10「無頼屋vs便利屋5」
店内の静寂を破った、アクセルの『幸運を祈れ』という叫び声。
彼が叫び声を上げると共に、ジャックオー・イザベラ・ハンドマンが使う変形機構式機械鞄は、機械的な変形を魅せて重量のある機械箒へと変化した。
「ジャックオー先生は僕を拾ってくれた命の恩人だ。先生を傷付けるのなら、相手がお前らだって容赦はしない!」
「人族のガキ如きが、至高の存在である魔人族の俺を見下ろすんじゃあねえ!」
階段を駆け上がるベネディクトに対して、アクセルは機械箒の穂先を彼の顔面に向ける。その直後、穂先に備えられていた噴出口から高温の蒸気が放出した。
アクセルが持つ機械箒には、ベネディクトが持つ特殊包丁と同様に【聖赤結晶238】と呼ばれる錬成鉱石が内蔵されている。聖赤結晶238に内蔵されたエネルギーは有限ではあるが、そのエネルギーを利用することで高度な錬金術の発動や、武器の使用を可能にした。
しかし彼が機械箒から放った高温の蒸気は、聖赤結晶238に内蔵されたエネルギーによるものではなく、機械に内蔵された【焦土石】と呼ばれる錬成鉱石による蒸気だった。
「……クソッ垂れ。何処だ、アクセル!」
「店内で戦う訳がないだろ、ベネディクト。それとカトリーナ。僕を追いかけずにジャックオー先生の居る診療所に行くのも手だけど、こんな糞生意気なガキ一人を殺せないようじゃあ、この先いくら頑張っても【無頼屋】なんて名乗れねえよなあ?」
アクセルは蒸気に紛れて身を隠した後、車庫に移動して二人を煽り散らかす。彼が得意とする煽り口調は、十二歳の少年を殺し損ねた二人の殺し屋にとっては、十分な程に精神的なダメージを与えた。
彼は浮遊装置が備わった機械箒に跨がり、備え付けられたペダルに足を置いて再び蒸気を放出させる。するとアクセルが乗った機械箒は、聖赤結晶238のエネルギーと焦土石の錬成反応が機械の中で起こり、宙に蒸気の軌跡を残して車庫から一直線に飛んでいった。
焦土石が放つ高温の蒸気を食らってもなお、ベネディクトは顔にII度の熱傷しか負っていない。彼は魔人族が持つ先天的な自然治癒力の高さで、熱傷を瞬く間に治した。
「カトリーナ! 先に奴を追ってろ! ガキは殺すな! 俺は後天性個性の条件を整えてから合流する……」
(あの糞ガキ……絶対にぶっ殺してやる。ここで奴を殺し損ねれば、劉家の大佐になったところで九龍城砦の住民に馬鹿笑いされるだけだ。生き物の頂点に立つのは魔族だ。ゴミ臭せえ生き物を支配するのは、至高の存在である魔族だけだ!)
