IF後日談 Side:エドワード
本編エピローグ終了後の後日談です。本編の後ろにおまけとして載せていたIF後日談と同じものです。
X年後に告白をする攻略対象たち、というテーマのお話ですので、恋愛要素強めです。
マルチエンディング的な、IF世界線のお話なので、もし○○が告白するとしたら……ということで、それぞれ世界線も時期も(本編終了後どのくらい後なのかも)バラバラです。その点お含みおきください。
こちらはエドワードの後日談です。
「護衛騎士」
「そう。私の騎士になる気はない? いつまでも訓練場の手伝い、というわけにもいかないだろう?」
ある日、殿下のお使いの品を届けに執務室に行くと、そう切り出された。
最近は殿下も忙しいらしく、一緒に街に出ることは稀で、お使いの頻度も減っていた。
私としてはこのまま徐々にフェードアウト出来ればベストなのだが……さて、あと1年かかるか、2年かかるか。
「ですが……」
「騎士団に所属するわけじゃない。私の専属の護衛だ。性別は関係ないよ」
ふむ。私は思案する。
悪い話ではない。
いつまでも訓練場と警邏のバイトを続けていくのもな、というのは私も思っていたところだった。
身分と給与が保証される正社員(?)としての働き口は魅力的だ。
……上司が少々面倒だという点を除けば。
「……報酬の話をしましょうか」
「いくらでも。小切手を持ってこさせようか? 好きな額を書いて良い」
「…………」
瞬で胡散臭い話になった。そんな仕事があるわけがない。
ここで死ねとか言われるにしたって高すぎる。
私は眉間に皺を寄せて、じっと目の前の御仁を見据えた。
いつもどおり、余裕ぶった王太子スマイルだ。
「一体、何を企んでおられるのですか?」
「企んでいるとは、人聞きが悪いな」
「報酬が無制限だなどと、怪しむのが当然でしょう。何か裏があるはずです」
「裏なんてないよ。……ただ、この護衛の仕事には王太子妃の座がついてくるだけで」
「はい?」
思わず聞き返した。
今何か、とんでもないことを口走らなかったか、この王太子。
「私、このままだと適当な同盟国の姫あたりを娶るように言われているんだ」
「はぁ」
「でも、私にはその気はない」
そういえば、以前もそんなことを言っていた気がする。
国益を考えれば当然のことだ。
究極、殿下にその気があってもなくても関係はない。王族とはそういうものだろう。
そのために我々下々の者は日々あくせく働いて、彼らに毎日豪華な食事を食べさせてやっているのだ。
一国民としては、お国の平和のためにどうぞ御身を差し出してください、という気持ちである。
私が胡乱げな視線を向けているのに気づいているはずだが、彼は特に困った様子も改まった様子もなく、やれやれとため息混じりに言った。
「だからきみと結婚してしまおうと思って」
「??????」
理解不能だった。
おかしい。この人は底意地こそ悪いが普通の「有能な王太子」だったはずだ。
それが某がっかり第二王子のような予想の斜め上を行くとんちんかんになってしまっては困る。某ロベルトの悪影響でも受けたのかと問いたいくらいだ。
「……笑えない冗句ですね」
「冗句じゃないとしたら?」
冗句じゃないとしたら?
