殿下、そのスクランブルエッグはどこから出したのですか
真夏の太陽が大空のてっぺんをめざしてジリジリと昇ってゆく。大きく枝を広げた楡の葉蔭に、お十時のテーブルが整えられている。
緑色の薔薇模様が爽やかな四角い陶器のトレーには、指先でつまめるクッキーやドライフルーツが並ぶ。少量が上品に盛り付けられた菓子盆の隣に、鮮やかな黄色がこんもりと山を作る平皿が突然現れる。
「アイアー殿下、またですか?」
愛らしい水色の膨らんだ袖に、真っ白な幅広レースの豪華なドレスを身につけた少女が、扇を広げて流し目を送る。少女らしい服に似合わない、大人びた風情である。
「こっちのセリフだよ。ジュス」
不服そうに口を尖らせるのは、さらさらの金髪を優雅に撫でつけた少年だ。青い瞳が間抜けに輝く丸顔は、温かみのある美形であった。殿下と呼ばれたこの少年は、深緑色の上着をキチンと着込み、フリルを重ねた襟元に大きなブローチを付けている。
ブローチは琥珀、銀の天使に抱かれている。ジュスの髪は癖のない銀、瞳は金と見紛う琥珀色。すっきり通った鼻筋に、ふっくらとサクランボのような唇の美少女だ。
「君は、ちょっと目を離すとすぐに隣国の貴公子から言い寄られてるじゃないか」
「そんなの、アテクシのせいではなくってよ」
ジュスはたおやかな銀の眉を嫌そうに寄せて、扇子を揺らす。風景画の描かれた張りのある薄絹に、庭園でくつろぐ恋人達が描かれている。
「ほら、そんな煽情的なものをヒラヒラするから!バカな男どもが誘われてるって思うんだよ!」
アイアー殿下はお冠である。
「まぁ、嫌ですわぁ」
ジュスはまたゆったりと絵扇で扇ぐ。
「これが煽情的な物だなんて。おほほ、相変わらずアイアー殿下は可愛らしいのねぇ」
絵扇に描かれている男女は、豪華な王侯貴族の扮装である。小鳥を指に止まらせた男性が樹の下で寝そべっている。隣に女性が座っている。それだけだ。
ジュスはひとしきりコロコロと笑う。不服そうにティーカップを持ち上げるアイアー殿下を、さも愉快そうに琥珀の垂れ目が眺める。
ジュスは笑い納めると、パタリと扇を閉じる。扇は長い紐で手首と繋がっていた。これを握り込むと、反対の手で銀のデザートスプーンを持ち上げた。
ジュスのスプーンは、鮮やかな黄色い小山を崩す。掬い取られた跡からは、ほかほかと白い湯気があがる。バターやミルクの甘い香りがふわっとテーブルに広がった。
「おほほ、美味しい」
ジュスがニコリと笑い、アイアー殿下は頬を膨らませる。アゲハ蝶がヒラヒラと2人きりのティーパーティを訪れる。アイアー殿下は急に吹き出して、テーブル越しにジュスの手を取る。
「まあ」
ジュスが赤くなったのは、アイアー殿下がジュスの白く美しい指先に唇を触れたからだ。
「それにしても、このスクランブルエッグ、出す時を選べませんの?」
山盛りの黄色い卵料理を2人で食べながら、ジュスが言った。手にしたカップには、酸味のあるハーブティーがルビーのように煌めいている。
「駄目なんだ」
「わざと?」
「違うよ!ほんとに、突然出てくるんだよ」
2人が仲良くしていると、突然スクランブルエッグが現れるのだ。お茶のテーブルでも、カモミールのベンチでも、ボートの上でも、ライラックの木陰でピクニックをしていても。
ジュスは、他の人といる時にこの現象を目撃したことがない。ふたりは、アイアー殿下の仕業だろうと予想した。出てくるスクランブルエッグは、いつもたっぷり2人前である。
「おひとりの時でも、2人前たっぷり出てきますの?」
ジュスの何気ない一言に、アイアー殿下は綺麗な青い瞳をまんまるにした。
「あらあら、如何なさいまして?」
ジュスはまた、コロコロと笑う。アイアー殿下はデレデレと目尻を下げて返答する。
「スクランブルエッグが出現するのは、ジュスといる時だけだよ!」
