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華鬼と食事を  作者: 水無月水月
第一章 妖屋敷にて
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五話、枕返しと意趣返し




「あんた、最近寝れてへんて?」


 最近の日課となりつつある朝餉あさげの準備を手伝っていると、前置きもなく鬼がそう尋ねた。やはり離れとはいえ、灯りが点いている部屋が目についたのだろうか。

 そう思っていると、星熊童子は事も無げに言った。


「なんや”枕返し”が新入りに悪戯いたずらできなくて拗ねとるみたいでなぁ。よくうちに愚痴ってくるの」

「……”枕返し”とは?」

「屋敷にいる妖の一匹で、寝てる人の体の位置をずらしたり、枕を隠してしまうやつやね。基本的には子供の悪戯程度の害のない妖怪やなぁ」

「それはまぁ何というか、悪ガキのような輩だな……」


 そんな些細ささいな悪事でよいのかと、やや反応に困ってしまう。

 

「妖なんて大抵はそんなもんやろ。他人様に迷惑かけてなんぼな存在やから」

「そうは言うが、私はその他人様に迷惑かける連中に助けられた身だからなぁ」

「そういえばそうやったね」


 鮮やかな朱色の唇を歪め、少女鬼はさも可笑しそうに笑う。

 その間も手の動きは働き者のままだ。


 常々思うのだが、この鬼はそれまで景頼が思い描いていた鬼とは全く異なる生き物ではないだろうか。

 一般的に鬼とは野蛮で、血のような赤色の肌に虎縞の腰巻といった格好にびっしりと釘がついた金棒を振り回す恐ろしい化け物だ。


 だというのに、目の前のこの鬼は景頼よりも頭二つ分低い体躯たいくからすの濡れ羽色の艶のある黒髪は、まるで尼のように肩辺りで切り揃えられている。(この時代女人が尼になる際は男性のように剃髪ていはつせずに、長い髪を短く切り揃えることが多い。)

 肌は雪のように白く、常に椿のような花の香りが鼻腔をくすぐってくるようだ。腕や腿などはやや痩せぎすだが、まるで少女のような容姿だ。


 世間一般では美人の定義といえば、さらさらの長い髪は当たり前。顔はふくよかで下ぶくれ。そこに真っ白な白粉おしろいを施して。そうして出来るのが平安美人と呼ばれる人種である。

 姿形も重要だが、そして何よりも和歌を理解できる教養の高さがあればなおの良し。

 そんな彼女たちなのだが、高貴な身分にある女性ほどその素顔をそうそう人前に出さない。姿を現したと思っても、大抵は御簾みす几帳きちょうの向こう側からかおうぎごしに隠れているのが普通である。


 だが鬼にはそのような常識はないらしく、男の前であろうと常にその愛らしい顔と姿をさらしている。

 その振る舞いは本来ならば信じられないものなのだが、全然嫌なものではない。それどころか景頼にとっては新鮮な驚きと同時に、実に魅力的にさえ思う。

 どうしてか景頼にとっては、彼女のその愛らしい容貌ようぼうも破天荒ともとれる立ち振る舞いも、新鮮で魅力的なものでしかなかった。それらはとても衝撃的で鮮烈に、今まで景頼の中に根付いていた常識をがらりと塗り替えていった。

 彼女の姿は景頼の心を掴んで離さない。なぜこれ程までに惹かれるのか訳が分からない程に。


 黒曜石のようなぱっちりとした瞳やしっかりとした鼻筋に小さめの唇はあどけなさを感じるが、愛らしいと感じるには十分だ。

 白粉をまぶさなくとも白く、血の気のある素肌も好みだ。

 更にはどこか品のある所作に、いつも日々異なった美しい着物を身に付けていることも彼女の姿に合っていて惹きつけられるものがある。


 どうしてここまで惹きつけられてしまっているのだろう?

 それは人ならざるものが持つ魔性の魅力故か。はたまた景頼の好みの問題なのか。卵が先か、鶏が先か。どうなのだろうか。

 そうやって己の中でつらつらと根拠を探している内に手元がおろそかになっていたらしい。うっかり持っていた包丁でゼンマイではなく、己の指を切りそうになる。

 幸いなことに直前で気づいたため、そうはならなかった。

 星熊童子に悟られないように内心でほっとしていたら、


「手元見てへんと危ないよ」


 こちらに背を向けながら調理に向かっている彼女に釘を刺され、慌てて山菜を切っている手元へと視線を逸らした。

 どうしてわかったのだろう。彼女の目線と関心は確かに、彼女が仕込みをしている釜の方へと向けられていたはずなのに。


「気配でわかるから油断せんように」


 口に出さずに黙々と考えていたはずのことにもきっちり答えが返ってきて驚きはしたが、すぐに得心えしんへと変わる。

 何せ相手は死の間際にひんしていたはずの景頼をあっさりと回復させてしまうような、世の理を一切無視した魑魅魍魎の類なのだ。

 だが景頼はそれよりも考え事をピタリと当てられたことに純粋に感心してしまった。これでも考えていることを顔に出さないことにはそれなりの自負があったつもりだったからだ。