本当に、何を言い出すのだろう。もしかして熱でもあるのではないか。
冗句でないとしたら、また何かしらの病気でも発症しているんじゃないだろうかと疑いたくなるくらいのトンチキ発言だ。
もともと病弱キャラだったわけだし、あり得ない話ではないだろう。
この国の未来に不安しかない。
これはもう、陛下に頑張っていただいてもう一人王子をこさえてもらったほうがいいんじゃないだろうか。
私は「何を言っているんだこいつ?」という顔に無理矢理笑顔を貼り付けながら、首を横に振る。
「いえ、冗句以外に考えられません。論理的に破綻していますし、何より殿下にもメリットがありません」
「私はきみのこと、気に入ってるからね」
けろりとした顔で言ってのける殿下。
ことはそういう問題ではない。
だいたい、私からしてみれば現状はどう考えても「気に入られている」のではなく「目をつけられている」という状態である。
なかなか真意を話そうとしない殿下に、私は肩を落としてため息をつく。やれやれ、骨が折れる。
もしかしたら忠臣ならば察しろとでも言いたいのかもしれないが、私は特段忠臣ではない。
逆から数えたほうが早いくらいだ。「察してチャン」に構ってやる義理はない。
単刀直入に切り込んだ。
「正直に白状してください。本当の理由は何ですか?」
「……正直に言ったら、私の気持ちに応えてくれるの?」
「え?」
咄嗟に、素で反応してしまった。
てっきりもっと「さあ、何だろうね」とか、はぐらかされると思ったのだが……返って来た言葉は私の予想していたものとは違っていた。
言葉の意味が、すぐには脳に入ってこない。
殿下が立ち上がる。机を回って、私の目の前まで歩いてきた。
こちらを見つめる彼の紫紺の瞳が、揺れる。
その瞳のゆらめきは、涙が溜まっているかのように光を反射して。
いつも通りのはずの王太子スマイルが、まるで、泣き出しそうな子どものような表情に見えた。
「リジー。ほんとうの理由は簡単だよ」
小さな声で、消え入りそうな声で、殿下が言う。その声も、少し掠れて、揺れていた。
違和感が確信に変わる。
何かがおかしい。
「私はきみに、恋しているんだ」
「……はは。ご冗談を」
実際のところ、冗談ではなさそうだということを、薄々理解はしていた。
こんな瞳をする人ではないはずだ。こんな声を出す人ではないはずだ。
冗談であっても、演技であっても。
それでも私は、冗談として扱うことを選択する。
彼の真意が分からない以上……私にどうして欲しいのかが分からない以上、それ以外に、対処する術がない。
乾いた愛想笑いを浮かべる私を、殿下が睨みつける。
「ほらね! 正直に言ってもどうせ、そうやって、」
ぽろり、と殿下の瞳から涙が溢れた。
思わずぎょっとする。
王族は、泣いてはいけない。
そもそも貴族だって、人前で泣いたり感情を露にしてはいけないという教育を受けるのだ。況や、王族をや。
いつもの穏やかで優しげな、王太子スマイルはどうした。貼り付けたポーカーフェイスはどうした。
こんな顔をする殿下は、知らない。
「殿下、」
「いつもそうだ。私の気持ちに気づいているのに、わざとはぐらかしているんだろう?」
頭の中が盛大にこんがらがっている私にお構いなしで、殿下が涙とともにどんどんと言葉をこぼしていく。
恋とか、気持ちとか。およそ、私と殿下の関係性では出てくるはずのないワードである。それでは、まるで。
いや、まさか。
「ずっと、ロベルトが羨ましかった。何でか分かる?」
「え?」
「きみと婚約していたからだよ。羨ましかった。婚約を解消してからも、仲が良くて、楽しそうで、きみもあいつのことロベルトって呼ぶし。肩とか組んでるし。たまに2人で試合だ特訓だなんだって連れ立って出かけているのも、知っているんだから!」
羨ましい? 王太子殿下が? ロベルトに対して?
殿下のイメージとあまりに結びつかない言葉の連発に、混乱は深まるばかりである。
それは本来逆であるはずだ。劣等感を感じていたロベルトが抱くべき妬みのはずだ。
いや、ロベルトはこの前「兄上のおかげで俺は自由にさせてもらっています」とか元気に言っていたので、万が一執務でヒィヒィ言っているときに空気を読まずにそんなことを言われたのだとしたらそりゃあ腹も立つだろうが。
