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便利屋ハンドマン-HandMan-  作者: 椎名ユシカ
第3章 青少年期 九龍城砦黒議会 指輪争奪戦編

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04「神話の魔獣」


 各試合参加者が回廊に転移呪術されてから六時間が経過した頃、壱龍棟の特殊な巫蠱(ふこ)の回廊にエイダ・ダルク・ハンドマンが吐き出される。彼女が吐き出された回廊には、指輪の呪具の転移機能を使用した試合参加者が既に転移されており、試合参加者は水浸しになった回廊に力無く浮いていた。


「ここで何があったの……」

 

 回廊に吐き出された刹那、エイダは水面に落下しないよう、ホムンクルの体に内蔵された背部の浮遊装置を作動させる。彼女は体に内蔵された聖赤結晶238のエネルギーを使用して宙に浮かび続け、周囲を見渡した。

 聖赤結晶238による無尽蔵のエネルギー放出を利用しながらエンジンを作動させていると、エイダは自分が転移した回廊が今までいた回廊とは別物の回廊である事を悟った。


(この回廊にもアクセル先輩の気配がしない。それにしてもこの回廊は何なんだ? 今までの回廊と違って地面が見当たらない。それに試合参加者の亡骸が水に浮いている。何かが起きたあとなのか? あるのは回廊に敷き詰められた水とランダムに配置された岩の足場だけだ。それにアンデットや兵馬俑(へいばよう)の姿も見当たらない。だとしたら、彼らを倒したのは誰なんだ?)


 指輪の呪具に知らされた巫蠱(ふこ)の牢獄というゲーム内容を元に、エイダは幾度目かの転移呪術を繰り返してアクセルを探し続けていた。


 彼女は背部に備えられた飛行装置を作動させ、浮遊装置と飛行装置を用いて回廊を飛び回る。

 点滅する照明の明かりを頼りに飛び回っていると、見覚えのある顔ぶれが視界に入った。そこにいたのは巨大な岩場の上に横たわる女性と、女性の傍らで膝を着いて頭から血を流した男性だった。


「マクスウェルさん!」

「ああ、エイダ・ダルク・ハンドマンか……お前もこの回廊に来たんだな」


 岩場に片膝を着いていたのは、アンクルシティの三番街で技巧工房を営むオーナー、マクスウェル・フッド・スレッジ。三番街に住む者からは、(リウ)峻宇(ジュンユ)の全盛期を凌ぐ呪術師だと謳われている。彼は全盛期の峻宇(ジュンユ)が持ち得なかった、超人的な身体機能を生まれ持った黒人男性だった。

 彼のすぐ傍には意識を失ったナディア・ストームの姿がある。両者とも息も絶え絶えで、マクスウェルに限っては全身に切り傷を負っており、立ち上がるのが困難な状態だった。


 エイダは飛行装置と浮遊装置をしまいながら岩場に降り立ち、中位治癒魔術と錬金術を用いてマクスウェルの体を治癒していく。


「申し訳ない。だが俺の体は大丈夫だ。ナディアの面倒をみてくれ」

「わ、わかりました、任せてください。それよりマクスウェルさん。この回廊にアクセル先輩はいませんでしたか?」


 エイダは治癒の対象をナディアに移し、マクスウェルに訊ねる。

 

「残念だがジャックオーとは会ってない。俺も自分の部下を探してナディアと転移呪術を繰り返していたら、この不気味な回廊に辿り着いたぐらいだ。それより水辺に近寄るな。化け物が襲ってくるぞ」


 エイダが「化け物?」と訊ねた瞬間、水面に浮かんでいた試合参加者の亡骸が吸盤の着いた触手に絡め取られて、回廊の奥深くへと引き摺り込まれた。


「見たろ? アレが化け物だ。あの化け物はカイレンが回廊から転移する際に召喚した強力な魔物だ。吸盤が着いた触手からすると、軟体動物に近い類いの魔物で間違いない」

「強力な化け物って……マクスウェルさん! カイレンと遭遇したんですか!?」


「ああ、奴と一戦交えた。お陰でこのザマだ。カイレンは……恐ろしく強い。俺とナディアが二人がかりで戦っても勝てなかった相手だ。そして奴は訳の分からない人物だ。奴はこの俺にも後天性個性を与えてきた」

