、彼に『大事な話がある。女たちには聞かれたくない』と告げて、ベネディクトが卓に座らせていたお嬢さま方を外すよう言った。
お嬢さま方の賑やかな声が店内に行き渡るなか、翔は真剣な眼差しでベネディクトの瞳を見つめる。すると彼は他人事とは思えないような気持ちを抱きながら、翔の言葉に耳を傾けた。
「私の可愛い弟、劉峻強が九龍城砦の治安を改善させるために作った『碧血衛』の事は知っているよな?」
「ああ。あのバイク用のヘルメットを被っている変な弟のことだろ? それがどうした?」
「実は碧血衛を管理している私の義理の兄さん、陳が掴んだ情報なんだが、『九龍城砦のとある廃ビルに五番街の少年少女』が集められているようなんだ」
「……待ってくれ。それは本当か?」
先ほどまで顔を綻ばせていたベネディクトは、自身が心の奥で思い悩んでいた『五番街のスラムから少年少女が何処かに消えている』という問題に関係していると確信する。その後、彼は射るような視線で劉翔という人物を睨み付け、『誰が事件に関係している?』と威圧感のある声で呟いた。
「……私の兄、劉峻偉だ。そしてここから話す内容は義理の兄さん陳と私、碧血衛の一部の人間……そしてお前だけが知ることになる。お前は短気で直ぐにブチ切れる人間だ。別に蔑んで言っている訳ではない。だが、心を鎮めて聞いてくれ。できるか?」
ベネディクトは少しだけ口元を綻ばせた後、翔という幼馴染みであり親友であり、悪友でもある彼が告白しようとする言葉に何の疑いも抱かずに耳を傾けた。
「峻偉兄さんは『カイレンという魔導王幹部』と取り引きを交わし、『聖力核を宿した魔族の少年少女』を別の場所に転移させている。その少年少女らは間違いなく五番街の子供たちだ。だが、峻偉兄さん一人では秘密裏に子供を拉致するなんて不可能だ。だから――」
「翔。俺はお前のことを誰よりも知ってる。そしてお前も俺のことを良く知ってるはずだ。俺とお前が三龍棟にある風俗店で働くロビンちゃんで童貞を卒業したことや、九龍城砦の首領になったら、ジャックオー師匠と同盟を組んで互いの街を良くしようとしていることもな。だから、それ以上は何も言わないでいい。いつから知っていたのか分からねえが、カトリーナが無事に子供を産んでくれるまで俺に気を遣ってくれたんだよな?」
翔はベネディクトの瞳を凝視しながら、眉を曇らせて小さく頷く。するとベネディクトは眦を決して『お前が親友で良かった。ハッキリ言ってくれ。俺は何をすればイスカを救える?』と尋ねた。
「私の兄さんを殺してくれ。そうすれば、カイレンという男は何としても魔導王の任務を果たすために、次の若頭である私に接触してくるはずだ」
「……待て。俺にお前の実の兄を殺してほしいのか?」
「峻偉兄さん……いや、今の峻偉は私の兄さんではない。そして、カトリーナがイスカから目を離す機会を増やすには他に方法がない。それに、アンクルシティで一番の便利屋で『最強の漢』であるお前だから頼むんだ」
「そうか……分かった。お前が思っている通り俺はちょっとばかし馬鹿なんだ。どうせお前の事だから綿密な計画はもう考えているんだろ?」
ベネディクトが尋ねると、翔は自身が考えに考え抜いた計画を伝え唇を噛んだ。
彼はベネディクトに兄を殺させた後、便利屋ハンドマンから独立して二番街に店を構えるよう告げる。
「待ってくれ。どうして五番街の子供を救うために俺が独立するんだよ。峻偉とカトリーナをぶっ殺せばいいだけの話じゃあねえか」
「ダメだ。それだとお前がイザベラに殺される可能性がある。それに兄を殺したのが誰かにバレた時、お前が便利屋ハンドマンの従業員のままであれば、便利屋ハンドマンの名に傷がつく可能性がある。お前もイザベラ師匠には随分と世話になったはずだ。便利屋ハンドマンから独立していれば、彼女に迷惑は掛からない。そう思わないか?」
「あーなるほどな。確かに師匠には迷惑が掛からねえな。おしっ……一つ目は俺が独立だな。それで次は?」
「次はカトリーナを騙す。これはそこまで難しくない。カイレンが私に接触した後、私は魔族の少年少女の拉致をカトリーナとお前に任せる。これが上手く行けば、カトリーナはイスカの面倒を見ながら拉致を続けなければならない。いや、このままだと五番街の子供が拉致される状態が続くな……」
「翔。それなら問題はない。五番街には『アンクル青年団』っていうガギどもが作った組織があるんだが、その青年団の中には小さなガキから大きなガキまで売春を強要させているクズが沢山いる。そいつらを拉致ってお前に渡す。それなら五番街の治安も改善されるから丁度良い」
