15「過去最低のジャックオー」
腹部に負った刺し傷も完全に癒えぬまま立ち上がるアクセル。彼と無事に合流を果たしたエイダは、元部下であったグレース・シルビアを睨みつけながらもアクセルの計画に耳を傾ける。
「これから僕は壱番街で働く便利屋を減らしながら、出くわした碧血衛を一人ずつ倒して芻霊を奪っていく。だから、グレースとエイダさんは古代生物の回廊の様子を見にきた『流体型機甲骸』の相手をして欲しい。場合によっては壱番街の勢力と戦っても構わない」
「あの頼りないヨワヨワ流体型機甲骸の事ですね? お任せください! アクセルさん!」
「えーアクセル先輩。本当にこの女と一緒に行動しないといけないんですか? いくら先輩が考えた計画とはいえど、この運だけは良いポンコツなホムンクルスと一緒に居るのは何だか納得できません。私も先輩と一緒に居たいです」
エイダはヤンキー座りをしてグレースを凄んだ瞳で見つめた後、ぶつくさと文句を吐き捨てながら彼女を蔑む。しかし、アクセルは「グレースはお前と同じ『心』を持ったホムンクルスな可能性が高い。そんな彼女を放って置く訳にはいかないよ」と言い、機嫌を損ねていた彼女の気分を宥めた。
その後、アクセルはグレースが近くにいるのにも拘らず、立ち上がったエイダを正面から抱きしめる。すると彼女は「アクセル先輩! ちょ、ちょっと待ってください! 今はダメですって! 何処かに監視カメラがあるかもしれないんですよ!?」と言い、頬を赤く染めて恥ずかしがった。
「大丈夫だよ、エイダさん。この回廊にある監視カメラは破壊しておいた。じゃないとグレースの首輪を外せなかったからね。それに残った監視カメラの位置では、僕らの場所は死角になっていて見えていないはずなんだ」
「だ、だからって……急にこんな場所でだなんて――」
(このポンコツホムンクルスは何を勘違いしているんだ? いきなりシャツのボタンを外し始めやがって……もしかして僕が発情しているとでも思っているのか?)
等と考えながら腕を組み、アクセルはエイダの額にチョップを食らわす。すると服を脱ぎ出し始めていた彼女は、アクセルを睨み付けながら地面に唾を吐き捨てた。それから間を置くこともなく、彼はエイダの指先に触れた後、彼女の瞳をジッと見つめて想いを伝える。
「エイダさん。ガッカリさせて申し訳ないけど、僕は五番街の掌握者ジャックオー・ダルク・ハンドマンだ。そしてお前の彼氏でもある」
「そういう発言は……二人っきりの時に言ってもらえると助かります。雰囲気って物を考えてくださいよ!」
「残念だけど僕は空気を読まない人間なんだ。いつだって好きな人には好きだって言いたいし、僕はエイダさんやリベット、ロータスさんの三人を平等に愛している。だけど、さっきも言った通り僕は『アクセル』であると同時に『五番街の掌握者ジャックオー・ダルク・ハンドマン』でもある。五番街を掌握する立場になってしまった以上、人前では好き勝手に振る舞うことができない。そしてグレースは、お前に続いて僕に助けを求めてきた二人目のホムンクルスだ。首輪を外してあげたのだから、彼女の面倒は僕が見てあげないといけないはずなんだ」
「……そういうカッコいいセリフは私の身長を越してから言ってください。掌握者になったからって図に乗らないでくださいね」
この時ばかりは彼も真剣な眼差しでエイダの瞳をじっと見つめており、アクセルは自身が五番街の掌握者であることを自覚していた。その後、彼は掌握者に課せられた義務を果たすべく、グレースの元へと一歩ずつ近づいていく。彼女はアクセルの意外な一面、そして彼が十六歳という成人になったばかりの青年であるのに大人びた思考を持つ事に脱帽してしまい、どうしてエイダ・バベッジがエイダ・ダルク・ハンドマンという名に変えてまで、彼の側を離れないのか気づき始めた。
(このアクセル・ダルク・ハンドマンさん。この人は噂通りの人だった。ベアリング王都では『アンクルシティの五番街にいるアクセル・ダルク・ハンドマンがスラムと同然の五番街に変革をもたらそうと努力している』という噂で持ちきりだった。勿論、王都に住む人間は『そんな事は不可能だ』と言って嘲笑っていた。アンクルシティはいわば日陰者が住む地下帝国だ。地上に出る勇気の無い人物たちが生活する街。それがアンクルシティ。その中でも五番街は最低のスラムと揶揄される程に廃れた街でもある。でも……私の目の前に居る人物は、そのスラムと揶揄される廃れた街を本気で変えていこうとしている。そして彼は出会って間もない私の事さえ救ってくれた。もしかしたら、エイダ隊長がアクセルさんと一緒に居続けるのは、この人が目指す未来が見たいからなのかもしれない。彼はアンクルシティをどんな街に変えていくんだろう。私も少しだけ……彼が変えようとしている五番街の姿を見てみたい)
