08「傲慢の魔眼」
騎士の風貌をした龍人族の女性、ルミエル・ディザスター・イヴさんが僕の両眼を掌で覆い隠した瞬間、彼女の片手に視認できる程の魔力が纏った。ルミエルさんは『傲慢の悪魔ルシファーの代弁者として、貴方に【傲慢の加護】と【傲慢の魔眼】を授けます』と言った後、僕の眼を覆った掌を退けてくれた。
「あれ!? ルミエルさん。右眼の視界が真っ暗なんですけど」
彼女が『傲慢の加護』やら『傲慢の魔眼』とやらを授けてくれた瞬間から、僕の視界の半分……いや、右眼の視覚が深淵に飲み込まれたかのように真っ暗になった。
僕は慌てながらも席から立ち上がって、隣に座るエイダさんやノアの肩を叩くが、時が止まったかのように彼女たちは何も反応してくれなかった。
その後、僕は席に着座したルミエルさんに視線を送ろうと試みる。だけど、両眼を開けたまま右眼だけが真っ暗なのはとても違和感があった。
突然やってきた違和感の正体に体が追いついて行けていないせいなのか、脳内の平衡感覚が異常を起こしたらしく、酷い頭痛が襲いかかってきた。
「落ち着きなさい、アクセル。貴方に授けた【傲慢の魔眼】は、『特殊な眼』や『魔眼』の頂点に君臨するとても強力な魔眼なの」
「は、吐きそうです。それに頭痛が酷くて体がフラフラします……」
ルミエルさんの話によると、僕が授かった傲慢の魔眼とやらは『特殊な眼』や『魔眼』の頂点に君臨するとても強力な――。
等と彼女の言葉を脳内で整理していたが、平衡感覚の異常による吐き気や頭に走り続ける頭痛に耐えきれず、立っていられなくて壁に背中を預けて床に尻もちをついた。
「大丈夫よ、アクセル。貴方には自分の身に降り掛かった症状を治す後天性個性があるはず。よく考えてみなさい。今、貴方が助かるためには何をしたら良いと思う?」
「この症状を治す、後天性個性……」
席に着座したルミエルさんの声が、僕の頭の中でずっと反響している。
どうにかなっていしまいそうだ。
頭痛が酷くて立ち上がれない。
それに吐き気がする。
それでもルミエルさんは、僕が後天性個性を使って今の症状を治せると言っている。
もしかすると、彼女が口にした能力は【化学物質を操る後天性個性】の事なのかもしれない。それなら脳内に存在している『活動していない領域』から放出した化学物質で小脳や中枢神経を刺激して、失ってしまった右眼の視覚の空間識を補正できる可能性がある。
その後、僕は悪寒や吐き気、激しい頭痛に耐えながらも後天性個性の化学物質を操る個性を発動して、脳内に存在する『活動していない領域』から放出した化学物質を小脳や中枢神経に注ぎ込む。すると右眼の視界が真っ暗なままでも頭痛や吐き気が一瞬の内に消えていき、平衡感覚が補正されて立ち上がれるようになった。
「席に戻りなさい、アクセル。貴方は自らの手で正しい選択を選べた。いや……選ぶことができた。と言った方が正しいのかしら?」
「ルミエルさん。そんな事はどっちでも構いません。僕に魔眼を与えた……じゃない、傲慢の魔眼や傲慢の加護とやらを与えたワケを教えてください!」
「そんなに怒鳴らないでちょうだい。それに『どっちでも構わない』と言ったようだけど、そんなことはないわ」
「はい?」
僕がルミエルさんを睨みつけると、彼女はニッコリと微笑んだ後「これから話すことは二人だけの内緒よ?」と言ってきた。
「貴方は、どの時間軸の世界でも、私から『傲慢の魔眼』と『傲慢の加護』を授かる人生を歩んでいたの。もちろん、授からない人生を歩んでいた時間軸もあったのよ? だけど、この時間軸の貴方は『私の指示をちゃんと守った』お陰で化学物質を操る後天性個性を使いこなせた。そしてその結果、頭痛や狂ってしまった平衡感覚を自らの手で補正する事ができたの。この意味が理解できる?」
「じゃ……じゃあ……僕が貴女との約束を守っていなければ――」
「……貴方は酷い頭痛や吐き気、狂ってしまった平衡感覚を元に戻せず、悲惨な未来を送っていたでしょうね」
「…………」
ルミエルさんは口にしていなかったが、僕には何となく想像ができた。
恐らく、彼女の言葉から予測すると、この世界の別の時間軸に存在していた僕という存在は、この傲慢の魔眼の症状を治せずに人生を全うしたのかもしれない。もしかすると、その時間軸に存在していた僕は間違った選択をしてしまって、エイダさんやリベット、ロータスさんを不幸にさせた可能性がある。