婚約が、何だって? 仲が良い? いや、別に悪くもないし、2人で出かけることも、ままあるが。
さっきから、情報量が多い。脳が理解を拒んでいた。
「ギルフォードもだ! 友達だなんて、きみに言われて。授業でもダンスを踊るし、勉強も教えていたって、私だって、そのくらいできるのに、きみは頼ってくれないし。最近も彼のエスコートでパーティーに出たと聞いたよ」
「あれは、ほかに代役が見つからなかったからと頼まれて」
「そんなもの口実に決まってるだろう! きみはほんとうに、どうしてそう鈍いんだ!」
「えええ」
ここまでくるともう言いがかりではないか。気の毒に、アイザックは完全にとばっちりである。
自慢ではないが、私は他人のそういった機微には聡い方である。鈍いなどと言う不名誉は受け入れられない。
リリアを含む数々のご令嬢を手玉に取った手腕を侮らないでいただきたいものだ。
これはアイザックが問題なのではない。殿下の捉え方の問題だ。
では何故、殿下がそう捉えるのか。そういった機微に聡い私には容易に想像ができることだが……やはり、脳が結論を出すことを拒否していた。
どんなに信じがたいことでも、最後に残ったものが真実、とか何とか。前世で聞いた気もするが……知るか、そんなもの。
私にとって信じたくないものは、真実ではない。たとえそれが、事実であっても。
「クリストファーも!」
「いや、クリストファーは弟ですから」
「きみは彼がきみの見合い話を片っ端から断っているのを知らないからそんなことが言えるんだ!」
「は?」
「嘘だとは言わせないよ。私も断られたんだから!」
「私の知らないうちに何が行われているんですか!?」
普通に私の知らない義弟の情報が出てきてしまった。
そんなことはしないだろうと思いつつも、お兄様の婚約騒動のときの我が身を省みると「ありえない」と言えないのがつらいところだ。
クリストファーも相当ブラコンで、シスコンである。
ある意味仕方がないのだ、私がブラコンでお兄様がブラコンかつシスコンなのだから。もはやサラブレッドである。
いや、そうでなくともロベルトと婚約を解消した身だ。我が家の誰であれ、王族との縁談は丁重にお断りしただろうが。
……というか、冷静に考えて、そんな縁談を王家側が正式に申し入れるとも思えない。
となると、やはり演技なのだろうか? 何かのブラフなのだろうか?
殿下の様子だけを見るとそうは思えないが……総合的に、理性的に情報を判断すると、その可能性が高いように思えるのだ。
決して、私の脳が理解を拒んでバイアスを掛けているわけではなく。
反対を押し切ってまで、なんて非合理的なことをする人ではないはずだ。
何より、彼は私よりよっぽど謀略知略に長けている。手のひらの上で転がされているのかもしれない。
「きみと一つ屋根の下で暮らして、おはようとおやすみを言って! 休みの日は一緒に買い物をしたり、領地に出かけたり! そんなことなら私だって、王家じゃなくて公爵家の子になりたかった!」
「何てことを!」
……彼が理性的なことを言ってくれていれば、そう断じるのは容易かったのだが。
そのお綺麗な唇から飛び出すのは、普段の殿下からは想像もつかないような、幼稚で、合理性とはほど遠い、感情的な言葉ばかりだ。
だんだん頭痛がしてきた。これ以上情報を追加されたら、脳がパンクする。
ええと。最初は何の話だったんだっけ?
手のひらを見せて「どうどう」と彼を宥めようとするのだが、彼は一向に止まる様子がない。
「極め付けはリリア・ダグラスだ! 彼女にでれでれするきみを、指をくわえて見ていることしかできなかった私の気持ちが、きみにわかる!?」
「殿下、ちょっと」
「振られた後も彼女はきみを諦めていないし、きみもなんだかんだで彼女に甘いじゃないか! こんなことじゃあと1年もしたら既成事実を作られるよ!?」
「殿下!」
「エドワードって呼んで!」
「え、エドワード!」
完全に雰囲気に飲まれてしまった。
なんだ、これは。
こんな、面倒くさい彼女みたいなこと言ってくる人だったか?
