恋の予感は勘違い
「ユカりん……」
文芸部の部室に、少女がフラリと入ってきた。
いつにも増して存在感が薄い土間珠美は、足取りもおぼつかない。長机とセットの椅子を引き、静かに腰を下ろす。
「どうしたの?」
三島由香利は心配になり声をかけた。いつもならスマホのソシャゲか動画サイトを眺めてばかりで、タマの話には生返事ばかりだが、流石に気になった。
具合でも悪いのだろうか。
タマは備品のノートパソコンの電源を入れると、起動中の画面をじっ……と見つめている。
「恋……したことある?」
「えっ!? 今なんて?」
信じられない言葉を耳にした。
恋。
淡い恋心。
それは実にエモーショナル。
クラスでは目立たず、陰キャを絵に描いたようなタマが、事もあろうに「恋」とぬかしおった。可愛いモテ女子にのみ許される特権を……。
「恋だよ、何度も言わせんな」
「あらぁ、隅に置けないわね」
ユカはスマホを机に置き向き直った。
タマのメガネには、ウィンドゥズのマークが反射して映っている。
「ユカはあるの?」
「そうねぇ、まぁ」
「あるの!?」
「うーんまぁ」
「何よはっきりしてよもう!」
「無いわよ! モテるけどね」
「あ?」
タマは半ギレ気味でユカを睨んだ。
「何よ」
「モテるぁ?」
「そうよ。意外かしら? 結構私、男子から手紙もらったり、告られたりするんだけど」
黒髪をすっと耳にかきあげて余裕の笑み。
確かにユカの見た目は麗しい。清楚なお嬢様っぽく、惑わされる男子もいるだろう。
「けっ! 色香にまどわされるなんて、男ってやっぱりバカなのかな? それだと困るな」
「どうしたのよタマ。ずいぶん荒れてるわね。もしかして気になる男子に彼女が出来た?」
「そんなんじゃない」
「なら、どうしたの」
黙りこくるタマ。
「うぅ、その、あの」
「私たち友達でしょ」
親身になって耳を傾けるフリをするユカ。
内心はタマの恋バナ(?)に興味津々、笑いのネタを知りたい一心なのだが。
「あたしってさ、男子を好きになったことないじゃん?」
同意を求められても……。ユカは困惑しつつ穏やかな表情を崩さないように我慢する。
「出会いは運命とタイミングだから。でもその様子だと」
ついに好きな男子でも出来た?
フッ、フフ。誰かしら?
タマのくせに。
聞き出したい。
あぁ聞き出したい。
ユカは必死で好奇心を抑える。
「ロベリア君にどうやって恋をさせたらいいか、わからなくて」
「はぁ!? 誰よロベリアって! って、小説の登場人物か!」
「そうだよ」
「アホか!」
ユカは立ちあがった。期待して損した。
「ちょっと、何キレてんのよ?」
「タマの恋バナかと思ったのに」
「新作のプロットの話だよ! 次回作では恋愛要素を入れようと思ってさ」
「あーはいはい。私たち高校生に書けるのは、等身大の青春恋愛だものね」
「って言うけど、ぜんぜんダメ」
「経験がないなら想像しなさい」
「無理だよ、恥ずかしいし。好きって何なの?」
「物書きを目指すならそこは妄想しなさいよ!」
とはいえ。
恋愛経験がほとんど無いタマにとって、疑似恋愛であっても考えるのは難題らしい。
「せめて男子が女子を好きになる、きっかけが知りたいの」
「ははぁ、なるほどね。それは……想像するしかないわねぇ」
「ユカなら知ってるでしょ?」
「おそらく、推測でよければ」
「教えて!」
「いいけど」
タマは真剣な様子でパソコンのキーボードに指をのせた。メモるつもりなのだ。
ユカは清々しいまでのマウントの予感に、溜め息を吐いてから話しはじめた。
「きっかけは勘違い」
「か、かんちがい?」
「目が合ったとか、落とした消ゴムがたまたま彼女の足元に転がったとか、拾ったときに指が触れたとか」
「ふんふん」
「男子によっては、話しかけてくれたとか、髪がきれいだったとか、いい匂いがしたとか、しょーもない理由で好きになるヤツもいるわね。甚だしいのは一目惚れとか、理由にさえなっていないケースもあるわ」
「男子ってバカなの?」
「大概はバカでガキね」
「そうなんだ」
幻滅するタマ。
「男子なんて、そんなものよ」
「なら、運命的な出会いは?」
「タマぁ!」
「はい!?」
ユカが突然叫んだ。
豹変にタマはビクッとなった。
「素敵な運命の出会い! それを考えて文字にするのが小説家……物書きの仕事でしょう!」
「おうっ!?」
正論だった。
ユカは恋愛で嫌な目に遭ってきたのだろうか。その言葉には重みがあった。
ユカ「つき合ったことはないわよ」
タマ「そっか、あたしと同じだね」
ユカ「(なんか悔しい……)」