特殊包丁を機械鞄に戻したベネディクトは、車庫に移動した瞬間から、体内に存在する【魔力核】へと意識を注ぎ込んだ。
一方その頃、アクセルは空中に蒸気の軌跡を描きながら、カトリーナと距離を取り続ける。
カトリーナが身に付けていた外骨格型パワードスーツは、過去にダスト軍のテロ鎮圧部隊が使用していた軍用兵器であり、浮遊装置や飛行装置といった装備が搭載されてある。
「いつまでも逃げられるとは思わない方が良いわよ、アクセル」
「チッ……流石に馬鹿みたいに直線で逃げ切れる相手じゃあないよな」
(このままじゃあ、いずれ追い付かれる。それよりベネディクトはどうして追い掛けてこないんだ? いや、そんなことを考えている場合じゃない。これは神か悪魔が与えた絶好の機会だ。ここでカトリーナの身動きを封じれば、ベネディクトとの戦いに集中できる。まずはカトリーナからだ――)
アクセルは機械箒に備えられたペダルを踏み込み、自身が体験したことがない速度の領域まで、機械箒を加速させる。体内の副腎と脳から化学物質を放出させ、人の力では到達できない速度に体を順応させるべく、脳を超覚醒状態にさせた。
「これでも食らい――」
「【臨界操術・再生移動】」
ポーチからボール型の紫外線照射装置を取り出したアクセルに対して、カトリーナは霊術と錬金術を用いた術式を発動する。
彼女はベネディクトとは異なり、魔術が得意な体質ではない。しかしカトリーナは、ジャックオー・イザベラ・ハンドマンを凌ぐ霊術の遣り手だった。
「さっきまでの余裕はどうしたのかしら? また私を煽ってくれないの? それとも死ぬ覚悟ができたってことなの?」
カトリーナが行ったのは、空中に漂う僅かな霊力を再生移動の術式によって具現化させ、足場として利用して蹴り上げるという行為。
アクセルはこの時、霊術と錬金術が組み合わさることで臨界操術という術式が生まれる事実を知らない。それゆえに、彼は自身の機械箒のトップスピードに追い付いてきた事実を受け入れられず、自身の目を疑った。
その直後、アクセルの頭部にカトリーナの上段蹴りが炸裂する。
「痛ッ……不味い――」
「ザマァないわね。そのまま地面まで堕ちて死になさい!」
機械箒に乗る彼の横に追い付いたカトリーナ。彼女は再生移動の術式を用いて、彼の頭上に移動して足を振り上げ、パワードスーツの脚力を限界まで発揮した力でアクセルを地面へと蹴り落とした。
アクセルは機械箒にしがみついたまま、地上へと落下していく。
体勢を崩されてしまったため、彼は機械箒の操作ペダルから足を離して真っ逆さまに落下していった。
(このまま僕は死ぬのか? ジャックオー先生に救われた命を無駄にして死ぬのか? 何か手があるはずだ。考えろ。アクセル。何でも良い。ビルの真上から落下しても死なない方法を数秒で考えろ!)
彼は思考を研ぎ澄ませた後、脳裏を過った【五接地転回法】を実戦で行う覚悟を決める。
何とか機械箒に跨がった彼は、操作ペダルを踏み込み落下の速度を急激に殺していく。その後、彼は機械箒から飛び降り身体をひねって着地した。
彼が行った落下方法は、正式名を五接地転回法といい、身体をひねりながら倒れこむことによって、落下の衝撃を5か所に分散させる。この方法を忠実に行うのなら、7~8m(3階の窓)からコンクリートに落下しても無傷が保証される――と、アクセルは前世で熟読した漫画を現実で再現させ、見事に軽傷で着地することができた。
アクセルは宙に浮かぶ機械箒を持ち上げ、現実を目の当たりにしたカトリーナをさらに煽る。
「残念だったな、カトリーナ。これでハッキリしたな。お前は十二歳の糞生意気なガキ一人を殺せない、ベネディクトの金魚の糞だ」
「はぁ?」