「それはすごいな」


 口に出して褒めてから、待てよと景頼は考える。

 表情すら見ずとも気配で思っていることすらわかってしまうとは、すなわちこの鬼に隠し事は出来ないということではないだろうか。

 そういえば隠し事ではないが気になっていたことが、ふと頭をよぎる。―――先日のあの”小豆洗い”のことだ。


「そうだ、害のない妖で思い出した」


 二、三日前に自室で”小豆洗い”の小豆を洗う音が聞こえたこととその顛末てんまつを掻い摘んで星熊童子に話した。

 話し終えると鬼は肩を揺らしながら、ふふっと実に楽しそうに笑い出した。


「くくっ、妖を逆に怖がらせるなんて……! ほんま、あんた面白いわ。見てて飽きんねぇ」

「笑い事ではない。あれ以来、しょきしょきという音が全く聞こえなくなったんだ。もしかしたら必要以上に脅かしすぎたのかもしれない。お前の口から私が謝っていたと伝えておいてくれないか」

「伝えてどないするの? 別に不気味な音が鳴りやんだんやから、ええではおまへんの」

「それは困る。とてつもなく困る」


 不思議がる星熊童子。だがこれは景頼にとっては大事おおごとであった。


「あのしょきしょきという音がすっかり聞き慣れてしまったから、なくなってしまうと今度は静か過ぎて落ち着かない」


 そうなのだ。何げに気に入っていただけに実に残念で仕方がない。

 おかげで今朝も早くに目覚めてしまい、そわそわと落ち着かないまま太陽はまだかと過ごしていたものだ。


 そういうと、今度は深い溜息が返ってくる。


「……呆れたわ……”小豆洗い”も子守唄がわりにされとったと知ったら益々落ち込むわ。そういう訳や。あんたが我慢しい」

「ならば他にそのような妖はいないのか。希望としては無害でおどろおどろしくない奴がいい」

「………はぁ、人肉はあんまり美味しくないんやけど……致し方なしやなぁ……塩もみの準備でもしとこか」

「悪かった、冗談だ」


 恐ろしい独りごとが聞こえた気がしたので、生存本能から気付かないうちに働いていたようである。


 いくら美しくても、彼女の小さな額にある二本の白い角は間違いなく彼女が人ならざるものだと主張している。


 忘れてはいけない。


 いくら親しくしていても、彼ら彼女らは景頼たちとはどこまでも相容れない異形のものたちなのだということを―――。


 もし心変わりでもして、景頼に牙を向けば太刀打ちできない危険な存在であることに変わりはしないのだから―――。



「ま、慣れてきたんなら他の妖怪たちにも出てきてええって言っておくわ。その度胸もどこまで続くか見物みものやし」

「あまり大勢で百鬼夜行ひゃっきやこうなどされても困るがな。ちなみにこの屋敷にはどの程度の数の妖怪変化がいるんだ?」


 これだけ広い寝殿造りの屋敷なのだ。

 どこに隠れていてもおかしくはない。


「んー、小さいのとたまに来るのを合わせても……ざっと百から二百といったところやなぁ。ほんに少なくて悪いわぁ」

「……それは嫌味か。いや、嫌味だな」


 全く悪びれもしない物言いに、景頼も嫌味で返す。


「その性の悪さは京都で大納言の位に就いていた時に、コソコソと嫌味を言ってくる貴族どもを思い出すよ」

「酒呑や茨木と違って、うち元々京にいた鬼やさかい。通ずるものはあるやろ」


 なるほど。それなら彼女の洗練された佇まいや時折見せる上品な所作に納得がいく。それは彼女が平安の都育ちであるあかしだったのだ。

 京の生まれと知り、同郷であることを少し嬉しく思いながら景頼は話題を変えた。


「京に戻りたいと思うことはないのか?」


 そう聞くと、特にはという淡々とした答えが返ってくる。

 本当に故郷に対しての思い入れはないらしい。

 そういうところは彼女が人間味のない、鬼だということを思い知らされるのだが。


「あんたはどうなん?」

「私か? 私はやはり時々は帰りたいと思ってしまうよ。己が生まれ、育った場所だからね。あの美しい街並や景色は懐かしくてたまらないね」

「……でも、帰れへんのでしょう?」

「……まぁ、ね」


 一瞬だけしんみりとした空気が流れる。何だが妙な間が空いた。これはまずいと思った景頼は、すぐに明るく取り繕った。


「それに私は皆から嫌われているからな! 帰ったところでどうしようもないさ。それにこの屋敷の方が過ごしやすい。こんなに居心地が良すぎて良いものかと困ってしまうぐらいだ。妖たちの間にいる方が馴染んでしまうのは人としてどうなのかと思うぐらいだが、案外私には合っているのかもしれない」

「それもどうかと思うけどなぁ……」

「元々人から疎まれることが多いほうだったからな。互いのためにもこれで良かったのだろう、きっと」


 お前たちには迷惑をかけてしまっているがなと一言添えれば、仕方ないなぁと言わんばかりに溜息が返ってきた。

 頭が上がらないほど彼らには世話になっているのだ。

 せめて少しでも彼らに恩を返したい。改めてそう思うと景頼は一心不乱に食事の準備に取り掛かっていった。


 そうやって景頼が山菜の山に孤軍奮闘するその様を、鬼が楽しげに眺めていたことも知らないままで―――彼は山菜との格闘を続けていたのだった。


サブタイトルに名前があるのにあまり出てない枕返しさん……。

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