01「暗黙のルール」
明くる朝、僕はオーナー兼店長としての役割を果たすため、一週間振りに便利屋ハンドマンへ顔を出した。が、ベネディクトさんの黄色いコートを着るのを忘れてしまったので、ロータスさんデートで似合ってると褒めてくれたナポレオン調のジャケットを着たまま出勤しようと決めた。
店舗の車庫へとイエローキャブを停めた直後、物音に気付いたのかエイダさんとビショップがやって来た。
「おはよう、二人とも。この一週間は迷惑を掛けて本当にごめんね」
ダストのとっつぁんから下された謹慎処分の一週間、エイダさんは僕の代わりに店長としての務めを果たしていたらしく、他の従業員と協力しながら泊まり込みで働いてくれていたようだ。
もしかすると七つの機甲骸のビショップでさえも、彼女や便利屋ハンドマンを支えるために、僕が請け負った依頼を肩代わりしていたのかもしれない。いや、彼女だけでなく、アリソンさんやマーさんも僕の代わりに店を回してくれたに違いない。
「ジャックオー師匠なら『お前らの代わりは幾らでも居る。働けるだけでも有り難いと思え』と言うだろうが、それは僕という優秀な使いっ走りが居たからこそ言えた発言だ。今の便利屋ハンドマンには七つの機甲だけじゃなく人族や獣人族、他の種族の働き手が欲しい。エイダさんやアリソンさん、マーサさんに辞められると困るから、今は彼女たちの基本給を引き上げて働く意欲を持っていてもらおう……」
等と今後の事を考えながら呟き、僕はイエローキャブから降りる。すると二人が鼓膜を破るような大声で、『聞いてくださいアクセルオーナー!』と耳元で叫び、僕が出勤できなかった一週間の出来事を語り始めた。
「聞いてください、アクセル様。このポンコツホムンクルス、私が錬金術が使えない機甲骸だからと蔑み、ジュゲムに私のダメなところをコッソリと教えたんですよ!?」
「アクセル先輩。このポンコツボットは、ボットの癖にいっちょ前に恋愛感情なんて抱いています。すぐに破壊するべきです! ジュゲムだって、錬金術が使えないポンコツボットに言い寄られても迷惑なだけですからね!」
どうやら僕が思っていたよりも、事態は深刻なものとなっているようだ。
僕が名付けた指導者という部下は機甲骸という肉体を手にしてから、より人間らしく成長し始めた。それもエイダさんの話によると、怒りやユーモアといった感情よりも『恋愛』に重きを置いた気持ちを抱いてしまったらしい。
子供が成長してくれるのは、生んであげた親としても見ていて微笑ましい。が、エイダさんをポンコツホムンクルスと呼ぶのは、些か問題がある。ホムンクルである彼女との相性もあるだろうが、ビショップにはこれからも人間と機甲骸の橋渡し役となって貰いたい。
しかし恋愛感情を持つ機甲骸か。
うん。最高じゃあないか!
これぞ男のロマンだよ!
応援するよビショップ!