「後天性個性ですか。カイレンの意図が全く読めませんね」


 切り刻まれた黒いスーツを脱ぎ捨て、マクスウェルは白いワイシャツを引き裂く。すると褐色の肌に彫られた、()()と呼ばれるタトゥーが露わになった。

 彼の腕から肩、胸から背中にかけて彫られたペアと呼ばれるタトゥーは、ポリネシアンサモアという特殊な入れ墨で、マクスウェルが三番街の掌握者となった時に彫られた物であった。

 彼の左胸にはクーと呼ばれる、戦いの神を指し示す神の顔のシンボルが描かれてあり、肩には平和や長寿を表すカメの姿が彫られている。

 マクスウェルは自身の自然治癒力を高めるためにティキという四大神に祈りを捧げ、戦いの神であるクーのシンボルを呪力で変化させる。すると左胸に描かれていたクーのシンボルが歪んでいき、カーネと呼ばれる森羅万象を司る神の顔へと変化した。


「マクスウェルさん。その胸のタトゥーは、ペアですか?」

「流石はホムンクルスだな。なんでも知っている。他人に自分の術式を開示するつもりはなかったが、お前はジャックオーの店で働く従業員だ。隠す必要がないよな。俺の左胸に彫られたタトゥー(ペア)は、ティキの力を借りる術式だ」


 森羅万象を司るカーネのシンボルは、マクスウェルの上半身に刻み込まれた切り傷を癒していき、彼を再び戦える状態へと復帰させた。


「マクスウェルさん。ティキの術式は、呪力や魔力を大量に消耗して身体機能を向上させる付与術式です。このままでは力を消費し過ぎて倒れますよ?」

「安心しろ、エイダ。お前には伝えていなかったが、俺の体にはマウイという神の血がほんの少しだけ流れている。そのお陰もあってか、俺の体は少しだけ頑丈なんだ」


 肉体の治癒を終えたマクスウェルは、祈りを捧げながら左胸を叩く。すると森羅万象を司るカーネのシンボルが変化していき、歪んだ笑みを浮かべたクーのシンボルへと変化した。


「それよりエイダ。ナディアの体はどんな状態だ?」

「ナディアさんですか? 全身の切り傷は中位魔術で完全に治癒を施しました。問題は意識の方です。強力な呪術呪縛系統の攻撃を食らったらしく、私では解呪ができませんでした。命に問題はありませんが、暫くは行動できないでしょう」

 

「呪術呪縛か。俺は治癒魔術が使えないんだ。お前がこの回廊に転移してきてくれなければ、ナディアは死んでいたかもしれない。俺の家族の命を救ってくれてありがとう」

「ま、マクスウェルさん! 頭を上げてください! 私はたまたまマクスウェルと合流できただけで、たまたまナディアさんを救えただけです。お礼を言われる事なんてしてませんよ!」


「謙遜するな。お前はホムンクルスだが、俺が思っていたホムンクルスとは随分とイメージがかけ離れている。お前のお陰でもう一度、化け物と戦う気力が湧いてきた。申し訳ないがナディアの面倒を見てもらえないか?」

「待ってください、マクスウェルさん。見たところカイレンが召喚した化け物というのは『クラーケン』という強力な魔獣で間違いありません」


 水面を歩き出したマクスウェルを引き留め、エイダはクラーケンについての情報を伝える。


(マクスウェルさんは、地動術に分類されるティキの術式が発動できる。それなら()()()である『カナロア』の力を借りれば、水中に潜って戦うことさえ可能なはず。それなのにクーの力を借りて戦おうとしているのは、何か訳があるのか? 訳を聞きたいけど、地雷を踏んだら不味い雰囲気になる。それに今の彼なら一人でも勝てる可能性だってある。だけど相手はクラーケンだ。クーの力ではなくカナロアの力が必要不可欠だ)


