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便利屋ハンドマン-HandMan-  作者: 椎名ユシカ
第一部 第1章 青少年期 蒸気機関技師編

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15「恥じらいと責任」


 スチームボットたちが静かに撤収する中、ロータスさんも部下たちを引き連れ、重い足取りで店から出ていく。扉が閉まると、店内にはひんやりとした静寂が戻った。


 僕は肩の力を抜き、ふうっと息を吐いた。


(まったく……いつの間にこんな奇妙な約束を交わすことになったんだ?)


 さっきまでのやり取りを思い返しながら、カウンターに肘をつく。


 ――来年の誕生日までに運命の人が見つからなかったら、責任を取る。

 そう宣言したのは他でもない、僕自身だ。


 正直なところ、軽く受け流してもよかったのかもしれない。でも、ロータスさんのあの表情を見てしまったら、冗談で済ませることはできなかった。


(ま、どうせ一年もすれば忘れられるさ)


 適当に誤魔化すつもりで考えていたが、それよりも今はこの散らかった部屋をどうにかしないといけない。


 手を伸ばし、カウンターの上に置かれたカップを片付けようとした瞬間――ふと、店の奥から微かな気配を感じた。耳をすませば、何かをモゾモゾと動かす音が聞こえる。


 僕は眉をひそめ、音のするほうへと足を向けた。


 店の奥、仄暗い照明の下にある簡易ベッド。そこでは、毛布にくるまった小さな影が、ゆっくりと動いていた。


「……エイダさん?」


 名前を呼ぶと、その影はピクリと動きを止めた。僕がそっと近づくと、毛布の隙間から覗く水色の髪が見える。どうやらエイダさんは、僕に気づかれまいと息を潜めていたらしい。


「……エイダさん、何してるの?」


 問いかけると、彼女は小さな声で呟いた。


「……ごめんなさい、私、我慢できなくて……」


 その声音には、どこか不安が滲んでいた。


(……嫌な予感がする)


 僕は軽く息を呑み、迷わず毛布を引き剥がした。そして目に入ったのは――ベッドの上に広がる、黒い液体。


「……廃オイル?」


 鼻を近づけると、金属が焦げたような独特の匂いが漂っていた。


「本当にごめんなさい……トイレの場所が分からなくて……」


 エイダさんは縮こまりながら、申し訳なさそうに俯いた。


(なるほど、ホムンクルスの生理現象か)


 ホムンクルスは人間とほぼ同じ見た目をしているが、細部は大きく異なる。例えば、彼女たちは汗をかかない。その代わり、体内の余分な排出物を、こうした油分として放出する習性がある。


 通常は適度に代謝されるのだが、過度な緊張やストレスがあると、一時的に処理しきれずに溢れ出してしまうことがあるのかもしれない。


「……仕方ないよ。僕が部屋のことを説明しなかったのが悪い」


 エイダさんの肩に手を置き、優しく声をかける。彼女は小さく頷きながら、視線を落とした。


「ほら、立てるか?」


 僕はタオルを手に取り、彼女に差し出した。


 エイダさんはおずおずとそれを受け取りながら、困ったように呟く。


「……でも、床も汚しちゃいました」

「気にするなよ。拭けば済むことなんだから」


 僕は溜め息混じりに言いながら、手早くベッドのシーツを剥ぎ取る。幸い、マットレスにはほとんど染み込んでいなかった。


「シャワーを浴びてきて。その間に掃除を終わらせるから」

「……ありがとうございます」


 彼女はそっと立ち上がると、恥ずかしそうにうつむきながらシャワールームへと向かっていった。


 シャワー室の扉が閉まると、店内には再び静寂が訪れる。僕はシーツをまとめ、汚れた部分を雑巾で拭きながら、ふと思う。


 ――ロータスさんとの約束。

 ――エイダの失敗。


 最近、何かと女性絡みのトラブルが多い気がする。


(……これが運命とかだったら、ちょっと御免だな)


 冗談めかして考えながら、僕は静かに掃除を続けた。


「エイダさん、着替えを持ってきたよ」


 シャワー室の扉の前で声をかけると、中から小さな声が返ってきた。


「……ありがとうございます」


 扉の隙間から、そっと手が伸びた。その手に、僕は用意した服を乗せる。


 ホムンクルスの体は基本的に疲れ知らずとはいえ、彼女もまだ完全に順応しているわけじゃない。きっと、今日は色々と気疲れしたんだろう。


「ちゃんと乾かしてから出てきてね」

「はい……」


 扉越しに、くぐもった声が聞こえる。僕は短く返事をすると、少しだけ疲れたように椅子へと腰を下ろした。


(さて、そろそろ休めるか)


 ――そう思った矢先、シャワー室の中から突然、エイダさんの声が上がった。


「……あれ?」

「どうしたの?」

「えっと……着替え、これ……」


 一拍の間。次の瞬間、扉の向こうから、恥ずかしそうな囁き声が漏れた。


「……ちょっと、可愛すぎませんか?」


 ――どうやら、間違えて師匠の趣味全開のメイド服を渡してしまったらしい。


 僕はしばし沈黙したあと、静かに天を仰いだ。


「……師匠の荷物、今度整理しとこ」


 そんなことをぼんやりと考えながら、夜はゆっくりと更けていった。


 シャワー室の扉を閉じ、僕は小さく息を吐く。

 日常の中で忙しくしていると忘れがちだが、誰かを助けるっていうのは悪くないものだ。

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