27「融解」
ノアを乗せた浮遊型ワゴンを押しながら九龍棟の部屋へと進み続ける。その道中、彼女は自分が買われた理由を何度も訊ねてきたが、僕は同じ答えを返した。
大腿部から足先までを切り落とされたノアは、廊下に浮かぶ不安定な浮遊型ワゴンの上でふらつきながらも、ワゴンに備え付けられた手摺りに腕を絡めて体勢を整えている。
彼女は僕の瞳をじっと見つめて「カナデから話を聞いたんだ」と呟いた。
「何の話?」
「私を小銅貨一枚じゃなく、金貨六十枚で買ったんだろ?」
カナデさんが言っていた通り、ノアは僕が子供っぽいから警戒を解いてくれているのかな。初めて出会った時よりも喋ってくれるようになった気がする。
「違うよ。ノアの値段は金貨五十枚だ。残りの金貨十枚は翻訳魔導具とオーガ語の教科書代だよ。かなりボラれた気がするけどね」
「娼館で働いていた時でも私をそんな大金で買う人間なんて居なかった。なあ、アクセル。私は本当に何もしてあげられない。私には右腕と醜く痩せ細った体と女としての生殖器しか残っていない。お前が望むのなら私は甘んじてお前の子種を受け入れ子供を何人でも産もう――」
彼女は声を潤ませて手摺から腕を振りほどき、カナデさんに用意してもらった枕やブランケットで体を覆い隠して啜り泣いた。
それから僕とノアはエイダさんやユズハ先生、レンウィルやビショップが待つ部屋へと帰還した。皆、僕が連絡も無しに朝帰りしたのを心配していたようで、エイダさんに限っては『僕が壱番街の便利屋に殺された』とでも思っていたらしい。
「まあ、色々あって朝帰りしちゃった。心配かけてごめんね、エイダさん」
「本当に心配しましたよ。それより聞いて欲しいことがあるんです。昨夜、壱番街の便利屋の方々が何者かの襲撃に遭って、先ほど劉峻宇さんから正式に午前中の黒議会が中止になったと報告がありました!」
あらあら。そんなに暴れた人が居るなんて危険ですね。
誰がやったんでしょうか。
「ふーん。良かった。こっちからも話したいことがあるんだ――」
「待ってください、先輩。重要な話はここからです!」
エイダさんはそう言って僕の手のひらを強く握り、部屋の奥へと案内した。彼女の跡を追って部屋の奥へと向かうと、僕たちが寝ていたベッドに見知らぬ痩せ細った女子が寝ていた。
僕はエイダさんに視線を送り「もしかして……」と呟く。すると彼女は「その通りです。私たちは昨日、アクセル先輩が起こした壱番街の便利屋を襲撃した事件に紛れて、四龍棟にある収容所を襲ったんです!」と叫んだ。
「ナイスだ! エイダさん! まさかお前がそこまで優秀なエリートポンコツホムンクルスだとは思わなかったぞ!」
「えっへん。もっと褒めてくれてもいいんですよ? まあ、収容所を襲ったというよりは、収容所で暴動が起きたので、それに紛れて彼女を救いにいっただけなんですけどね」
ナイスファインプレーだ。
エイダさんやユズハ先生、レンウィルやシルヴァルト、リリスやクラックヘッド、ビショップやデンパ君が今回の黒議会に同伴していなければ、恐らく奴隷売買で僕はこの女の子を助けられなかったに違いない。
もしかしたら僕たちに運が回ってきているのかもしれない。
この運が黒議会の最終日まで続けばいいのだが。
レンウィルやリリスの話によると、女の子の体には覚醒物質が流れているらしく、目覚めるのには数時間ほど時間が掛かるらしい。
僕はレンウィルに「化学物質を操る個性で覚醒物質を排出する液体を注入できるけど、どうする?」と尋ねる。すると二人は「有り難い申し出だけど、今は彼女を休ませてあげたい。それより話があるんだが聞いてもらえないか?」と言って僕を別の部屋に呼び出した。
二人に案内されて僕は別の部屋へと向かう。そこにはシルヴァルトが居て、彼はタリスマンの映像記録装置を壁に向けて、誰かと喋っていた。
「おはよう、シルヴァルト。僕に用って?」
「おはよう、ジャックオー。急に呼び出して悪かったね。俺たちの師範がお前と話したいっていうから、別の部屋に来てもらったのさ」
シルヴァルトがペンダントを向けた壁には、プロジェクターのように映像が映し出されていて、イザベラ師匠と同年代のお姉様が映像に映っていた。
彼女は僕が部屋に入って早々、『キミが便利屋ハンドマンのジャックオー・ダルク・ハンドマンさんだね?』と尋ねてきた。
映像に移った女性はアンクルシティでも見かけない革製の軍服を着ており、軍服には金の刺繍が施されていた。
