第68話:あの頃に戻りたい、なんて
あの頃に戻りたいなんて思うのはきっと、現状に不満を持っている奴だろう。もう戻れない過去は、『もう戻れない』という特性のおかげで、凄まじい輝きを放つ。例え『あの頃』が黄金期と呼べるほどに煌めいていなくとも、少なくとも『若さ』を持っている時点で、過去は今より可能性に満ちている。それは確かだ。そんな可能性が日々、手からこぼれ落ちていくような生活を送っているのが、俺だった。近頃は、手から逃げていくそれを掴むために拳を握ることさえ、諦めていた。
「ごちそうさまでした。美味しかったです。撮影させて頂き、ありがとうございました」
そんな俺に、深々と頭を下げた彼女の言葉が刺さった──若者なら知らぬ者はいないであろう、大食いニューヒロイン・芹沢。動画投稿サイトから有名になり、あれよあれよと大食いスター街道をひた走る彼女。そんな彼女でも、こんな俺に感謝の言葉を述べてくれた。とは言っても、彼女が今日食べた、撮影動画用の大盛りラーメンは俺が作ったわけではない。ただそれを提供し、そして会計を担当しただけだ。ただの、一般店員と客の関係。でも、それだけの相手に、彼女は深々としたお辞儀までくれた。俺の心がこうも温かくなっているのはきっと、彼女の言葉や姿勢に嘘がないからなのだろう。とても満ち足りた顔をしていた彼女を見て、俺は思った。
あの頃に戻りたいなんて言わずに──彼女のように、今を生きることを楽しみたいと。