「分かった。ビショップに話があるから、エイダさんは店内に戻ってて」
「ちゃんと注意して下さいよ。でないと私が彼を分解しますからね?」
僕はエイダさんを店内に案内した後、ガックリと肩を落としたビショップを車庫に引き連れてケツを叩いた。
すると彼は叱られると思っていたらしく、「アクセル様、このような感情を抱いたのは初めてでした。私はどうすれば良いのでしょうか?」と言って頭を抱えて塞ぎ込んでしまった。
人族の成人男性に酷似した体を与えられたビショップは、人間の体には存在しない『七錬核』という特殊な人工臓器が埋め込まれている。その七錬核は機甲骸が人間らしく成長できるように僕が制作した唯一無二の臓器でもあった。
恐らくジュゲムに恋をした今のビショップは、胸の中央に埋め込まれた『七錬核』に宿った擬似的な心や感情に従い、人間の成人男性のように振る舞い始めたのだろう。
「ヨシっ……ビショップ!」
「はい、アクセル様」
「第一に僕はキミを分解したり破壊したりしない」
「それは本当ですか?」
「本当だ。第二に僕はキミとジュゲムの恋愛を応援するつもりだ」
「えっ……機甲骸同士の恋愛ですよ? この感情はチップに蓄積されたプログラムのバグの一種かもしれません。それでも応援してくださるんですか?」
指を突き合いながら俯くビショップの頬に手を当てて、僕はそのまま頬に当てた手のひらを彼の胸の位置まで持っていく。
「キミの体は蒸気機甲骸と魔導骸で構成された特別な肉体だ。そしてキミを含めた七つの機甲骸の体内には擬似的な心と感情を理解する臓器が埋め込まれている」
「心と感情を理解する臓器ですか。つまり私がジュゲムに恋をしたのは、その臓器がもたらす影響の一つという事ですか?」
「半分正解だけど……もう半分は不正解だね」
「アクセル様、あまり私を揶揄わないで下さい。私が抱いた恋心という感情は偽物と判断して良いのでしょうか?」
「いいや。ビショップがジュゲムに抱いた恋心は本物の感情だと断言できる。何故なら僕がキミたちの体に埋め込んだ『七錬核』という臓器は、制作過程で僕の細胞の一部が使われているからね。元々人工知能だったキミを完璧な人間に近づけるためには、僕の細胞の一部を取り込む必要があったんだ」
「私の体にアクセル様の細胞が取り込まれていたんですね。その『七錬核』という臓器について詳しく教えて頂きたいのですが、私の意識が直接『七錬核』にアクセスすると問題が起きたりするのでしょうか?」
ビショップは相変わらず勘の鋭い機甲骸だ。本当ならば今すぐにでもアクセスの許可を出したいが、心や感情を掌握する七錬核には膨大な量のデータが記録されている。もしも彼が不用意に膨大な量のデータと交流してしまえば、ビショップの倫理観が間違った方向に成長してしまう可能性がある。
等と考え込んだ後、僕は首を横に振って彼の問い掛けに答えた。
「ビショップが気になるのなら七錬核にアクセスすると良いよ。だけど僕はそれをオススメしない。キミは僕の部下だけど、僕の大切な家族でもある。七錬核には心と感情をデータ化した物が保存されているけど、それはあくまで僕の記憶をデータ化して記録したにすぎない」
「アクセル様の記憶が私の体の中に……」
「まあ、話を元に戻そうか。僕はいつだってキミを含めた七つの機甲骸の恋愛を応援するつもりだよ。親が子供の恋愛を応援しないなんておかしいと思わないか?」
「確かにおかしいと思います。でも、あのポンコツホムンクルには、どう説明すれば……」
彼の問い掛けに一瞬だけ戸惑いをみせる。が、それでも僕は咄嗟に答えを導き出した。
「分かった。じゃあこうしよう。ビショップは頭の良い機甲骸だ。どれだけイライラしようと、彼女をポンコツホムンクルスと呼んでいいのは、僕と一緒にいる時だけ。それならスッキリするだろ?」
僕がそう言うと、ビショップは「ナイスアイデアです! あのポンコツホムンクルもおだてられるので、一石二鳥ですね!」と言い残し、足早に店内へと戻って行った。
「はあ……恋愛感情か。まさかクラックヘッドやクラリスより先に、ビショップがその感情に芽生えるとは思いもしなかった。誰に影響されたのかは一目瞭然だな」
何にせよ、僕が作った機甲骸は全て僕の家族だ。
恐らくだが、今の段階で言えばジュゲムよりも、ビショップの方が恋愛感情について良く知っているに違いない。
ジュゲムはロータスさんの部下だ。
彼女がロータスさんにチクれば、問題が起こる可能性がある。
「まあ、その時はその時だ。アンクルシティには多様性に配慮したルールがある。機甲骸に配慮するルールができてもおかしくないだろう……」
等と呟きながら、僕は店内に入り作業台のある二階へと向かう。席に座ると同時に、マーサさんが近づいてきた。
「どうしたの?」
「アクセルオーナー。お休みの間に何件かお電話がありましたよー」
「いつ頃? 相手は誰だった?」
「御二方とも昨夜の夜遅くです。片方は魔術学校に勤めるユズハ・クラシキ様、もう一方は劉家の電話番の方からでした」
ユズハ先生と劉家の電話番か。
超面倒臭い事になりそうだな。
しかも同時刻に電話が来たって事だろ。
僕がロータスさんと裸プロレスしてる間に、何かあったって事なのか?
