01「名もなき修道女」
魔術学校への入学を一ヶ月後に控えたある日、僕は便利屋ハンドマンの店長に昇格したのにも拘わらず、それ以前に行っていた機関義手や義足の修理作業をしていた。
店にはエイダさんの他にアリソンさんやマーサさん、僕たちの様子を見にきたナオミさんや露出の際立った修道服を着た修道女が居る。
僕はソファから移動して階段の傍にある柵に寄り掛かり、一階のカウンターに居るエイダさんに「ロザリオ嬢の依頼はどうなってる?」と訊ねた。
彼女はナオミさんとの会話を中断した後、その場で質問に答えてくれた。
「スカラベの呪いの後遺症で腕と足が動きにくくなっていますが、それも段々と元に戻っているようです」
「良かったね。他に何か困っていることは?」
「困っていると言うよりは、留年してしまったショックで少しばかり寮に引きこもっているぐらいですかね」
「留年か。それは金じゃあなんとかならないもんな」
どうやらロザリオ嬢は元気でやっているようだ。
スカラベの呪いの影響で一時的に腕と足が動かなくなったが、今ではリハビリを重ねて歩けるまでに回復したらしい。
直接聞いた訳ではないので定かではないが、ロザリオ嬢は授業の単位を落として留年してしまったそうだ。
便利屋ハンドマンはどんな依頼でも遂行するが、流石に『留年をどうにかして欲しい』といった依頼となると話が変わってくる。
それから僕は自分の作業台に置かれたテレビを見つめながら、マーサさんに「地下水道都市への物資運搬依頼って、定期的な依頼なんだっけ?」と訊ねる。
先程シャワーを終えたばかりのマーサさんは、下着姿のまま僕と同様に機関義手の手入れをして「そうですよ、アクセル店長」と答えてくれた。
「地下水道都市には酸素を発生させる巨大な焦土石と浄化石がありますが、それでも食料といった物資は運び続けなければいけませんからね」
「そりゃあ、そうだよな。今でも魔物とは遭遇するのか?」
「はい。今回の物資運搬時に、巨大なワームと遭遇したんです」
「ワームか。怪我はしてないようだが……大丈夫だったのか?」
「怪我なんてしませんよ。お姉ちゃんが傍に居てくれましたし、倒したのはお姉ちゃんですから」
「あの犬耳バカ野郎がやっつけたのか。流石だな」
裸同然の下着姿から着替えようとしているアリソンさんに向けて、「怪我はしてないのか?」と訊ねる。
すると彼女はあくびを出しながら「ワームなんて戦ったうちにも入らないよ。それより、アクセル。少し話があるんだが」と言って、肩に腕を回してきて眉をひそめた。
先程と同様に羽交い締めされる事を予測して、僕は彼女と一定の距離を置く。
しかしアリソンさんは、ゾーン状態の僕の動きに相当する早さで僕の背後に回り込み、「油断しているぞ、アクセル店長。また羽交い締めにされたいのか?」と耳元で囁いてきた。
部下のストレスを管理するのも店長の役目だが、二度も同じ轍を踏むほど僕は愚か者ではない。
従業員が抱える問題を解決するのが店長の役目だ。僕に相談事があるという事は、他の従業員には知られたくない話であるに違いない。
僕は店長としての務めを果たすために、アリソンさんと一緒に階段を降りて店の外に出る。
彼女に「お腹はすいてる?」と訊ねると、アリソンさんは頬を赤らめて小さく頷いた。
アリソンさんをエレベーターに案内した後、僕もエレベーターに乗り込む。暫しの沈黙に耐えきれなくなり、僕は自分から口を開いた。
「えっと……あの……」
「どうしたアクセル。私と一緒に居るのがそんなに緊張するのか?」
「まあね。ほら、殴り合った仲だろ?」
「違うぞ。殴り合ったんじゃあない。俺が一方的に殴っただけだ」
「その事だけど、今後は気を付けるとするよ」
「店長に昇格したからか? 俺は今のままでも良いと思うが」
エレベーターが一階に到着したと同時に、僕とアリソンさんはビルのフロントを通りすぎて外に出る。
その間、フロントに居たオバチャンに声を掛けられたが、「急いでいるので、話しは今度聞きますね」と言っておいた。
それから僕はアリソンさんに「本当にこのままでも良いのかな?」と訊ねる。
すると彼女は、「下手に気を遣われるのも迷惑だ。逆に俺たちが気を遣う羽目になりかねないからな」と答えてくれた。