いや、もともと面倒な人ではあったけれど。
ていうか、既成事実って何だ。作られてたまるか。
「私は結局、仕事に託けて、用事に託けて……それがないと、きみと2人で話すことすらできない。それが悔しくて、寂しかった。ほんとうは、そんなものなくても、一緒にいられる関係が、欲しかったのに」
ぽつりぽつりと殿下が呟く。長い睫毛の間から、大粒の涙がはらはらと零れている。
泣いている彼は、絵画のように美しかった。
「……ほらね。結局、正直に言ったってだめなんだ。そんな分かりきったことを試すぐらいなら……それで傷つくぐらいだったら、気持ちがなくても良いから……せめて私のそばにいてほしい。他の誰かと一緒にいるきみを、見たくない」
涙交じりの声で言って、彼は頬を伝う涙を手の甲でごしごしと乱暴に拭った。
そんなことをしたら今度は頬まで赤くなってしまう、といらない心配をした。
彼は顔を上げて、私を見つめる。
目が真っ赤になっているし、擦った頬も、鼻も赤くなってしまっている。頬には涙の跡も残っている。
言ってしまえば、ひどく無様だ。完璧な王太子像とは程遠い、惨めな姿だ。
だが、彼らしくないその表情には、いつもの作り物のような、余裕ぶった雰囲気とは違う……妙な人間味があった。
「私はきみに恋をしているんだ。ずっと、ずっと。苦しくて、切なくて、それでも捨て切れないんだ」
その彼の表情に、理解させられてしまった。納得させられてしまった。
どうやら彼の言葉が、嘘でも冗談でも、ブラフでもないことを。
やれやれである。困ったことになったぞ、というのが本音だ。
それに……目の前で泣かれると、どうにも落ち着かない。
私は彼の瞳を見つめ返すと、口を開いた。
「殿下」
「エドワード」
「……エドワード様。とりあえず、護衛騎士の件は前向きに検討します。給料は近衛騎士の1年目と同じ額でかまいません。結婚の件さえ、撤回してもらえるのであれば」
私の言葉に、殿下は沈黙で返事をする。瞳からは、また涙が零れ落ちて頬を伝っていた。
沈黙を了承と受け取って、続ける。
「恋の件は、正直よく分かりません。私は、恋をしたことがないので」
言葉を慎重に選ぶ。
もちろん機嫌を損ねて打ち首になるのはごめんだし、かといって妙に期待を持たせるようなことや、責任問題になるようなことも言いたくなかった。
恋とか気持ちとか、結婚とか。そういったものについて私が分かるのは、「分からない」ということだけだ。
「ですが、友人にはなれると思います。殿下のお望みの、仕事に託けなくても良い関係というのは、友人でも良いのではないでしょうか? ほら、殿下とお兄様も、基本は主と部下ですけど、友人でしょう? そういう関係ならば、私も断固拒否するものではありません」
「……嫌だけど」
ずび、と殿下が鼻を啜る。この人も鼻水とか出るんだな、と、よくわからないことに感心した。
「嫌だけど、今よりは、マシかな」
「……左様ですか」
「友達、からでも、いいよ。絶対に、私のことを好きになってもらうから」
「…………」
「から」と来たか。
似たようなことを言って、今も一向に私を諦めてくれない某肉食系聖女の顔が脳裏を過ぎる。
弱ってしまって、殿下から視線を外した。
友人ならともかくとして、自分が男性からそういう対象として求められているということ自体、半信半疑、いや一信九疑だ。
しかしどうも本当に「そう」らしいので――しかも相手は王太子である――ますますもって、どうしてよいか分からない。
目下、目の前で泣きじゃくる彼に対して、どうしたらよいかも分からない。
迷った結果、私は今まで散々開いてきた、ナンパ系騎士の引き出しを開けた。彼の背中をぽんぽんと軽く撫でる。
「……リリア・ダグラスにも同じことをしたんだろ、きみは」
「……否定はしません」
言われて、またかの肉食系聖女を思い出す。
リリアに限らず、誰かが泣いているときに私に出来ることなど、せいぜい背中を擦ってやるか、ハンカチを貸してやることぐらいだ。
「そういう、甘いところが、つけ込まれるんだ」
「はぁ」
「私にだけ甘くして」
殿下が私の肩に顔を埋めた。
その言葉に、苦笑いすることしか出来ない。これもつけ込まれているうちに入るのだろうか。
先ほどから、どうして面倒くさい彼女みたいなことを言うのだろう。
……まぁ、面倒くさい恋愛をしそうなタイプだな、とは思った。
「今、面倒くさいと思っただろう」
「……否定はしません」
「いい、私も自分で面倒くさいと思う。だけど、これが恋なんだよ、リジー」
殿下が、私を見上げる。
涙で濡れた紫紺の瞳が、まっすぐに私を見据えていた。
「覚えておいて。面倒くさいし、苦しいけれど、それでも、こうして目が合うだけで嬉しくなるような、そんな気持ちが恋なんだ」
涙でぐしゃぐしゃの顔で、無理やり笑う。
「いつかきみも、恋に落としてみせるから」
普段の彼らしくない表情に、何故か私は、目が離せなかった。