閑話「呪縛」
九龍城砦の集合住宅のとある部屋に三面地蔵を操る少女の呪霊・牡丹と、最強の漢の一人娘・イスカ・ディアボロ・ハンドマンが居た。二人は明日の【闘技大会の予選】で行う犯行の計画の再確認をしていたが、犯行を発案した”カイレン”と”陳大佐”が幾ら待っても部屋に戻ってこないことに不安を感じていた。
「遅いね、二人とも」
「そうだね、イスカちゃん。そういえば黒議会に”アクセル”が参加している様だけど、様子を見に行かないの?」
呪霊・牡丹には感情と呼べる物が存在しておらず、相手を敬う気持ちも無ければ相手の気持ちを鑑みる心もない。それ故、牡丹はイスカの激昂を買うと知っておきながらも、彼女にアクセルの存在を尋ねた。
当然ながらイスカは牡丹の質問に苛立ちを覚え、「あの男に会いに行くわけがないじゃん。だってアクセルは私の両親を殺した男だよ? 私が彼に会うときは私が彼を殺して”パンプキン”を手に入れる時だよ」と言い返す。
イスカはアクセルが所持する【真と理】を識る霊具・パンプキンの事を知っていた。
彼女がパンプキンの事を知ったのは、カイレンや陳大佐といった人物の影響もあるが、イスカにパンプキンの詳細を語ったのは今は亡きベネディクト・ディアボロ・ハンドマンであった。
魔族は生まれながらに『魔力核』という臓器を体の何処かに所持して生まれてくる。勿論、それはイスカ・ディアボロ・ハンドマンも例外ではなかった。
そして魔族が持つ魔力核という臓器には、遺伝子情報を介して血縁者の記憶や個性能力を受け継ぐ性質がある。その事によってイスカは、ベネディクト・ディアボロ・ハンドマンの記憶の一部と彼の個性能力を受け継ぎ、自身の両親を殺害した人物がアクセル・ダルク・ハンドマンであると、魔力核を通して知り得た。
更にイスカは、ベネディクトから二つの個性を受け継いだ。
魔人族の先天的な治癒力の高さと、彼がアクセルとの戦いで使わなかったもう一つの個性【憑依化】である。
イスカがベネディクトから受け継いだ【憑依化】という後天性個性は、自身が取り込んだ遺伝子情報を基に対象の姿や形に変化する能力である。
憑依化した状態では、対象の術式や先天性個性と後天性個性を自由に操る事が可能であり、イスカはその間、対象と同等かもしくはそれ以上の能力を発動する事が可能であった。
「あ……牡丹ちゃん。私の呪術が破られた」
「呪術ってもしかして、神の祈り子に施した精神汚染の呪術呪縛のこと?」
壁にもたれながら深く息を吸い込み、イスカは呆然としたまま天井を眺め続ける。彼女の隣には培養カプセルが置かれてあり、カプセルの中にはとある人物の細胞が浮き沈みしている。
イスカは神の祈り子に呪術による精神汚染の呪縛を施していた。しかし先程デンパ君が治癒呪術を行い構成員を治癒した事によって、術者であるイスカ・ディアボロ・ハンドマンの元へと呪力が還元されて、彼女に呪縛が解けた事が伝わってしまった。
「多分、便利屋ハンドマンは、私が九龍城砦に居る事に気付いたのかもしれない」
「そっか。それじゃあ、明日の予選は大波乱になりそうだね」
呪霊・牡丹がそう呟いた直後、部屋に備え付けられたテレビのチャンネルが勝手に切り替わって、とある映像が映し出された。
『九龍城砦に住む住人の皆さま、九龍城砦にお越しの皆さま。明日の闘技大会予選についてお知らせします――』
テレビの画面に映ったのは、劉家の案内秘書を統括していた、ストライプスーツを着る林書という黒髪の女性だった。彼女は映像を切り替えながら明日の闘技大会の予選内容について語り始める。
『闘技大会の予選は、九龍城砦の九龍棟の各フロアに存在する闘技場で行われます。予選は三分間の試合形式を想定しております。使用可能な術式や個性といった能力等のルールや反則行為は、会場にてお知らせします。以上が劉峻宇首領からの御言葉で御座います。予選試合を観戦したい方は――』
イスカは傍に置いていた培養カプセルを抱き締め、頬を擦り付けながら両親を思い浮かべる。
(お父さん、お母さん。やっとこの日が来たよ。私が絶対にアクセルを殺してみせる。でもどうしてお父さんはアクセルなんかに負けたんだろう。陳大佐とカイレンの話が本当であれば、お父さんは最強の便利屋だったはずだ。それなのにお父さんはアクセルなんかに負けた。魔力核を通して流れてくる記憶を見ても、ベネディクトお父さんはアクセルを二度も殺したはずだった。それなのに最後は錬金術の鎖に縛られて負けてしまった。お父さんはどうして逃げなかったんだ?)
