08「無頼屋vs便利屋3」
当時、無頼屋ディアボロが入っていたテナントビルは、九龍城砦に飲み込まれていなかった。店舗が城砦の一部と化すのは数年後の話である。
二番街に通じるゲートを通り抜けたアクセルは、イエローキャブを爆走させて空路を駆け抜けた。
暗闇を照らす等間隔に浮かんだ街頭の光を頼りに、彼は無頼屋ディアボロのある二番街の繁華街へとキャブを走らせる。その道中、アクセルの脳内にはベネディクト・ディアボロ・ハンドマンと過ごした、七年間の記憶が蘇っていた。
異世界に転生してから右も左も分からなかったアクセルに対して、ベネディクトは自分が教えられる限りの殺しの技術や処世術、人の見極め方を彼に学ばせ続けていた。それもこれも、異世界転生者であるアクセルを思っての行動であった。
固い友情で結ばれた二人の間には、師弟関係を越えた絆すら存在しかかっていた。はずであった。
「ベネディクトさんがジャックオー先生を殺そうとするなんてあり得ない。何かの間違いだ。二人は口喧嘩をしてしまって、その口論の結果でベネディクトさんは先生の右腕を切ってしまったんだ……」
(僕は何を言ってるんだ? 普通は口喧嘩をしても相手の腕を切るなんて馬鹿げた行為をするやつなんて居るはずがない)
アクセルは唇をぎゅっと結び、受け入れ難い現実から目を逸らすために涙を堪える。ヨーク型のハンドルに何度も頭を打ち付けるが、額から血が滴るだけで、彼が立ち向かう現実は一向に変わりはしなかった。
空路から道路に降り立ち、アクセルが乗るイエローキャブは無頼屋ディアボロの付近にある駐車場へと止まった。
繁華街を歩き回る炭鉱夫や錬金術師、呪術師や霊術師といった有象無象は、ベネディクトが犯した罪の重さを知っている。そのため彼らは、店舗の駐車場にイエローキャブが到着したと同時に、その場から立ち去った。
(色々考えても仕方がない。ベネディクトさんに聞けば――)
無頼屋ディアボロの扉を開けようとドアノブに手を乗せた瞬間、店内からベネディクト・ディアボロ・ハンドマンの声が聞こえてきた。
アクセルは彼らに気付かれないよう、扉を少しだけ開けて隙間から店内を覗き込む。そこには、カウンターに肘を着いて酒を飲むベネディクトと、【劉家】の次男・劉翔の姿があった。
(あの男は劉家の次男だ。どうしてベネディクトさんと一緒に居るんだ? 老呪術師・峻宇がベネディクトさんと劉翔を会わせるなんて、危険すぎてあり得ない。何かがおかしい)
アクセルは咄嗟にポケットに手を忍び込ませ、試作段階の『機甲手首』を取り出す。ハンズマンの指先にはカメラが仕込まれており、音声や映像を録画・リアルタイムで映し出す機能が搭載されてあった。
(お願いだ。ハンズマン。店の様子を見てこい)
彼がアームウォーマーを起動すると、ハンズマンはぎこちない動きを見せながら店内の物陰へと侵入した。
アクセルは試作段階のハンズマンを操作しつつイエローキャブの運転席に戻り、ホログラムとして浮かび上がった映像に目を凝らし、耳を澄ませる。
彼が映像に目を凝らしていると、劉翔が一本の瓶ビールを持ち上げ、ベネディクトと祝杯を挙げた。
「劉翔。この計画が上手くいけば、本当に俺を【劉家の一員】にしてくれるんだろうな?」
「ああ、ベネディクト。お前が俺の兄貴を殺してくれたお陰で席が空いたからな。世界が道理にかなっていれば、次の若頭は次男である俺になる。そうなれば、後は俺とお前が協力して峻宇を殺せば良いだけだ」
彼らの企みを知ったアクセルは、自身の目を疑い、現実を否定し、ベネディクトという卑劣な存在を真っ向から否定した。
その後も劉翔とベネディクトは、店に誰も居ないことを良いことに大声で話し続ける。