「分かってんだろ? 自分がどれだけ先生やベネディクトと劣っているかぐらいかなんてよお?」
「私が……誰と劣っているですって……?」
(相変わらず僕の煽り口調は、人をイラつかせるのには十分な効果がある。後はカトリーナが抱いている、ベネディクトや先生への劣等感を言葉にすればいいだけだ。こんな事は本当は言いたくないけど、今のカトリーナの術式や思考を混乱させるには、この言葉がしっくりくるかもしれない――)
「何度でも言ってやるよ。お前は劣っている。だって先生やベネディクトと違って、お前は女だし何も持ってない。ベネディクトだって散々言ってただろ? お前は男の顔も立てられない、ドブスだって。カトリーナ、お前は【持たざる女】だ。それにお前が幾ら殺しの依頼を頑張ったところで、その成果は全部ベネディクトの手柄になるんだぜ?」
「……口に……口に気を付けなさい……アクセル」
「あ? ベネディクトの影に潜むようなお前の声なんか、僕には全然聞こえねえよ!」
「……私は……私は劣ってなんかいない。私は全部を持っている。私はベネディクトよりもジャックオーよりも優れた生き物だ!」
(ヨシッ……食らいついた……)
アクセルは再び機械箒に跨がり、ペダルを踏み込んで蒸気の軌跡をつくる。
パワードスーツの機能をフル活用したカトリーナの様子に注目しながら、彼は高層ビルの壁面を伝って、さらに高度を上げて上空を目指した。
その道中、カトリーナはパワードスーツに備えられた、『蒸気機関銃』や『ホーミング弾』を放ち続ける。アクセルはホーミング弾を、機械箒の蒸気の大量放出でカバーしたが、蒸気機関銃の弾丸に関しては数発ほど被弾してしまった。
彼はそれでも、アンクルシティの天井を目指して蒸気の軌跡を作り続ける。すると彼の視界の先に、腐食した鉄骨階段や天井から鎖で繋がれた足場板といった、旧世代の人類が残した建築現場跡のようなモノが現れた。
彼は不安定な足場板の上空を急旋回して、機械箒から足場板へと降り立つ。
「っはぁ……っはぁ……こんなに高いところは初めて来たよ」
アクセルは機械箒を両腕で抱えながら、建築現場跡から見えるアンクルシティの全ての光景を見下ろす。
(ここからなら全ての街が見える。五番街や九龍城砦、壱番街やバーレスク・ノヴァ劇場が何処にあるのかも。ここにはもう一度来たいけど、それはカトリーナと戦って死ななかった場合だ)
彼は機械箒の柄を両腕を使って振り回して、『幸運を祈れ』と叫び、機械の音のする方へと目を凝らす。
暗がりから二つの赤い眼光が輝いた直後、パワードスーツの機能をフルパワーにさせたカトリーナが目の前に現れた。
「っはぁ……っはぁ……痛ッ……遅いよ、カトリーナ。まあ、アンクルシティで最速の男である僕に追い付けるはずは無いんだけどね」
「黙りなさい! ベネディクトには生きて捕らえるよう言われているけど、貴方は今ここで殺す!」
彼は機械箒の穂先をカトリーナに向けながら、耳を澄ませる。度重なる『死の間際と今際の際』を体験したことにより、アクセルは既に体内の化学物質を自由に操る神の領域へと足を踏み込んでいた。
(全部が聞こえる。この音は浮遊装置がオーバーヒートしている音だ。恐らく、カトリーナの浮遊装置と飛行装置は、継続限界に達しているはず。それなら――)
等と彼が考えていた直後、カトリーナが先手を打った。彼女は浮遊装置と飛行装置、再生移動の術式を利用をして、空中で急旋回した後アクセルに接近して蹴り掛かる。
瞬時に反応したアクセルは、機械箒を自身の体とカトリーナの足に滑り込ませた。
脳の本来の機能を30%まで引き上げたアクセルにとって、カトリーナの上段蹴りを受け止める事など造作もなかった。
受け止めた上段蹴りを機械箒で押し返した直後、視界外から何かが彼の腕を切り裂いた。