「なあ、アクセル。話なら近くの喫茶店で済ませても構わないぞ」
「僕が奢るから好きな場所を選ばせてよ。五番街に『死霊喫茶モリアーティ』っていう喫茶店があるんだ。アリソンさんが良かったら、そこでご飯でも食べながら話さない?」
「アクセルはモリアーティに行った事があるのか。実は行ってみたかったんだが、あの喫茶店は『一見さんお断り』で有名な店だからな」
「確かにそんなルールがあった気がするな。アリソンさんはマーサさんと一緒に住んでいるの?」
「どうしてそんな事を聞くんだ。私たちのプライベートがそんなに気になるのか?」
「まあ、少しは気になるかな」
アリソンさんがそう言うと、彼女の犬耳がピクリと動いた。
もしかすると、僕は踏んではいけない地雷を踏んだのかもしれない。
エイダさんのように自分の過去や今の境遇を話してくれると思ったが、彼女に限っては違ったようだ。
僕は彼女に、同じ店で働いていた従業員を殺した過去を打ち明ける。
すると彼女はその場で立ち止まって「噂でしか聞いたことがなかったけど、あの都市伝説は本当の話だったのか」と言って、唖然としていた。
それから少しした後、僕たちは『死霊喫茶モリアーティ』の店に入った。
窓際のカウンターに備えられた丸椅子に飛び乗ると、アリソンさんは僕の隣に置かれた丸椅子に座った。適当にコーヒーや日替わりケーキといったモノを注文しようとすると、彼女は意外にも『特製オムライス』を選んだ。
「どうしてオムライスなんか選んだの?」
「ここのオムライスは『食べると運気が上がる』という噂があるんだ。そんなことも知らなかったのか?」
「まあね。僕はあまり食べ物には興味がないから」
「そんな気がしたよ。アクセルやジャックオーさんは、どちらかというと『生きるために食事をする』っていうタイプだからな」
アリソンさんの言う通りだ。ベネディクトさんとカトリーナさんが亡くなった後、僕とジャックオー師匠は食べるために生きている訳ではなく、『生きるために食べる生活』を強いられた。
料理が得意なカトリーナさんが亡くなってしまって以来、便利屋ハンドマンには以前のような活気が消え去った。
カトリーナさんとベネディクトさんを殺したのは間違いなく僕だ。
アリソンさんの話によると、僕が二人を殺した事件は尾ひれが付いて『都市伝説』と化してしまっているらしい。
こうやって事実とは少し異なる都市伝説が流れているとすると、便利屋ハンドマンがクリーンな店であると噂されるには、まだ時間が掛かるのかもしれない。
等と考えていると、喫茶店の定員さんが食べ物を運んできてくれた。
それと同時に店の扉に備え付けられたベルが鳴った。
店に入ってきたお客さんは露出の際立った修道服を着ていて、店内を見回している。
するとそこに店員さんがやって来て、修道女を追い払おうとしていた。
僕はアリソンさんに「先に食べてていいよ」と言って、店員と揉め合っている修道女の側へと近づく。
修道女に「尾行が下手ですね。僕たちに何か用があるんですか?」と訊ねると、彼女は「勝手に何処かへ行くな。ルミエル様の身に何かが起こった時、貴様を転移させられないだろう」と答えてくれた。
「ここで話すのは他のお客さんにご迷惑ですし、良かったら僕たちの席に座ってくれませんか?」
「仕方ないな。そうさせてもらおう」
露出の際立った修道女はそう言った後、アリソンさんの居る窓際のカウンターへと向かっていった。
僕は店の店員に修道女の分の飲み物を適当に注文して、アリソンさんと修道女の居る席へと戻る。するとアリソンさんが修道女に向けて、「貴様は哀れな修道女だな。俺を殺し損ねた事がそんなに気になるのか?」と訊ねていた。
僕が丸椅子に飛び乗ると、二人は僕が間に居るのにも拘わらず、頑なに睨み合っていた。
「アリソンさん。この女性と知り合いなの?」
「知り合いもなにも、俺はこの女に地下水道で襲われたんだ」
「襲われたって……もしかして僕が腹を刺された日の事か?」
「ああ、その通りだ。俺がお前に相談したかったのも、コイツの事が関係している」
それからアリソンさんは、僕が災厄の魔術師に腹を刺された日の事を語り始めた。




