第28話:快人
ソファーに座ってくつろぐ弟・快人の右肩辺りに、私はぐわっと首を伸ばす。そして「っくわ〜〜〜ぃぃとぉ!!」と抑揚を付けて、弟の『かいと』という名前を叫んだ。快人は「あぁぁぁ〜〜〜!!」という面白い声を上げ、ソファーから勢いよくずり落ちた。数秒の間を置いて、何が起きたかようやく理解した快人が「姉貴、そういうのやめてくれよ。ビビってねーけど」と言った。あれほどの声を上げて、ビビっていないらしい快人。姉弟としてもう三十年ぐらいの付き合いになるのに、何をカッコつけているのか。素直にビビったと認めろよ。全く、可愛いな。そんなだから脅かしたくなるんだよ。
しばらく私の顔を怪訝そうに見つめる快人だったが、少しして「なんか今日、機嫌いい?」と言った。そういうことにすぐ気付くところも、弟の推しポイントの一つである。
「ああ。今日新しくうちに来た中学生が、これまた面白い子でね。『ギターが上手くなって、好きな子への愛を叫びたいんです』って言うんだ。キュンキュンしちゃうだろ?」
私が勤めるギター教室での話を聞かせると、快人は「ロマンチックじゃん」と言った。
「そのイカした中学生の子を見習って、私も快人の名前を叫んだわけさ」
「無闇に俺をビビらすな……いや、ビビってねーけど。好きな男への愛でも叫んでろよ」
そんな悪態をついた快人に「愛を叫びたい相手に浮気された話、聞くか?」と言うと、快人はアメリカのコメディアンのように、大げさに肩をすくめた。