「痛ッ――」
「忘れているようだから言っておくけど、私のパワードスーツには、鋼鉄を切り裂くほど鋭い得物が付いているの……上手く急所は避けたようだけど、ちゃんと当たっているようで安心したわ」
アクセルの視界外から現れた得物。カトリーナの体が邪魔で、アクセルは数十センチはあるナイフ状の尻尾の存在を忘れていた。
その後もカトリーナは浮遊装置と飛行装置を強引にフル稼働させる。アクセルの死角に潜りながら、殴打と蹴りによる打撃に合わせて、彼女は刃が付いた尻尾で彼の体を切り刻んだ。
「そろそろかしら……」
「っはぁ……っはぁ……何がそろそろだってえ!?」
「自分でも分かってるんじゃない? 体が毒で侵食されつつあることを」
「もしかしたら……そうかもしれないな!」
ポーチから紫外線照射装置を手に取り、機械箒の柄を抱き締め、彼はブーツに備えられた加速装置を起動させる。アクセルが床に照射装置を投げ付けた直後、装置は眩い光を放射してカトリーナの視界を光で覆った。
彼はブーツから放出する蒸気を用いて、不安定な建築現場跡に残された足場板を駆け抜け身を隠す。
「っはぁ……っはぁ……視界がボヤけてる。これは神経毒だ」
(毒を盛られた覚えはない。だとしたら、毒はあの刃が付いた尻尾に付着していた可能性がある。呼吸をするのがとても辛い。筋肉が麻痺して、指先に力が入らない。意識が遠退いていく)
アクセルはその場に二匹の機甲手首と両腕に装備していたアームウォーマーを置き、アームウォーマーに備えられたパネルをひとつずつ押していく。彼はハンズマンを撫で回した後、「僕は最低の蒸気機関技師だ。今度はちゃんと作ってあげるからな」と呟き、物陰に隠れた。
彼が物陰に隠れた瞬間、二匹のハンズマンは機能の一部である、『アクセルの等身大の姿をしたホログラフィックの映像』を映し出した。
「こんなところに隠れていたのね、アクセル。死になさ――」
「死ぬのはお前だ! カトリーナ!」
カトリーナはアクセルに向けてナイフ状の尻尾を突き刺すが、それはハンズマンが映し出したホログラフィックの映像だった。
彼女は怒り狂うあまり、ホログラフィックを映し出していたハンズマンを踏み潰した。が、その直後、物陰に隠れていたアクセルはカトリーナの背後に突撃し、彼女を建築現場跡から突き落とそうと試みた。
「っはぁ……っはぁ……ここはアンクルシティの天井だ。カトリーナ」
「貴方は何度私を見下ろせば気が済むわけ? すぐに登ってやるから覚悟しなさい!」
アクセルはカトリーナを足場板から突き落とすのに失敗する。しかし失敗といっても、カトリーナは足場板に備え付けられた柵に腕を絡めて、落ちる寸前だった。
「諦めろ。お前のパワードスーツにある浮遊装置と飛行装置はオーバーヒートしている。もうすぐだ……5、4、3……」
「そ、そんなわけが――」
数を数え終えると、カトリーナのパワードスーツに搭載された浮遊装置と飛行装置が活動限界を迎えた。その直後、彼女の体にパワードスーツの重量の五十キロが襲い掛かる。
全身に上乗せされた重量に耐えきれなくなり、カトリーナは柵に絡めていた腕が解けて、足場板に指を引っ掛ける。宙吊り状態の彼女は、「お願い、このままじゃあ私、本当に落ちて死んじゃう!」と必死に叫んだ。
「何を今さら驚いているんだ。お前はここで死ぬんだぞ?」
「私が……私が死んだらイスカはどうするの? イスカから母親を奪うつもりなの!?」
アクセルはイスカが母親を失う事実を考えた後、機械箒の穂先をカトリーナの腕に伸ばして握るよう促す。が、彼女が機械箒の穂先を握りしめた瞬間、アクセルは『お前は持たざる女。あの子にとっては母親でもなんでもない』と言葉を吐き捨て、機械箒の穂先から高温の蒸気を放出させた。