「あら?さいでござぁますの?」
ジュスは、ちょっと戸惑った。スクランブルエッグを出現させているのは、自分かも知れないと思ったのだ。
「他に何か思い当たることは?」
「わかんない」
「そんなすぐに、考えるのを諦めてしまわれるとは。お世継ぎとして行く末が心配ですわ」
「意地悪だなあ」
アイアー殿下は口を尖らせて拗ねる。2人は視線を合わせて甘い雰囲気になった。
「殿下。そんなお顔をお見せになるから」
「何だよ」
「お節介なお嬢さん方が寄ってらっしゃるのよ」
「そんなの」
「殿下、すぐデレデレなさるから」
「仕方ないだろ。可愛い子が親切にしてくれたらデレデレするだろ。男なんだから」
「殿下」
「ジュスだって、イケメンが優しくしてきたらデレるじゃないか!」
ジュスは再び開いた扇子の縁で、琥珀色の目を逸らす。
「ほらあ」
アイアー殿下は、ジュスの手を離して立ち上がる。スタスタと円いテーブルを回ると、ジュスの隣に来た。
「まあ!アイアー殿下、はしたのうござぁますっ!」
ジュスはのけぞって抗議する。ジュスの腰掛ける椅子から腕一本分くらい離れて立ち止まる王子。
「何だよっ!隣国の貴公子たちにはもっと側まで寄らせる癖に」
「わざとではありませんのよ?」
「酷いよ」
アイアー殿下はちょっと泣きそう。
「殿下っ!」
ジュスは慌てて立ち上がる。2人はお茶などそっちのけで、ひしと抱き合う。
「勝手に寄って来ますのよ!」
「君が素敵過ぎるからっ」
「殿下だって!母性本能をくすぐりすぎるのですっ」
「僕は君だけを守りたいって知ってるだろ?」
「アテクシだって、殿下だけをお護りいたしますわっ」
「ジュス!」
「アイアー殿下っ」
ジュスは、地味で堅実そうなライバル令嬢から純心なアイアー殿下を護るのは、自分の役目だと確信していた。アイアー殿下は小さな時から、ジュスの幼い騎士だった。互いが互いを大切に護り合う仲だった。
だが、美しく成長したふたりは、外から見ると立場が逆なのだった。何かと前へ出る派手なジュスが、優しいアイアー殿下を後ろに隠すように感じられた。文武二道の美丈夫が、悪女に操られているとの悪評が立っていた。
ジュスは美少女であり、育つに連れて凄みのある美しさを備え始めた。アイアーは誠実な人柄であり、幼少期に結んだふたりの婚約をとても大切にしていた。
※※※
「運命だよね」
アイアーはいつも言っていた。
「星の数ほどいる人間のなかで、君と僕とが婚約者として出会ったのは、疑いもなく運命だよ」
初めて会ったその日、アイアー殿下は夢見るように発言した。その日のジュスはなかなかのぽちゃ子で、やんちゃのせいで日焼けして肌もボロボロになっていた。家柄の為に決まった縁組みに、侍女たちが懸命にお手入れをした。それでも隠しきれないダメっぷりであった。
お見合いのお茶席では、王宮パティシエのお菓子にばかり夢中で、美ショタ王子には目もくれなかった。その帰り、別れ際のアイアー殿下が掛けた一言が、ジュスの心を変えたのだ。
「これから末永くよろしくね、運命の君」
「運命だなんて、こどもね?」
「子供だよ?君だって子供だろ?」
「そうだけど」
その時ジュスは膨れて上目遣いでアイアーを見た。幼年アイアー殿下はその表情にズガンと胸を撃ち抜かれた。
「今日、君と僕とが出会ったのは、他でもなく、君と僕とが出会ったってことだよ?他の誰とでもなく。凄くない?」
「政略でしてよ」
ジュスが馬鹿にすると、王子は朗らかな声で笑った。
「ハハハハ!それだってだよ?君が政略結婚に相応しい家と年齢に生まれたのだって、そりゃ凄い運命なんだよ!」
ジュスは、この能天気すぎる王子様を護らなくては、と思った。だが、その後思い知らされたのは、ポジティブな人間は決してブレないと言うことだ。
