07「正夢と逆夢」
彼の部屋に置かれた置き時計の分針は、劉翔との試合が始まる十五分前を指している。アクセルはロータスやリベット、エイダやノアを抱き締めた後、右手に中指に嵌められた指輪の呪具に視線を送った。
(錬成鉱石が輝いている。僕が夢で見た光景と一緒だ。僕が見た夢がこれから起こる現実であるのならば、案内秘書らは僕がコロシアムに入場しない事を心配してメッセージを送ってきたに違いない)
トランクス一枚の姿でベッドから床に降り立った彼は、指輪が嵌められた手のひらを壁に押し当てる。その後、恐る恐る呪具の指輪を起動させると、指輪に留められた錬成鉱石がプロジェクターの役割を担って壁に映像を映し出した。
アクセルが心急くままに映像をスクロールすると、彼が夢で見た光景と同じ文章が綴られたメッセージが壁に映し出された。
新着メッセージが映し出された映像には、『試合開始までの残り時間が十五分を切りました。ジャックオー様が試合開始時間までにコロシアムに到着していない場合、試合を放棄したとみなして劉翔様の勝利が決定します』という文言が映し出されてあり、彼が見た光景を一寸も狂わず辿るように、映像の端には試合開始までの時間が表示されている。
「全部同じだ……」
手足を震慄させながら彼が呟くと、ロータスやリベットがアクセルの元に歩み寄り、彼の困惑した表情を目にして戸惑いながら声を掛けた。
「ねえ大丈夫? 手足が震えているわよ。そんなに劉翔と戦うのが怖いの? 数時間前までは『彼に何の興味も抱いてない』って言ってたじゃない。それともさっきまで見てた夢が原因で手が震えてるの?」
「アクセルくん、顔が真っ青だよ? どんな夢を見たのか知らないけど、私たちに何か協力できる事はない?」
「大丈夫だよ、ロータスさん、リベット。ちょっとだけ酷い悪夢を見ただけなんだ。翔との試合には何も関係ない……はず」
自身が夢で目にした光景が『これから起こる現実』なのか『ただの悪夢』であったのか判断できず、アクセルは二人を不安にさせないためにも自身が体験、そして目撃した光景を告白しなかった。
その後、彼は副腎と化した聖力核や脳から化学物質を放出させ、これから体験するであろう現実を脳内の片隅に置きながら一瞬で着替えを済ませる。二匹の機甲手首と霊具パンプキンが一体化した防護マスクを震えた指先でカウンターから持ち上げると、彼は顎から鼻先までを防護マスクで覆い、棺桶型の変形機構式機械鞄を背負って武器が収納されたバッグパックを持ち上げた。
アクセルは夢で目にした光景を辿るように、重い足取りで控え室の出口へと向かう。すると夢で目にしたようにロータスやリベット、エイダや車椅子に乗ったノアが彼の跡を追って控え室の出口まで着いてきた。彼女らはその後、彼に激励の言葉を送ってアクセルを見送る。
しかし、アクセルは彼女たちの激励の言葉に微笑み返す事が出来ず、「行ってくるね」と一言だけ呟いて控え室から出ていった。
控え室の前には複数人の案内秘書らが齷齪と動き回っている。闘技大会の第一試合という観戦者にとっては注目すべき重要な試合を不戦勝といった形で終わらせたくないためにも、彼女らは取り乱しながら廊下を行き来していた。だが、アクセルが控え室から無事に出てきた瞬間、案内秘書らは普段は見せることのない微笑みを彼に送って気を緩ませた。
「アクセ……いいえ、失礼いたしました。ジャックオー・ダルク・ハンドマン様。第一試合の開始時間まで十分を切っております。私どもが送ったメッセージに応答が無かったので心配しておりました……」
「あ。赤い眼鏡のお姉さん。黒議会ではお世話になりました。貴女もこの闘技大会の案内秘書を務めているんですね」
アクセルの目の前に現れた案内秘書は、案内秘書の中でも新人であった『赤い眼鏡を掛けた黒髪』が特徴の女性であり、掌握者や便利屋同士が集まる黒議会でも便利屋ハンドマンの専属として選ばれた付き人であった。
(これは夢で見た光景とは少し違うな。僕が目にした夢では赤い眼鏡を掛けたお姉さんは登場してなかった。だとすると、僕が見た夢はただの悪夢だったのか?)