アンクルシティの天井から地上へと落下していくカトリーナ。
彼女は何度もパワードスーツの浮遊装置と飛行装置を再起動させるが、失敗に終わる。
アクセルとの空中戦で用いていた【臨界操術・再生移動】は、空中に漂う僅かな霊力を術式によって具現化させ、足場として利用して蹴り上げるという行為。
すなわち、僅かな霊力が漂っていなければ、発動できない術式であった。
☆☆☆
アクセルは脳の本来の機能を50%まで引き上げ、副腎や脳から化学物質を垂れ流して体内に駆け巡る毒物の分解を行う。同時に彼は機械箒に跨がり、カトリーナが落下したポイントまで降り立ち、彼女の実物の遺体を目にしてひと呼吸置いた。
(後はベネディクトだけだ。体に駆け巡る猛毒は化学物質で何とか分解を進めている。アームウォーマーもハンズマンも失ったし、焦土石を用いて加速するブーツの機能も使いきった。僕に残された装備は、機械鞄や変形機構式ナックルグローブ、この能力だけだ)
等と考えながら彼は手のひらを開閉して、体内に蓄積された電流がちゃんと放出されているか確認する。しかしその直後、彼の視線の先に黄色いコートを着て、機械鞄をバスターガンへと変化させたベネディクトが現れた。
「遅かったな、ベネディクト。お前が遅かったせいでカトリーナは死んだよ」
「ああ、そうか。アイツは中途半端な強さでイキりやがる弱い女だからな。お前に調子を乱されて殺されたんだろ?」
ベネディクトの言う通りである。
カトリーナはパワードスーツをフル稼働させなければ、アクセルを殺せたはずだった。彼女はアクセルの煽り言葉や自身が抱く劣等感にさえ目を瞑っていれば、負けることがなかった。
「ベネディクトさん。貴方と戦う前に知りたいことがある」
「ああ?」
アクセルがそう言った直後、ベネディクトは持っていたバスターガンの銃口を彼に向ける。彼は何の躊躇いもなく引き金を引き、アクセルに向けてエネルギー弾を放った。
黒髪の少年にエネルギー弾が着弾する寸前、アクセルは両手で抱えていた機械箒をグラビティシールドへと変化させ、エネルギー弾を弾き飛ばした。
「僕たちは五番街を掌握する便利屋ハンドマンの最強の義兄弟だったはずだ」
「ああ、そんな時期もあったな……それがどうした?」
「僕はカトリーナを殺しても尚、ベネディクトさんが便利屋ハンドマンを裏切ったとは思っていない。貴方はカトリーナと劉翔に唆されて、彼の兄の殺人計画に加担してジャックオー先生を殺さなきゃいけなくなっただけだ」
「アクセル。俺はお前が思う通りバカな男だからよ、もっと分かりやすく説明してもらえねえか?」
アクセルは唇をぎゅっと結び、緊張を隠しながらベネディクトの改心を試みる。
「貴方は彼らに利用されているにすぎない。この計画を企てたのはカトリーナと劉翔だ。【九龍城砦】を掌握する老呪術師・峻宇が欲しがっているのは先生の首ではなく、計画を企てた責任者たちの首であるはずだ!」
「つまり俺が助かるには、カトリーナの首と劉翔の首を老呪術師・峻宇に差し出すっつうことか……」
(ベネディクトさんは馬鹿だけど、ちゃんと説明してあげれば理解してくれるはず。今回の計画の首謀者はカトリーナと劉翔だ。彼はその計画に利用された暗殺者でしかない)
アクセルは続けて「二人が首謀者である証拠の映像だって持っている」と言ったのだが、ベネディクトは「お前。それでも便利屋ハンドマンの看板を背負った便利屋か?」と尋ねた。
「え?」
「お前が俺に行わせようとしているのは、『依頼者を裏切る最低の行為』だ。俺はこの七年間でお前に叩き込んでやったはずだぞ? 俺たち裏家業人に依頼を頼む者は、『金が無くて、他の番街の便利屋に頼ることができない客』と『金があるが、他の便利屋には頼めない依頼をしてくる客』だってことをだ!」