 等と考えを巡らせ、エイダは体をモジモジと動かしながらクラーケンの状態を伝えた。


「えっと……この回廊の広さから推測すると、姿の見えないクラーケンは未熟児と呼ばれる完全に成体化する前の個体で間違いありません。それよりマクスウェルさん――」

「待て。成体化する前の魔獣クラーケンか。クラーケンっていうのは、神話の本に出てくる『クラーケン』で間違いないよな?」


「はい。地上に存在するクラーケンは、こんな回廊では収まりきらないほど巨大です。今回はツイていましたね。マクスウェルさんのティキの術式で()()()()の力を借りれば――」

「いや、カナロアの力は借りない。それで未熟児のクラーケンは、蒸気機甲骸(スチームボット)何体分の強さなんだ?」


 マクスウェルは敢えてエイダの話を遮り、クラーケンの強さがどれ程なのかを確かめる。しかしエイダは不気味な笑みを浮かべるクーのシンボルを睨め付けた後、そのままマクスウェルの瞳へと視線を送った。


「武器を携帯した機甲骸(ボット)で表すのなら、百体分の強さはあるかもしれません。相手は魔物ではなく()()です」

「魔物じゃなく魔獣か。本来ならば戦いを避けて別の回廊に転移するべきだが、この回廊には()()()()があるかもしれない。それを逃して他の回廊に行く訳にはいかない。現に指輪の呪具が強く共鳴しているからな」


 マクスウェルは手のひらをエイダに向け、指に嵌められた指輪の呪具の錬成鉱石が輝いている事を伝える。するとエイダは「十六体の芻霊(すうれい)の事ですか?」と訊ねた。


「そうだ。この回廊の何処かに芻霊(すうれい)が隠されている。お前も転移呪術が可能なほど敵を倒したのなら、指輪に反応があるんじゃないのか?」

「確かに私の指輪にも反応はあります。ですが私は芻霊(すうれい)を探し出して本戦に出るつもりはありません。今はアクセル先輩の身が心配なんです」


「それならすぐに指輪の呪具を使って転移呪術しろ。クラーケンの相手は俺がする」

「ですが……便利屋ハンドマンと技巧工房ブラザーフッドは同盟関係です。ナディアさんの身も心配です。それに私はホムンクルスですから、クラーケンの倒し方も知っています」


「そうか。それならお前は空中から戦え。俺は水面からクラーケンをおびき寄せる」

「待って下さい! マクスウェルさん。もしかしてマクスウェルさんって……泳げないんですか?」


 エイダの思いもよらない発言に、マクスウェルは狼狽える。彼はしどろもどろになりながら、「いや、泳がないだけだ」と声を振り絞った。


「明らかに目が泳いでますよ。マクスウェルさん。泳ぐのなら水の中を泳いでください。四大神のカナロアの力が無ければ、クラーケンには勝てません」

「黙れ。カナロアの力は借りない。俺には鍛えられた体とカイレンが与えた個性がある。カナロアの力が無くてもクラーケンは倒せる」


 それから彼女はマクスウェルにクラーケンの弱点属性が炎と雷であることを教え、空中と水面の両方からクラーケンを攻めることを伝える。するとマクスウェルは、自身がカイレンから与えられた後天性個性の能力をエイダに開示した。


「――この二つが俺に与えられた個性だ。この個性が連続でヒットすれば間違いなくクラーケンを殺せる。が、ナディアがあの状態だから戦えずにいたんだ」

「なるほど。【剴切反射(ジャストリフレクト)】と【豪砲追撃(ノックバック)】ですか。肉弾戦が得意なマクスウェルさんにとっては、ピッタリな後天性個性ですね。本当にカナロアの力は借りないんですか?」


 エイダがマクスウェルにティキの術式を訊ねた直後、クラーケンの巨大な触手が岩場に忍び寄る。触手は二人の死角から岩場に這い上がり、ナディアの体を絡め取って水中に引きずり込んだ。