いや、便利屋ハンドマンの応接間で聞かされた話が本当であれば、僕は明日に死ぬことになる。そして近い将来、ロータスさんやリベット、エイダさんは、魔導王イヴが送り込んできた魔導骸の軍勢とやらによって殺される世界線もあったのだろう。
等と考えていると、指を弾いたルミエルさんは僕に話を聞くよう告げてきた。
「これから『傲慢の魔眼』についての説明をしてあげる。何度も説明するのは嫌だから、貴方からの質問は三つまでしか答えてあげないわ」
「分かりました。では、一つ目の質問に答えてください。質問の回数を五回に増やせませんか?」
こういう時は最初に質問の回数を増やせるのか尋ねるのが最適解だ。ただし、邪道でもある。
だが、質問の回数が多ければ多いほど、断られる可能性が高い。しかし、一つ目の質問を使って『質問の回数を五回まで増やす』というケチ臭くて微妙に断りづらい願いなら、ランプの魔人だって叶えてくれるはず。
甘い言葉を並べつつも『絶対に先っちょだけだから!』と誘う、プレイボーイな口説き文句と一緒だ。これなら幾ら騎士の風貌をした元魔導王だったとしても、自分自身の威厳を保つためにも断りきれないに違いない。
「なんだか凄くイヤらしい眼をしてるわね。あんた……なかなかヤルじゃないの。一つ目の質問はイエスよ。ただし、質問の回数を増やせるのは今のが最後。これで残りの質問回数は今のを含めて四回ね。それじゃあ、傲慢の魔眼と加護について説明を始めるわ……」
ヨシッ……堕としてやったぜ。
ガッツポーズをキメたいぐらいの成果だ。
これで残りの質問回数は四回。魔眼や加護なんてワケの分からん能力を授けてくれたのは心強いが、肝心な説明がなければ魔眼なんて宝の持ち腐れだ。ここは更に脳の細胞を活性化させて、ルミエルさんの言葉の一つ一つを十分に理解する必要がある。
「何から話したらいいのかしら……そうね、貴方の右眼は『魔力核』という、魔族が生まれながらに体内に持つ『魔力の源』に変化したの。心臓に魔力核がある場合は『心眼核』だけど、貴方は右眼だから『右眼核』ってところね。ここまでの話で質問はある?」
「ありません。話を続けてください」
魔力核か。それなら僕よりもリベットの方が詳しいはず。
眼が魔力核に変化する話なんて聞いたこともないけど、せっかくの質問枠をここで消費する訳にはいかない。
「じゃあ、次は『傲慢の魔眼』の能力について説明してあげるわ。いや、説明するより見せた方が分かりやすいのかもしれない」
等と呟き始めたルミエルさんは、僕の隣の席に着座していたエイダさんの傍に近づく。すると彼女はエイダさんの顎をクイッと指先で引き寄せ、『ルルーシュ……じゃなかった。ルミエル・ディザスター・イヴが命じる。欲望を曝け出しなさい、エイダ・ダルク・ハンドマン』と言って、瞳を蛇眼を彷彿とさせる縦型の瞳孔に変化させた。
その後、蛇に睨まれた蛙のように動かなくなった彼女は、虚ろな目を曝したまま「私の欲望……私の欲望は、アクセル先輩と永遠に一緒に居たいことです」とルミエルさんに告白した。
「え!? あのポンコツホムンクルスがどうして乙女チックな発言を!? ルミエルさん、今のが傲慢の魔眼の効果なんですか!?」
「そうね。エイダが本当に乙女チックなホムンクルスだからじゃない? ちなみに今のが傲慢の魔眼の効果よ」
誇らしげにドヤ顔をキメたルミエルさんは、傲慢の魔眼とやらの強さや効果を説明してくれた。
「傲慢の魔眼には相手の『欲望を曝す力』や『偽りの仮面を削ぎ落とす力』があるの。その魔眼に服従された者は真実しか語れなくなるし、どれだけ偽物の顔を繕っても口を開かずにはいられないの。だから、貴方はその眼の力を使った時、真実だけを知らざるを得なくなる」
「真実を知る魔眼ですか。とても便利な眼なんですね……」
と呟くと、ルミエルさんは長テーブルを一周しながら、ノアやエイダさん、レイヴンウッドさんやリリスの額を指先で小突いていく。しかし、彼女たちは時が止まったかのように微動だにしなかった。
「そうとも限らないわ。その魔眼の前では誰もが真実しか語れないの。つまり貴方は相手の嘘を見抜ける『眼』を持ってしまった事になる。確かに便利な魔眼ではあるけど、とても悍ましい魔眼でもあるの。だって、自分が知りたくもない真実でさえも見抜けてしまうのだから」
確かにルミエルさんの言う通りなのかもしれない。