ベネディクトはアクセルと過ごした七年という年月の間、便利屋ハンドマンを頼る依頼者の全ての依頼を果たしてきた。
五番街の便利屋ハンドマンが請け負う依頼は、他の便利屋が断る難題な依頼が多い。
「で、でも今回の依頼は自分の命が懸かっているんですよ!?」
「俺はお前をそんな腑抜けた男に育てた覚えはねえ。便利屋ハンドマンや無頼屋ディアボロを頼る依頼者はなあ。いつだって必死に生きてて今日を生きる事に精一杯な人間が多いんだ! どれだけ間違っていようと、依頼人を裏切る真似を教えた覚えはねえよ。テメェは俺の弟子でも家族でもねえ!」
最強の漢はいつだって依頼を断らない。依頼を断るという事は、依頼者の命を絶つことに繋がりかねないからだ。
変形機構を持つ機械鞄をバスターガンから特殊包丁へと変化させたベネディクトは、『後悔しろ』と叫んで地面を踏み込んだ。
「クソッ垂れ……どうしてこうなるんだよ!」
「お前はここで俺が殺す! そこまで腑抜けたお前は俺にとっての人生の汚点だ!」
グラビティーシールドに電力を注ぎ込み、アクセルはシールドを形態変化させる。
機械的に変形していく機械鞄は、ジャックオー・イザベラ・ハンドマンが暗殺の際に使用していた、【花嫁包丁】へと姿を変えた。
機械的な姿をした花嫁包丁は、ベネディクトが持つ特殊包丁と同様に接近戦で威力を発揮する刀である。
ベネディクトが持つ特殊包丁は持ち手を覆うように刃が延びていて、ジャックオー・イザベラ・ハンドマンの腕を切り落とすほど、敵に容赦のない武器である。
しかしアクセルが持つ花嫁包丁には、持ち手に錬金術の術式陣が刻み込まれている。そのため花嫁包丁が放つ斬撃にひとつひとつには、錬金術の術式が付与されるという、特殊な構造を持った武器であった。
花嫁包丁の刃が地面に触れた瞬間、地面に錬成陣が描かれて岩の突起がベネディクトを襲い掛かる。彼が壁に備え付けられた鉄パイプを刃で切り裂くと、鉄パイプは生き物のように動き出してベネディクトに襲いかかった。
だが、どの攻撃も最強の漢ベネディクト・ディアボロ・ハンドマンの前では、無に等しかった。
「あぁあぁぁあぁあああ!」
彼は花嫁包丁の柄を両手で握りしめ、包丁の刃でベネディクトの体を切り刻もうと試みる。しかしアクセルの攻撃の全ては、ベネディクトが彼に教え込んだ剣術であり、ベネディクトには一切通じなかった。
「全然当たらねえなあ!? どうしてか分かるよなあ!? 俺がお前に剣術を教えってやったんだぜ!?」
ベネディクトは花嫁包丁の斬撃を特殊包丁で押し返し、がら空きとなったアクセルの体に向けて袈裟斬りを行う。
アクセルは瞬時に距離を取ったが、左肩から右腰に向けて斜めに特殊包丁の刃を切り下ろされた。その直後、彼の小さな体から血飛沫が飛散して空を舞った。
(ダメだ……全然当たらない。それにこの傷は致命傷だ。毒は分解できただろうけど、こんなに出血した状態じゃあ立つことなんてできない……)
等と考えながら、アクセルはその場で膝を着いて最強の漢を睨み付ける。
「っはぁ……っはぁ……」
「あの能力を使うまでもないな。終わりだ、アクセル。その体じゃあ刀を握る力も残ってないだろ?」
「これから……どうするつもりなんだ?」
「ああ? まずはジャックオーを殺す。そして劉家を乗っ取って魔族のための世界をつくる」
(魔族のための世界か……ベネディクトさんは相変わらず人種差別主義者だ。僕がこの人を止めなきゃ、アンクルシティは死の街になる。そんなことは絶対にさせない)
落ちていた花嫁包丁の柄を握りしめ、杖の代わりにしてアクセルは立ち上がる。しかしそれを見ていたベネディクトは、彼の執念に呆れて特殊包丁の柄を握りしめ、アクセルの心臓に目掛けて包丁を突き刺した。
