閑話「骸の教団1ー3」
それから数時間が経った後、イザベラは教団が管理する『臨界の到達者たちの研究施設』で目を覚ます。
山積みになった本や書類の束を見渡したイザベラは、ルミエルの行動を思い出して自分が選んでしまった行動の愚かさを悟った。
(私はなんてバカな女だ。外の世界を見てしまったばかりに調子にノッテしまい、アンクルシティを見捨てる選択をした。廊下で言っていた彼女の話が本当であれば、近いうちに初代イヴとやらがベアリング王都に戦闘用の魔導骸を送ってくるに違いない。どうにかアクセルに知らせなければ。いや、知らせたところでどうにかなるのか?)
そんな事を考えながらベッドから起き上がると、イザベラの前に一人の成人女性が現れた。
その女は骸の教団が戦闘の際に着用を義務付けられた戦闘用の修道服を着ている。
女が身に付けていた修道服には、魔術や聖術、呪術や霊術といった術式に対抗する特殊繊維が編み込まれていた。
しかし個性に対する対抗処置は施されていない。一個人が所有する個性が一つであるという保証が無いと立証された現在、個性に対しては各々で防護策を講じる他なかった。
彼女はイザベラに手を差し伸べると、「今は午後の20時50分だ。やっと起きたんだね。僕はサンジェロマン伯爵だよ」と名乗る。その直後、手のひらを介してイザベラの脳内に『15分後の未来までの記憶』が流れ込んだ。
イザベラはサンジェロマンの手のひらに触れた事で、後天性個性である『触れた相手の心を読み解く力の一部』を開花させた。
彼女は自身の脳に流れ込んだ記憶に驚きながらも、現在の状況を確かめるために周囲を見渡す。
「貴女がサンジェロマン伯爵ですか?」
「うん。意外だったかい?」
「はい。ルミエルさんが貴女は『美少女受肉オジサン』だと言っていたので……もっと小さい女の子だと思っていました」
「アハハ……彼女は虚言癖なんだよ。人に構ってもらいたくて嘘をつく癖があるカマッテちゃんなんだ」
イザベラの目の前に居た女は、顔だけは童顔なままの成人した女性だった。
背丈は170センチ近くあるイザベラと同じぐらい。綺麗な朱色の髪をしているが、その鮮烈な赤に似合わないような穏やかな性格をしているのがサンジェロマン伯爵だ。
伯爵は羽織っていた外套のポケットから錬金術の術式が縫い込まれた手袋を引き抜き、両手に装着する。
その後、彼女は手のひらを合わせて掌印を組んで、環境を利用する錬金術を発動した。
イザベラが「何をするんですか?」と訊ねると、伯爵はこう答えた。
「ルミエル様から何も聞いてなかったのかな。今日から僕が君の本当の師匠になるんだ」
「師匠って……なんの師匠ですか?」
「『本物の錬金術師』としての師匠だよ。僕たち骸の教団の『臨界の到達者』と『浮世の異端者』、『転生の境界者』に属する一部の団員は、ベアリング王都を死守する事になったんだ」
「それは本当の話なんですか?」
イザベラは伯爵の言葉に唖然とする。彼女が驚いたのも無理はなかった。
眠っていた数時間の間、各方面で動きがあったからだ。
ルミエルによる根回しやベアリング王都支部に居る『テネブル』という名の修道女との連携、最新型の戦闘用魔導骸の弱点予測等、不測の事態が起こらない限り、ルミエルには勝算があった。そのため彼女はベアリング王都を死守する事を決意した。
伯爵は「初代イヴの魔導骸が王都に到着するのは一年後だ」と呟く。
それらの事をイザベラに説明すると、彼女はベッドから起き上がって心急くままに義手の調子を確かめる。
その後、伯爵はイザベラの隣を歩きながら、自身が認めた一部の団員たちを率いて研究室と化した部屋を紹介した。
錬金術師というのは本来、『新たな物質』を創造する事を追い求めた集団であること。
しかし資源の枯渇や未熟な術師の増加問題が重なってしまった現在、自身を含めた上級錬金術師は目的を『新たな錬金術の開発』へ変えてしまったこと等々。
その事態をイザベラに説明しようとした瞬間、伯爵の背後に居た亜人族の女が床に落ちていた本に躓いて転んだ。
女は伯爵の代わりに持っていた飲み物を資料に溢し、「誠にごめんなさい――」等と謝っている。
伯爵は女に向けて「お前は明日から来なくていい。それに普通は、『誠に申し訳ございません』だろ?」と言い放ち、その場を後にして淡々と話し始めた。
「恥ずかしいところを見せてしまったね。彼女は僕たちの派閥に入ってから数ヶ月しか経ってないんだ。錬金術に長けた亜人族だから期待していたんだけど――」
「ちょっと待って下さい。部下の失態は上司の責任ですよ?」
「え?」
「だから、部下の指導をするのも上司の仕事だと言っているんです。貴女はそれでもプロの錬金術師なんですか? 私には貴女が上級錬金術師とは思えません。師弟関係の件ですが、お断りさせて頂きます」
イザベラがそう宣言すると、伯爵はニヤリと笑みを溢す。
その直後、彼女は術式が縫い込まれた手袋を着けた掌を床に押し当てて、イザベラが40年間もの間、目にした事がなかった規模の錬金術を発動した。
伯爵が発動した錬金術は環境の物質を利用する術式の一種だが、霊術に似通ったモノであった。