長子継承の専制国家で、世継ぎは何かと狙われる。世継ぎの婚約者も狙われる。しかし、アイアー殿下は、その「運命」を受け入れて、楽しんで、せっせとその責務を果たした。
彼は優秀ではなかった。愚直に研鑽しただけの学問も武道も、たかがしれている。だが、懸命にジュスを守ろうとして、珍しい解毒剤を手に入れたり、優秀な護衛を雇ったりした。その姿が努力の人として周囲から認められた。
彼は純心だったので、お忍びでこの国を楽しんでいた隣国の貴公子レナールを、うっかりスカウトした。その男は王家の血筋で、財をなす才能に長けている。しかも世継ぎの責務はないという優良物件。賢く美しく明るいジュスの護衛について、あっという間に距離を詰めた。
「ジュスどの、これではあまりに酷すぎる」
ある日、レナールが憤慨して言った。ジュスはきょとんとして答える。
「レナール、何が酷すぎるのかしら?」
「アイアー殿下です!ジュスどのというお方がありながら、伯爵家の、あの、地味な女にうつつを抜かし」
「まあ、ダメよ、レナール。ステラ様は貴方よりずっと身分が高くてよ?」
ジュスは平然と嗜めた。
「ジュスどのはお優しいから!あの女、ジュスどのを悪く言って、婚約者の座から引き摺り下ろす算段をしておりますよ?」
「おほほ」
ジュスは堪えきれずに笑う。地味で真面目と評判のステラは、役人の若者たちを味方につけている。ジュスが派手に我儘を行っているという悪口を、こそこそ広めているのだ。
「先日も殿下のお散歩に同行し、殿下のプライベート庭園にまで招かれて」
「あら、それは噂ですわよ?滅多なことを仰いますな」
いきりたつレナールに、ジュスはピシャリと言った。
「皆、存じております!」
「あなたのお手当、どなたから?」
ジュスは妖艶な瞳に凄みを利かせてギロリと睨む。
「え」
「どなたのお金で暮らしておられるのかしら?」
レナールはたじろいだ。
「そ、それは」
「仰い」
レナールはごくりと唾を飲み込む。彼の雇い主はアイアー殿下である。だが、厚顔無恥な色男は、誠実な田舎騎士を装う。
「ジュスどの!」
さっと近寄り手を取るレナールに、慌ててジュスは距離を取る。
「気高いジュスどのが蔑ろにされる姿を、俺はもう見ていられないんだ!」
「無礼な」
「ジュスどの、いや、ジュス!今まで黙っていて悪かった。俺は隣国の」
「おほほ、存じておりますわ!そして興味は無くってよ!」
ジュスははしたないほど笑い転げる。
「ジュスどの?」
「アイアー殿下を甘く見ないことね?」
「何っ?」
にやりと笑うと、ジュスはポンポンと手を打った。すると、木立の陰からばらばらと騎士たちが飛び出して、レナールを引き立ててゆく。
「何をするっ!」
「一介の護衛の分際で、殿下に不敬な振る舞いを成すこと、許し難し」
「後悔するぞ!」
ジュスは、抵抗するレナールに低い声で追い討ちをかける。
「雇い主が殿下でようござぁましたわねぇ」
ジュスはレナールの背中に嘲笑を送る。
「アテクシでしたら、アイアー殿下の悪口を言うような不届き者、生かしてはおきませんわ」
「ジュスどのっ?」
「穢らわしい、アテクシの名を呼ぶことを禁じます」
「何故っ」
「これまでお見せくだすった細やかな心遣いも、下心からでは大なしですわ」
それから程なく行われたアイアー殿下との散策デートで、ジュスは含み笑いで殿下に語りかける。
「ステラ様とも、このお庭を散策なされたのですって?」
「それは嘘だね」
アイアー殿下は、きっばりと否定する。
「あの子、嘘をつくんだよ」
アイアー殿下は、美しい金の眉を下げて言う。
「僕らの世代の役人たちが、親御さんに僕のこと、君に操られて国庫に手をつけたなんて言うんだ」
「まあ」
「僕が違うって言ったら、ステラ令嬢の名前が出てきたよ」
「あらあ」
