06「燻る憎悪の火種」
リベットと浴室から出たアクセルは、これから行われる劉翔との戦いに僅かな懸念を抱きながらベッドに飛び込む。治癒魔術師リベット・ミラー・チェイスが施した活性化の治癒魔術は、彼の傷ついた体を十分な程に活性化させて治癒を施していく。しかし、彼女の上級治癒魔術には睡眠を誘発させる効果が伴っていた。アクセルはその事を知らずにベッドでうつ伏せになり、劉翔との試合を想定した『あらゆる対策』を脳内で繰り返す。が、彼は自身の体を揺らす何者かの存在に気づき、重い目蓋を開けて周囲を見渡した。
「アクセル、起きなさい! 指輪の呪具が輝いているわよ!」
「あれ、ロータスさん。僕って寝てたんですか?」
彼の体を揺らしていたのはロータスだった。彼女は試合開始数十分前まで眠りに就いていたアクセルが目覚めない事を危ぶみ、指に嵌めていた呪具の錬成鉱石が輝き出した事をキッカケにアクセルを叩き起こす。
「アクセル、しっかりしなさい。試合が始まるまで十五分しかないわよ。もしかしたら案内秘書が心配して連絡してきたんじゃないの?」
ベッドで寝ていた彼の周りには、ロータスやリベット、エイダや車椅子に乗ったノアの姿がある。彼女たちは何かを憂惧するようにアクセルを見つめ続けた後、指輪の呪具の輝きに応答すべきだと告げた。
ロータスが彼の頭を撫で回してベッドから立ち去ると、アクセルは右手の中指に嵌められた指輪に視線を送り、錬成鉱石の輝きを目の当たりにしてベッドから飛び上がる。
(不味いな。試合開始まで十五分しかないのか。さっさと着替えてコロシアムに向かおう……)
等と考えていたアクセルは、聖力核と化した副腎や脳から化学物質を放出させて一瞬で着替えを済ませる。彼が壁に手のひらを押し付けながら指輪の呪具を起動させると、壁に新着メッセージという文字が映された映像が浮び上った。
新着メッセージが映された映像には『試合開始までの残り時間が十五分を切りました。ジャックオー様が試合開始時間までにコロシアムに到着していない場合、試合を放棄したとみなして劉翔様の勝利が決定します』という文字が映されており、試合開始までの残り時間までもが刻まれ続けている。
「はいはい……さっさと行きますよ」
二匹の機甲手首と霊具パンプキンが一体化した防護マスクで顎から鼻先までを覆い、アクセルは棺桶型の変形機構式機械鞄を背負っう。武器が収納されたバッグパックを持ち上げた彼は、控え室の出口まで着いてきて激励の言葉を送った彼女らに微笑むと、控え室の前で待機していた案内秘書らに従いコロシアムへと向かった。
複数人の案内秘書に追従していくと、彼は観戦者らの喧騒で包みこまれたコロシアムに足を踏み入れる。アクセルの登場を待ちわびていた観戦者たちは、彼がコロシアムに入場すると共に更に大きな歓声を上げた。
闘技場には砂が散りばめられており、数多の選手たちが熾烈な戦いを繰り広げた痕跡が残っている。熱狂的な観戦者たちで埋め尽くされた闘技場の観戦席には、ベアリング王都から訪れた貴族や富裕層、九龍城砦の各棟を根城にした凶悪な呪術師や霊術師、免許を持たない錬金術師が叫び声をあげていた。
それから、アクセルがコロシアムの中央に佇む劉翔の元へ歩み寄ると、両名に付き従えていた案内秘書らが声を上げた。その瞬間、喧騒していた観客席は静寂に包まれる。
「ジャックオー・ダルク・ハンドマン様、そして劉翔様。両名を巫蠱の牢獄で行われた指輪争奪戦を生き抜いた者、並びに各回廊に隠された芻霊を入手して本戦試合に通過した者と認めます。試合の勝利条件は『相手を戦闘不能』にさせる事のみです。制限時間はありません。私たち案内秘書や闘技大会の主催者側が『戦闘不能と判断した』場合、そこで試合は終了になります」
両名に付き従えていた彼女たちは彼らを試合開始位置まで案内すると、コロシアムの端へと走り出して試合の開始を宣言した。しかし、バッグパックをぶら下げ棺桶型の変形機構式機械鞄を背負ったアクセルや、長袍と呼ばれる足元まで伸びた朱色の民族衣装を着た劉翔は、案内秘書らが試合の開始を宣言したというのに微動だにしないまま佇み続ける。
両者は感情を表に出さないまま見つめ合い続けたが、先に言葉を発したのは劉翔だった。