「お前は俺が戦った敵の中で一番弱くて、一番厄介な敵だった。誇りに思え、アクセル」
彼が特殊包丁を引き抜いた瞬間、先程よりも大量の血飛沫が空を舞ってアクセルは地面に倒れる。
ベネディクトはアクセルを思って黄色いコートを脱ぎ捨て、彼の体に被せた。
(ダメだ。心臓をやられた。意識が遠退いていく。体が全く動かない。指先ひとつ動かない。体が冷たくなっていくのが分かる。せっかく二週間掛けて作った、ベネディクトに対する錬成陣も、これじゃあ意味がない)
ベネディクトが立ち去ってから数分が経った後、完全に生き物としての生命活動を終えた彼の体に、体内のとある臓器が彼の生命機能を再起動させる。
彼の体の生命機能を再起動させたのは、彼の副腎に擬態していた【聖力核】という臓器であった。
聖力核は魔族が持つ魔力核と似て非なる存在。
聖力核は人が進化の過程で手に入れた副産物でしかなかった。
魔力核が魔族にとって重要な臓器であるのに対し、聖力核は人族にとっては必要のない臓器であった。
聖人族という種族の人間は通常、生まれながらに聖力核という臓器を持って生まれる。彼と同種族であるロータス・キャンベルも聖力核を持って生まれたが、本来の力を発揮しないまま自然消滅してしまった。
しかしアクセルの聖力核は、副腎と強く癒着している事によって、体に順応して消滅することはなかった。だが、カトリーナとベネディクトとの戦闘において、アクセルは『数百を超える死』を体験している。
彼がベネディクトにトドメを刺された事によって、副腎と癒着した聖力核はアクセルの脳の機能を一時的に100%まで引き上げ、彼を【解離者】と呼ばれる、理や道理から外れた存在に変化させた。
「背中に翼が生えたように体が軽く感じる。心臓を突き刺されたはずなのに、傷跡が消えている……」
(服はボロボロだし、せっかくだから彼がくれたコートを着よう)
それからアクセルは耳を澄ませて音を聞き取る。
彼は『幸運を祈れ』と小さく呟き、声を置き去りにした音速の速さで、ベネディクトの元へと駆け抜けた。
(人間は生き延びるために、『闘争か逃走』を強いられる事がある。僕が加速装置を失ってもこんな速さで走れるのは、身体中にアドレナリンが駆け巡っているからなのかもしれない。だとしても、妙に心が落ち着いてしょうがない。これからベネディクトさんを殺すというのに、どうしてこんなに冷静でいられるんだろう)
等と考えながら、アクセルはベネディクトの前に立ちはだかる。彼は既に診療所トゥエルブに到着していて、廊下を歩いている真っ最中であった。
「あ、アクセル……お前、どうして生きてるんだ。確かに俺はお前を殺したはずだぞ!」
「自分でも分からない。でもひとつだけ分かる事がある」
アクセルは拳を握りしめた後、その拳をベネディクトへと向ける。その後、彼は憐れむような眼で彼を見つめ、「ベネディクトさん。今までありがとうございました。今の僕は貴方より強い」と言い放った。
「俺より”強い”だと!? 俺が誰か分かって言ってんのか!?」
「うん。分かってる。貴方は最強の漢で頭を吹っ飛ばされても死なない魔族だ――」
ベネディクトは床を踏み込んでアクセルの背後に回り、特殊包丁の刃で首を切り落とそうと試みる。しかし脳の機能を100%まで引き上げ、【解離者】と呼ばれる存在に成り果てたアクセルにとって、彼の攻撃を避けることなど造作もなかった。
アクセルは背後に回ったベネディクトの背後に回り、花嫁包丁の刃で彼の背中を切り刻む。すると彼の背中に、円に囲まれた七芒星の錬金術陣が描かれた。
「クソッ垂れ……俺の攻撃を避けるだなんてな。思ってもいなかったぜ」
(さっきまでのアクセルと雰囲気が違う。何がコイツの強さを底上げしやがったんだ!?)