知りたくもない事実を知ってしまうのは、何よりも不幸だ。
世の中には上っ面だけの言葉を並べる偽善者が大勢いる。それに、知らないことが幸せだった事実なんて幾らでもある。
「傲慢の魔眼を扱えきれなかった人物は大勢見てきたわ。もちろん、別の時間軸の貴方も含めてるわよ? いずれ貴方は自身に向けられた微笑みが『偽物』だと気づいてしまう。やがて、傲慢の魔眼を扱えきれなかった貴方は、自身に向けられた『本物』の微笑みさえも偽物だと思い込んでしまうようになる。貴方は孤独になる選択肢を選ぶことができるようになったの。ただし――」
しかし、ルミエルさんは「心配しなくても良いわよ。魔眼が蝕む『大きな代償』には『それを凌ぐ対価が補なわれる』から」と言ってくれた。
「どんな対価が補なわれるんですか?」
「質問に答えてあげて良いけど……それが貴方に残された四回目のチャンスよ。どうする? 傲慢の魔眼には、まだまだ……まだまーだ色んな便利な使い方があるわ。私が教えてあげた魔眼の力は、その力の中でも『比較的に使いやすい力の一部』でしかなの。貴方は選ばれる側ではなく、選ぶ側の立場になった。他の能力が気になるなら話を続けるわよ? どうする? 選択するのは貴方よ、アクセル」
クソッ垂れ。なんて野郎だ。
流石は元魔導王ってところか……質問に対する答えの回数まで数えてやがった。
他にも能力があるのなら……いや、欲張っちゃダメだ。
まずは傲慢の魔眼がどんな物であるのかを知らないといけない。
「選択します。どんな対価が補償されるのか教えてください!」
「残念だけど、それは不正解よ。ちょっとガッカリしたわ。所詮、貴方も他の時間軸のアクセルとそこまで変わらないようなのね。まあ良いわ。それじゃあ――」
何なんだよ……ガッカリしたって。ムカつく言い方しやがって。この元魔導王、神様になったつもりなのか?
いや、違う。僕はこの女の手のひらの上で転がされているんだ。ルミエルさんは他の時間軸を自由に転々と移動して、あらゆる事象を観測してきた人物だ。
ムカつく野郎だが、この女の言っていることは正しい気がする。だが、それでも腹が立って仕方がない。
今の僕では相手にならないどころか、先天性個性の癒着とやらを使われて、一瞬のうちに米粒サイズのミンチにされるだけだ。
ムカつく態度を魅せる女だが、この女がどんな未来を知っていようが構うもんか。
僕は僕のペースで走らせてもらう。
それよりサッサと話を終わらせてほしい。
こっちは緊急事態なんだ。
とある世界だと身構えている時には死神が来ないようだが、今の僕には憎悪と愛が混雑したヤンデレライオンと職権濫用を気にせず行うムチムチの女部隊長が着々と屋敷に迫って来ているはず。
ここでチンタラ話をしていれば、彼女たちにチ◯ポを切り落とされるか、パイプカットを余儀なくされる可能性がある。そんなのは御免被る。
等と考えていると、ルミエルさんは「それが正解よ」と呟いた後、何事もなかったように魔眼が授ける対価を教えてくれた。
「もしかしたら、この時間軸の貴方は他の時間軸の貴方とは別人なのかもしれない。ここまで私に対抗心を抱いてきた『アクセルという存在』は今まで観てこなかったわ」
「他の時間軸の僕がどうだったかなんて知りません。僕が丁寧に話し続けている間にさっさと話を済ませてください。でないと……その、ヤバい奴らが帰って来そうで不安なんです」
「え!? アクセル! もしかして貴方、私が傲慢の魔眼の話をしている最中なのに、ロータスやリベットが帰ってくる事が心配でしょうがなかったの!? 嘘でしょ!? 本当に言ってんの!?」
「心配に決まってんだろ! こっちは行きたくて行った訳でもない違法風俗店に行ったのがポンコツホムンクスルにバレて、それで二人の奥さんにも密告されたんだぞ!? お前がチンタラ話しているせいで、コッチは非常事態なんだ!」
「本当に呆れたわ。真面目に話してた私が馬鹿みたいじゃないの……」
「呆れたいのはコッチの方だ! さっさと僕をこの地獄から解放しろ! 死神が近づいて来てる気がして不安で仕方がないんだ!」
と喚き散らかすと、ルミエルさんはヤケに親身的になって傲慢の魔眼について説明をしてくれた。
どうやら僕の右眼が真っ暗な理由は、傲慢の魔眼が体に馴染むまでの初期症状であるらしく、数時間も経てば視力が完全に回復するとのこと。