等とイスカが考えていると、陳大佐が部下を引き連れて部屋を訪れた。彼が引き連れた部下たちは”とある人物”を取り囲んでおり、その人物は自らの意思でしか解くことができない特別な鎖の魔導具で、自身の体を亀甲縛りにしていた。
「遅かったじゃん、陳大佐。何やってたの?」
「申し訳ないね、イスカ。この男がカイレンの人格を潜在意識に沈めたようなんだ。それに自分の体を鎖の魔導具で縛り付けたみたいで、連れてくるのに時間が掛かったんだよ」
陳大佐が連れてきた男の名は、シオン・シラヌイ。いも虫組の副担任を務めるユズハ・クラシキと同様に異世界から転移してきた人物であり、彼の心にはカイレンという別の人間の人格が無理矢理容れられている。
シオンは陳大佐とその部下たちに背中を押され、畳が広がる部屋の中央へと突き飛ばされた。
「ったくよお……異世界っつうのは本当に最悪な場所だな。俺みたいな半妖には人権が無えのか?」
床を這いずりながら、シオンはイスカや牡丹、陳大佐に尋ねる。しかし彼女たちは無言の圧力でシオンに抵抗を続け、立ち上がったイスカは彼の顔を踏みながら怒号を飛ばす。
「さっさとその鎖の魔導具を解除してカイレンに体を明け渡せ!」
「おうおう……お嬢ちゃんに顔を踏んでもらえるなんて最高のご褒美だね。奴には味合わせたくないご褒美だ。絶対に体は渡さないぜ」
「気持ち悪い奴だな! どうしてアクセルといいお前といい、男って生き物は変態な生き物ばかりなんだ!」
「気持ちいぃぃい! 最高の気分だっ! つーかどうしてお前がアクセルの名前を知ってるんだよ」
シオンはカイレンが肉体を支配している間、外の状況を全く知る事ができていない。故に彼は自身に降り掛かる災難を周囲の状況から判断するしかなかった。
イスカは彼の質問に何の捻りもなく答える。
「どうしてって……そりゃあ黒議会に便利屋ハンドマンが参加しているからでしょ」
「待てよ、お前ら。明日から行われる闘技大会で何かヤルつもりだろ」
イスカに顔を踏まれながらも、シオンは彼女の顔を鋭い眼光で睨みつける。するとイスカは彼の怒りの表情に苛立ち、寝転んでいた彼の腹部を蹴り上げた。
(コイツらはカイレンが居ないと団結力が無い集まりだ。特にイスカって女は短気でキレやすい女だ。昔のユズハを思い出すくらいにだ。カイレンは潜在意識の奥深くに沈め込んでいる。闘技大会で何をする予定なのかは知らねえが、カイレンが表に出てこれない間は何もできない。収容所では一時的に肉体の支配権をカイレンに奪われたが、コッチにはあの女に情報を渡してある――)
等と考えながら、シオンはイスカに蹴られ続けるのを我慢する。しかしそれに違和感を感じた呪霊・牡丹が虚ろな眼差しで彼を見つめた。
「イスカちゃん。この鴉天狗だけど何か企んでるよ」
「え? 牡丹ちゃんには何か分かるの?」
「俺を鴉天狗って呼ぶな……俺にはシオンって名前がある。それにお前も三面地蔵の癖して”牡丹ちゃん”っていう人間みてえな名前がちゃんとあるじゃねえか!」
三面地蔵の呪霊・牡丹がシオンから感じ取った違和感は本物だった。カイレンが妖怪や怪異を滅ぼす為に作り出した改造呪霊・三面地蔵の操術者牡丹は、シオンと同様に異世界に転移する前から、シオンと何度も戦闘を繰り返している。
改造呪霊・牡丹は、カイレンが怪異や妖怪、化け物やモノノ怪を滅ぼす為に作り上げた、様々な呪術や霊術を使いこなす完全な改造呪霊である。しかしそれに対してシオンは、鴉天狗の血と人間の血を受け継いだ半妖でしかなかった。
どちらも呪術や霊術を扱う存在ではあるが、より格上の存在であったのは、カイレンが作った改造呪霊・牡丹の方であった。そのため牡丹は、シオンの僅かな心拍の変化や霊力核が放つ霊力の波長の変化にいち早く気付き、それを聞き逃さなかった。
「シオン。貴方が収容所に居たのは知っている。だけどそこで何をしていたのかは、貴方しか知らない。正直に言わないのなら指を一本ずつへし折っていく。それでも構わないか?」
徐に立ち上がった着物姿の少女・牡丹は、シオンの傍で膝を着いて彼の指先に手を伸ばし、人差し指をへし折った。
それでもシオンは口を割らず、牡丹を睨み続ける。彼は両手の十指を全てへし折られても呻き声を一切上げず、彼女たちに有利になる様な有益な情報は一つも吐かなかった。
☆☆☆
同時刻。アクセルは後天性個性の磁力操作を発動して、神の祈り子のリーダーを務めるレンウィルの体を宙に持ち上げ、能力の出力を最大限にして壁に押し付けていた。