「初めまして、貴女がおっしゃる通り僕はアンクルシティの五番街を掌握する便利屋ハンドマンのジャックオー・ダルク・ハンドマンです」
「初めまして。挨拶が遅れてしまって申し訳ない。私はこの部屋にいる三人の師範ヴァレリア・レイヴンウッドです。この度は私の愚弟の為に色々と協力をしてくれて本当にありがとう」
ヴァレリア・レイヴンウッドさんか。
なんだか師匠とは違って優しそうな方だ。と思っていたのだが、この部屋にいる僕以外の三人は、ヴァレリア師範を前に見事な敬礼をしていた。
それからレイヴンウッドさんは、僕がリリスに義手を作ってあげた事やリリスが義手を気に入って使っている事などを赤裸々に語ってくれた。彼女の話によると、リリスは思った事を口に出せないタイプ……いわゆる超ツンデレな女子であるらしく、義手を作ってくれた僕とエイダさんには物凄く感謝しているとのこと。
それとレイヴンウッドさんは、レンウィルが犯した蒸気路面機関車の乗っ取り事件の事も謝ってくれた。
「あれは過ぎた事でもありますし、僕がレンウィルであればした行為だったと思います。あまり彼を責めないであげてください」
「ジャックオーさんがそう言うのなら、今回のことは水に流してあげよう。それよりジャックオーさん。三人から聞いた話なのだが、キミは錬金術が使えないんだってね?」
レイヴンウッドさんがそう言った直後、僕は背後にいたリリスやレンウィル、シルヴァルトを睨み付ける。すると彼らは「仕方ないだろ」「俺たちの国じゃあ錬金術は子供でもできて当たり前の術式だからな」「発動できて当然の術式よ」等と言い訳をしてきた。
三人は随分と口が軽いらしい。
僕は再びレイヴンウッドさんの方を見て小さく頷く。
「確かに僕には錬金術が発動できません。正しくは『パンプキン』という霊具の力を借りなければ錬金術が発動できない、ですがね」
「そうか。錬金術は魔族に立ち向かう為に生み出された環境を利用する人間のための術式だ。水上都市メッシーナ帝国では錬金術が発達している。ジャックオーさん。貴方が良ければ今度ウチの国に遊びに来てくれないか? 私が直々に錬金術の基礎を教えてあげるよ」
なるほど。それは願ってもない機会だ。
レンウィルやリリス、シルヴァルトは水上都市メッシーナを代表する帝国錬金術師だったはず。
その三人を育てた彼女に錬金術の基礎を教えてもらうことができれば、もしかしたらパンプキンがなくても錬金術が発動できるかもしれない。
だけど困ったことがある。
「レイヴンウッドさん。残念ですが僕には三人の彼女と二人の子供が居ます。それに僕が水上都市メッシーナに遊びに行ってしまえば、五番街を守る人間が居なくなるんです。申し出は本当に有り難いのですが、お断りさせて頂きます」
「そう言うと思ったよ。それについてなら心配しなくてもいい。水上都市メッシーナ帝国へはルミエルさんの空間転移魔術を使いなさい。私はいつでもキミを大歓迎しているからね」
レイヴンウッドさんはそう言って一方的に通信を切りやがった。
案外、そういう所はイザベラ師匠とよく似ている気がする。
なんて事を考えていると、リリスが僕の背中を叩いてきて、「ヴァレリア師範が言った通りよ。義手の事は本当にありがとう」と言い残し、別の部屋へと戻っていった。
その後、僕はノアが乗せられた浮遊型ワゴンの傍へと向かい、再び翻訳機の魔導具を起動させる。ノアは僕が突然消えて心配していたらしく、体を震わせてブランケットで体を包み込んでいた。
「ごめんね、ノア。仲間と色々話してた。急に一人にさせてごめん」
「……アクセル?」
彼女はブランケットから少しだけ顔を出して、僕の顔を覗き込んだ。
「うん。僕だよ。この部屋に居るのは僕の仕事仲間たち。皆、頭のネジがぶっ飛んだイイ人ばかりだよ。少し挨拶でもする?」
「……怖いからやめておく。ごめんね、アクセル」
彼女はそう言って再びブランケットで顔を覆い隠し、枕に顔を埋めて啜り泣いた。すると近くにいたエイダさんが僕の傍に寄ってきて、『今のは古い魔族語……オーガ語で間違いありませんね。ワゴンの屋根で隠れて姿が見えませんが、中に居るのはオーガ族の方ですか?』と尋ねてきた。
「うん。奴隷商人から買ってきた」
「え……アクセル先輩。オーガ族の女性を奴隷にするんですか?」
「奴隷になんかしないよ。それに彼女には『ノア』って名前を付けた。詳しい話が聞きたいのなら耳を貸せ……」
「どれどれ……」