「こうしてちゃんと二人っきりで話せるのは初めてだね、ジャックオー・ダルク・ハンドマン。いや……アクセル君。私は劉峻宇と劉瑞芳の間に産まれた次男、劉翔と申します。私は闘技大会という場で君とこうして二人っきりで話せる機会を何年も待ち侘びていました」
徐ろに翔はそう告げると、朽ち果てた義手を用いて掌印や指印を結び変えながら、アクセルへ数年前に起きた事件の詳細を尋ねる。
「アクセル君。四年前に起きた例の事件を覚えているかい?」
「そんな事はどうでもいいんだよ。それより、さっさとそのボロボロな義手で結界を張りなよ。僕は貴方の存在に何の興味も湧いてない。それに、僕がベネディクトさんを殺したのは何年も前の話だ。貴方は今日という日がやって来るまで、自分が犯した大罪に対して正当な罰を受けてきたはずだろ」
「……そうかい。君にとってはどうでもいい事だろうけど、私や九龍城砦に住む人々、そしてアンクルシティに住む全ての種族には重要な事なんだ。だから、君が感じている誤解を解くためにも私の言葉に耳を傾けてもらえないかい?」
「僕が誤解だって? 僕は何の誤解もしてねえよ。貴方はただ、自身の兄をベネディクトさんに殺させて、彼を九龍城砦の大佐にしようと企んだだけだ。この事は九龍城砦の住人や他の番街で働く一部の便利屋だって知ってる事実だろ?」
「やっぱりそうだったんだ。それじゃあその情報だけで推察すると、私はアクセル君から見て憎まれる存在だね」
「いいえ、そんな事は思ってませんよ。さっきも言ったけど僕は貴方に何の感情も抱いてない。まあ、ひとつだけ思うことがあるとすれば、どうして貴方の両腕がそんなボロボロな義手であるのかぐらいかな。一応、僕は便利屋ハンドマンで働いているけど、これでも本職は義手や義足を整備する技術者だからね」
「気になってくれてありがとう。私の両腕が義手なのは四年前の計画が失敗したからだ。詳しく話してあげたいけど、この義手は訳あってボロボロだから掌印や指印を結びにくいんだ。少しでも私と二人っきりで話がしたい気持ちがあれば、結界を張り終えるまで待ってくれないかな?」
「何をしようが構いませんよ。僕は結界道教師である貴方に対してあらゆる手段を用意してきているし、貴方が召喚するであろう怪異に対しても完璧な対策をしてきてるからね」
感情を押し殺しながらアクセルが告げると、ようやく翔はボロボロの義手で掌印や指印を結び終え、自身と彼を閉じ込める一つ目の結界術を発動した。
翔は術者の侵入が可能な結界天動術『森閑の包』と呼ばれる【特殊な条件を加えた真と理】が拡張された無音の結界で自身とアクセルを閉じ込める。その後、彼はアクセルの攻撃から自身を守るために、長袍の袖から招来招魂術式の神呪が綴られた符咒を取り出し、異能の発動条件を満たすために義手の両手で包み込んだ。
すると、彼の掌で包み込まれた一枚の符咒は、カイレンから与えられた【倍増の後天性個性】が働いて二枚の符咒へと変化していく。
「アクセル君。この能力はカイレンから与えられた【倍増】と呼ばれる後天性個性だ。掌で包み込めた物質をだけを二つに増やす異能だと思っていいよ」
「貴方もカイレンから後天性個性を与えられたんですね。どうして自分から能力を開示するんですか?」
アクセルは翔に尋ねた直後、武器が収納されたバッグパックを地面に放り投げる。
「……それは私がアクセル君の味方だからだよ。私は君と戦うつもりなんて最初からない。君が感じている誤解を解きたいだけなんだ」
アクセルは言葉を交わす度に感情を押し殺し続ける。しかし、翔という憎悪の対象が『自分自身の味方である』と告げた瞬間、彼が劉翔に感じていた燻る憎悪の火種は激しく燃え盛り、自身の聖力核を縛っていたベネディクトの呪力に呼応して感情を静かに昂らせた。
「……決めたよ。お前はこの場で僕が必ず殺してやる。たとえ、この数年間で正当な罪を償ったとしても、僕の中の憎悪の火種はお前の全てを燃やし尽くせと告げている。どうにか負の感情に飲まれないように堪えてみたけど無理だった。今すぐお前を殺してやるよ!」