彼が我を忘れて能力を使用してしまったのは、レンウィルやシルヴァルト、ベッドの上に横になる神の祈り子の構成員が、『イスカ・ディアボロ・ハンドマン』の名を口にしたからだ。
アクセルは、ベネディクト・ディアボロ・ハンドマンを殺してしまってから数年間もの間、イスカを探し続けた。アンクルシティという薬物中毒者や危険な人物、魔物が出てもおかしくない街で一人きりになってしまったイスカという少女を探し続けていた。
そんなアクセルに、突然訪れた僅かな希望。
彼は冷静でいる事ができず、本能のままに能力を行使して情報を聞き出すためにあらゆる手段を用いた。
「どうしてお前らがイスカの名前を知っている。どうしてその女の口からイスカの名前が出てきたんだ!?」
「お、落ち着け……アクセル。イスカ・ディアボロ・ハンドマンがお前の関係者かどうかなんて俺には分からない。俺はただ……部下の話を聞いて、お前に関係があるか聞きたかっただけだ!」
アクセルは磁力操作の能力を解いた後、レンウィルの部下である神の祈り子の構成員にイスカの事を尋ねる。彼は彼女に「『イスカ・ディアボロ・ハンドマン』に関する情報を全て話せ」と言い、続けて「話さないのなら地獄を見せてやる」と脅した。
するとベッドの傍らに居たレンウィルは、アクセルの顔面と腹部をぶん殴って『俺の部下に手を出すな』と言い、魂の憑依と呼ばれる錬金術の一種で彼の身動きを完全に封じた。
レンウィルが彼の腹部に打ち付けた掌には、レンウィルの魂の一部が込められている。その魂はアクセルの体中に行き渡って身動きの一切を封じ、彼の体を左手に嵌めた手袋ひとつで操る事が可能だった。
「アクセル。今のお前は冷静じゃあない。そのイスカとやらがお前にとってどんな人物なのかは分からないが、俺の部下を脅すという事は俺を敵に回すことだ。理解できたか?」
「レンウィル。お前には僕の気持ちなんて一切分からないだろうよ。イスカは僕の大切な家族の一人娘だ。とにかく僕はイスカの情報が欲しい。部下を脅したのは謝る。僕は部屋の外で待っているから、その女の子から情報が聞き出せたなら教えてくれ」
アクセルがそう言うと、レンウィルは彼の体に憑依させた魂の一部を体に取り戻して、再びベッドの上に横たわる部下から情報を聞き出し始めた。
「まあ、アクセル。あの女の子はレンウィルの部下だ。精神汚染の呪術呪縛を解いてやったんだから、逃げちゃしねえよ!」
電磁波妨害用のヘルメットを被った峻強は、アクセルの背中を叩きながらノアとエイダが居る部屋へと戻る。その後、彼はアクセルをミニバーに連れて行き、カウンターに備えられた丸椅子に座らせた。
「おっ……始まったみたいだな」
「何がだよ」
「明日の闘技大会の予選に関するテレビ番組だよ。見ねえのか?」
「興味ない。それよりデンパ君。僕はお前みたいになりたいよ……」
アクセルはそう言い、峻強から渡された酒入りのグラスに手を伸ばす。すると彼は「俺のどこになりたいって?」と尋ねた。
「デンパ君ってさ。ヘルメットでよく分からないけど『温厚な性格』そうじゃん。それに比べて最近の僕はちょっとの事でキレやすくなった気がする」
「あー確かに最近のお前はキレまくってるな」
「うん。いつもはひと呼吸置いて『アルファベットを数えたり』してキレない様にするんだけど、ここ最近はそれをする余裕もなくなってきた。デンパ君はイラッとした時に落ち着くためになんかしてるの?」
「俺か? それよりお前がキレやすい原因が気になるな……」
アクセルの性格が変化しているのは、彼の脳の構造が変化しているからではない。便利屋ハンドマンの業務が多忙であったり、私生活や学業が忙しいせいでもなかった。
峻強はヘルメットのバイザーを全開にして、アクセルの心の臓腑に目を凝らす。峻強は、老呪術師・劉峻宇からあらゆる呪術と霊術を教え込まれた習熟者であり、彼は父と同様に拡張操術を扱える術式の使い手だった。
峻強は人差し指をアクセルの胸に突き立てる。すると黒い呪力と魔力がアクセルの胸から吹き出して彼の指を弾き返した。
「な、何なんだ……今の……」
「俺は今……お前の精神に呪縛が掛けられていないか確かめようとした。さっきの治癒呪術の詠唱破棄みたいなやつだ。そうしたらこの有り様だ」
「精神に呪縛ってまさか……」
「心当たりがあるようだな。お前がキレやすくなっているのは仕事や学校のせいじゃない。お前の体には、とんでもない量の強力な呪力と魔力が流れている。それが精神を蝕んでキレやすくさせている可能性がある」
アクセルには心当たりがあった。
彼の精神を蝕む呪力と魔力は、彼が数年前に殺したベネディクト・ディアボロ・ハンドマンのモノであった。