僕はエイダさんの耳に口を近づけ、奴隷商人から聞いた話やノアの体の状態をありのまま教える。すると彼女はノアのブランケットを何度か突いて『安心してください。ノアさん。その飼い主とやらは私が殺してやりますからね』とオーガ語で呟いた。
流石はホムンクルだ。
彼女はオーガ語を話せるらしい。
ノアは僕以外にもオーガ語が話せる人物が居たことに驚いたのか、目を丸くして驚いていた。彼女は屋根のついた浮遊型ワゴンの背に寄り掛かりながら起き上がり、エイダさんをじっと見つめて小さく呟いた。
「貴女の……名前は?」
「私の名前はエイダ・ダルク・ハンドマン。人造人間です」
「私の名前は、ノア。この名前はアクセルに付けてもらった。貴女はホムンクルスなんだね。アクセルの仲間には人間が少ないの?」
「少ないというより、アクセル先輩には色んな種族の女性が自然と集まるかな。別に変な意味で言ってる訳じゃあないよ――」
二人が長く話しそうだったので、僕はその場から離れてデンパ君とユズハ先生の元へと近づく。すると二人は僕にハイタッチを求めてきて、「問題が順調に解決していってるな」と言い、ソファに座るよう促してきた。
ソファに座った二人に向けて視線を送り、デンパ君とユズハ先生に”カイレン”に関して情報が手に入ったのか問いかける。
「収容所から構成員を助けられたのはナイスです。でもどうして助けられたんですか?」
「それはユズハ先生から説明してもらった方がいい」
「そうだな。余が説明する。昨夜、お主が壱番街の便利屋集団を片っ端から殺していると劉峻宇から連絡があったのだ。それで私たちはその混乱に乗じて収容所に潜り込んだのだが、そこでも混乱が起きてたんでな……」
ユズハ先生は声を低くして囁き、何かを危惧しているかのように語り始めた。
先生の話によると、昨夜に四龍棟へ潜入したユズハ先生とデンパ君、レンウィルやシルヴァルト、リリスやエイダさんたちは、ユズハ先生が発動した【臨界操術・光学迷彩】を用いて誰にも見つからずに、収容所へと完璧に潜入できていたそうだ。
しかし彼女たちが収容所で構成員を保護した直後、何らかの理由で収容所内で暴動が起きてしまったらしく、そのせいで収容所から数人の収容人物が収容所から脱走してしまったとのこと。
「収容人物の脱走ですか。でも神の祈り子の構成員は助けられましたし、問題はないのでは?」
「いいや、ジャックオー。問題はここからだ。他の奴らは気づかなかったが、俺とユズハ先生だけはヤツの魔力と呪力に気づけた。俺は一度だけヤツの後ろ姿を見ているからな」
「デンパ君の言う通りだ。これでもデンパ君は劉家の若頭だ。兵士の名前や住民の名前を覚えてないはずがない。カイレンは四龍棟の収容所で身を隠していて、今回の騒ぎに乗じて収容所を脱走したようだ」
二人は左腕に装備したアームウォーマーを操作してホログラフィックを映し出し、アームウォーマーに備えられたカメラで記録した映像や画像を見せてくれた。
「ま、待ってください……この人がカイレンなんですか?」
「コイツがカイレンで間違いない。まあ、カイレンと名乗る別の人物だがな」
「いいや、デンパ君。彼がカイレンだ。カイレンは彼の体に精神を潜り込ませて、今も彼とカイレンは潜在意識の領域で戦い続けている。恐らくカイレンが収容所に居たのは、彼の意識がカイレンの意識に一時的に打ち勝った事で、カイレンの行動に制限を掛けるためにも自身を収容所に収監させたのだろう」
二人はテーブルに置かれたガントレットの映像を前にして淡々と喋るが、僕に限っては現実を受け入れられなくて二人の話をマトモに聞く事が出来なかった。
デンパ君が僕が朝帰りした事を思い出して、「この男の顔に見覚えはないか?」と尋ねてきたが、僕は呆然としたまま首を横に振って彼の姿を思い浮かべる。
「アクセル」
「どうしたんですか、ユズハ先生」
「お主は何も悪くはない。それにシオンはとても憎たらしくて可愛いやつだ。なんせ余の婚約者だった男だからな」
「あのシオンさんがユズハ先生の彼氏さんだったんですか。異世界人だとは思ってましたが、ユズハ先生の関係者だとは思っていませんでした」
どうやらユズハ先生には隠し切れないらしい。
婚約者というのが本当の話なら、彼の匂いや霊力で気づかれたのかもしれない。
ここは正直にゲロって楽になろう。
両手で顔を覆い口をポカンと開けて驚きを隠さず、額を持ち上げ髪を掻き上げる。その後、僕は二人に昨日の事をありのまま話した。