声を荒げて怒りの感情を曝け出すと、アクセルは背負っていた変形機構式機械鞄を目の前に置く。その後、彼が機械鞄に備わった九桁の番号ボタンのうち『2625』のボタンを淡々と押して『起動しろ、ジャック・オー・ランタン!』と叫ぶと、棺桶型の機械鞄は瞬く間に機械的な展開を魅せて直立不動した『ジャック・オー・ランタン』と呼ばれる機械鎧へと変貌した。
「アクセル君、本当に申し訳――」
「黙れ! この四年間、僕がどれだけお前を憎み続けたか教えてやるよ!」
彼は口と鼻先を覆っていた防護マスクを外し、防護マスクと一体化していたパンプキンに指示を送る。
「パンプキン! 機械鎧を身に纏って『戦闘モード』を起動しろ!」
「了解しました……アクセル様」
防護マスクと一体化したパンプキンは霊力の粒子に変化していき、直立不動したジャック・オー・ランタンに霊力の粒子を注ぎ込む。彼女は霊力の粒子を結合させて『下着を身に着けた黒髪の少女』へ実体化すると、ジャック・オー・ランタンに背を向けて佇み機械鎧が装着されるのを待った。
少女が背中を向けた瞬間、禍々しく輝く機械鎧は装甲を展開して丸呑みするように少女の体へと装着されていく。しかし、翔はパンプキンが少女に変貌して機械鎧を完全に装着した姿を目撃した直後、アクセルが自身の多対一における戦闘に対して十分な策を練っていた事に気づき、握り締めていた神呪が綴られる符咒に呪力を注ぎ込んで二体の怪異を召喚した。
「アクセル君。君には話さなければならない事がたくさんあるんだ。だけど、今の君の瞳はベネディクトを殺した数年前と同じ形をしている。申し訳ないが、私の話を聞いてもらうためにも君を拘束させてもらうよ!」
「はぁ!? 僕の瞳がベネディクトさんを殺した時と同じだって!?」
翔が召喚した怪異は『金角と銀角』と呼ばれる人型の姉妹で、強者だけが讃えられる怪異が巣食う異界では狐妖や狐仙と称賛される存在。
「金角、銀角! 貴女たちは私の身に何が起こってもアクセルを拘束しなさい! 私は別の結界を張って機械鎧を装備した少女を足止めします!」
「この時が来たのだな……心得たぞ、翔!」
「翔さん! あとは金角姉さんとウチに全部任せなさい! 何があっても貴方の骨は拾ってやるよ!」
術者の呪力を向上させる特殊な【真と理】が張り巡らされた結界内に怪異が召喚された直後、素肌に色鮮やかな甲冑を装着した金角と銀角は互いに見つめ合う。
彼女たちは召喚師である翔の最期の意思を汲み取り、彼に代わってアクセルとパンプキンの元へと駆け抜けた。
怪異の中でも特殊な異能を持つ金角は、呪詛が込められ厭物と化した小型の呪具を胸の谷間から引き抜き、原寸大に巨大化させた幌金縄と呼ばれる黄金の縄でアクセルの動きを封じ込めようと試みる。それから、姉と同様に妹の銀角は、腰の鎧に鎖で繋がれた小型の羊脂玉浄瓶を巨大化させ、浄瓶を肩に担いで瓶の中から強力な呪力の塊を発射させた。
その間、翔は朽ち果てた義手で更に掌印と指印を組み変え、パンプキンとアクセルを封じ込めるように二つ目の結界を張ろうと試みる。
だが、銀角が浄瓶から撃ち込んだ呪力の塊は、アクセルが事前に張っていた斥力の結界に到着すると同時に呪力の粒子を拡散して消えていく。後天性個性の【磁力操作】と【電気操作】を完全に掌握したアクセルの前では、どの攻撃も彼に到着する頃には威力を失ってしまった。
結界天動術が張り巡らされた結界の中では術者と怪異の呪力が底上げされており、金角が放った幌金縄は呪力の塊を避けたばかりのアクセルを完全に縛り上げることに成功する。しかし、彼はパンプキンへ咄嗟に指示を送ってガントレットを操り、臨界操術の【再生移動】を発動して空中に漂った霊力の粒子を結合させた。
その後、アクセルは後天性個性の『化学物質を操る能力』で身体機能を限界まで向上させ、金角が縛り上げた幌金縄はアクセルの膂力と災厄の魔術師が用いていたブレードによって切断される。
「パンプキン……霊力の粒子を結合させて足場を作れ」
「了解しました……アクセル様。ですが、本当に彼を殺すのですか? これではルミエル様がおっしゃっていた未来が訪れかねません」
「僕に命令するな! お前はジャックオーである僕の霊具でしかすぎない! 黙って指示通りに動けばいいんだ!」