そして傲慢の魔眼には、魔力の粒子を視る力が備わっているようで、魔力の粒子の流れを正しく視る事で最適解な魔術を選択することも可能になったようだ。
その他にも、注目すべき能力が色々とあったが、僕がルミエルさんから告げられた能力で気に入ったのは、傲慢の魔眼による『服従』の効果だった。
魔眼が発動する『服従』の効果は、右眼核に宿った魔力量に応じて魔眼を発動することで相手を自由に服従させられるらしく、僕のような『いも虫魔眼マスター』だと多くの魔力を消費しないといけないが、相手が魔力核を持った存在であれば大体の命令には従ってくれるらしい。
「もう良いですか!? 色々と教えてくれてありがとうございます! それじゃあ、僕は店に帰って社会のために貢献してくるんで――」
「お、お待ちなさい、アクセル。安心して良いわよ、ロータスとリベットが屋敷に到着するのはまだだから」
社会の歯車の一部としての役目を果たそうとする僕とは異なり、ルミエルさんは口を手のひらで覆いながら笑いを堪えていた。
「何故だ!? 何故見ているんです!」
「そんなに感情を込めたオンドゥル語は初めて聞いたわ。もう無理、笑い過ぎてお腹が痛い。大丈夫よ、アクセル。エイダやノア、リリスやレイヴンウッドの様子を見て見なさい。何か変だと思わないの?」
オンドゥル語は感情を込めた神聖な言語だ。馬鹿にする奴の気がしれない。
というより……確かにルミエルさんが言っていた通り、エイダさんやノア、リリスやレイヴンウッドさんの様子がおかしい気がする。ずっと黙ったままだし、ルミエルさんに額を突かれても何も反応しなかった。
一体、何が起こってるんだ?
「あのね、アクセル。世の紳士のロマンが凝縮された時間停止モノのビデオって知ってるかしら。アレって実は九割が偽物なのよ。つまり、本物も混ざっているワケ――」
まさか……この元魔導王ルミエル・ディザスター・イヴ様は、時間を止められる程の強さを持った神様なのか!?
と思った瞬間、ルミエルさんは指を弾いた。すると食堂に設置された置き時計の鐘が部屋に鳴り響き、エイダさんやノア、レイヴンウッドさんやリリスが、何事もなかったように茶菓子を口にして喋り始めた。
「さて……レイヴンウッド、リリス。せっかくのティータイムだけど、彼は色々と忙しくて仕方がないようなの。私たちは邪魔者のようね。アンクルシティを案内してあげるから着いてきなさい」
「お話はされたんですね、ルミエル様」
「今さっき転移したばかりですよ!? もうちょっとぐらい――」
とリリスが何かを言い掛けた瞬間、ルミエルさんは僕に本物なのか偽物なのか分からない微笑みを送った後、指を鳴らしてリリスとレイヴンウッドを巻き込んで何処かに空間転移してしまった。
その後、僕は卓上に並べられたクッキーを頬張りながら立ち上がり、エイダさんやノアを食堂に置いて食堂を出ようとする。が、扉の向こう側からヤンデレライオンとムチムチ女隊長の夥しい殺意を感じ取り、音を立てないように後退した。
「アクセル先輩? どうして震えているんですか? 何か心にやましい事でもあるんですか?」
「ダルク。私は貴様の性欲を甘く見ていたようだ。これでも私はオーガ族のはしくれだ。片腕だけでも人間を屠るだけの力はある。だが、私は貴様の子を孕んでしまった身だ。ほら……幾らでも私の体を弄ぶがいい」
「ねえ! アクセルくん! 扉の向こう側に居るんでしょ! 私以外の魔族の女を孕ませたって本当なの!?」
「アクセル! 今すぐ扉を開けなさい! でないと蒸気機関銃をぶっ放すわよ!? それと違法風俗店の所在地とヤッタ女の社会保障番号を教えなさい! 治安維持部隊長として見過ごせない事案よ! あんたがヤッタ女は私が職権濫用してでもシティから消し去ってやるわ!」
恐らく、僕の背後にはエイダさんとノアが居て、二人は僕の事を肥溜めに吐き捨てられた痰カスを見るような『眼』で見ているのだろう。
そして、扉の向こう側には大口径の特製蒸気機関銃を構えたロータスさんと、真鍮製のスタッフを握り締めたリベットが居るに違いない。
彼女たちは握り締めた凶器を食堂の扉に叩きつけている。
扉が破られるのは時間の問題だ。
もう、焦る必要なんてない。
四面楚歌っていうのは、こういう事を言うんだな。
これでハッキリした。神や仏なんて存在しねえ。
この場に居るのは悪魔だけだ。
ああ、クソッ垂れ。褐色の爆乳ダークエルフに天元突破した僕が悪かった。
「俺の身体はボロボロだ――」