「体に不調があったのでギリギリまで寝ていたようです。これからでも第一試合に参加できますか?」
名前を語らない彼女は赤い縁の眼鏡をクイッと動かし、彼の質問にハッキリと答える。
「大丈夫です! 何も問題ありません! コロシアムでお待ちの観戦者は皆、アクセル様と劉翔様の壮絶な戦いを目にしたいと望んでいるでしょう。私どもが送ったメッセージには『貴方様が試合開始時間までにコロシアムに到着していない場合、試合を放棄したとみなして劉翔様の勝利が決定する』と書かれてあったでしょうが、本大会の主催者側である劉家も闘技大会の第一試合を不戦勝という形で終わらせたいとは思っていないでしょう。コロシアムに入場するのが多少遅れたとしても、何のお咎めもないはずです!」
等とテキパキと答えた新人の案内秘書は最後に小さく微笑み、再び赤い眼鏡の位置をクイッと直して彼をコロシアムへと案内する。
(この女性の言う通りだ。闘技大会の第一試合を不戦勝で終わらせれば、流石に色んな人物とコネがある峻宇爺さんであっても、試合を観戦しに来た富裕層や貴族から反感を買うはず。良かったような良くなかったような感じだな……)
その後、赤い眼鏡を掛けた新人の案内秘書とアクセルは、試合開始時間から数分ほど遅れてコロシアムへと入場した。すると彼の入場を待ち侘びていた観戦者たちは、彼が無事にコロシアムへ登場すると共に大きな歓声を上げる。
(夢で見た光景とは少し違っているけど、試合観戦者は明らかに夢で体験した時と同じような反応をしている。だとすると……コロシアムの中央には劉翔と彼に付き従う案内秘書が待っているはず)
アクセルは一呼吸、二呼吸置いて砂が散りばめられた闘技場の中央へと向かう。するとそこには案内秘書と並んで佇む翔の姿があった。
劉翔は彼が闘技大会をバックレないと信じており、自身に向けられた罵声や怒号が観客席から飛び交っても悠然とした態度でコロシアムの中央から一歩も動かなかった。翔は新人の赤い眼鏡を掛けた案内秘書が告げたように、アクセルが数分ほど遅れて登場しても主催者側が第一試合を不戦勝という形で終わらせないと確信している。
(大丈夫だ、何も心配することはない。数年前の事件の真実を知らないアクセル君は、私に憎悪を抱いて必ずコロシアムに登場するはず。彼は気にならないだろうが、私が兄、劉峻偉をベネディクトに殺させた意味を理解してもらうためにも……そして彼が抱いている誤解を解くためにも、私は彼と二人っきりになれる場で真実を告げなければならない……)
等と翔が眼を瞑りながら数年前に起こった出来事を思い返していると、彼が信じていたようにコロシアムの中央に案内秘書を連れたアクセルが登場した。
その後、赤い眼鏡を掛けた新人を含めた案内秘書らは、彼と劉翔の両名が向かい合った直後、大きな声を上げて観戦席に居る観戦者どもを黙らせた。
「ジャックオー・ダルク・ハンドマン様、そして劉翔様。両者を巫蠱の牢獄という指輪争奪戦を生き抜いた者、並びに各回廊に隠された芻霊を入手して本戦試合に通過した者と認めます。試合の勝利条件は――」
赤い眼鏡を掛けた新人の案内秘書が口上を述べ続けていた瞬間、アクセルは彼女の話を遮るようにパッグパックを地面へと放り投げ、「勝利条件は『相手を戦闘不能』にさせるだけですよね? 制限時間が無いことも知っています。そして案内秘書さんと主催者側が『戦闘不能だと判断した』場合、そこで試合が終了するんですよね? 全部分かってますよ」と告白し、案内秘書らの口上を遮った。
「そ、その通りです。それでは私どもが試合の開始を宣言するまで、両名は試合開始位置で待機していてください」
「……はい」