グレースに手を差し伸べたアクセルは、彼女を立ち上がらせてこう告げた。
「グレース。エイダさんから聞いた話によると、お前はホムンクルス壱番隊の中でも最弱のホムンクルスなんだよな?」
「え? あ、あぁ……まあ下から数えて一番目ですね」
「つまり最弱のホムンクルスって事だ。別に僕はお前の戦闘力を馬鹿になんかしていない。だって僕は最弱であるお前に完敗したんだ。お前の強さは僕から見てしまえば全然最弱なんかじゃない。むしろ誇っても良いほどの強さだと感じたぐらいだ」
「え! 本当ですか!?」
グレース・シルビアというホムンクルスは、ホムンクルス部隊壱番隊隊員の中でも戦闘能力の乏しい存在であったが、それはエイダと共にこなしてきた困難な任務の中で評価されたもの。彼女は確かに同世代のホムンクルスの中では戦闘能力に乏しく、運だけに恵まれたホムンクルスであったが、グレースが人間や魔族を超越した人造人間であるのは間違いなかった。
「うん。だからグレース。良かったら僕の店で働かないか? ホムンクルスがベアリング王都でどんな待遇を受けていたのかは分からないけど、そこのポンコツホムンクルスが満足できる程度の生活だけは保証してあげられるからさ。まあ、便利屋ハンドマンで働く事が条件だけどね――」
「お願いします! 私、グレース・シルビア! 数々の困難な任務から生き延びた幸運のホムンクルスです! お洗濯や家事全般、書類整理の事なら何でもやってみせます! きっとアクセルさんやエイダ隊長の役に立ってみせますから!」
「チッ……アクセル先輩がそう言うなら仕方ないですね。グレース、本当に貴女は幸運な人造人間ね。本当なら行く当てもなくアンクルシティをズーッと彷徨うところだったのよ? ツイていたと思いなさい!」
三人は予選通過試合や本戦試合を終えた後の生活を話し終えると、指輪の呪具の機能で映し出された映像から回廊で使用可能な転移アイテムを確認する。アクセルが地面に映し出された映像をスクロールさせると、回廊で使用可能な転移召喚アイテムの画面に切り替わり、彼は目的の転移召喚アイテムが表示されるまでスクロールを続けた。
「どれも魔力や呪力、霊力を回復させる注入液のアイテムばかりだ。どうせだったら治癒術式が使えない人の為にも配慮したアイテムが用意されててもいいのに。それに、どのアイテムも転移召喚クレジットがバカみたいに高すぎる。これなら十字貿易のセリナが魔力を回復できなかったのも納得できるな」
「え! アクセル先輩! 十字貿易のセリナさんって黒議会に出席した四番街の掌握者さんですよね? 一緒に戦ったんですか?」
エイダが唖然としながらも尋ねると、アクセルは映像をジッと見つめながら小さく頷いた。
「まあね。呪術転移した先にセリナの勢力と劉翔を含めたウォーカー氏の勢力が居たんだ。どっちを潰しても良かったけど、劉翔やウォーカー氏が壱番街と同盟を組んでいると知ったから、僕は迷わずセリナ側に着いた。ただそれだけだよ」
エイダに真実を伝えたアクセル。彼は呪術転移した先の回廊勢力の中に劉翔が居たことを見抜いており、アクセルは単独で行動を開始した劉峻強がウォーカー氏の勢力に加わっていた事を既に予測していた。
愕然とする真実を告げられたエイダは、胸が締め付けられる思いをしながらアクセルの手のひらをギュッと掴む。彼女はアクセルが『復讐』のために劉翔を殺そうとしたり、彼自身を裏切った劉峻強を殺害しようと思い詰めているのだと勘違いしてしまう。
「アクセル先輩……その劉翔って人はまさか――」
「うん。エイダさんが思っている人と同じ人物だよ。劉翔はベネディクトさんとカトリーナさん、ベネディクトさんと一緒に劉家を乗っ取ろうとした馬鹿な兄貴だ。そして僕が相手にしなきゃいけないのは、劉家の若頭劉峻強と次男の劉翔。二人とも僕に関係する人物だ」
「そうだったんですね、アクセル先輩。やっぱり先輩の作戦には納得できません。私、いや、私とグレースは先輩と一緒に行動します」
「え? 二人とも僕と一緒に行動するの?」
アクセルは転移召喚が可能なアイテム一覧映像から視線を上げ、目を丸くしてエイダを見続ける。すると彼女は「お願いします」と小さく呟いた。
「もしかして……そんなに僕が信用できない?」
「ハッキリ言わせてもらいます。グレースは確かに同世代のホムンクルスの中でも戦闘力に乏しいホムンクルスでしたが、彼女と渡り合った貴方は人間の力を遥かに超えた強さを持つ存在です。そんな貴方を一人で行かせてしまえば、何が起こるかぐらいは予想がつきます」