「劉家の方は食事の誘い……って訳じゃなさそうだよな」
「恐らく、来月の中頃に行われる【黒議会】についてのお話かと思われます。あ、あの……」
ファイルを手に持つマーサさんの指が小刻みに揺れている。
彼女に「どうしたの?」と尋ねると、マーサさんは「一生のお願いです。私はまだ生きたいです。【黒議会】には同行できません! 本当にごめんなさい」と言って、いきなり僕の腕を掴んできた。
彼女は恐怖に囚われたように、僕の腕を必死に握り締めている。
「やっぱり行きたくないよね?」
「は、はい。以前、亜人喫茶デンに所属していた数名の猛者が、劉峻宇の弱みを握ろうと九龍城砦に乗り込んだんです」
「ああ、その事件なら僕も知ってるよ。確か頭部が切断されて――」
「ニュースになりましたから知ってて当然です。でもアクセル様が知らないのはここからなんです!」
マーサさんは当時の事を鮮明に覚えているらしく、劉家の三男・劉峻強、通称デンパ君が彼らに行った行為を語り始めた。
当時の報道では一部しか明かされていなかったが、僕は彼が亜人喫茶デンの猛者たちに何をしたのか知っている。
「劉家の何者かは、亜人喫茶のメンバーの体を何らかの術式で液体化させた後、その液体を瓶に詰めて頭部を瓶に入れて私たちに送り返してきました」
マーサさんは自分を包み込むように腕を掴んで、肩を震わせている。
確かにデンパ君がやった報復は、マーサさんにはキツいものだと思う。でも僕から見てしまえば、それで済んで良かったとさえ思ってしまった。
便利屋は顧客情報や身内の従業員を大切にする裏稼業だ。
同業者には手を出さないのが決まりだし、特殊な例外がない限りは他の番街で仕事をする事はない。
ましてや同業者の縄張りに『許可なく足を踏み込む』のは、他の番街の便利屋の全てを敵に回す事に繋がる。
これは各番街の掌握者が決めた暗黙のルールだ。
壱番街に多様性に配慮するルールがあるように、便利屋という稼業にも暗黙のルールが存在する。
そして九龍城砦の黒議会で行われる今回の議題は、僕が正式に五番街の掌握者ジャックオーとして動き始める宣言と、他の番街の便利屋が僕のコネと縄張りを欲しがっている件についての議題だった。
僕はジャックオー師匠から便利屋ハンドマンのオーナーを引き継いだ際、彼女とベネディクト・ディアボロ・ハンドマンが抱えていたコネとシマを受け継いだ。
二人が抱えていたコネとシマは、五番街だけではなく各番街に幾つも存在していて、僕は議員や女優といった多くの人物と関わりを持っている。
つまり僕は事実上、アンクルシティの各番街の全てに便利屋ハンドマンのチェーン店を展開する事も可能だった。
実際、ベネディクトさんは自分のコネとシマを使って、二番街に店を展開しようとしていた。
「大丈夫だよ、マーサさん。黒議会に参加するのは僕とエイダさん、ボディーガード役の数体の機甲骸だから……」
僕がそう言うと、マーサさんは鼻水や涙でぐしゃぐしゃな顔を上げて、「本当にありがとうございます」と言い、自分の席へと戻って行った。
黒議会には師匠の付き合いで何度も行った事がある。
九龍城砦は他の番街の人間が入っていい場所ではない。
五番街のスラムとは異なり、建物全体が迷宮と化している。
一つでも道を間違えれば、外に出るのに何週間も掛かるダンジョンと然程変わらない。
そんな事を考えていると、営業開始前なのに店舗の扉に備えられたベルが鳴った。
「アクセル! 俺はレンウィルだ! 仲間の怪我を診てやってくれ!」
どうやら例の祈り子が来店して来たようだ。
レンウィルともう一人の青年は、怪我をした女性の肩を支えながら店へとやって来た。
ここは病院じゃあないぞ。と言いたいところだが、列車内であれだけ協力してやると言ってしまったからには、協力せざるを得ない。
等と考えながら、僕はビショップやクラックヘッド、治癒魔術が使えるクラリスに視線を送り、エイダさんとアリソンさん、マーサさんには応急箱を用意するよう言って、一階へと駆け降りた。