心を落ち着かせながらアクセルはそう告げると、憎悪の火種を燃やさないように心を鎮める。その後、彼は案内秘書らが闘技場の端に辿り着いて試合の開始を宣言した瞬間、翔の言葉に耳を傾けた。
「こうして二人っきりで話せるのは初めてだね、ジャックオー・ダルク・ハンドマン。いや……アクセル君。私は――」
「知っています。貴方は劉峻宇と劉瑞芳の間に産まれた次男。そして闘技大会という場で僕と二人っきりで話せる機会を何年も待っていたんですよね?」
アクセルが尋ねると、翔は平然とした顔を繕いながら、彼が自身の心を読んでいる事に驚き心急くままに語り始める。
「アクセル君。いや、ジャックオー・ダルク・ハンドマンさん。四年前に起こった事件の事を覚えているかい?」
「もちろんです。僕にとっては忘れられない事件ですからね。それより翔さん。僕の心に燻る憎悪の火種を燃やさないためにも、僕が納得できるような言葉で僕が抱いた誤解を解いてみせてください」
自分自身が夢で見てしまった光景を実現させないためにも、彼はアクセルという一人の青年ではなく『ジャックオー・ダルク・ハンドマン』という一人の掌握者として、劉翔が夢の中で告げようとした言葉の意味を理解する選択を取った。
(夢の中の僕は翔さんと言葉を交わす度、心の中に燻る憎悪の火種を押し殺す事ができなかった。そして最後には彼を殺す選択を選んでしまって、五番街の掌握者としての義務を怠る行為を行ってしまった。確かに僕は彼を憎んでいるけど、あんなに心が暴走した思いは二度と経験したくない。ここは何があっても憎悪の感情を押し殺す必要がある……)
等と彼が感情の起伏を押し殺していると、劉翔は掌印や指印を朽ち果てた義手で結び終え、結界天動術の一種で『森閑の包』と呼ばれる、無音の結界で自身とアクセルを包みこんだ。
「ハンドマンさん。私が結界を張り終えてくれるまで待ってくれたのかい?」
「今ここに居る僕は、これからどんな事が起こるのか大体は予想ができています。貴方が『金角や銀角』という怪異と契約している事も知っていますし、僕には貴方たちの攻撃を防ぎきる算段もついてますから」
アクセルがそう告げると、劉翔は「そうだったんだね。それじゃあ、奥の手を知られているようなら隠す意味が無いね……」等と呟き、長袍の袖から招来招魂術式の神呪が綴られた符咒を取り出し、義手の両手で包み込んだ。
その直後、アクセルは彼が両の掌で包み込んだ符咒が二枚に増えた事を目にして、自身が夢で見た光景が現実になろうとしている事を危ぶむ。
「アクセル君。この能力はカイレンから与えられた【倍増】と呼ばれる後天性個性だ。両の手のひらで包み込めた物質を――」
「両手で包み込める物質を二つに増やす後天性個性の事ですよね? 見れば分かりますし、僕はこの場で見る前から知っていました。その能力がカイレンから与えられた後天性個性である事も知っています。それより、僕が抱いている何らかの誤解を解く説明をしてください。あまりにも冗長な話であれば、僕の気持ちの方が堪えられなくなってきますから」
翔はなんとか平然とした顔を繕い続けようとした。しかし、アクセルが自身の後天性個性が数年前にカイレンから与えられた能力だと知っていた事に愕然としてしまい、細めていた眼差しを全開にして彼を見つめる。その後、彼は神呪が綴られる符咒に呪力を注ぎ込み『金角と銀角』と呼ばれる怪異を召喚した。
「分かった。これから私が語ることは、四年前に起こった『ベネディクトによる峻偉の殺害事件』の真実だ」
「それなら全部知っています。ベネディクトさんは貴方から依頼を請け負って、貴方の実の兄『劉峻偉』を殺したんです。この事は九龍城砦に住む人々や他の番街で働く一部の便利屋だけが知る事実でもあり――」