「今日の襲撃で分かった事がある。イザベラが被る『霊具』は、意思を持つオーパーツで間違いない。奴の顔から霊具を引き剥がして被ったんだが、防衛システムとやらが働いて、霊具が爆発して頭が吹き飛んだよ」
「意思を持つ霊具か。【パンプキン】には【あらゆる理と真】が詰め込まれていると噂されているからな。防衛システムとやらで頭が吹き飛んでもおかしくはない。それにしても、お前は頭を吹き飛ばされても死なない生き物なんだな……」
アクセルは彼らの言葉の一つ一つを脳内に刻み込み、最強の漢を殺すための手段や方法があるのかを探る。
「まあな。自分でもビックリしたぐらいだよ。頭を吹っ飛ばされたのは初めてだからな」
「ビックリで済むのはお前だけだ――」
等と劉翔が言いかけると、店の奥から一人の女性が、浮遊するベビーカー押しながらカウンターの向かい側にやって来た。
彼女の名前は、カトリーナ・ハンドマン。
ジャックオー・イザベラ・ハンドマンの実の姉であり、ベネディクト・ディアボロ・ハンドマンの妻である。
彼女とベネディクトの間には、イスカ・ディアボロ・ハンドマンという名の女児がいた。彼女は父の遺伝子と獣人族の血を受け継いだ結果、体内に【魔力核】という特殊な臓器を持って生まれた。
「ハイハイ、泣かないでイスカ。今日も来ていらっしゃったんですね、翔さん」
イスカが乗る浮遊型ベビーカーに目を配りながら、カトリーナはカウンター越しに翔へと笑みを送る。
その様子を映像越しで見てしまったアクセルは、今回の襲撃事件にカトリーナも関与していると悟った。
「こんにちは、カトリーナさん、イスカちゃん。二人ともお前には勿体ない美しさの持ち主ですね」
「黙れよ糸目野郎。この女は五回も妊娠して、女しか孕まなかった石女だ。それに今回の仕事を俺に提案してきた癖に、あれよこれよと恥を恥とも思わない発言ばかりを繰り返す醜女だよ」
「ちょっとご主人様? 娘が居る前で悪口を言わないでもらえる? まあ、男の子を孕めなかったのは私の責任ですけどね!」
イスカが泣き叫んでもなお、カトリーナは彼女をあやさずにカウンターの向かい側に居るベネディクトに問い掛ける。
「今回の襲撃の件だけど、ジャックオーは暫くトゥエルブ診療所の集中治療室から離れられないみないね。ご主人様、どうする御つもりなのですか?」
「んなこと知らねーよ。今回の襲撃が失敗した事で、治安維持部隊や蒸気機甲骸警戒が厳重体制になったはずだ。それが落ち着いた頃にもう一度襲撃をかけるつもりだ」
「それともう一つ問題が残ってるわ」
「問題?」
カトリーナがベネディクトに尋ねると、彼は「もしかしてアクセルの事か?」と返事をした。
「あのガキは魔術も錬金術も使えない、人間以下のゴミクズだ。術式を使えない人間は淘汰されていくだけだ」
「なるほどね。じゃあ、あの子も始末して良いってことなのかしら?」
ホログラムに映る映像越しに息を呑み込み、彼は二人が自分の話をしている事に気付いて血の気が引いた。
「ジャックオーが退院するのは大体、二週間後だ。俺たちはその時まで待っていれば良いだけさ」
ベネディクトがそういった直後、イスカが再び泣き始めた。
ホログラムの映像に映るベネディクトとカトリーナは、そんなことを全く気にせず談笑を繰り返している。
「イスカ……僕はキミと血が繋がらないし、ただの他人だ。だけどキミを放って置くほど、僕は落ちぶれた人間じゃない。必ず救ってやるから少しだけ待っててな」
アクセルはアームウォーマーを操り、ハンズマンを店舗の外へと移動させる。彼は車の窓に飛び乗ったハンズマンをポケットに忍び込ませ、診療所トゥエルブへとイエローキャブを走らせた。
(魔族は人間じゃない。特にあの男と女は犬畜生にも劣る、人の形によく似た別の何かだ。運良く知性を持って生まれてしまった有機物でしかない)