「そうか。それなら問題はないな。私が考えた計画はこれぐらいだ。あとはとにかく『カトリーナが少年少女を拉致している証拠』を集めろ。そして集めた証拠を『ジャックオー・イザベラ・ハンドマン』に全部見せてやれ。彼女がカトリーナに情けを掛けなければ、お前がカトリーナを殺すことに納得してくれるはずだ」
その後、ベネディクトはジャックオー・イザベラ・ハンドマンに、『独立して二番街に無頼屋ディアボロを立ち上げたい』と告白する。しかし、当時のイザベラは『次期五番街の掌握者』として認めていたベネディクトの意見を受け入れなかった。
「ジャックオー師匠! 俺は掌握者として相応しくないです! それに俺は馬鹿で猪突猛進っす! 自分のやり方で便利屋として働きたいです!」
「……お願いだ、ベネディクト。お前が便利屋ハンドマンから消えれば、ハンドマンが請け負う依頼が回らなくなる。どうして独立したいんだ? イスカも産まれたばかりなんだぞ? お前が独立して失敗でもしたらイスカとカトリーナ姉さんは路頭に迷う事になる。それに、私一人ではスラムへの支援は滞るかもしれないんだぞ?」
「いや、スラムへの支援ならアクセルが一人でもやっていけます! イザベラ師匠はアイツの事を侮っています。確かにアイツは魔術や錬金術、霊術も使えない俺の駄目な義弟です。ですが、アイツは俺が認める程の努力家なんす! アクセルには俺が持っている全てを仕込ませました! アイツは必ずイザベラ師匠を支える程の便利屋に育ちます!」
ベネディクトは額を床に擦り付けて頼み続けた。するとイザベラは彼の言葉が胸に響き、『お前は最強の漢だ。そのお前が信じるアクセルなら、暫くは信じてみるとするよ』と告げて回転式荷物棚に向かう。
彼女は便利屋ハンドマンの従業員だけが持つ事を許された『特殊な変形機構式機械鞄』を持ち出し、彼の独立を祝うために機械鞄をベネディクトに渡した。
「ベネディクト。これは私からの贈り物だ。この機械鞄があれば、どんな依頼を請け負っても果たせるはずだ。だけど勘違いするなよ? この機械鞄は私の姉カトリーナとお前たちの間に産まれたイスカを幸せにするための武器だ。お前が居なくなるという事は姉さんも着いていくんだな。少しだけ寂しいが――」
等とイザベラが彼の独立を祝う最中、ベネディクトの心は騒ぎ続ける。
(俺はこれから師匠の姉さんを殺さなきゃいけねえ。クソったれ……今すぐイザベラ師匠に全部伝えたいが、カトリーナが魔族の子供を拉致している証拠を集めるのが先だ。俺が今、本当の事を言っても信じてくれねえ。師匠はカトリーナの事を大切な家族だと思ってる。ここは我慢するしかねえ……)
数ヶ月後、劉翔とベネディクト・ディアボロ・ハンドマンは、峻偉を殺害するために新たな計画を立てる。二番街の繁華街で『無頼屋ディアボロ』という店を構えたベネディクトは、カトリーナが五番街の少年少女を拉致している最中、ディアボロの店内で翔と計画を練っていた。
ベネディクトは翔の口から放たれた言葉に猛り立ち、店内に置かれた丸椅子を激しく蹴り飛ばす。彼が感情を爆発させてしまったのは、これまでの間カトリーナ・ディアボロ・ハンドマンが自身が身籠った赤子を『流産したのではなく、赤子を堕胎処理していた』からであった。
その証拠の映像を見せられた直後、ベネディクトは冷静さを失い叫びだす。
「カトリーナの野郎……今すぐアイツをぶっ殺してやる!」
「ベネディクト、落ち着け! カトリーナが罪を犯し続けている証拠は順調に掴んできている。いや、これだけ証拠が揃っていれば、ジャックオー・イザベラ・ハンドマンもカトリーナの殺害を許してくれるはずだ」
「産まれるはずだった子供には何の罪もねえ。なのにどうしてあの女はこんな酷い事ができるんだ?」
「それは……私にも理解できない。いや、理解したくもない。もしかすると、カトリーナの精神状態は私たちが想像しているよりも狂っているのかもしれない。そろそろ峻偉を殺害しても良い頃だが、先にイザベラへ報告すべきだ」
翔や陳大佐、九龍城砦の治安を改善する一部の信頼できる碧血衛から仕入れた証拠の映像には、カトリーナがこれまで堕胎処理した赤子を峻偉に提供する想像を絶した光景が記録されていた。
数日後、彼はカトリーナに『気分が悪い。五番街のトゥエルブ先生に体の検査をしてもらいにいく。イスカの面倒は……お前が頼む』と嘘の情報を伝え、五番街の中央に存在する便利屋ハンドマンへと赴く。
ベネディクトが逸り立つ心を抑えてハンドマンの店内に入ると、店内を駆け回るアクセルの姿があった。
「あっ! ベネディクトさん!」
「お、おう……アクセル。そんなにバタバタしてどうしたんだ?」
「これからスラムに携帯固形食料を運びに行くんです! ダストのとっつぁんが新しい携帯固形食料を運ぶよう依頼してきたんですが、ちょっと食べてみますか?」