「ステラ令嬢の献身で僕は更生するらしい」
「おほほ」
「僕のプライベートエリアや私室に招かれたらしい。僕、知らないんだけどね」
「愚かな」
アイアーが優しくジュスの手をとって庭園のベンチに座ると、薔薇の縁飾りがある円い皿が出現した。忽然とベンチの端に現れたその皿には、ふわふわとした黄色いスクランブルエッグが湯気を立てていた。
その愚かな令嬢を始めとして、地味に見える狡猾な令嬢や大胆な令嬢が、次々殿下にアプローチをかけてきた。実際に知識や事務処理能力に優れてはいた。言葉も巧みで、知識層の青年たちや社交界の婦人たちを後ろ盾にしてやってきた。
「それぞれに必死で可愛いんだよ。見た目もなかなか」
「殿下?」
「さりげなくジュスの悪口を言うから、嫌なんだけどね」
「その割には、1人去るとすぐまた次が寄ってくるではありませんか」
「後ろ盾もあるから、難しいんだよ」
アイアー殿下は、義理で面会やお茶会に参加せざるを得ないこともある。純心で真っ直ぐなので、一々ジュスに報告してくる。そのため、ジュスに隙はできない。だが、ジュスが裏切られていると言う噂、いい気味だと言う謗りはすぐに広まる。
傷心を癒そうという魂胆でジュスに近寄ってくる貴公子たちは、みな滞在中の隣国人だ。この国では眉を顰められる妖艶な外見が、西隣の国では持て囃されるからである。
「ロザリンデ令嬢は」
「あれは参った。あの子、身分が低いけど叔母上様のお気に入りだから」
ロザリンデ令嬢とは、田舎騎士の娘でありながら、いつのまにか公爵夫人のお話相手に納まっていた娘だ。品よく控えめで賢いと評判なのだ。この娘は、自分でアプローチしてくるような愚は犯さなかった。
とにかく外堀から埋めて、公爵夫人同席で先ずは接近を果たした。
「ね、アイアー、ロザリンデは控えめでしょ?」
「叔母上、お気に入りなのですね」
「ロザリンデはいい子よぉ。あの銀髪は、だって、ねぇ?」
ロザリンデは、自分が褒められても、ジュスが貶されても黙っている。美しく控えめな笑みを浮かべ、大人しくしている。
「次は来週ね?」
「お約束できかねます、叔母上」
「まあ、なぜぇ?」
「僕にもすることがありますよ?」
「そんなの。素敵なご令嬢との時間は大切になさい」
アイアー殿下は純心なので、ふたりの狙いに薄々感づきながらも、深刻には考えていなかった。身分の件など、王の妹という立場の公爵夫人にはなんとでも出来る。その辺りの裏工作も、アイアーには理屈でしかわからない。まさかそこまでする人が実際にいるとは思わなかった。
アイアー殿下は、単純に勉強も鍛錬もジュスの為に頑張りたいのだ。優秀ではない殿下に暇な時間などなかった。それで再三断ったのだが、叔母の手管であちこちで接近させられた。ついには庭園で2人きりにされ、親切そうな姿にはちょっとデレデレしてしまう。
「アイアー殿下、婚約者さまはお変わりなく?」
「変わりない」
「あの、隣国から王子殿下がご遊学に、おいでになりましたわね」
「いらした」
ロザリンデはアイアー自ら愚痴を零させようと四苦八苦した。気遣うような表情でじりじり距離を詰めながら、ジュスが隣国王子を侍らせていると匂わせる。はっきりは言わない。けして自分から決定的な悪口や誘い文句は出さない。
アイアーは、その手管に乗らなかった。賢かったからではない。わかりにくい記述の歴史書が気になって仕方がなかったからだ。ジュスのために、賢い王になりたいからだ。
結局ロザリンデは、アイアーが王に直訴して排除して貰った。公爵夫人に遺恨が残らぬよう、普段は表に出ない王妃までが乗り出す騒ぎになってしまった。親世代の実力者を相手取るには、まだまだ未熟なアイアーである。
「殿下、すぐデレデレなさるから。色々な方が、アテクシから奪えると勘違いなさるのよ。酷いのね」
