:007 出発
──整備室。
工具や調整機器、そして医療機材も置かれたその部屋で、ロネリーは自分自身の機械の身体、とりわけ腕のメンテナンスをいつもより神経質に行っていた。
「……」
あの黒髪の少年──スキアの事を思い出していた。
彼の爪を、ロネリーは斬れなかった。
(ローダンセ……)
傍らにあるローダンセは、髑髏のままロネリーの周囲をゆらりゆらりと漂っている。所々傷の有る髑髏は彼が唯一信頼しているもの。敵を斬り裂けなかったのだとしたら、それは自身の弱さだとロネリーは思っている。
そしてその弱さは、ローダンセに対する背信とすら思う。
「ごめん、俺がもっと強くならないといけないのに……次は失敗しない」
ロネリーは言葉も感情も発しない髑髏のローダンセに語りかけながら腕のネジを締めて行く。
博士が言っていた。もし本当に“魂”をコントロール出来るようになれば、救えなかった命も救われるのだろうか。死んだ者の魂も救えたりできるのだろうか。
──天文組織「Sirius」の目的は暗黒物質の解明と、そして世界の修復だ。
仮面の男、
(ニヴィス……)
は、そう言っていた。
──三年前の「Emotion Bigbang」以降、世界は暗澹たる闇に覆われている。
大気中には漆黒の粒子が舞い上がり、それに侵蝕された化物「Patient」が我が物顔で街に蔓延っている。
君には「Destroyer」として、彼らを狩ってもらおう。
──そうして戦い続ければいつか機会は訪れるだろう。“彼”の魂が救われるその時が──
そんな下らない感傷に浸っていた。
心が弱れば過去は容赦なく精神を蝕む。忘れたい記憶程脳を焼き、悪夢がより鮮明に蘇る。でも、ロネリーは決して忘れようとは思っていなかった。忘れてしまえば死んで行った人は本当に消えてしまうのだから。
不意に整備室の扉が開き、ロネリーは持っていたネジを落とした。舌打ちをしてから扉の方を見れば、キイチが立っている。
「はぁ……此処に居ましたか。ロネリーさんを探すのはいつも骨が折れます……と、そんな事を言いに来たんじゃありませんね。第七区以北の解放が決まりましたよ」
キイチは扉の前に立ったまま、入ってはこない。
「……第七区?でもあそこには」
「ペイシェント“大天使”……がいますね。まあ、討伐任務として命令が下ったのですから、“あの人”──ニヴィスさんがなにか策を思いついたんでしょう」
第七区、北西に位置し、民間施設も多い地区だ。
キイチはメンテナンス中のロネリーの身体を見た。
半身が暗黒物質を制御する為の機械になっているロネリーの身体。その内部は、人工的でありながらも銀河を思わせる静かな光を放っていた。
「……いつ見ても凄い身体をしてますよね、貴方は。半分が改造人間、造られた左目には魂の色が見えるのだとか……メンテナンスなら開発部に手伝って貰えばいいんじゃないですか」
言われてロネリーは、少し不快感を示す。
「知らない連中に身体を弄られるのはごめんだ」
「同じ立場なら僕も同意見ですね」と、キイチも賛同する。
割り切れない気分のまま視線を落としたロネリー。と、そこで式神がネジを差し出していた。
「それから博士のとこには早めに行っとくようにね……僕はちょっとタイミングずらして行くけど」
ロネリーがネジを受け取ると、式神はひらりと飛んでキイチの元へと帰っていった。
他人に早めに行くよう釘を刺す癖に自分は遅れて行くのか。
ずる賢い男だ。
「これが終わったら向かう」
そう、このネジを締めたら。ゆっくりと。
***
日が沈みシリウスの構成員達も束の間の休憩に入る頃。
灯りを弱めた天体観測室に、キイチは一人やってきた。
「これです」
と、一人だけ残っていた研究員に渡されたホログラム装置を操作し、映像を映す。
「確かに、そうですね」
それはメアリーが“魂”と言っていた物質。白く光る石は、キイチには多少美しさを感じられた。
映像を閉じるとホログラム装置を上着に入れた。研究員は軽く頭を下げるとすぐに部屋を出ていきキイチは一人残されたが、もう一度見る気も起きない。
第九区の境界監視塔はシリウスの出先機関ではあるが、そこの施設長はあまり協力的ではない。どころか敵視すら感じる。
(境界監視塔の人達がそれこそ命を捨てる覚悟で臨めば、“アークエンジェル”も斃せると思うんですけどね)
人というのは自分の利になる事でしか動かない、どれだけ第九区境界監視塔の人の事を毛嫌いしていたとしても、致し方ないとは分かっている。
「あらキイチ君、何か用かしら?」
不意に入り口からメアリー博士の声がしたが、キイチは対して驚きもしなかった。
「ちょっとホログラム装置を借りようと思っただけです。持っていけと言われましたから」
「ふーん……」
メアリーは腑に落ちない目で、何処か訝しんでいる。
キイチに後ろめたいものは無いが、あまり良い心地はしない。
「僕はもう戻ります、今日も疲れましたから」
「あ、待ってキイチ君!」
退出しようとして呼び止められ、キイチは振り返った。
何を咎められるかと思ったが、メアリーは綺麗にラッピングした“黒い塊”をキイチに差し出していた。
「スフレケーキ、一個余ってるから食べて!」
「う……わざわざタイミングをずらして来たのにまだ残っていたんですね……」
***
風で砂埃が舞った。
シリウスの施設周りはある程度整備されているが、少し遠くを見れば瓦礫の世界が見える。
「まずは第九区の境界監視塔に挨拶ですけど……ロネリーさん、大丈夫ですか?」
「……俺は平気だ」
変わらず無愛想なロネリー。
キイチには慣れたものだったが、スキアはそうではなかった。
(な、なんで僕も行かされるんだろう……しかも彼と一緒に)
なんとなく気不味い、スキア。
いきなりロネリーに背後から襲われたりしたらどうしよう……などという事を考えてしまう。
と、そこへ車が一台停まり、運転席からヴィルが顔を出した。
「待たせたな、乗りな!」
20世紀型のオープンカーで、ヴィルは運転席で笑顔を見せる。
「……って、なんで普通車なんですか。装甲車あったでしょうに」
「いいだろ、スポーティで。な、スキアもそう思うだろ?」
「う、うん」
悪くはないとは思う。スキアは他の乗り物を知らない。
キイチはそのチョイスにぶつくさと文句を言っているが、スキアの不安は別のところにあった。
何しろ初任務。上手く戦えるかどうか、全く分からない。
ロネリーとの時は無我夢中だったが、今度は、自分の意志で力を振るわなければならない。
言い争いを始めるキイチとヴィル、全く無関心のロネリー。
(大丈夫かな、このメンバーで……)
「ごめんだが、俺は別行動で行く」
そう言い残して、骸骨のローダンセをバイクに変えて何処かに行ってしまった。
遠のくロネリーの姿を見てスキアは少し安堵するが、やはり任務に対しての不安は拭いきれない。
スキアは不安を抱えたまま、北へ──第七区域へ向かう。