「アクセルさん。エイダ隊長の言っている事は確かに正しいです。私、グレース・シルビアはベアリング王都の国軍関係者から劉家の若頭・劉峻強と貴方、劉翔とベネディクト・ディアボロ・ハンドマンに関わる情報を既に取得済みです」
エイダは直接アクセルから数年前に起きた事件の詳細を聞いていたが、グレース・シルビアに至ってはベアリング王都にも悪影響を齎す存在であった『ベネディクト・ディアボロ・ハンドマン』と『劉翔』に関わる身辺調査を既に行なっている。その後、エイダは真剣な眼差しでアクセルを見つめながら、「私たちは貴方に救われた恩があります。もしも貴方が自制心を保てなくなって大切な友人を殺そうとしてしまった時、私たちだけが貴方を止められるんです」と呟く。
それに続いてグレースは、アクセルに向けてこう告げた。
「私は最弱のホムンクルスですが……貴方を暴走を止めるだけの力はあります。私たちはアクセルさんに罪を犯してほしくないです」
「グレースの言う通りです。お願いします。貴方が信じる私たちの力を信じて一緒に行動させてくれませんか?」
二人のホムンクルスに説得された結果、根負けしたアクセルは仕方なく彼女たちの希望を受け入れて同行を許した。
(僕だってそんなに馬鹿じゃない。劉翔やデンパ君と戦う覚悟はあったけど、殺すつもりなんて一切なかった。だけど、二人は万が一の事を思って僕と一緒に行動すると言っている。確かに僕はホムンクルスであるグレースと互角に渡り合った……のかな? いや、渡り合ったというよりは、作戦でゴリ押ししただけだけど。まあ、彼女たちの心配な気持ちも理解できなくはない)
単独で行動を開始した劉峻強の行動理由や劉翔という憎悪の対象を頭の片隅に置きつつも、アクセルは自身を中心とした古代生物の回廊に展開中の太極図の知覚領域内に侵入者が現れたことに気づく。
「二人とも。戦う準備をして」
「え! アクセル先輩! 誰かが近くに居るんですか?」
「ちょ、ちょっと待って下さい! 私、大型機甲銃を遠くに置いてきてしまったので! 取りにいかなくちゃダメなんですう!」
アクセルが新たな敵の勢力を感じ取れたのは、上級霊術『太極図』の知覚範囲を500メートルに引き上げていたからである。彼は太極図の結界領域内に飛び回る無数の『符号』から知らされた情報を基に、侵入してきた敵の勢力が『改良型のパワードスーツを着た碧血衛』であると瞬時に察知した。
エイダには先に古代生物の回廊から出ていくよう告げた後、グレースには子供の手のひらに収まるほどの機甲手首を持たせて、『機甲手首』が短距離型の通信機であることを伝えて大型機甲銃を取りにいかせる。
「相手は二、三人の碧血衛だ。二人の力を借りなくても僕一人で何とかなる相手だよ。だから二人は準備が終わり次第、一度ショッピングモールの回廊に戻って欲しい。二人の治癒術式でセリナの怪我を治してもらいたいからね」
「分かりました! 絶対に一人で無理な行動はしちゃダメですよ! アクセル先輩!」
「本当に役立たずでスミマセン。武器を回収したらエイダ隊長と合流してショッピングモールの回廊に行きます!」
二人がその場から立ち去った後、アクセルは左腕に装備したガントレットを起動する。すると霊具パンプキンが「こんにちは、五番街の掌握者ジャックオー様。今回はどのようなご用件でしょうか?」と呟いた。
「今回は時間稼ぎだ。エイダさんとグレースさんが回廊から抜け出すまでのね」
「なるほど、時間稼ぎですね。お相手はどちら様ですか?」
「ベアリング王都が過去に利用していたパワードスーツを改良して装備した『二、三十人の碧血衛』だよ。少なく見積もってもそれぐらいの数が迫ってきてる。まあ相手に不足はないね。ガントレットに霊力の無限供給を頼むよ。それから変形機構式機械鎧に内蔵された聖赤結晶238のエネルギーを機械鎧の全体に行き渡らせろ。僕は機械鎧に備わった特殊包丁とバスターガンで奴らを倒していく。パンプキンはエネルギーを機械鎧に行き渡らせたら、太極図の術式が途切れないように太極図の術式出力を1.5倍に上げて効果の適応範囲を0.75倍に引き下げろ」
「私の使い方を理解できてきましたね、ジャックオー様。ご命令通り、ガントレットへの霊力の無限供給及び機械鎧に内蔵された聖赤結晶238エネルギーを機械鎧に行き渡らせた後、太極図の術式を微調整します。ご武運を我らの五番街の王・掌握者ジャックオー様」
(何が五番街の王・掌握者ジャックオーだ。僕は下位術式やちょっとした霊術しか発動できない過去最低のジャックオーだ。イザベラ師匠やレイブンさんとやらに顔向けできる様なジャックオーなんかじゃあない。それに治癒術式が一切発動できないジャックオーなんてこれまでに居たのだろうか? そんなの居るわけがないよな――)