「ジュスのほうが酷いよ?レナール以外、僕が紹介したわけじゃないよね?」
「そんなの」
「僕は無碍にできない人から紹介されてるだけだよ」
「デレデレなさるでしょ」
ジュスは不服そうに眉を寄せる。
「ジュスは、優しそうなこと言われて、お菓子受け取ったりしてるじゃないか」
「断るのは無礼ですし。外交問題になりますのよ」
「そうは言ってもねえ」
「殿下がご令嬢を寄せ付けなければ、アテクシが傷ついているなんて思われずに済みます」
「お嬢さんがた、後ろ盾があるからさあ」
話はいつも、堂々巡りになる。
※※※
「そういえば、困ったお嬢さんのことが片付いた後で、お会いする時じゃあなくて?」
「なにがだい?」
「スクランブルエッグよ」
「そうかな?」
全く思い出せないアイアー殿下は、婚約者を抱きしめたまま首を傾げる。
「あらでも、リリーの時は出現しませんでしたね?」
「そうだったかな?」
「何が違ったかしら?」
「リリー、誰だっけ」
「魔術師団の天才とかいう子よ」
「ああっ、あの時は本当に呆れたよ」
その時ジュスに言い寄ったのは、なんと王弟だったのだ。独身を満喫しているダンディなオジ様だ。
「叔父上ったら、いい歳をして」
「ううん、何が違うのかしら?」
ジュスは出現した時の状況をひとつひとつあげてゆく。アイアーは何一つ覚えていない。だが、悩むジュスが可愛いのでウンウン適当な相槌を打つ。そしていちいちチュッとやる。唇にもする。ジュスは嗜めつつも喜ぶ。
「アイアー殿下がデレデレして」
「ウン」
殿下は苦笑いである。こめかみにチュ。ジュスが軽くアイアーの頬を押す。
「隣国の貴公子がアテクシに言い寄って」
「ウン」
殿下は口を尖らせる。ついでに鼻先にチュ。ジュスはアイアーの胸を押す。
「どちらも片付いてデートしている時、ですわ」
「ウン」
殿下は唇にチュッとやってから、疑わしそうに婚約者を見る。
「いや、それが条件?」
「他に何か見落としてることがあるかしら?」
ジュスは顎に指を当てる。その動作が絵画のようで、アイアー殿下は見惚れてしまう。
「うーん。ねえ、アイアー殿下」
「んっ?なに?」
ジュスの問いかけに、アイアー殿下はハッと可愛いの彼方から舞い戻る。
「殿下は、スクランブルエッグが出現したとき、何を思ってらしたの?」
「何って、君といるんだから、君のことだよ?」
「それも条件かしら?」
「そう、なのかな?」
2人は食べかけで冷めてしまったスクランブルエッグを眺める。
「分かったところで、どうしようもないな」
「そうね。それにそろそろ隣国の貴公子も品切れでしてよ」
「品切れって」
「もうこの美味しいスクランブルエッグが食べられなくなるのかしら」
ジュスは残念そうにため息をつく。
「さっきまで、出すなって言ってたのに」
アイアー殿下は不服そうだ。
「いざ終わるとなると、寂しいわね」
「そうだな。本当にこれきりなのかな」
ふたりはしんみりと俯く。
その時、太い楡の幹の陰から、第二王子エンデンが現れた。
「兄上!なんて破廉恥な」
「え、なんだい」
「ジュス姉様、お気を強く!俺ならそんな思いさせないっ」
「あらぁ?」
「証拠は全部揃っている」
「何のだね?」
「兄上とレジーナ嬢の密会だよ」
「してないよ」
第二王子エンデンはジュスの腕を取ろうとする。
「控えろ、エンデン」
アイアー殿下はジュスを抱き込む。
「兄上!ジュス姉様を手放しておいて、今更取り繕う必要はない」
「え、僕ジュスを手放すなんてしないけど」
「この耳で聞いたぞ!たった今」
「いま?」
アイアー殿下は狐に摘まれたような顔をした。ジュスは絵扇をバサリと開いてその眼で弧を描く。
「終わるって、これきりって、聞いたんだからな!」
いきりたつ第二王子エンデンを置き去りにして、アイアー殿下とジュスは抱き合ったままテーブルを見る。