アクセルが話を終えようとした瞬間、翔は金角と銀角に向けて小さく頷き、彼を拘束するよう合図を送る。続けて彼はアクセルの話を遮り『四年前に起きた事件の真実』を語りだした。
「ハンドマンさん。心して聞いて欲しい。私の兄、峻偉は今も生きている。そして、とある人物に姿を変えて九龍城砦を支配、そして魔大陸に存在する魔導王イヴの幹部であるカイレンと協力して『アンクルシティを支配』しようとしているんだ」
劉翔の語りだした話に思考が追いついていけず、アクセルは心の中に存在していた憎悪の火種を徐々に燃やし始める。しかし、彼は何度も深呼吸をして、翔が告げた言葉が真実であるのか興味を抱いた。
「ちょっと待ってください、翔さん。え? 峻偉さんが今も生きているって本当なんですか? 貴方はあの日、無頼屋ディアボロでベネディクトさんとカトリーナさんと一緒に、『峻偉さんを殺したあと峻宇爺さんを殺して九龍城砦を乗っ取る』と話し合っていたはずです! それにベネディクトさんは当時、便利屋の頂点に君臨していた方ですよ? 彼が貴方から請け負った依頼を果たせなかっただなんてあり得ない!」
彼の発言が信じられず、そして最強の便利屋であったベネディクト・ディアボロ・ハンドマンが請け負った依頼を失敗した事が信じられず、アクセルは翔がベネディクトを馬鹿にしていると思い込んでしまう。そして彼は心の中で燻る憎悪の火種を燃え盛る炎に変貌させてしまった。
その後、アクセルは自身が見てしまった夢の光景を辿っていくように、背負っていた棺桶型の変形機構式機会鞄を地面に置く。しかし、彼は四桁の番号を押して機械鞄を『ジャック・オー・ランタン』と呼ぶ機械鎧に変化させると、困惑しながらも機械鎧を展開させて自身の体に装着させた。その直後、劉翔が召喚した金角と銀角と呼ばれる姉妹は、アクセルを拘束するために呪詛が込められ厭物と化した小型の呪具を胸の谷間から引き抜き、原寸大に巨大化させる。
「ベネディクトさんを馬鹿にするな! あの人は人種差別主義で最低のクズ野郎だったけど、どんな依頼も請け負う便利屋の鑑だ!」
「確かに彼は君が思う通りの人物だ。だからこそ、私たちは『カイレンと取引をしていたカトリーナ・ディアボロ・ハンドマンと峻偉』の指示に従うしかなかったんだ!」
翔が召喚した怪異は『金角と銀角』と呼ばれる人型の姉妹で、強者だけが讃えられる怪異が巣食う異界では狐妖や狐仙と称賛される存在。
彼女たちは召喚師である翔の最期の意思を汲み取り、彼に代わってアクセルの元へと駆け抜けた。
「金角、銀角! 貴女たちは私の身に何が起こってもアクセルを拘束しなさい! 彼には真実を知る権利がある!」
「やっとこの時が来たのだな……心得たぞ、翔!」
「翔さん! あとは金角姉さんとウチに全部任せな! 『自分の身に何が起こっても』と言われたけど、あんたを死なせる訳にはいかないよ!」
術者の呪力を向上させる特殊な【真と理】が張り巡らされた結界内で、金角と銀角はアクセルを拘束するために厭物を使う。
呪物を厭物に変化させる特殊な異能を持つ金角は、原寸大に巨大化させた幌金縄と呼ばれる黄金で作られた縄でアクセルの動きを封じ込める。そして姉と同様に銀角は、肩に担いだ羊脂玉浄瓶から強力な呪力の塊を砲撃した。
その後、彼はアクセルの攻撃から身を守るために長袍の袖から新たな符咒を取り出し、義手の両手で包み込む。
(アクセル君。君には全てを知る権利がある。私が張った『森閑の包』の中であれば、私たちの会話は闘技場の観戦席に漏れる事はない……が、私たちの行動を不審に思われないためにも、ここは全力で戦う必要がある……)