「いや、遠慮しておく。とっつぁんが部下に持ってこさせる携帯固形食料は、覚醒物質を抑制するのに全振りしてる不味いものばっかりだからな……あんなん魔物しか食わねえよ」
彼はダンボールから携帯固形食料を取り出すと、満面の笑みを浮かべながらベネディクトの口元に近づける。しかし、ベネディクトは携帯固形食料を執拗に押し付ける彼の姿が可愛く思ってしまい、アクセルから携帯固形食料を奪い取って口の中に放り込んだ。
「どうですか?」
「……うぇっ。やっぱりこりゃあ犬の餌以下の不味さだ。こんなもん誰も食いたがらねえぞ?」
ベネディクトが携帯固形食料を押し返すと、アクセルは彼の食いかけを頬張りながらスラムの事情を伝えた。
「まあ、確かに改良した方が良いと思いますけど……僕的にはギリギリ食べれるんですよね。それにスラムに住む『リベット』っていう女の子が居たじゃないですか? あの子は凄く美味しそうに食べてくれるんですよ」
「そりゃあ良かったじゃねえか。ジャックオーさんに用があるんだが、あの人は何処に居るんだ?」
ベネディクトは店内の見渡す。しかし、ジャックオー・イザベラ・ハンドマンの姿はなかった。その後、アクセルはベネディクトの跡を追いながら答える。
「二階のベッドで寝てますよ。僕が先生の分の依頼をチャチャっと済ませているせいなのか、最近のジャックオー先生は殆んど寝てばっかりです。呼んできましょうか?」
彼と一緒にベネディクトが二階へ続く階段を登っていくと、アクセルが言っていた通り、イザベラはハンドマンの店内に一つしかないベッドで寝転んでいた。
その姿を見た瞬間、ベネディクトはアクセルをじっと見つめた。
(アクセルの野郎……しっかりと仕事してんじゃねえか。独立した時は心配だったが、この様子なら立派な便利屋になってくれるな。もしかしたら……いや、アクセルなら俺の代わりに五番街の掌握者になってくれるはずだ。やっぱりお前は最強の……違うな。最速で最強になった最高の義弟だ――)
その後、ベネディクトは満面の笑みを浮かべながら、アクセルの頭を腕でロックして髪の毛をグシャグシャになるほど撫で回す。
「アクセル! お前メチャクチャ頑張ってんじゃねえか! 流石は俺の義弟だな。血は繋がっちゃあいねえが、俺はお前のことを本物の弟だと思ってる。イスカちゃんを嫁にやりたいぐらいだよ。まあ……そうなればアクセルは義弟じゃなくなって義理の息子になるのか……まあそれが一番だな。お前が居ればジャックオーさんは休み放題……だが、お前の体の方が俺は心配だ。あんまり無理すんじゃねえぞ」
「心配してくれて嬉しいです。でも、ベネディクトさんと肩を並べるためには、もっともっと頑張らなきゃいけませんからね! 僕は食料の配達に行ってくるんで、ジャックオー先生にはスラムに行ったって言っておいてください!」
その後、アクセルがイエローキャブに乗ってスラムへ行くと、ベネディクトはイザベラを起こした。
「ジャックオー師匠。お久し振りです。今日は観てもらいたい物があって来ました」
「あー無頼屋ディアボロのベネディクトじゃん。久し振りだね、今日はどういったご用で?」
ベネディクトは背負っていたバッグパックから、『証拠の映像』を記録した機械を取り出す。彼が淡々と機械を起動させると、カトリーナが過去に赤子を堕胎処理した発言や、堕胎処理した赤子が入った容器を峻偉に提供する姿、彼女がスラムに住む少年少女たちを気絶させる映像がホログラムとして浮かび上がった。
全ての映像が映し出された後、イザベラはカボチャ型の防護マスクに手を添える。するとカボチャ型の防護マスクは霊力の粒子に変化してネクタイに姿を変えた。
「ジャックオー師匠。貴女だって気づいているはずです。スラムに住む魔族の少年少女が減ってきていることを……」
「……そうだな。少しずつ減ってきている気がする」
「……ジャックオー師匠。貴女は俺の大切な義理の姉さんでもあり、尊敬している師匠でもあります。馬鹿でゴロツキの俺を拾ってくれたのは貴女です。そして俺は貴女のお陰で最強の漢になれました」
「そうか。それは褒め言葉として受け取っておくよ。今日は帰ってくれ。用事を思い出し――」
「師匠! お願いがあります! 俺に貴女の姉さん……いや、カトリーナ・ディアボロ・ハンドマンを殺させてください!」
「馬鹿も休み休み言え! カトリーナは私の姉でお前の妻だ! それにベネディクト。お前はもう……私の弟子ではない。無頼屋ディアボロの看板を持つ一人の最強の漢だ」
ベネディクトは彼女の瞳をジッと睨み続ける。しかし、動揺を隠せなかったイザベラは、彼が突き付けた現実の証拠や証言を信じられず、そしてカトリーナという実の姉が自身を殺そうとしている事実に目を背けて彼を睨み返した。