「兄上、この前お忍びで高級魔道具店に行ったろ?」
ふたりは黙っている。
「そこで兄上の瞳の青とレジーナ嬢の瞳の金茶を思わせる魔法石が飾られた防護飾りを、ポケットマネーで買ったろ!」
エンデンの声が大きくなってゆく。
「稀少な魔法石を、しかも抜け抜けと浮気相手との色で!」
エンデンはいいつのる。
「やっぱり」
ジュスは眉を下げる。エンデンは勢いを得る。
「姉上様のご尽力で得た私財を、あの女狐の為に使うなんてあんまりだ!」
ジュスとアイアーは、既に聞いていない。悲しそうにテーブルを見る。
「もう出ないね」
「出ない?使い果たしたのかっ?あの大金を!恥を知れ」
「でもまだ希望はござぁますわ?」
「姉上様、そんな奴、お見限りなさい!」
「うん、エンデンは我が国の者だからね」
「どういう意味だっ?」
ふたりはエンデンを空気のように扱う。
ジュスはにこり、と艶やかにほほえむ。アイアーの腕には力がこもる。
「ジュス、何かいいこと思いついた?」
「ええ、ねえアイアー殿下」
ジュスは甘えた声を出す。第二王子は苦しげにジュスを見つめる。
「北隣のお国と国交を開いては?」
「ジュスぅ、北方人が好みなの?僕、あそこまでは筋肉つかないよう」
「観賞用は別でしてよ?」
「堂々と、よくもまあ」
「素敵な卵のためですわ」
「甘い卵のためなら仕方ない」
ふたりは色っぽく笑い合う。第二王子エンデンには訳がわからない。
「兄上、離れろっ」
とうとうエンデンは兄アイアーの肩に手をかける。体格に恵まれ、武術が得意なエンデンは容易く兄をジュスから引き剥がす。
「何をする!」
「困りましたわねぇ」
ジュスは扇を閉じると第二王子の腕をちょんちょんとつつく。
「乱暴はおよしになって?エンデン第二王子殿下?」
「くっ、ジュス姉様」
エンデンは悔しそうに言うことを聞く。
「衛兵を呼びましょうか?」
「やめとこうよ」
「でも、アイアー殿下」
ジュスが扇で恥ずかしそうに顔を隠す。ふたりはまたイチャイチャし始める。
「エンデン、その証拠とやらを提出するなら、父上にしとけよ?」
「そうね。陛下ならご賢明なお沙汰を下されるわ」
「もう行け」
エンデンはジュスを見る。ジュスは頷く。
「くっ!」
エンデンは歯を食いしばって駆け去った。
「それで、北方外交ですけど」
「うん。お菓子でも食べながらゆっくり話そう」
「ええ」
ふたりは甘い口付けを交わし、ティーテーブルに戻っていった。
「あ、そうそう」
「何でございましょ」
アイアー殿下は、懐から青と琥珀の宝石がついた銀色の円盤を取り出す。円盤には、金の縁取りがある。あからさまにふたりの色である。
「まあ、それが魔法石?」
「初めて見るだろ?」
「ええ!」
「ちょっと色が濃いから、変な誤解で噂になっちゃった」
「お気を付けあすばして?」
「うん、ごめんなさい」
アイアー殿下は、あいているほうの自分の人差し指にキスをした。それからジュスの扇を親指で少し下げ、人差し指は唇に触れる。ジュスはかあっと赤くなる。
「そ、それで、何に使う道具ですの?」
「ふふっ、青に触れてごらん?」
ジュスは青い魔法石に触れる。
「まあっ冷んやりとした風が出るわ」
「今度は琥珀」
ジュスは言われるままに琥珀色の魔法石に指先をのせる。
「あら、暖かい風も出たわ」
「それぞれ、もう一度触ってみて」
「まあ、止まったわ」
ジュスは嬉しそうにアイアーを見る。アイアーもにっこり笑う。それからジュスは、すっかり冷たくなっているお茶とスクランブルエッグに、魔法の円盤をかざして温めた。頭上にそよぐ楡の枝には、二羽の雀が幸福そうに寄り添っていた。
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