空中に漂う一冊の本に飛び乗るサンジェロマン伯爵。山積みになっていた本は宙に浮かび、伯爵の足場になり始めた。
それから伯爵は部屋中を駆け回るように、空中に浮かんだ本を足場にして駆け抜けていく。
彼女は圧倒的な技量の差に愕然とするイザベラに向けて、愉悦を感じざるを得ない表情を浮かべながら煽り散らかした。
「これは錬金術と霊術を組み合わせた混合術式、『臨界操術・【再生移動】』と呼ばれる移動手段です。短所である接近戦を補うために、ルミエル様によって新たに後発された僕たち錬金術師の武器です」
「こんなに完成度の高い混合術式を見るのは初めてです。霊術は万能ですが霊力の宿った物質にしか術式が効きません。しかしそれを錬金術の『環境を利用する構築術式』として『上書き』して、霊力が宿られていない本を消費することなく足場にしたんですね?」
伯爵は鼻歌交じりに本を足場にして駆け回るが、イザベラは一瞬にして彼女が行った『臨界操術・【再生移動】』の正体を見破った。
だが、サンジェロマン伯爵は彼女を容赦なく煽り続ける。
「穴蔵で暮らしていたにしては物知りだね。地底人にもチャンとした文化があるんだ」
「勿論ありますよ。アンクルシティは地上のどんな場所よりも美しい世界ですから」
「ふーん。僕にはそうは思えないな。僕は300年も生きてるけど、一度もアンクルシティには降りた事がない」
「どうしてですか?」
イザベラが興味本意でそう訊ねると、伯爵は目の色を変えて『だって人間と同じ姿をした”別の生き物”が慰め合いながらファ○クし合ってるんだよ。そんなの見てられないよ』『亜人族は錬金術に長けた種族だけど、実はアッチの技術も――』等と饒舌に語り始める。
サンジェロマン伯爵は「君も亜人族なんだろ? ルミエル様の話によると、『便利屋ハンドマン』は揃いも揃って『どんな依頼でもやり遂げる変態集団』らしいじゃないか。君の一番弟子も変態だって評判だけれど、それは本当なのかい?」と訊ねる。
するとイザベラは、その場で義手の拳を強く握りしめて身構えた。
伯爵は『臨界の到達者』の管理者という立場を利用して、イザベラを極限まで苛立たせる。
イザベラと一定の距離を保ったまま、彼女は他の団員たちがザワつくなか周囲を駆け回った。
「怒らせちゃってごめんね。僕って正直に物事を言うタイプの人間だからさ。300年も生きてると相手がどんな人間か一目で見抜けるの」
「私の事が見抜けたんですか?」
「すぐに見抜けたよ。常に澄ました顔をしているけれど、君は根っからの直情的で短気な性格。どちらかと言うと激昂しやすいタイプの人間だね」
「正解です。初めて会ったのによく見抜けましたね」
「これでも僕は元々、上流階級の出身なんだ。今は君と同様に女の姿をしているけれど、昔は『全てを知る男』と謳われていたぐらいなんだよ?」
「残念ですが、アンクルシティには貴女の伝説は残っていませんよ。お気の毒に」
彼女がそう言葉を吐き捨てると、サンジェロマン伯爵が「調子に乗るなよ。アバズレ野郎」と言って、錬金術と霊術の術式が編み込まれた手袋を擦り合わせる。
その直後、伯爵の部屋に置かれた時計から『21時』の時報を知らせる鐘が鳴った。
イザベラは伯爵に向けて、「彼女と私の愛弟子に謝るのなら今のうちです」と言い放つ。
しかし伯爵は激昂したまま、周囲に居た団員たちを巻き込む規模の爆裂錬金術を発動した。
伯爵の爆裂錬金術によって作り上げられた赤い球体。
様々な赤い閃光を放つ球体は、周囲の物質を吸収しながら膨れ上がり続ける。
サンジェロマン伯爵は「止めてみろよ地底人。これは初代イヴの為に用意しておいた『臨界操術・【擬似太陽】』っていう究極の錬金術だ。水素原子核を操る技量が無いと発動できない技さ!」と叫んで、何がなんでも自分を否定したイザベラという存在を殺そうとしている。
本来ならば直視する事さえ不可能な太陽が、目の前に存在する現状にイザベラは歓喜して太陽を直視し続ける。
他の団員は施設から避難し始めたが、イザベラは太陽に義手の手のひらを当てて「『臨界操術・【反転擬似太陽】』」と呟いて、伯爵が発動した術式を同威力の反物質で相殺した。
唖然とする伯爵はその場で腰を抜かす。
他の団員たちはイザベラが成し遂げた偉業を見て、歓喜の声を上げた。
呆然と空を見つめる伯爵に向けて、「貴女はただのアバズレ野郎だ」「部下を蔑ろにする最低な上司でしかない」「人の上に立つ資格がない」等と言った後、続けて言葉を吐き捨てる。
「どうして貴女の術式を相殺できたか知りたいか?」
「ああ、知りたいね」
「私には『人の心を読み解く個性』があるんだ。その個性のお陰でお前の記憶を読んで術式を読ませて貰った」
「つまり、この出会って数十分間の間で、僕が生涯を捧げて開発した術式を模倣されたって事か?」
イザベラは愉悦に浸りながら「そうだ。お前の300年は意外とちっぽけな人生だったな。ルミエルさんには、私が次の『臨界の到達者』の管理者候補になるよう報告しておくよ」と言い、その場から立ち去った。