「アクセル様……今の貴方はジャックオーという存在ではありません。貴方は今、五番街の掌握者としての義務を怠り、ただひたすら感情に身を任せて殺人を起こそうとしているだけです……私の言葉に耳を傾けて下さい」
怒りに身を任せたアクセルはパンプキンを睨み付けた後、「お前が指示を聞かないのなら自分で決着をつけてやる!」と叫び、自身の体内に存在する霊力核から霊力を放出させる。
僅かな霊力で結合された霊力の塊を踏み込み、後天性個性の『電気操作』と『磁力操作』を併用して彼は【磁気浮遊】を行う。すると後天性個性の化学物質を操る能力で身体機能を限界以上に向上させた彼の豪脚は、再生移動で作り上げた霊力の塊を最大限まで向上させた脚力で踏み込まれいく。
アクセルは磁気浮遊を使った事によって浮かび続けた結果、空気抵抗や摩擦といった概念から一時的に解離された存在となり、音速を超えた速度で翔の背後に回り込んだ。
限界を超えた圧倒的な速度と膂力で幌金縄を断ち切られた金角は、召喚師の背後に回り込まれたアクセルを引き留めようと別の厭物を胸の谷間から取り出し、彼を拘束しようと試みる。しかし、既に翔の背後に移動を終えていたアクセルは、ブーツの中から一丁の改造デリンジャー取り出し、彼の後頭部に向けて銃口を押し当てた。
「翔。今の僕の瞳がベネディクトさんを殺した時と同じだって言ったな? 残念だけどそれは全く違う。僕はお前が思っている以上に強くなった。最期に言い残す事はあるか?」
彼がそう告げた直後、翔は降伏の証として両腕の義手を上げながらアクセルの方を振り向く。しかし、彼が憐れむような眼差しを向けて何かを告げようとした途端、アクセルは中折式改造デリンジャーを彼の額に押し付け、銃の撃鉄を起こしてトリガーを引いた。
「僕は五番街の掌握者ジャックオー・ダルク・ハンドマンなんかじゃない。アクセル・ダルク・ハンドマンだ――」
アクセルはデリンジャーのトリガーを引き、彼の額に真っ直ぐ銃口を向けて銃弾を発射する。だが、右眼の視界を暗闇に飲み込まれた今のアクセルは、銃口から放たれた一発目の弾丸を外してしまった。
「次は必ず当ててみせるよ。お前は僕のトラウマでしかないからな」
「……そうか。こうなる運命だったのなら仕方ないか。今まで本当にツラい思いをさせてしまったね。何もかもが遅すぎたんだ――」
処刑を宣告するように呟いた彼は一呼吸、二呼吸置いて再びデリンジャーの激鉄を起こして狙いを定める。そして、アクセルが変形機構型改造デリンジャーのトリガーに置いた指先に力を入れると、銃の撃鉄は翔の命を灯火を掻き消すように落とされ、装填された特殊な弾丸を二つ目の銃口から放った。
デリンジャーが銃口から放った弾丸は、まるで彼の運命が指し示すかの様に翔の額を撃ち抜き、血飛沫を空中に撒き散らすと共に脳組織を吹き飛ばす。
その直後、彼が翔を殺害した姿を目の当たりにした二番街の住民、並びに九龍城砦に住む呪術師や霊術師、錬金術師やベアリング王都から訪れた貴族や富裕層は、彼の姿を賛称するように熱狂的な叫びや歓声を上げる。
アクセルが戦い抜いた姿を称える声がコロシアムに渦巻く中、彼は両眼を閉じて自身が翔を残酷なまでに殺害した事実を受け入れる。が、彼が再び両眼を開けると、アクセルはベッドの上に横たわっていた。
彼は全身から酷い汗をかいており、自身が見た光景がこれから起こる現実なのか、ただの悪夢であったのか判断できなかった。その後、アクセルは部屋に設置された置き時計に視線を送る。置き時計の針は試合開始十五分前を指しており、彼の周囲にはアクセルの顔を覗き込む私服姿のロータスやエイダ、リベットやノアの姿があった。
「アクセル、起きなさい! 指輪の呪具が輝いているわよ!」
「あれ、ロータスさん。僕ってもしかして寝てたんですか?」
彼の体を揺らしていたのはロータスだった。アクセルが彼女に何が起きているのか尋ねると、ロータスは「貴方、物凄く酷い夢を見てたでしょ。寝ている間、何度も魘されていたわよ」と答える。
(どういう事なんだ。僕は確かに数秒前、劉翔を殺したはず。いや、僕が見た光景はこれから起こる現実なのか? それとも馬鹿みたいな悪夢だったのか? いや、それとも別の時間軸の僕が見た光景だったのか? 何であったとしても最悪な気分だ……)