「クソッ……クラーケンにナディアを奪われた!」

「作戦を立てている場合じゃないですね。私は空中からクラーケンを誘き出します! マクスウェルさんはカナロアの力を借りて下さい! クラーケンの本体は水中にいます!」


「ダメだ。俺は泳げない! お前がクラーケンの本体を水面に誘き寄せろ!」

「ああ、もう。頼りない男性ですね。本当に神の血筋を引いた一族の人間なんですか!?」


 クラーケンの巨大な触手は二人が乗っていた岩場を崩壊させ、エイダとマクスウェルを水面と空中に分散させる。エイダは背部の浮遊装置と飛行装置を作動して宙に浮かび、マクスウェルは足元に呪力と魔力を練り込んで水面に立ち続けた。


 岩場を崩壊させた触手はゆっくりと水面に潜っていき、再び回廊に漂う水の奥深くへと姿を隠す。

 他の回廊よりも広大な回廊を見渡しながら、マクスウェルはゆっくりと呼吸を刻み続け、心を研ぎ澄ませる。


(魔獣クラーケンか。まさか神話の存在が実在するとは思いもしなかった。さてどうする。俺はカナヅチだ。相手が悪すぎる。カイレンに与えられた個性を使おうにも、クラーケンの本体は水中の奥深くにいる)


 水面にしゃがみ込んでいたマクスウェルは、頬に垂れ下がったドレッドヘアーをかき上げ紐で束ねる。するとその直後、クラーケンの触手が水面に飛び出し、彼の体を絡め取った。が、彼の体に巻き付いた触手は、マクスウェルが握ったサバイバルナイフによって細切れになる。


(危なかったな。咄嗟にベルトからナイフを引き抜かなければ、水中に引き摺り込まれていた。どうにかクラーケンの本体に個性を宿した拳を叩き込みたいが、奴は絶対に水面に姿を現さない。それに後天性個性の内のひとつは防御に全振りした代物。そういや、ジャックオーは、エイダが地上から来たホムンクルス部隊の隊長だと言っていたが、ホムンクルスってのはどのぐらいの強さなんだ?)


 等とマクスウェルが考えていると、エイダが右腕を蒸気機関銃に変化させてエネルギー弾を発射した。するとエネルギー弾のひとつが触手に命中し、クラーケンが暴れ出して水面に姿を現した。


「マクスウェルさん! 今のは雷属性を付与したエネルギー弾です! このエネルギー弾は連続して発射できません! それに私は本物のカナヅチです! 個性の力を当てにしないで自分の力を信じて下さい!」

「なるほど、雷属性か。いや。水面に出たのならカナロアの力は借りない!」


 マクスウェルはアクセルを凌駕する速度で水面を駆け抜け、クラーケンの頭部に拳を叩き込む。すると彼の後天性個性が発動して、クラーケンの頭部は大きく揺れ動いた。


 彼の素の身体機能は、アクセルが化学物質を放出させた状態と同等の高さをしている。更に彼の体に刻み込まれたティキの術式・戦いの神クーには、彼の殴打の威力を高める効果があった。

 術式効果と呪力による身体機能の向上が重なり、そこから更に【豪砲追撃(ノックバック)】が発動する。


(豪砲追撃(ノックバック)は対象の質量を無視して、意図的に対象を後退させる強力な後天性個性だ。連続でヒットすれば確実にクラーケンを堕とせるほどの強力な能力――)


 呪力を宿した強力なボディブローをクラーケンの頭部に叩き込む。戦いの神の力を借りた今の状態のマクスウェルは、ベネディクト・ディアボロ・ハンドマンと並ぶ最強の存在と化していた。



 

 しかし相手は人ならぬ存在。

 未熟児とはいえどクラーケンは魔獣。



 

 神の血筋を引いていたとしても、今のマクスウェルはただの人間でしかない。


 マクスウェルはカイレンから与えられた後天性個性を、意図して発動することができていない。彼の殴打に豪砲追撃(ノックバック)が乗らなくなった瞬間、クラーケンは頭部の単眼を全開にしてマクスウェルを睨みつける。


 魔獣の巨大な単眼を前にしたマクスウェルは、クラーケンが解き放った夥しい魔力を肌で感じて殴打を止めてしまう。その直後、クラーケンは複数の触手でマクスウェルの体を強く握り締め、水中の奥深くへと引き摺り込んだ。

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