ベネディクトは彼の様子を観察しながら、『後悔しろ』と叫び特殊包丁を機械鞄に変化させて、機械鞄をバスターガンへと変化させた。
自身を憐れむ瞳で見つめ続けるアクセルに怒りが込み上がり、彼は診療所であるのにバスターガンを乱射する。
「ここは病院なんだぜ、アクセル。入院中の患者が大勢居ることを忘れるなよ?」
「”忘れてないよ”だから、僕とトゥエルブ先生は、貴方が診療所を襲うのを待っていたんだ」
「何が言いたい……?」
「ベネディクトさん。この診療所は貴方の不死身な体を無効化させる、特殊な錬成陣が幾つも描かれている。さっき切った背中の傷が治らないのをおかしいとは思わなかったの?」
ベネディクトは壁や天井、床や鉄格子の窓といった物に視線を送るが、アクセルが言っていた通りの見た事がない錬成陣が至る所に描かれていた。
それに加えて、診療所トゥエルブに存在するのはアクセルとベネディクトの二名である。入院患者やドクタートゥエルブ、看護師等は、この二週間で特殊な錬成陣を至る所に描いた後、別の場所へと避難していた。
「この診療所は貴方の棺桶です」
「舐めるなよ馬鹿ガキ……自然治癒力が下がっただけで、俺は死んじゃあいねえぞ!」
ベネディクトはバスターガンを投げ捨て、両手で掌印を組み始める。彼が掌印を組んで【拡張操術・桔梗】と言い放った直後、背中に描かれた錬成陣が反応して、壁や天井、床や窓といった場所に描かれていた錬成陣から鎖が現れて、ベネディクトの身動きを完全に封じた。
「何なんだこの鎖……俺の魔力を吸い取ってやがる……」
「その鎖はジャックオー師匠とトゥエルブ先生が考案した、魔族の力の源である【魔力核】から魔力を奪い取る鎖です。つまり、魔力を奪われた今の貴方の体は、普通の人間と何も変わらない……」
「魔力核……お前、俺がどうして不死身だったのか理解しているようだな?」
「はい。魔族の魔力核は通常、心臓以外の位置に存在して、魔族はその魔力核を源に魔術を発動します。ですがベネディクトさん。貴方の場合は違います。貴方の魔力核はここにある……」
膝を着いたベネディクトの元に近づき、アクセルはナックルグローブに込められた『とある物質』の作用を働かせるため、ベネディクトの胸に目掛けて拳を構える。
「ベネディクトさん。貴方のお陰で僕は強くなれました。最強の漢にはなれませんが、いつか貴方を超える存在になってみせます」
彼はそう言い残し、グローブのナックル面に備えられた針を現して、ベネディクトの心臓に目掛けて突き刺した。
「何を打ちやがった……アクセル」
「僕の脳の松果体から直接抽出した、高濃度のメラトニンという化学物質です」
「メラ……トニ……ン?」
「はい……貴方は……もう……誰も傷付けないでいいんです」
「そうか……戦わなくても……いいのか。じゃあ……お前が代わりに戦うのか?」
「任せてください……僕が貴方の代わりに戦います」
「俺の後釜は辛いぞ。俺を超える男になれよ……」
「はい……ベネディクトさん。おやすみなさい――」
アクセルはベネディクトの頬に手を当て、深く息を吸い込む。彼がベネディクトの心臓に注入したメラトニンという化学物質は、『幸せホルモン』と呼ばれていて、深い睡眠を促す作用があった。
彼は、ベネディクトが不死身の肉体であっても通常の魔人族と肉体の構造が同じであることを知り、その結果ベネディクトを永遠の眠りに就かせることで手を打った。
家族であり先輩であり、師匠であり兄弟でもあるベネディクトを心から愛していた。愛しているからこそ、彼に剣を突き刺して殺す方法を取らなかった。
永遠の眠りに就いた彼の前で膝を着き、アクセルは咽び泣いた。




