エピローグ第5/5話:余白の多いこの人生を
元気なコーギーに引っ張られる飼い主さんとすれ違った時、俺は思わず笑ってしまった。犬の愛らしさももちろんその要因ではあったけれど、それだけが理由ではなかった。和んだことで緩んでいた足の回転を早め、俺は自転車を漕ぐ。
「神田くん、おててあげてえらいねえ。まじめだねえ」
「まじめにいきるっていうのが、うちの"カクン"なんだって」
あははー、カックンカックン!と無邪気に笑う女の子と、右手をピシッと上げた男の子が、赤と黒のランドセルを並べて横断歩道を渡っていた。そんな何気ない光景の一つ一つが、俺にとっては新鮮だった。
「当たり前だけど……どんな場所にも人がいて、そこで暮らしているんだよな」
昨年、小学校の最高学年だった俺は、無根拠な万能感に溢れていた。自分以外は全てノンプレイヤーキャラクターだ、なんて視野の狭い認識も持ってたっけ。しかし、中学生になってから色々考えてみると──いやはや、世の中には色んな人がいるものだ。
中学生になって初めての夏休み。俺は視野が狭かった自分を恥じ、何かに挑戦したくなった。そして愛用のクロスバイクで一人、母方の祖父母宅まで訪れた。滞在中は毎日、周囲を散策している。見知らぬ土地を巡ることは新鮮だ。自分の住む街とは違うが、自分の住む街と同じように色んな人が暮らしている。そんな当たり前の気付きも、俺にとっては新鮮だった。
通りの本屋から、一組の男女が出てきた。手を繋ぎ、仲睦まじく話している。その様にほっこりしていると、今度は向こう側から、もう一組の男女が現れた。男性の方が何やら謝っている風で、尻に敷かれるとはこんな感じなのかな、と思う。
そんな二組のカップルを見て、俺は両親のことを思った。うちの両親は見ているこっちが恥ずかしくなるぐらいラブラブで、弟や妹と共に呆れている。そんな仲良し夫婦から名付けられた『理一』という名前も、嫌いではないけど。
「……俺はこの先、どんな人と付き合ったりすんのかなあ」
この先──将来。それは思春期真っ只中の男子中学生としては、無視出来ない話題だった。今はまだ、何にも見えない。俺は果たして、何になるのだろう。どんな人間になるのだろう。どんな相手と、何をするのだろう。もしかしたら、漫才師になっているかもしれない。シンガーソングライターになっているかもしれない。それかもしかして、アイドルにでもなっているのかも──
「……って、それはないか。俺は自分が目立つより、裏方に徹する方が性に合ってるし」
現実的には、家業を継いで文具店の店主になるのが一番妥当な線かな、と思う。それも悪くはない。じいちゃんの代から続く店を守るってのも、かっこいいじゃないか。
なんてことを考えていたら、叫び声がした。遠くの場所なのか音量は控えめだったけれど、しかし確かに「青春の大バカ野郎ー!!」という声が耳に届いた。俺は自転車を脇に停め、スマホの地図アプリを開く。声がした方向に、大きな河川敷があった。
「山田。夏休みだからって油断してると、最終日に白紙の宿題と睨み合うことになるぞ」
「そんなのどうでもいいんだよ!今はただお前と、サイコーの思い出を作りてえんだ」
同い年ぐらいの学生二人が、俺の横を通り過ぎて行った。彼らのやりとりに、俺は心の中で同調した。サイコーの思い出、か。
「……動き出さなきゃ、何も始まらないんだよな」
俺はスマホをポケットにしまい、叫び声がした方へ向かった。サイコーの思い出が出来るかは分からないけど、面白そうなことが起きそうな予感がしていた。
ペダルを回しながら、俺は考える。
今までだって多くの人たちと接してきたつもりだったけど、まだまだ世の中には知らない人がいる。分からないことがある。余白だらけの紙のようだ。……でも、だからこそ、線を引いたり、図形を描いたり、色を塗ったり、折り目を付けたり、違う紙を貼り付けたり出来るんだよなーーなんて、文具店の息子らしい比喩をしてみたりする。
先のことなんて何一つ分からないけれど、俺は一つだけ、こんな願い事をしてみた。
余白の多いこの人生を、どうかたくさんの人との縁で彩っていけますように。
終




