19「刻印された絆」
「あれ、イエローキャブで行かないんですか?」
目を丸くして僕を見上げたエイダさん。彼女がガレージに続く扉へ向かおうとしたので、僕は呼び止めた。
「今日は歩きで行くよ。四番街に行くには『専用の交通機関』を使わないといけないからね」
そう言って僕はカウンターに寄り掛かりながら、腰のポーチから手鏡を取り出した。女性用カツラや化粧の具合を確認する。
「アクセルさん……」
「どうしたの?」
「貴方って、女装もする変態さんだったんですね」
彼女が溜め息交じりに言った言葉には、若干の呆れと戸惑いが混じっている。
「ああ、僕は依頼を遂行するためなら女装だってするし、吐いたツバだって飲み込む。――これがプロ意識ってやつさ」
「――プロ意識ですか。――どちらかと言えば、変態淑女って感じですよ」
「――その呼び名は聞き捨てならないな。変態淑女は僕の二つ名じゃない――むしろ今日の依頼主の方がよっぽど似合う」
「え、この世界にアクセルさんみたいな変態が他にもいるんですか?」
「僕を変態界の頂点に立たせるな。会えば驚くぞ、ソイツの破天荒ぶりには」
彼女の目が好奇心で輝くのを見て、僕は苦笑した。依頼主の人物像を説明するのは後にして、彼女を促して廊下に通じる扉を開ける。
「でも、歩きで行くってことは安全な場所なんですよね?」
「アンクルシティに安全な場所なんてないよ」
僕の返答に、エイダさんは首を傾げながら腕を組む。その仕草が少しだけ可愛らしいと思ったのは内緒だ。
「まあ、これから行く四番街は五番街よりは安全だよ」
「ふぅ……それなら安心しました」
「でもエイダさん、一つ聞いていい? キミ、どうやってこの店まで来たの?」
「えっと……店って便利屋ハンドマンのことですか?」
「質問を質問で返すな。疑問文には疑問文で答えるなって教わらなかったのか?」
「別にいいじゃないですか。下手に突っ込むと爆死させますよ?」
エレベーターに乗り込むと、僕は彼女の手首に視線を送る。彼女が親指を立てて拳を構えた。
「何をする気だ?」
エイダさんは「カチッ、カチッ」と親指を弾くような仕草を見せる。しかし、僕はその隙を見逃さない。彼女の背後を突くように、瞬間的に動いてその手首を掴んだ。
「え、アクセルさん?」
「ごめん、ちょっとだけ痛いけど我慢して」
ポーチから特殊なバングルを取り出し、彼女の手首に嵌める。バングルからレーザーが放たれ、QRコード型の刻印が放たれた。
「痛ッ……何するんですか!」
「悪いけど、これがアンクルシティで生き抜くためのルールなんだ」
彼女は手首を押さえながら睨んでくる。瞳の奥には怒りが見え隠れしている。
「最低です、変態さん。本当に爆死させますよ?」
「ハイハイ、悪かった。次は優しくするよ」
軽く肩をすくめて謝ると、彼女は不満そうに視線をそらした。
◆◆◆
「私は、色んな人たちに助けられながらここまで来ました」
「運が良かったんだな。君は神に愛されてるんだよ」
「神様なんていませんよ。いるのは悪魔だけです」
彼女の言葉に少しだけ考え込む。確かにこの世界では、魔術師や魔物、亜人が実在している。悪魔が存在してもおかしくはないのだろう。
「悪魔を恐れているのか?」
「はい……悪魔や魔術師は、私のようなホムンクルスにとっては恐怖そのものです」
エレベーターが停まり、僕は先に降りる。
エントランスでは、管理人のオバチャンが手を振ってこちらに近づいてきた。
「ねえ、アクセル先生。今日は女の子みたいな格好ね! お仕事なの?」
「まあ、そんなところです」
彼女は「最近和食にハマったのよ」とくだらない話を始めたが、適当に頷いて流す。エイダさんが困ったように後ろに隠れたのを見て、僕は「依頼が終わったら聞きますね」と言って会話を打ち切った。
エントランスを抜けて歩き出すと、僕はエイダさんに日傘を差し出した。
「エイダさん、これを使って。水色の髪は目立つからね」
「ありがとうございます……気が利くんですね」
彼女が笑みを浮かべたのを見て、少し嬉しくなる。
「女性ってのは不思議で奥が深いな。知れば知るほど泥沼にハマるようだよ」
「今さら何を言ってるんですか、変態さん」
彼女がくすりと笑うのを見て、僕は笑い返した。
しばらく歩くと、アンクルシティの道路を走る蒸気型路面機関車が近づいてくる。僕は手を振って合図し、車掌が速度を落としてくれるのを見て飛び乗った。
「エイダさん、僕の手を掴んで!」
「はい!」
彼女の手を引っ張って車内に入れると、彼女は少し居心地悪そうに俯いていた。
「大丈夫か?」
「はい……人が多い場所に慣れていなくて」
自然な動きで彼女の手を握り、そっと声をかける。
「僕がついてるから心配しなくていい」
「……ありがとうございます」
路面機関車で一時間揺られ、五番街の外れに到着する。
「ここから先は別の乗り物に乗るよ」
「また乗り物ですか?」
「うん。今回の依頼主は特殊な場所にいるからね」
そう説明しながら歩いていると、四番街と五番街を隔てるゲートが見えてき。
周囲には、蒸気機関銃を構えた治安維持部隊とスチームボットが警戒している。
「アクセルさん……あの人たち、こっちに気付いてますよ」
「大丈夫、普通に通るだけさ」
近づいてくる兵士たちを見て、エイダさんが困惑した表情を浮かべる。
「やっぱりダメです。私、隠れます!」
彼女はゴミ箱を錬成でダンボールに変え、それに飛び込んだ。
「おいおい……隠密にも程があるだろ」
僕は呆れつつも、その光景に思わず笑みを溢さずにはいられなかった。




